◆201303KHK241A1L1462HM
TITLE:  教員のうつ病自殺と公務災害認定
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: (2013年3月)
WORDS:  全40字×1462行


教員のうつ病自殺と公務災害認定


羽 山 健 一



目   次

はじめに―― 増える教員の精神疾患と自殺
第1 うつ病自殺をめぐる公務災害認定請求事件
  1.磐田市立小学校事件
  2.静岡県小学校養護学級事件
  3.京都市立中学校事件
  4.堺市立中学校事件
  5.仙台市立中学校事件
  6.東加古川幼児園事件
  7.茨城県立高校事件
  8.釜石市立小学校事件
第2 精神疾患の公務災害認定
  1.公務災害補償制度と公務災害の認定
  2.精神疾患の公務起因性についての判断枠組み
  3.自殺と因果関係の中断
第3 公務起因性をめぐるぐる争点
  1.うつ病に罹患しているかどうか
  2.業務と精神疾患の間の因果関係
  3.精神疾患と自殺の間の因果関係
第4 事実認定された教育の現状
  1.長時間労働
  2.児童・生徒指導の困難
  3.保護者対応の困難
  4.教員に対する支援体制の不十分
おわりに
注釈
裁判例の出典等




はじめに ―― 増える教員の精神疾患と自殺


  文部科学省の統計によると、教員の精神疾患による病気休職者の数は増え続けている [1] 。その数は1990年度に1,017人であったものが、20年後の2010年には5,407人と5倍以上に増加した。さらに、警察庁の統計によると、教員の自殺も増えている [2] 。警察庁の毎年公表している『自殺の概要資料』あるいは『自殺の状況』において、職業別、原因・動機別の自殺者数を掲載しており、この資料によると、2004年度の教員の自殺者数は83人、これが徐々に増加し、2010年度に146人となった。その後やや減少したものの増加傾向にあるといえる。これに対して、同期間の自殺者の総数は、32,325人から31,690人へと変化し、ほぼ横ばいか微減の傾向にある。もちろん、教員の自殺の原因のすべてが教育という仕事にあるとはいえない。とはいえ、教員の自殺を原因別に見ると、家庭問題、経済生活問題、男女問題に比べて、健康問題と勤務関係があわせて76%で(2011年度)、大きな比重を占めていることが分かる。また、健康問題に分類されるものの内訳では、うつ病が68%を占めており、ここにも勤務によるストレスの影響が窺われる。
  子どもの安全を守り、命の尊さを説くべき立場にある教員が、なぜ自らの命を絶つようなことになるのか。その背景には、教員の身体や精神の健康を蝕むほどに厳しい労働条件が存在することは疑いようもない。そして精神疾患や自殺の増加は、現代の学校現場においてこうした過酷な労働環境が拡大していることを示唆しており、これはもはや社会問題であるといえよう。
  ところが、精神疾患に罹患した教員の中には、それが公務上の災害と認められず補償が受けられない場合もある。本稿では、教員が精神疾患に罹患して自殺した事例で、公務災害の認定を求めて提起された訴訟の判決を題材として、そこで争われた論点を整理したい。また、これらの訴訟においては、教員の業務とうつ病自殺との間に因果関係があるかどうかが主な争点となるが、その検討の中で、現在の教員の置かれた教育現場の状況が論議されている。そこで、裁判所によって認定された事実をもとにして、過酷な教育労働の実態を明らかにしてみようと思う。



第1 うつ病自殺をめぐる公務災害認定請求事件


  教員の自殺について、過重な業務が原因と考えられる事例で、それが公務災害とは認定されないために、遺族等がその公務外認定処分に対して、行政処分取消請求を行う訴訟が近年多くみられるようになった。ここでは、そうした事例を8件選び、裁判所が認定した事実を中心に、その事実関係を紹介する。それぞれの出典等は末尾に掲載した。


1.磐田市立小学校事件

  2004年4月に新規採用され静岡県磐田市立小学校に着任したAさん(当時24歳、女性)は、4年生のクラス担任として問題行動の多い児童を指導するなか、うつ病にかかり、同年9月に自殺した。
  Aさんは大学卒業後、約半年間幼稚園で調査協力員などの仕事をし、2003年4月から1年間、本件小学校において教員補助業務に従事した。着任後にAさんが担任したクラスでは、児童Nを中心として、いじめ、カンニングなどの問題行動が立て続けに発生し、授業も騒がしかった。Aさんは、初任者研修資料に、「私が話していたり、誰かの発表中に大きな声で話し始める子が数人いて、ほとんど授業がすすまなかった」、「私の注意はほとんどきかず、大騒ぎが続いて、どうしたらいいかわからない。疲れきった」などと記載していた。Aさんは、ある教諭から、教室内で騒いでいる児童を注意しなかったことを指摘され、「給料もらってるんだろう、アルバイトじゃないんだぞ、ちゃんと働け」などと叱責された。児童Nを中心とするトラブルは終息することなく、同年9月28日、Aさんは児童Nの母親から、「4年生になってから、ひんぱんに先生から電話をもらうようになりこちらも精神的にまいっています」、「先生はちゃんと子供の話を聞いていますか?」、「先生の方も過剰に反応しすぎだと思います。もう少し先生が厳しく子供達に接していただきたいです」、「今のままの状態では学校へ通わせる事を考えなければなりません」と記載された手紙を受け取った。その翌日の午前5時半、スポーツセンターの駐車場にとめた自家用車内に火を付け、焼身自殺した。
  Aさんの父親は、自殺は公務によって引き起こされたものであるとして、2004年12月、公務災害の認定を請求したが、2006年8月、公務外の災害であると認定する処分を受けたため、審査請求、再審査請求を経て、2008年7月、同処分の取り消しを求めて訴訟を提起した。
  静岡地裁は、2011年12月15日、新規採用教員であったAにとって、公務は、緊張感、不安感、挫折感等を継続して強いられる、客観的にみて強度な心理的負荷を与えるものであったとして、公務と自殺との間の相当因果関係を認めた。また、2012年7月19日、東京高裁も地裁判決を正当として控訴を棄却した。


2.静岡県小学校養護学級事件

  静岡県の公立小学校教員のBさん(当時48歳、女性)は、1999年4月に転勤してきたばかりの小学校で、養護学級の担任となったところ、新たに児童を受け入れるための体験入学実施期間中に、これによる精神的重圧によりうつ病に罹患し休職したが、2000年8月に自殺した。
  Bさんは1979年に静岡県の公立小学校教員として採用され、その後20年以上、県内の小学校において教員として勤務し、1997年度からは養護学級の教育に携わるようになった。1999年に本件小学校に転勤し、そこに新設された養護学級の担任となった。
  同年7月、児童福祉法に基づく措置により、親元から離れ児童福祉施設R学園に入所し、そこに併設されている県立S養護学校のR分教室に通っていた1年生男子児童(以下「体験児童」)の保護者から、体験児童を引き取って地元の本件小学校の養護学級に通わせたいとの希望が申し入れられたことを契機に、児童相談所は、試験的に体験児童を親元に戻し、本件小学校の養護学級に通わせて様子をみた上で、措置解除の可否を決するとの方針を固め、2000年1月20日から同年2月2日までの間、いわゆる体験入学をすることとなった。この体験入学について、Bさんは、やむを得ないと思いつつも、できることならやらずに済ませる方向で考えてほしいと校長に伝えた。また、体験児童のことを知る養護学級児童の母親2人は、体験入学に関する不安を訴え、校長、B及び母親2名の間で話合いが行われた。
  体験入学の期間中、体験児童は、Bさんや他の児童、教員らに対して、掴みかかる、追い回す、蹴る、爪で引っかく、髪の毛を引っ張る、唾を吐く、などを繰り返し、また、おもらしや失便をすることもあり、ほとんどまともに授業を受けることができなかった。Bさんは、体験入学の途中から胃痛や喉の痛み等で体調を崩し、それは体験入学終了後も続いていた。また、体験入学終了直後には、体験児童の親が本件小学校への転入申請を取り下げた旨の連絡を受けるが、上記症状に改善の兆しは見られなかった。Bさんは、2月21日、落ち込み、朝がつらい、胸が締め付けられる、睡眠がぐっすり取れない等の症状を訴えてTクリニックを受診したところ、うつ状態であると診断され、4月21日から3か月間休職することとなった。Bさんは、本件体験入学実施により、それまで経験していなかった尋常でない事態に次々と遭遇し、精神的にこれに付いていくことができず、それまで20年間培ってきた教員としての存立基盤が揺らぎ、精神的に深刻な危機に陥って、抑うつの状態になったと考えられる。休職後Bさんの症状はかなり良くなり、生活も改善されたが、その後、再び症状が悪化した。そして、職場復帰日が近くなるにつれ症状がさらに悪化し、同年8月2日、実家の作業小屋内において縊死した。
  Bさんの父親は2000年11月、公務災害の認定を請求したが、公務外認定の処分がなされる。その審査請求は棄却され、再審査請求は行われなかった。その後、母親が2003年8月、同一の請求を行い、公務外認定の処分を受けたため、審査請求、再審査請求を経て、処分の取消しを求める訴えを提起した。
  一審の静岡地裁は、2007年3月22日、母親が父親と同一の請求をしたことについて、その訴えを適法とした上で、公務が過重であったとはいえないとして請求を棄却した。二審の東京高裁は、2008年4月24日、Bさんは体験入学実施による精神的重圧によりうつ病に罹患し自殺したものと認められるとして、一審判決を取り消し、母親の請求を認めた。最高裁も2009年10月27日、上告を棄却する決定を行い高裁判決が確定した。


3.京都市立中学校事件

  京都市立中学校教員のCさん(当時46歳、男性)は、転勤して2年目の1998年、クラスの生徒の問題行動や行事のトラブルなど複数のストレスを抱えうつ病を発症し、休職中の同年12月に自殺した。
  Cさんは、1978年に教員として採用され数校での勤務を経験し、20年間の教員経験を持っていたが、次のような出来事のために相当程度のストレスを負った。@転勤して1年目は長男の治療のために校務が軽減されていたが、2年目の4月からは、2年生のクラス担任やバレー部、剣道部の顧問を担当するようになった上、バスケットボール同好会を立ち上げて、その顧問になったことにより、業務内容は、質・量ともに大きく変化したこと、A担任のクラスには、不登校の生徒がいたばかりでなく、Cさんがこれまで遭遇したことのないタイプの問題生徒である女子生徒がおり、同女が他の生徒にも悪影響を及ぼして学級運営が困難になっていたこと、Bバスケットボール同好会の立上げは、正規の部への昇格を目指していたことから、その運営には、正規の部活動では必要のない配慮や業務が必要であって、Cさんはそれを一人でこなす必要があったため、時間外労働をより増加させたこと、C時間外労働は、1998年5月以降、恒常的に80時間を超過していたこと、D同年9月以降は、体育祭直前の男子生徒の事故や文化祭直前のミスなど、トラブルが複数発生したことなどから、時間外労働も長くなる傾向にあった。Cさんは、希死念慮があり夏休みには包丁を持ち出したこともあり、同年10月、診療所の精神科を受診したところ、抗うつ状態と診断されたことから、休職を申し出て、同年10月30日より病気休暇に入った。休暇中、Cさんは医師に対し、体調が良くなってきたこと、抗うつ剤の副作用で記憶力が低下したこと、呂律が回りにくい感じがすることなどを話していた。しかし、同年12月12日、家族の一人一人に宛てたメモを残して、縊死により自殺した。
  Cさんの妻は、2002年8月公務災害の認定を請求したところ、公務外と認定する処分を受けたため、審査請求、再審査請求を経て、2007年6月、本件処分の取消しを求めるとともに公務災害認定処分の義務付けを求める訴えを提起した。
  これに対して、京都地裁は2011年2月1日、Cさんのうつ病の発症には、業務以外の心理的負荷及び個体側の脆弱性も大きく影響しており、公務にうつ病を発症させる一定程度以上の危険性が内在していたということはできないとして、取消請求を棄却し、義務付けの訴えを却下した。その控訴審である大阪高裁は2012年2月23日、Cさんのうつ病は、公務による心理的負荷が精神障害を発症させる程度に過重であった結果、発生したものであると認め、本件処分は違法であるとして、原判決を取り消すとともに、義務付請求も認容する判決を下した。


4.堺市立中学校事件

  大阪府堺市立中学校の教員であったDさん(当時51歳、女性)は、本件中学校に転勤して2年目の1997年、対教師暴力や宿泊訓練などでストレスにさらされ、うつ病に罹患し、同年11月以降、有給休暇および病気休暇を取得していたが、療養中の1998年10月に自殺した。
  Dさんは1976年に採用され小、中学校の教員として勤務した。本件中学校に転勤して1年目には担任を持たなかったが、2年目の1997年には2年生のクラス担任を持つとともに、社会科の授業、家庭科クラブの顧問などを担当した。この中学校は、当時市内でも生活指導面での問題が非常に多い学校であり、チャイムが鳴っても教室に入らない生徒が多く、これを注意すると、「うるさい!」、「死ね!」、「殺すぞ!」等の暴言が返ってくるのは日常茶飯事で、授業が成り立たないこともあり、喫煙、器物破損、対教師暴力といった事件が多数発生し、教師が見張りに立ってもパン売場での恐喝事件が止まないといった状況であった。同年5月、Dさんはノートを未提出のまま帰ろうとする生徒を注意したところ、みぞおち付近を殴られ、教員生活で初めての生徒からの暴力で衝撃を受けた。それにもかかわらず学校側は、Dさんに対する支援策を検討することもなく、加害生徒に謝罪させる場をつくって終わらせることに腐心していた。
  6月に2泊3日で行われた鳥取県大山での宿泊訓練では、担任クラスの女子生徒2人が深夜行方不明になり、大騒ぎの後、男子生徒の部屋で発見されるなど、Dさんは夜も満足に眠ることができず心身ともに疲労困ぱいした状態にあった。この宿泊訓練の代休日であった6月13日、Dさんは、心身の変調を訴え、心療内科クリニックを受診し、翌日に精神科クリニックを受診したところ、うつ状態と診断され、抗うつ薬等の投与を受けた。6月16日、Dさんの夫は中学校に赴き、教頭に3か月の休業と代替講師の依頼をしたところ、教頭から「休まないでください。ぎりぎりでやっているから、これ以上休まれると支障が出る。」旨言われた。また、Dさん自身も後日、学校側から「やめると子どもが見捨てられたと思うのではないか。頑張ってくれ。」と言われたため、やむなくその後も通院しながら勤務を続けることとした。
  2学期に入ってからも、職員室で担任クラスの女子生徒が、座っているDさんを椅子ごと後ろから強く押し職員室内をぐるぐる引き回したり、Dさんが止めに入ったにもかかわらず目の前で生徒同士の暴力行為が行われるといった出来事が発生した。11月、Dさんは担任クラスでの授業中のトラブルを機に授業途中に早退し、先の精神科クリニックを受診し直ちに緊急入院した。その後、退院して自宅療養を続けたが、1998年4月にも、症状が悪化し再入院。同年7月に退院して再び自宅療養を続けたが、同年10月、自宅にて縊頸の方法により自殺した。
  Dさんの夫は2000年10月に公務災害の申請をしたが、公務外と認定され、再審査請求まで行ったが、棄却されたため、2008年10月、公務外災害認定処分の取消しを求める訴訟を提起した。
  大阪地裁は2010年3月29日、公務としての加重性は優に肯定することができるとして、自殺の公務起因性を認め、本件処分を取り消した。


5.仙台市立中学校事件

  仙台市立中学校教員のEさん(当時36歳、男性)は、1998年8月、仙台で開催された全国中学校バドミントン大会(本件大会)の競技役員として大会準備の職務に従事していたが、同月24日、滞在中のホテルの自室において自殺した。
  Eさんは1986年から宮城県内の中学校教員として勤務し、1994年から本件中学校で勤務していた。1998年度、クラス担任、英語の授業、生徒会指導、バドミントン部の顧問を担当していたところ、同年度は教員免許を持たない社会科の授業を初めて担当した。この中学校のバドミントン部は強豪であり、同年度の市中総体においては、青葉区での優勝を果たした。Eさんは部活動の練習を指導するとともに、各種大会への引率や、土曜日、日曜日、及び祝日に、校内外における練習試合を組み、実施していた。Eさんは前年度から県中体連バドミントン専門部副委員長に選任され、1998年7月に開催される県中総体の運営等の職務に従事した(「中体連」は「中学校体育連盟」の略、「中総体」は「中学校総合体育大会」の略)。さらに、同年8月に開催される本件大会では、その実行委員会の総務部部長に就任し、大会の開催要項を記載した業務必携の作成など、大会準備のための職務に従事することとなった。このためEさんは、6月以降、1か月に少なくとも約100時間以上の超過勤務を行っていたが、7月下旬以降は、学校における超過勤務に加え、自宅においても深夜に至るまで、大会準備の職務に従事した。Cさんは、6月末ころから、妻や職場の同僚に対し、夜眠れないこと、朝起きられないこと、気が沈むこと、自信がないこと、仕事に出たくないこと、仕事が手につかないこと、疲れ易いこと、頭が痛いこと、食欲がないこと等を訴えるようになった。Eさんは本件大会の前日からホテルに滞在していたが、大会最終日の前日の朝、ホテルの自室において、ドアに帯をかけて首をつり自殺した。
  Eさんの妻は2000年10月、公務災害認定を請求したが、公務外認定処分がなされたため、審査請求、再審査請求を経由した上で、本件処分は違法であるとして、その取消しを求めて提訴した。
  仙台地裁は、2007年8月28日、本件大会の準備等の業務は公務に当たると判断した上で、長時間労働の事実を認め、自殺は公務に起因するものであるとして原告の請求を認めた。


6.東加古川幼児園事件

  この事例は、学校教員に関するものではなく、民間保育所の保育士の例であるが、過労自殺の事例として共通する論点が多くあるので紹介する。Fさん(当時21歳、女性)は、1993年1月、株式会社K幼児園に保母として採用され勤務をしていたところ、同年3月に精神障害を発症したためK幼児園を退職したが、その約1か月後に自殺した。
  Fさんは短期大学の家政科を1990年に卒業した後、保育の仕事に興味を持ち、1992年9月に保母資格(現在の保育士資格に相当)を取得した。K幼児園は市内に4か所の無認可保育所を設置しており、このうち、m1園は0歳児から1歳児を、m2園は3歳児から5歳児を、m3園は2歳児をそれぞれ対象としていた。1993年1月、Fさんはその1つであるm3園で勤務を開始したところ、当時、m3の児童数は18名で、他に一時保育の児童が1名いたのに対し、保母の数はFさんを含めて2名であり、児童福祉施設の最低基準に定める保母数が確保されていなかった。m3園には調理師がいなかったため、昼の給食の準備を保母が行い、また、m3園は送迎バスの発着場所となっていたため、他園に通う園児らもいったんm3園で保育していた。その後、m2園の保母全員が退職することになったため、Fさんは4月以降はm2園に異動し主任保母(責任者)としての業務を行い、さらに、コンピュータを利用した新しい保育の責任者となるよう指示を受けた。そのためFさんは、2月からm3園の保母としての通常業務に加え、m2園の責任者となるため、及び、コンピュータを利用した保育の責任者となるための打合せ、年間指導計画の作成等の業務を行わなければならなかった。このような中、Fさんは3月に精神障害を発症し、市内の病院で受診し、精神的ストレスが起こす心身症的疾患と診断され入院検査を受けることとなったため、3月31日、K幼児園を退職した。Fさんは入院翌日には退院して自宅療養をはじめ、4月には洗礼を受けるなど元気を取り戻したが、4月29日、自宅において縊首の方法により自殺した。
  Fさんの父親は労働基準監督署長に対し、労働者災害補償保険法に基づき、遺族補償年金等の支払いを請求したが、労基署長は、1996年8月、これを支給しないとの処分をした。父親はこれを不服として審査請求、再審査請求をしたが、いずれも棄却されたため、処分の取り消しを求めて訴えを提起した。
  東京地裁は、2006年9月4日、Fさんは保母としての経験が浅かったのに、課せられた業務内容は極めて過酷なものであって、これは、通常の人なら誰でも精神障害を発症させる内容であったとして、Fさんの精神障害が過重な業務により発症したものであると判示し請求を認めた。なお本件は、損害賠償請求訴訟としても争われており、2000年6月27日、最高裁が上告棄却・不受理としたため、勤務と自殺の間の相当因果関係を認めた第二審の判断が支持された [3]


7.茨城県立高校事件

  茨城県立高校の社会科教員として採用2年目であったGさん(当時26歳、男性)は、生徒による暴言事件をきっかけに、1988年11月、自殺した。
  Gさんは大学卒業後2年間の県立高校講師の経験を経て、1987年に社会科教員として採用され、1年目は地理の授業を担当し意欲的に授業に取り組んでいた。2年目の1988年は日本史の授業を担当するほか、副担任、教務部等の校務、バレーボール部の顧問等を勤めていた。Gさんが担当したクラスは、授業態度の悪い生徒が多く、Gさんが注意をしても、生徒らは反抗し注意をあまり聞かなかった。同年10月、日本史の授業をするため教室に赴いたところ、生徒Aと生徒Bが取っ組みあってふざけていたので、Gさんはこれを止めさせようと、教務手帳の平らな部分で生徒Aの頭を軽くたたいて注意したところ、生徒Aは「何でおれだけ叩くんだ」と言って反発した。Gさんは授業終了後生徒Aを職員室に呼んだが、生徒Aは興奮して「なぜBを叩かずに、自分だけ叩いたんだ。」と大声で言って、まったく話を聞かなかった(暴言事件)。この高校では、暴言等の事件については、生徒指導部が事実関係を調査し職員会議で指導処分を決定するというのが従前からの取り決めであったところ、校長はGさんの指導が体罰に当たる可能性があることから、生徒指導部を通さないで校長が直接生徒Aを指導した方がよいと考え、Gさんに対してその旨を述べた。ところが、この案が生徒指導部の会議で否定されると、校長はGさんに「親から『体罰をした先生はどうなるのか。』と言われた場合、訓戒なり何らかの処分が先生の方にもあります。それでよければ生徒指導部を通して生徒Aを指導します。」と言われ、Gさんは「従前のとおりにしてください」と返答した。結局、生徒Aは職員会議の結論として7日間の停学処分と決定された。
  この間Gさんは、同僚に対して、教務手帳で生徒Aの頭を叩いた行為が体罰に当たるかどうかを尋ねたり、「管理職から呼び出されて、自分を処分すると言ったのではなく、誤解などと言われた」、「あんな管理職の下で働く気はしない」、「辞めたい」などと洩らした。そして、有給休暇をとって自室にこもる、あるいは、昼食の弁当を食べずに持ち帰る、書類の日付を間違えるなどの出来事がみられるようになり、実の姉に対して「お姉ちゃん、パパとママを頼むよ」と述べるなどして、同年11月28日、Gさんは自室で縊死した。
  Gさんの母親は公務災害の認定を請求したが、公務外と認定する処分がなされたので、審査請求、再審査請求を経て、処分の取消を求めて提訴した。水戸地裁は、2002年3月12日、Gさんがうつ病であったかどうかについて証明されておらず、したがって、公務と自殺との間の相当因果関係も証明されていないとして、請求を棄却した。


8.釜石市立小学校事件

  岩手県の公立小学校の教員になって7年目のHさん(当時29歳、男性)は、1982年4月、本件釜石市立小学校に転勤してきて、新しい職場に戸惑いながらも職務に取り組んでいたが、1983年2月、山林内で書き置きを残し自殺しているのが見つかった。
  Hさんは、1976年に大学を卒業し同年採用され、教員としてβ小学校(児童数約480名)に勤務しはじめ、1979年からδ小学校ε分校(同30数名)、1982年から本件のα小学校(同262名)に勤務した。本件小学校では転勤1年目とはいえ、1年生の担任、教務部、児童会活動、PTA厚生部等を分掌した。本件小学校では、道徳教育の実践に重点が置かれていたが、1980年度と1981年度に釜石市教育委員会の研究指定校となったこともあり、その研究を継続していくため、1982年度においても、自主研究としての公開授業を翌年2月4日に実施することが決定されていた。また、本件小学校の道徳授業においては、学級内の児童を規範意識の違いにより、3グループに分け、各グループから1名ずつ抽出し、その抽出児を中心にして授業を展開するという「α方式」が採られていた。Hさんは11月に国語と道徳の授業研究会を、翌年2月には道徳の公開授業を担当することになった。2学期に入ると行事が重なるなどして、連日のように深夜まで自宅で仕事をするようになった。翌年になっても公開授業の準備で忙しく、妻に対して「ともかく、公開が終わらないと俺には正月がないんだよ」などと洩らしていた。また、α方式について「道徳的に見て、上中下と選ぶって、俺にはよく判らないな。難しいな。ランク付けをすることは、子供たちを差別することにつながると思わないか。」などと妻に話していた。Hさんは、公開授業の指導案の提出が予定されていた1983年1月24日、普段どおり自宅を出たあと行方が分からなくなり、翌月、山中において縊死の状態で発見された。Hさんが乗っていた自動車内に同人の筆跡で「学校の仕事にいささか疲れた、もっと楽しく生きたかった」と書かれた用紙が残されていた。
  Hさんの妻は、1987年8月、公務上災害認定を請求したが、公務外と認定され、不服申立、審査、再審査の申立ても棄却されたので、同処分の取消し求めて訴えを提起した。一審の盛岡地裁は、2001年2月23日、Hは過重な業務によりうつ病に罹患し、その自殺念慮発作によって自殺したものであるとして、本件処分を取り消した。ところが、控訴審の仙台高裁は、2002年12月18日、公務が過重であったことが原因となってHさんのうつ病が発症したとまで認めることはできない、として一審判決を取り消した。最高裁第一小法廷は、2003年7月17日、上告を棄却する決定をした。そのため、公務災害を認めなかった仙台高裁の逆転判決が確定した。



第2 精神疾患の公務災害認定


1.公務災害補償制度と公務災害の認定

  公務災害補償制度は、公務員の公務上の災害(負傷、疾病、障害、死亡)又は通勤による災害に対する補償の迅速かつ公正な実施を確保するための制度である(地方公務員災害補償法第1条)。このため、同制度においては、民法上の過失責任の原則は排除され、使用者の故意又は過失の有無を問わず、一定の補償が実施されるしくみになっている。
  教員の災害補償については、国家公務員の場合は国家公務員災害補償法(以下「国公災法」)が、地方公務員の場合は地方公務員災害補償法(以下「地公災法」)が、私立学校の教員の場合は労働基準法、労働者災害補償保険法(以下「労災法」)が、それぞれ適用される。本稿では、公立学校の教員を中心として、地方公務員の災害補償に関する行政通達や裁判例を検討することとするが、必要に応じて民間労働者の場合にもふれる。

(表) 労働災害補償制度の整理
国家公務員[根 拠 法] 国家公務員災害補償法(国公災法)
[実施機関]人事院指定の各省庁
地方公務員
(基金制度)
[根 拠 法] 地方公務員災害補償法(地公災法)
[実施機関]地方公務員災害補償基金の各支部
民間労働者
(保険制度)
[根 拠 法] 労働基準法・労働者災害補償保険法(労災法)
[実施機関]労働基準監督署

(1)公務上の認定 ―― 相当因果関係

  地公災法は「公務上の災害」に対する補償を実施すべきことを定めているだけで(1条)、何が「公務上」とされるかについては法の解釈に委ねられる。一般に、「公務上の災害」とされるための要件として、(a) 職員が公務に従事し、任命権者の支配下にあること(公務遂行性)と、(b) 公務と災害の間に通常予測される原因と結果の関係、すなわち相当因果関係が存在すること(公務起因性)、という2つの要件が必要であるとされる。
  実際の運用においては、負傷と疾病とでは認定判断の基準が異なっており、「公務上の負傷」の認定は、原則として、被災職員が公務遂行中その任命権者の支配管理下にある状態で災害を受けたか否かを判断して行われる。ただし、故意又は本人の素因によるもの、天災地変によるもの及び偶発的な事故によるものは、公務上の災害とは認められない。次に「公務上の疾病」の認定は、公務遂行にともない有害因子にさらされ、それが他の危険因子に比べ有力な原因となって発症したことが、医学上認められるかどうかを判断して決定される。つまり、公務と相当因果関係をもって発生したことが明らかな疾病は公務上の災害と認定される [4]
  公務遂行性と公務起因性の関係について、公務遂行性は認定判断上の指標の一つであって、公務遂行性が認められれば公務起因性が推定されるという関係にあり、基本的には公務起因性が中心的な要件であると考えることができる。最高裁は国家公務員の事案において、「国家公務員災害補償法18条にいう『職員が公務上死亡した場合』とは、職員が公務に基づく負傷又は疾病に起因して死亡した場合をいい、右負傷又は疾病と公務との間には相当因果関係のあることが必要であり、その負傷又は疾病が原因となつて死亡事故が発生した場合でなければならない」として、公務遂行性にはふれることなく、公務起因性について相当因果関係が認められる必要があるとした [5]

(2)「公務に内在する危険の現実化」

  ところで、地方公務員災害補償制度の趣旨は、公務に内在又は随伴する危険が現実化して公務員に災害をもたらした場合には、使用者に過失がなくとも、使用者がその危険を負担して公務員が被った損失の填補をさせるべきであるとする危険責任の法理に基づくものである。こうした制度の趣旨からすれば、上記の相当因果関係が認められるには、公務と災害との間に条件関係があることに加えて、公務が当該災害を発生させる危険を内在又は随伴しており、その危険が現実化したと評価できることが必要であるとされる。
  最高裁は公立高校の体育教員の事案において「右事実関係の下においては、Xが・・・心筋こうそくにより死亡するに至ったのは、労作型の不安定狭心症の発作を起こしたにもかかわらず、直ちに安静を保つことが困難で、引き続き公務に従事せざるを得なかったという、公務に内在する危険が現実化したことによるものとみるのが相当である。そうすると、Xの死亡原因となった右心筋こうそくの発症と公務との間には相当因果関係があり、Xは公務上死亡したものというべきであるとした原審の判断は、正当として是認することができる。」として、「公務に内在する危険が現実化したことによる」死亡は公務上の災害に当たることを明らかにした [6]

(3)「精神障害を発症させる程度に過重」

  災害のうち精神疾患の場合について、後述の行政通達は、公務災害の認定に当たり、精神疾患の発病に至るメカニズムとして、「ストレス−脆弱性理論」という考え方に依拠している(厚生労働省「心理的負荷による精神障害の認定基準について」平成23年12月26日基発1226第1号など)。これは、環境由来の心理的負荷(ストレス)と、個体側の反応性、脆弱性との関係で精神的破綻が生じるかどうかが決まり、心理的負荷が非常に強ければ、個体側の脆弱性が小さくても精神的破綻が起こるし、逆に脆弱性が大きければ、心理的負荷が小さくても破綻が生ずるとする見方である。この「ストレス−脆弱性理論」を踏まえると、公務と精神疾患との間の相当因果関係が認められるためには、「ストレス(公務による心理的負荷と公務以外の心理的負荷)と個体側の反応性、脆弱性を総合考慮し、公務による心理的負荷が社会通念上、客観的にみて、精神障害を発症させる程度に過重である」といえることが必要である(堺市立中学校事件・地裁判決)。したがって、「単に公務が、公務以外の原因と共働して精神疾患を発症させた原因であると認められるだけ」では相当因果関係は認められない(磐田市立小学校事件・地裁判決)。


2.精神疾患の公務起因性についての判断枠組み

  民間労働者を対象とする労働災害の認定手続きは労働基準監督署長によって行われているが、厚生労働省(当時は労働省)は、労働基準監督署が精神障害などの労災請求事案を迅速、適正に処理するための判断基準として、1999年9月14日、「心理的負荷による精神障害等に係る業務上外の判断指針について」(以下「判断指針」)を策定した。ところが、この判断指針が策定されて以降、精神障害の労災請求件数が大幅に増加し、その審査期間も長期化した。このため厚生労働省は、2011年、審査の迅速化や効率化をはかるため、判断指針を大幅に改訂し、「心理的負荷による精神障害の認定基準について」を定めた。この2011年の改訂をふまえて、翌年、地方公務員及び国家公務員を対象とする公務災害認定基準についても、同趣旨の改訂が行われた。それぞれの通知、通達を次に列挙する。

  以下には、地方公務員を対象とする「地公災基準」に基づいて、精神疾患を公務災害であると認定する際の判断の枠組みを概観する。この「地公災基準」における公務上外の判断についての基本的考え方は、精神疾患の発病の有無等を明らかにした上で、業務による心理的負荷、業務以外の心理的負荷及び個体側要因の各事項について具体的に検討し、それらと当該公務員に発病した精神疾患との関連性について総合的に判断するというものである。すなわち、次の3つの要件をいずれも満たす疾病は、公務上の疾病として取り扱うものとされる [7]

  @について、同通知で「対象疾患」とされる精神疾患とは、WHO(世界保健機構)による国際疾病分類の第10回修正版(以下「ICD−10」) [8] 第5章「精神および行動の障害」に分類される精疾疾患であって、器質性のもの(頭部外傷や脳血管障害など)、および有害物質に起因するもの(アルコールや薬物など)は除かれる。また、いわゆる心身症は精神疾患に含まれない。
  Aについて、「業務により強度の精神的又は肉体的負荷を受けたこと」とは、具体的には、(1) 人の生命にかかわる事故への遭遇、(2) その他、強度の精神的又は肉体的負荷を与える事象を伴う業務に従事したことをいい、同通知には、(1)(2)に該当する出来事として具体的な例が列挙されており、また、「地公災基準の運用」別表には、「過重な負荷となる可能性のある業務例」が列挙されている。さらに、「強度の負荷を受けたことが認められる」か否かの検討にあたっては、被災職員を基準とするのではなく、被災職員と職種、職、業務経験等が同等程度の職員を基準にして客観的に判断することとされる。
  Bの「業務以外の負荷」について、被災職員自身の出来事(離婚等の家庭問題、事故・事件、けが・病気等)、被災職員の家族の出来事(配偶者や子どもの死亡・けが・病気等)、金銭関係(財産の損失、収入の減少等)などの業務以外の出来事が認められる場合には、それらの出来事が客観的に対象疾病を発症させるおそれのある程度のものと認められるか否かについて検討する。
  Bの「個体側要因」について、精神疾患の既往歴、社会適応状況における問題(すなわち、過去の学校生活、職業生活等における適応に困難が認められる場合)、アルコール等依存症、性格傾向における偏り(ただし、社会適応状況に問題がない場合を除く。)が認められる場合には、それらの個体側要因が客観的に対象疾病を発症させるおそれのある程度のものと認められるか否かについて検討する。
  なお、「地公災基準」などの行政通達の司法上の規範力については、次のようにその限界を指摘する裁判例もある。すなわち、これらの基準は、労働災害認定ないし公務災害認定のための、行政内部の指針を定めたものであって、「大量の事件処理をしなければならない行政内部における、判断の合理性、整合性、統一性を確保するために定められたものであるが、・・・設定趣旨及び内容を踏まえると、裁判所の業務起因性に関する判断を拘束するものではないといわなければならない」というものである [9]


3.自殺と因果関係の中断

  そもそも自殺は、その原因が何であれ、最終的には本人の自由意思により、判断され決定されて実行されるものと考えられるから、一般的に、自殺の原因を特定しそれを客観的に証明することは困難であり、したがって、その実行を予見することもできない。しかしながら、うつ病という精神疾患の状態で自殺が実行された場合については、その公務起因性の判断において、特別な考慮が必要とされることも容易に理解できよう。

(1)因果関係の中断

  民間労働者の自殺について、労災法12条の2の2第1項は、「労働者が、故意に負傷、疾病、障害若しくは死亡又はその直接の原因となつた事故を生じさせたときは、政府は、保険給付を行わない。」と規定しており、同条項は、「故意が介在する場合には、因果関係が中断し、業務と災害との間の因果関係が否定され、当然に相当因果関係が認められないことを確認的に規定したもの」であると解されてきた(茨城県立高校事件・地裁判決)。地公災法第30条に定める、故意、過失による休業補償の制限についても同様に解される。したがって、従来の裁判例では、自殺という行為は、本人の判断能力が認められる場合、故意による死亡として、業務との間の因果関係が否定され、業務上の災害と認めることに慎重であった。

(2)自殺の労働災害認定

  1999年、当時の労働省は、この「故意」の解釈について、「精神障害によって、正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたと認められる場合には、結果の発生を意図した故意には該当しない。」という解釈を示した(「精神障害による自殺の取扱いについて」平成11年9月14日 基発第545号)。
  さらに、それと当時に1999年の「判断指針」において、「ICD−10のF0からF4に分類される多くの精神障害では、その病態としての自殺念慮が出現する蓋然性が高い」とする医学的知見に基づき、「業務による心理的負荷によってこれらの精神障害が発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として業務起因性が認められる。」ことととした。つまり、業務に起因して一定の精神疾患を発病した労働者が自殺をした場合、自殺を「故意による死亡」とは考えず、原則として業務起因性を認めることとしたものである。

(3)自殺の公務災害認定(「地公災基準」)

  こうした自殺の取扱いは、地方公務員の場合も基本的には同じものとなった。前述の「地公災基準」は、精神疾患が原因で自殺したとされる事案においては、「@公務と精神疾患との間に相当因果関係が認められ、かつ、A当該精神疾患と自殺との間に相当因果関係が認められるときに、自殺についての公務起因性を認める」という原則を確認した。そのうえで、ICD−10のF0からF4に分類される精神疾患については、@の因果関係が認められれば、医学的知見よりAの因果関係の存在が推定されるため、「原則として、自殺についての公務起因性が認められる」とした。

(4)電通事件最高裁判決 [10] における自殺の評価

  この事件は、労働者が慢性的な長時間労働のために、うつ病に罹患し自殺するに至ったことにつき、遺族である両親が会社に対して損害賠償を請求した事案である。したがって、労災の認定を請求したものではない。最高裁は法的判断の前提として、うつ病に関する次のような医学的知見を確認している。すなわち、「うつ病は、抑うつ、制止等の症状から成る情動性精神障害であり、うつ状態は、主観面では気分の抑うつ、意欲低下等を、客観面ではうち沈んだ表情、自律神経症状等を特徴とする状態像である。うつ病にり患した者は、健康な者と比較して自殺を図ることが多く、うつ病が悪化し、又は軽快する際や、目標達成により急激に負担が軽減された状態の下で、自殺に及びやすいとされる。」。この事案において最高裁は、労働者が業務によりうつ病に罹患し、うつ病によるうつ状態が更に深まって、衝撃的、突発的に自殺したという事実を認定し、本人の判断能力を吟味することなく、業務と自殺との間の相当因果関係を認めた原審の判断を是認した。ただし、この判例は、うつ病に罹患して自殺すれば、原則的に、相当因果関係が認められるとしたものではなく、個別具体的な事実関係に即して判断したものであるが、同種事案について最高裁として初めて相当因果関係を認めたものとして、重要な意味を持つと考えられる。



第3 公務起因性をめぐるぐる争点


1.うつ病に罹患しているかどうか

(1) ICD−10と疾患名の判断

  「地公災基準」によれば、職員が「対象疾患」に該当する精神疾患を発症していたかどうか、その発症時期及び疾患名の判断に当たっては、ICD−10に基づき、主治医の意見書や診療記録等の関係資料、関係者からの聴取などにより医学的に行われる。その際、地方公務員災害補償基金理事長は医学専門家から医学的知見を徴することになっている(「地公災基準」第7)。
 ICD−10には、分類されたそれぞれの疾病ごとに、臨床記述と診断基準が記載されているので、疾患の原因を追及しなくても疾患名などの判断ができるという利点がある。日本で、伝統的に用いられてきた疾患名である「心因性うつ病、反応性うつ病、抑うつ状態、神経症性うつ病、疲弊状態、心因反応、驚愕反応、心因性錯乱状態」などは、ICD−10の分類名とは一致しないが、対象疾病に含まれる(「地公災基準の運用」)。こうしたことから、「疾患名等については、公務災害認定請求時における疾患名等にこだわらず、被災職員に係る具体的な病態等に関する事実関係により、客観的に判断する。」こととされる。(「地公災基準」第1の3)
  うつ病は、ICD−10の第5章「精神及び行動の障害」のF3「気分(感情)障害」の中に、コード番号F32「うつ病エピソード」として分類されている。そしてそれは、さらに軽症、中等症、重症に分類されている。その、軽症、中等症、重症の区別は、(a) 抑うつ気分、(b) 興味と喜びの喪失、(c) 易疲労感の増大や活動性の減少という典型的な3症状、および他の一般的な症状として例示された7症状(@集中力と注意力の減退、A自己評価と自信の低下、B罪責感と無価値感、C将来に対する希望のない悲観的な見方、D自傷あるいは自殺の観念や行為、E睡眠障害、F食欲不振)のうちいくつの症状が認められるか、そしてその程度はどうであるかによって決まる。
  たとえば、軽症うつ病エピソードの診断を確定するためには、典型的な症状(a)〜(c)のうち、少なくとも2つ、さらに、一般的な症状@〜Fの症状のうち少なくとも2つが存在しなければならない。そして、いかなる症状も著しい程度であってはならず、エピソード全体が少なくとも2週間以上持続することとされている。軽症うつ病エピソードの患者は、通常、症状に悩まされて日常の仕事や社会的活動を続けるのにいくぶん困難を感じるが、完全に機能できなくなるまでのことはないとされている。
  ICD−10の他に、疾病を分類しコード化したものとして、アメリカ精神医学会(APA)による疾病分類(DSM)がある。こちらは第4版なのでDSM−Wと呼ばれる。「地公災基準」は対象疾病をICD−10によることとしたが、アメリカ精神医学会による診断基準を否定したものではないと説明されている(「地公災基準の運用」)。
 日本のすべての医師が、このICD−10に従って診断しているわけではなく、また、この診断基準に従っている医師のあいだでも、診断結果が一致するとは限らない。また、裁判所でも、ICD−10と、DSM−IVのどちらの診断基準を重視するかは、一定していない。そのため、「地公災基準」がICD−10に依拠して疾患名を判断するとしているのは、ICD−10を他の指標を排除するような絶対的なものとして位置づけようとするものではない

(2) ICD−10に基づく判断

 うつ病に罹患しているかどうかは、ICD−10の診断基準に基づいて、被災職員に係る具体的な病態等に関する事実関係により、客観的に判断されるものであるが、
裁判例においては、うつ病の患者に現れる基本的な症状が、「当人の言明または他者の観察によって証明」される必要があるとされる(釜石市立小学校事件・高裁判決)。しかし、うつ病の症状があるかどうかの判断はそれほど簡単ではない。たとえば、ICD−10の診断基準には、軽症うつ病エピソードの患者は、「日常の仕事や社会的活動を続けるのにいくぶん困難を感じるが、完全に機能できなくなるまでのことはない」、また、中等症うつ病エピソードの患者は「通常社会的、職業的あるいは家庭的な活動を続けていくのがかなり困難になる」、また、重症うつ病エピソードの期間中は、「社会的、職業的あるいは家庭的な活動を続けることがほとんどできない」などの判断基準が設けられている。したがって、うつ病に罹患しているかどうかの判断に当たっては、それぞれの症状とされる事実を解釈し、その程度を見極める必要がある。
  茨城県立高校事件の地裁判決は、うつ病と正常な人間のうつ状態との判別はかなり相対的なものであって、「ICD−10の診断基準を機械的に適用してうつ病であるなどと判断することは戒めるべきであって、その症状といわれる事象がどのような性質のものであるかをよく検討する必要がある。」と指摘し、それをふまえて、「Gがうつ病であったかどうかについては、なお、真実性の確信を持ちうる程度に証明されてはおらず、Gのうつ病罹患の事実は真偽不明の状態にあると言わざるを得ない。」と判断した。
  釜石市立小学校事件の地裁判決は、亡Hが「反応性うつ病」を発症しこれにより自殺したものであると判断したが、これに対し高裁判決は、うつ病エピソードの基本症状が十分に証明されているとはいえないことから、亡Hが「反応性うつ病を含む中等症ないし重症うつ病に罹患していたとまで断定することはできない」ものの、「軽度のうつ病あるいは何らかの精神疾患を発症した可能性を全く否定することもできない」として、亡Hのうつ病を軽症と認定した。なお、同事件の高裁判決はこのことを梃子にして、公務起因性を認めた原審の筋立てを正反対のものに変更し、それに添うかたちで事実認定を行い、うつ病の公務起因性を否定した。


2.業務と精神疾患の間の因果関係

(1)基準となる労働者

  精神疾患が業務に起因して発症したかどうかを判断するには、当該業務が与えたストレスの強度が問題となるが、そのストレスの強さの程度はそれを受ける労働者の性格傾向によって異なり、同じ程度のストレスを受けても精神障害を発症する労働者と、そうでない労働者がいる。ストレスに対する耐性が弱い人(脆弱である人)は些細なことにも強いストレスを感じ精神疾患を発症させる反面、ストレス耐性の強い人は強力なストレスに曝されても精神疾患を発症しない。その一方で、労災補償制度が補償の対象とする疾病は、業務に内在する危険の現実化と評価される疾病であることから、労災補償を行うためには、業務による強度の負荷が「客観的」に認められることが必要である。そこで、ストレスの強さはどのような労働者を基準にして判断すべきかが問題となる。

 @ 同種の労働者
  「地公災基準」は、業務による強度の負荷が認められるか否かは「被災職員ではなく、被災職員と職種、職、業務経験等が同等程度の職員を基準にして客観的に判断する」こととしており、また、「厚労省基準」も同様の立場で、「強い心理的負荷とは、精神障害を発病した労働者がその出来事及び出来事後の状況が持続する程度を主観的にどう受け止めたかではなく、同種の労働者が一般的にどう受け止めるかという観点から評価されるものであり、『同種の労働者』とは職種、職場における立場や職責、年齢、経験等が類似する者をいう。」と説明している。これは被災職員がどのように受けとめたかによってストレスの強度を判断するとすれば(本人基準説)、判断が主観的になることから、この立場を斥けたものである。
  京都市立中学校事件の地裁判決は、公務災害補償制度の趣旨から考えて、公務災害が「公務に内在し又は随伴する危険を要する」ものであるから、「当該被災職員と同種の業務に従事し遂行することが許容できる程度の心身の健康状態を有する労働者を基準として客観的に判断するべきである」としている。また、新任教員の公務災害認定が争われた磐田市立小学校事件の地裁判決では、経験等が同等程度の職員を基準にするということから、「新規採用教員として初めてクラスを担任することになった者」を基準とすることとした。同じ職務によっても、経験を積んだ教員はストレスを受けないが、初任者は強度のストレスを受けることは通常想定されることであるので、経験が同等の職員を基準にすることは合理性を有するものと考えられる。

 A 通常の人
  東加古川幼児園事件の地裁判決は、民間労働者の労災認定をめぐって、「かかる業務内容は、亡Fに対し精神的にも肉体的にも重い負荷をかけたことは明らかであり、亡Fならずとも、通常の人なら、誰でも、精神障害を発症させる業務内容であったというべきである。」として、その語義は明らかではないものの、「通常の人」という文言を用いている。また、磐田市立小学校事件の高裁判決は「ストレスに対して抵抗力の強い者とそうでない者が存し、抵抗力の程度も様々であることが当然の前提となるから、特異な例は別として、社会通念上一般的に想定ないし容認される通常の範囲内の性格等の持ち主であれば」基準となるとしている。この「通常の範囲内」という用語は、極端にストレス耐性の強い人や極端に弱い人を排除するという程度の意味で使われているものと考えられる。

 B 平均的職員
  愛知県市役所職員事件の高裁判決 [11] は、地方公務員の公務災害認定をめぐって、「同種の平均的職員」を基準とするのが相当であるとし、その「平均的職員」には、「性格傾向に脆弱性が認められたとしても、通常その公務を支障なく遂行できる者」が含まれると説明している。また、京都市立中学校事件の高裁判決は、職場における地位や年齢、経験等が類似する者で、「通常の勤務に就くことが期待されている平均的労働者」を基準とするのが相当であり、その平均的労働者には、「完全な健常者のみならず、一定の素因や脆弱性を抱えながらも勤務の軽減を要せず通常の勤務に就き得る者」が含まれるとした。つまり、ストレスに対する耐性が弱い人であっても、特別な勤務軽減措置を必要とせずに、通常の業務を支障なく遂行している人は平均的職員であると考えられている。

 C 同種の労働者の中で最も脆弱である者
  磐田市立小学校事件の地裁判決は、同種労働者を「職種、職場における地位や年齢、経験等が類似する者で、公務の軽減措置を受けることなく日常業務を遂行できる健康状態にある者」と捉えたうえで、その中で「性格傾向が最も脆弱である者(ただし、同種労働者の性格傾向の多様さとして通常想定される範囲内の者)」を基準とするのが相当であるとした。これに対して基金側は、控訴審において、このような基準は不明確であり、「被災職員本人を基準とするのと変わらない結果になる」と批判したが、高裁判決はその主張を斥けた。
  基準となる職員に多様な広い範囲の職員が含まれるとすれば、その範囲内で最も脆弱な職員も基準となるというのは理論的にはもっともなことであるが、「最も脆弱である者」という基準はあまりに抽象的で、基準としての明確性を欠いているだけでなく、ここであえて、「最も脆弱である者」という概念を用いる意義は乏しいように考えられる。

 D 同じ職場の同僚
  堺市立中学校事件において、基金側は業務が強度のストレスを伴うものではないことを根拠づけるために、被災職員の勤務条件が他の同僚教師と同様であり、「暴力を受けたのは被災教員だけではなく、複数回にわたり暴力を受けた教師もいる」、「被災教員のみに負担が集中していたものではない」などの主張を行って、その上で、同じ職場の他の職員が精神疾患を発症していないことを強調する。つまりこれは、被災職員と同じ職場に、業務の質や量が同程度の業務を担当する、業務経験が同程度の職員が現実に複数人存在しているとすれば、実際に存在するその同僚たちが判断の基準となると考えられており、したがって、その同僚たちが誰も精神的・肉体的な疾病に罹患せずに業務を遂行している場合には、業務に強度のストレスがあったと認めることはできないとする論法である。
  しかし、同事件の地裁判決は、こうした基金側の主張は、「当該公務自体の肉体的・精神的過重性を論じることなく、他の教師が精神障害を発症していないことのみをもって、公務による心理的負荷の過重性を低く見積もるに等しく、にわかに採用できない。」として斥けている。そして、認定事実から、「他の教師も、亡Dと同様、本件中学校での状況下で肉体的にも精神的にも疲弊し、いつ精神障害を発症してもおかしくない状態にあったことが容易に窺われるところである。」と述べ、公務に精神障害を発症させる程度の過重性があったことを認めた。
  そもそも、基準となる労働者を観念する必要があるとしても、それは多様なもので、その範囲は一定程度の幅のあるものとして捉えられ(磐田市立小学校事件・高裁判決)、さらに、基準となる労働者は、具体的な人間を想定したものではなく、理念的なモデルであると考えざるを得ない。したがって、それを具体化したり、その範囲を限定する試みは、それほど意味がないように考えられる。

(2)業務の量的過重性

  長時間労働は、心身を疲弊させ、ストレスに対応する能力を低下させるため、極度の長時間労働は、それだけでうつ病等の原因となると考えられている [12] 。「地公災基準」では、労働時間について具体的基準を設けており、(1) 発病直前の1か月におおむね160時間を超えるような時間外労働を行った場合には、そのことだけで、業務に強度の負荷があると判断できる、(2) 発病直前の連続した2か月間に、1月当たりおおむね120時間以上の時間外労働を行った場合や、(3) 発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上の時間外労働を行った場合も同様に判断できるとしている。さらに、時間外労働がこれらに満たない場合にも、労働時間という業務の量的過重性とそれ以外の業務の質的過重性とを合わせて負荷の程度を評価するものとしている。
  仙台市立中学校事件の地裁判決は、バドミントン大会の準備、運営業務が公務に当たると認定した上で、その「職務内容は、Eに対して質的に極めて大きな精神的負荷を与えるものであったと認められる上、Eは同年6月以降、1か月に少なくとも約100時間以上の超過勤務を行っていたと認められるところ、長時間労働が100時間を超えると、精神疾患の発症が早まるとの報告があることに照らせば、Eが従事していた公務は、労働時間というその量から見ても、極めて大きな精神的負荷を与えるものあったというべきである。」として、業務の過重性を認めた。このときの労働時間は前述の「発病直前の連続した3か月間に、1月当たりおおむね100時間以上」という基準を満たすものであり、そのことだけで業務の過重性を判断できる程度のものであった。
  なお、このように長時間労働に伴う肉体的負荷(量的過重性)により精神疾患をきたし自殺を行った事案は「過労自殺」と呼ばれることがあるが、この「過労自殺」の要件を満たさないものの、業務に伴う精神的負荷(質的過重性)によって精神疾患をきたし自殺を行った事案は別の範疇として整理することもできよう。本稿では、この両者を含み、業務に伴う肉体的・精神的負荷によってうつ病を発症し自殺を行った事例を「うつ病自殺」と呼んでいる。

(3)業務の質的過重性

  業務と精神疾患との間の因果関係を認めるためには、業務により強度の精神的・肉体的負荷を受けたことが認められなければならないところ、業務による負荷が強度であるかどうかを判断するに当たっては、発病に関与したと考えられる具体的な業務上の出来事を分析して、その強度が判断される(「地公災基準」第3)。その際、長時間労働による肉体的負荷が強度であるかどうかは、その時間数によって量的に判別することができるが、その反面で、業務による精神的負荷については、それが強度であるかどうかを客観的に判断するのはきわめて難しい。そのため、こうした検討をするに当たって活用すべき例として、強度の負荷を与える事象(「地公災基準」第3・1・(1)・ア)、および、強度の負荷を与える可能性のある事象の具体例(「地公災基準の運用」の別表「業務負荷の分析表」)がまとめられている。
  この別表「業務負荷の分析表」によれば、「過重な負荷となる可能性のある業務例」として50近い項目が揚げられているが、その中で教員と関わりの深いものを次に抜き出してみる。それぞれの業務例には着眼すべき要素が指摘されており、これらの検討によって負荷の程度を判別するようになっている。

  次に掲げるように、近年の裁判例においては、極度の長時間労働ではない場合にも公務災害を認定するものが見られるようになり、そこでは、業務の量的加重性だけでなく、その質的加重性についても踏み込んだ検討が加えられている。

 @ クラス指導
  磐田市立小学校事件の地裁判決は、クラス担任としての業務について、「勤務時間による心理的負荷が特別過重であったとは認められない」ものの、「緊張感、不安感、挫折感等を継続して強いられる、客観的にみて強度な心理的負荷を与えるものであった」と認めた。

 A 体験入学
  静岡県小学校養護学級事件の高裁判決は、「体験入学実施によりそれまで経験していなかった尋常でない事態に次々と遭遇し、精神的にこれに付いていくことができず、前記のとおりの挫折感を味わい、自らの教員としての存立基盤が揺らぎ、教員としての誇りと自信を喪失することとなって、精神的に深刻な危機に陥って、気力を使い果たして疲弊、抑うつの状態になった」として、当該業務の過重性を肯定した。

 B 道徳教育、研究授業
  釜石市立小学校事件の地裁判決は、業務内容につき「前任校よりも質的・量的に負担の増加していることが窺える」として、また、公開授業の指導方式について、亡Hが違和感を持ち、「相当大きな心理的葛藤のあったことが窺えるのであって、自己の教育理念に合致しないという意味において、意に添わない公務に従事させられた面のあることは否定できない」として、強度の負荷のあったことを認めた。ところが、同事件の高裁判決は、亡Hが学習指導計画案簿に公開授業について悩んでいたことをうかがわせる記載はなく、同僚の教諭にもその悩みを相談したことは認められないことや、当該指導方式は以前の勤務校の方式に類似していることなどから、「公務が特に過重であったため、これが原因となって亡Hに軽症うつ病が発症したとまで認めることはできない」として質的過重性を否定した。同事件においては、高裁段階で認定事実及びその評価が変わり判断が覆ったわけであるが、これは、精神的負荷が加重であるかどうかという質的過重性の判断を客観的に行うことがきわめて難しいということを示すものである。

(4)個体側の要因 ―― 被災職員の脆弱性

  被災職員に精神疾患の既往歴、社会適応状況における問題、アルコール等依存症、性格傾向における偏りが認められ、それらが明らかに精神疾患の発症の有力な原因となったと判断できる場合には、精神疾患の公務起因性は否定される。そのような例として、(1) 就業年齢前の若年期から精神疾患の発症と寛解を繰り返して、請求に係る精神疾患がその一連の病態である場合、(2) 重度のアルコール依存状況がある場合などが考えられている(「地公災基準」第3・2、3)。

 @ 個体側要因が発症の原因であるとした裁判例

・ 静岡県小学校養護学級事件・地裁判決
  業務に伴う「上記ストレスは当該公務それ自体がもたらしたものであるというより、Bが本件体験入学について過剰なまでの拒否反応を抱き、その事態をうまく受け入れてその気持ちを対処できなかったことから生じたものであったというほかない。・・・それまで顕在化していなかった体験や性格等に関連した個体側要因が前記ストレスをきっかけに発現し、これによりうつ病が発症したものと解することは十分可能である」。

・ 京都市立中学校事件・京都地裁
  「それまで自信を持っていた生徒指導が思うようにうまくいかなくなったことが、何事にも几帳面で真面目、完璧主義であるというメランコリー親和型の傾向の強いCにとっては、大きな精神的な苦痛となっていたものと思われる。・・・公務自体に、社会通念上、うつ病を発症若しくは増悪させる一定程度以上の危険性が内在し又は随伴していたということはできず、Cのうつ病の発症には、業務以外の心理的負荷及び個体側の反応性、脆弱性も大きく影響して」いる。

 A 個体側要因を否定した裁判例

・静岡県小学校養護学級事件・高裁判決
(うつ病的な性格傾向を有していても、公務起因性は肯定できる)
  「うつ病に関係の深い性格傾向として、几帳面、まじめ、熱心、勤勉、良心的、周囲に気遣いをする努力家などの諸特徴がある。そのような性格の人は、仕事にも一生懸命取り組んで適当に休むことをしないので、のんびりした人よりも、知らぬうちに心身のストレスを生じやすい。うつ病になりやすい性格とは、『問題のある性格傾向』という意味ではなく、むしろ、適応力のある誠実な気質と強く関係する」。
  「Bが几帳面、まじめ、職務熱心、責任感、誠実、柔軟性にやや欠けるといううつ病に関係の深い性格傾向を有していたことは前記のとおりであるが、几帳面、まじめ、職務熱心、責任感、誠実という性格傾向を有していても、柔軟性にやや欠ける者であれば教職員として採用するにふさわしくないとは到底いえないのであり、このことは、Bが20年間に及ぶ教員としての十分な勤務実績を上げたことによって裏付けられている」。
  「本件体験入学の実施の公務としての過重性は優に肯定することができる。このような場合に、当該公務員が几帳面、まじめ、職務熱心、責任感、誠実、柔軟性にやや欠けるといううつ病に関係の深い性格傾向を有していたことを理由に、当該公務員を公務災害の対象としないことが法の趣旨であるとは、到底解することができない。」。

・仙台市立中学校事件・地裁判決(よく見られる性格)
 「Eの性格は、勤勉で責任感が強く、几帳面であり、常に周囲の人間との協調性を考えて行動するという面があり、うつ病等の精神疾患の精神的要因であるメランコリー親和型性格と共通する側面を有するものの、かかる性格は、実社会において比較的よく見られる程度のものというべきものであり、また、Eは、本件災害以前において、精神疾患にり患したことはないことからすると、Eの上記性格は、個体としての脆弱性を強める程の精神的要因として大きく評価することはできない。」

・京都市立中学校事件・高裁判決(通常人の正常な範囲内)
 「Cは真面目で几帳面かつ責任感の強い性格であるが、・・・このような性格は、実社会において比較的よく見られる程度のものにとどまるというべきであり、また、Cは、本件以前において、精神疾患に罹患したことはなく、職場の健康診断でも特に精神的な点で異常は認められなかったのであるから、Cの上記性格は、通常人の正常な範囲を逸脱して偏ったものということはできず、個体としての脆弱性を強めるほどの精神的要因として大きく評価することはできない。」

 B 性格傾向の偏り
  裁判例において基金側は、被災教員が精神的に弱い性格であったために精神疾患に罹患したという主張をすることが多い。つまり、教員の性格傾向の偏りという個体的要因を指摘して、それがより有力な発症の原因であるとして公務起因性を否定する主張である。こうした性格傾向として、執着気質やメランコリー親和型などが取り上げられることがある。メランコリー親和型人格とは、「仕事の上では正確、綿密、勤勉、良心的で責任感が強く、対人関係では他人との衝突や摩擦を避け、他人に心から尽くそうとする傾向を示し、道徳的には過度の良心的傾向を示すなど、一定の秩序に固執して初めて安定した存在として生活を営むことができる人格をいう。」と説明される(仙台市立中学校事件・地裁判決)。そして、こうした性格傾向を持つものはストレスに対する脆弱性が大きく、したがって、高い確率で精神疾患を発病する、という不確かな知見が主張の前提となっている。
  しかし、性格傾向の偏りが原因となって精神疾患が発症するとする立論については、「地公災基準」は、「性格傾向における偏り(ただし、社会適応状況に問題がない場合を除く。)が認められる場合には」その程度を検討することとしている。つまり、過去の学校生活や職業生活等における適応状況に問題がない場合は、性格傾向の偏りを検討の対象とする必要がないとしているのである。
  厚生労働省の検討会は「精神医学的には、一定の精神障害との結びつきにおいていくつかの性格傾向(循環気質、メランコリー親和型、分裂気質、強迫性格など)が議論される。精神障害の成因の理解に役立つが、類型判定自体難しく、あえて拘泥する必要はない。」と指摘している [13] 。また、日本産業精神保健学会は、その見解の中で、すべての人は分類すればこうした性格傾向を大なり小なり有しているのであって、「医学的にある性格傾向を有していれば高い確率で当該精神障害を発病するということにはならない。性格傾向は精神障害の成因を理解する一助とはなるが、性格傾向から個体側脆弱性を評価することは誤りである。」と明言している [14]
  こうした性格傾向の法的評価については、前述した電通事件の最高裁判決が参考になる [10] 。本判決は、従業員の過労自殺に関わる民事上の損害賠償請求訴訟において、因果関係を認めた初めての最高裁判決として重要な意味を持っているが、その賠償額の決定にあたり、「ある業務に従事する特定の労働者の性格が同種の業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない」場合には、その労働者の性格及びこれに基づく合理的行動の欠如等を、心因的要因として斟酌することはできないとする一般論を述べている。
  性格傾向として「几帳面、まじめ、職務熱心、責任感、誠実」というのは、教員にとって重要な性格であり、その性格のために、若干柔軟性を欠きストレス対して脆弱であったとしても、それが、「教師の個性の多様性として通常想定される範囲を外れるものでない限り」、その性格傾向を理由に、公務起因性を否定することはできないと解するべきである。
  性格傾向以外の個体側要因については、精神疾患の既往歴やアルコール等依存症がほとんどの事例において調査され検討されている。次の堺市立中学校事件の地裁判決は、精神疾患の既往歴があった教員について、その脆弱性という個体側要因により精神疾患が発症したとは認められないとした。
 「認定した事実は、Dが、精神疾患の既往歴を有し、うつ病に親和的な性格傾向及び反応性を有していたことを示すものである。しかし、Dは、結婚後、精神疾患を再発させることなく過ごし、教師としても、20年余りの間、軽減措置を取られることもなく勤務し、十分な勤務実績を上げていたのであって、以上の事実を踏まえると、Dの反応性及び脆弱性が、教師としての日常勤務に支障を生じさせるほどのものであったとは認められず、・・・Dの精神疾患の既往歴は20年以上前のものであり、うつ病に親和的な性格傾向も、教師としての日常勤務に支障を生じさせるようなものではなかったということができる。」

(5)業務以外の負荷

  家庭問題や金銭問題など、公務以外の出来事による精神的、肉体的負荷が有力な原因となって精神疾患が発症した場合には、公務起因性が否定される。したがって、公務起因性が認められるためには、単に公務が他の原因と共働して精神疾患を発症させた原因であると認められるだけでは足りず、当該公務自体に、精神疾患を発症させる一定程度以上の危険性が内在していることが必要とされる。

 @ 家庭問題
  京都市立中学校事件では、被災教員が校長に対し、「家内のことと子供のことで悩んでいて、夜寝られない。」と述べたことや、受診した医師に対し「息子がネフローゼで入退院を繰り返していること」を話したことから、家庭内における心理的負荷が精神疾患の有力な原因であるかどうかが争点となった。
  同事件の地裁判決は、「Cの残したメモやO医師の診療録からは、CがN(長男)のネフローゼや妻との関係等の家庭の事情についても少なからず悩みを持っていたことが窺われ、Cのうつ病は、そのような家庭内における心理的負荷も相まって発症ないし増悪したものと考えられる。このように、公務が、Cのうつ病発症の一要因であったことは否定できないが、公務自体に、社会通念上、うつ病を発症若しくは増悪させる一定程度以上の危険性が内在し又は随伴していたということはできず、Cのうつ病の発症には、業務以外の心理的負荷及び個体側の反応性、脆弱性も大きく影響しており、公務はCのうつ病発症の共働原因となったに過ぎないものというべきである。」として、精神疾患の公務起因性を否定した。
  これに対して同事件の高裁判決は、これらの発言は、被災教員が完全にうつ病に罹患した後になされたもので、「うつ状態に陥れば認知に歪みが生じ、すべてが心理的負荷として感じられるため、訴えをそのまま原因とすることは慎重でなければならない」という医学的知見をふまえて、「教師としての仕事のことで悩んでいると校長に弱音を吐くことはプライドが許さず、悩みの理由の言い逃れとして、『家内のことと子供のこと』と発言したものではないかと思われ、・・・長男のネフローゼがCにことさら心理的負荷を与えていたとは到底考えられない」とした。また、妻との関係について、病気休暇中に「何もせず自宅でぶらぶらしているCに対し家事の手伝いを頼んでも、Cがそれに満足に応じてくれないことから、控訴人[妻]が多少の小言めいた発言をするのはごく自然であるから」、控訴人の無理解が、うつ病発症の原因となったとは考え難いとした。

 A 「認知の歪み」について
  京都市立中学校事件の高裁判決中の「認知の歪み」については、前述の日本産業精神保健学会の見解 [14] は次のように説明している。
 「9. 精神障害を既に発病した者における具体的出来事の受け止め方については、臨床事例等から正常人の場合とは異なる。既に精神障害を発病した者にとって、些細なストレスであってもそれに過大に反応することはむしろ一般的である。これは、発病すると、病的状態に起因した思考により、自責・自罰的となり、客観的思考を失うからとされている。すなわち、個体の脆弱性が増大するためと理解されている。したがって、既に発病しているものにとっての増悪要因は必ずしも大きなストレスが加わった場合に限らないのであるから、正常状態であった人が精神障害を発病するときの図式に当てはめて業務起因性を云々することは大きな誤りである。」

 B 妻の精神疾患
  京都市立中学校事件では、被災教員の妻が過去に精神疾患に罹患し1年あまり休職した病歴を持っていた。基金側はこのことを公務起因性を否定する根拠としたが、同事件の高裁判決は次のように述べ、その主張を斥けた。
 「なるほど、控訴人[妻]は、平成5年ころ、精神的な原因により目眩が生じるといった精神疾患に罹患し、平成7年ころ1年余り休職していたことがあった。しかしながら、控訴人は、既に平成8年度には勤務を再開しており、[Cの自殺した]平成10年当時には通院もしていなかったのであるから、同年4月以降、控訴人がCに対し、病的な対応をしていたとは到底考えられない。・・・したがって、Cがうつ病を発病した原因として、控訴人との関係を問題とすることはできない。」


3.精神疾患と自殺の間の因果関係

  公務と精神疾患の間に相当因果関係があり、公務により精神疾患に罹患したと認められる場合であっても、その精神疾患と自殺との間に因果関係が認められるかについては、また別の検討を必要とする。

(1)正常な能力が阻害されていたとする推定

  先にみたように「地公災基準」は、「公務に起因して精神疾患を発症した者が自殺を図った場合には、当該精神疾患によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、又は自殺行為を思いとどまる精神的な抑制力が著しく阻害されている状態で自殺が行われたものと推定し、原則として、自殺についての公務起因性が認められる。」とした。ここには「推定」という文言が用いられているように、これは、一応、精神疾患と自殺との間の相当因果関係を認めるが、これと異なる証明があれば、その推定は崩れる、という理解をすることができる。
  前述の電通事件最高裁判決は「うつ病にり患した者は、健康な者と比較して自殺を図ることが多く、うつ病が悪化し、又は軽快する際や、目標達成により急激に負担が軽減された状態の下で、自殺に及びやすいとされる。」という医学的知見を確認した。もとより、これは文字通り、「自殺を図ることが多く」、「自殺に及びやすい」ということであり、ここから、「うつ病に罹患して自殺すれば、当然に相当因果関係が認められる」という法的解釈が導き出されるわけではない。
  したがって、「自殺時点において正常な認識、行為選択能力及び抑制力が著しく阻害されていなかったと認められる」ような「特段の事情が認められる場合には、上記推定を覆し、業務起因性を否定するのが相当」である(東加古川幼児園事件・地裁判決)。結局のところ、因果関係が認められるかどうかは、自殺時の認識能力、行為選択能力及び抑制力の阻害の程度などについて、具体的な事実関係に即して個別に判断されることとなる。
  東加古川幼児園事件では、亡Fさんが精神障害を発症し幼児園を退職した約1か月後に自殺したことから、自殺当時に依然として精神障害に罹患していたかどうかが争われた。被告である国側は、Fさんの精神障害は自殺するまでの間に寛解していたと主張したが、同事件の地裁判決は、「病院退院後も、自殺に至るまでの間、・・・うつ状態に特徴的な症状がたびたび出ていたと認めるのが相当であり、自殺するまでの間に、Fの症状が寛解したと認めるに足りる的確な証拠は存在しない」として、国側の主張を斥けた。

(2)自殺の計画性

  磐田市立小学校事件で、基金側は、「Aは、自殺直前まで支障なく公務を遂行し、コンビニエンスストアでライターを、ガソリンスタンドで灯油を購入し、車両内で焼身自殺を図ったものであり、かかる自殺は事理弁識能力を欠いた結果の行動とは考えられず、自己の行為の結果を十分に認識した上での行為である」から、故意による自殺とみるべきであると主張した。これに対して、地裁の判断は、Aの「行為を踏まえても、そのことをもってAが正常の認識、行為選択能力あるいは自殺行為を思い止まる精神的な抑制力を有していたものと認めることは困難であり、他に上記推定を覆すに足る事情はない。」というもので、自殺の公務起因性を認めた。これは、本人が強い意思をもって自殺を選んだと見える場合においても、それは、もはやうつ病の発病によって自罰的となり、正常な認識能力や合理的思考力を失った結果であると判断できるからであろう。

(3)遺書の存在や内容

  自殺した教員が遺書を残している場合、その遺書の評価をめぐって、「厚労省基準」は、「遺書等の存在については、それ自体で正常な認識、行為選択能力が著しく阻害されていなかったと判断することは必ずしも妥当ではなく、遺書等の表現、内容、作成時の状況等を把握の上、自殺に至る経緯に係る一資料として評価するものである。」として、遺書の存在のみで精神疾患と自殺との間の因果関係を否定することができないことを示した。
  遺書の記載内容が争点となった東加古川幼児園事件で、亡Fさんの遺書には「勝手なことをしてごめんなさい。許して下さい。」、「今回の事は、決して誰のせいでもなく、私自身がした決断です。」という自罰的な表現が用いられていた。同事件の一審において、国側は、「Fの遺書が理路整然として、字の乱れもなく、本件自殺当日の昼には洗車をしていたことなどから、本件自殺が精神障害によって行われたものではない、いわゆる『覚悟の自殺』である」と主張した。これに対して地裁判決は、「正常の認識、行為選択能力、自殺を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害された場合や、うつ状態による希死願望が生じた場合に、必ず文字が乱れるという関係はこれを認めるに足りる的確な証拠がなく、被告の主張する点は、それのみでは、本件自殺が精神障害によるものであると認めることを妨げる事実と評価することはできない。」と判断した。
  釜石市立小学校事件でも、遺書の記載内容が問題となった。その内容は「A[妻の名] ごめん 学校の仕事にいささか疲れた、もっと楽しく 生きたかった、B[長男の名]・・・元気に育てよ、強い子になれ!」というものであった。地裁判決は「発見された遺書が短文の連続であったことに鑑みれば、亡Hは、本件被災当時、うつ病により、正常な認識、行為選択能力が著しく阻害され、あるいは、自殺を思い止まる精神的な抑制力が著しく阻害されていたものと推認するのが相当であり、これを左右するに足りる証拠はない。」としたが、控訴審の仙台高裁は、「亡Hの遺書には、その書体及び内容ともに乱れが認められない」として、この事実を判断材料の一つとして、亡Hの罹患した精神疾患が中等症ないし重症うつ病ではなく軽症うつ病であると認定するとともに、公務の過重性が原因で軽症うつ病を発症したものではないとした。しかし、遺書の書体や内容に乱れがないという事実をもって、うつ病の重症度の判断ができるとする高裁判決の医学的認識についてはいささか疑問が残る。



第4 事実認定された教育の現状


  うつ病自殺の公務災害認定をめぐる訴訟のなかで、裁判所は、教員のうつ病自殺が業務により起きたものであるかどうかを判断するにあたり、教員の置かれている学校や教育の現状を事実認定というかたちで明らかにしている。そして、うつ病自殺につき公務起因性を認める判決が多く出されるようになっている。そのことは、言い換えれば、裁判所が、教員の業務にうつ病を発症させるほどの危険性が内在していることを認めるような、過酷な労働環境に陥っている教育現場が増えていることを意味する。こうした業務に内在する危険性は以下のように整理することもできよう。


1.長時間労働

  かつては、教員の労働時間は本人の裁量に委ねられるところがかなり多くあった。長時間労働の続く時期があっても、長期休業中に簡単な手続で休暇や自宅研修が認められたり、時間外労働の直後には疲労回復の措置が認められることがあった。ところが近年は行政による勤務時間の管理が厳しくなり、教員の裁量はほとんどなくなり、休暇を取得しにくい状況だけが残った。勤務時間の管理が厳しくなったといっても、管理職には時間外労働をきちんと管理しようという意識が低く、長時間労働には歯止めがかけられず放置されたままである。そのため、従来から過労による脳疾患や心臓疾患、過労死の事例が後を絶たず、近年はこれに精神疾患の事例が加わるようになったといえる。たとえば、仙台市立中学校事件においては部活動に関わる業務が長時間労働の主因となった。これには、土曜日、日曜日における生徒の指導だけでなく、大会の主催、運営に関わる業務を含んでいる。この部活動に関わる業務による長時間労働について、いまだ、有効な改善策は採られていない。


2.児童・生徒指導の困難

  教員は児童・生徒のあらゆる問題や課題への対応が求められている。それは、学級崩壊、いじめ、不登校、発達障害、器物破損、喫煙、暴言、暴力、盗難、授業妨害、事故など枚挙にいとまがない。これらは限られたごく一部の児童・生徒だけの問題ではなくなって、一般化、常態化している。そして、それらが具体的なトラブルとなって、解決する間もなく立て続けに起こることさえある。

(1)授業態度

  授業時間中に、児童・生徒が、「学習に参加せず、途切れることなくしゃべり続ける」、「大声を出して騒ぎ、立ち歩く」、「静かにしていても、寝ていたり、ジュースを飲んだり漫画を読んだり携帯電話を使っている」、「トイレに行くと言って教室を出て行く」。教員が注意したり、強く制止しても素直に聞くことはなく、制止をまったく無視したり、反対に、注意したことに抗議し教員に罵詈雑言を浴びせる。教員が何度も繰り返して注意しても効果はあがらず、授業の大切さを説いても耳を貸さず、また、ありったけの大声を出して叱っても、騒然とした状況はおさまらない。こうした授業の成り立っていない教室の状況は、小学校、中学校、高等学校をとおして、決して珍しいことではなくなっている。その中で、教員は「なぜこんな状況になるのだろうか」、「どうしたらいいのか分からない」などと無力感、絶望感を深め、疲弊しきってしまう。
  親やマスコミが教員に対して「指導が甘い」、「十分に指導をしていない」などと批判する場合、その批判は、教員の指導が生徒の問題解決には至っていないという意味においては妥当するが、これは「指導をしていない」のではなく「指導をしても解決に至らない」ほど深刻な実態が背景となっていることが多い。

(2)暴言

  磐田市立小学校事件で、A先生は児童から「きもい」、「先生、教師失格! それでも教師?」、「前や後ろに一生来ないで! 先生がくるとストレスがたまる。けがれる」、「家に電話かけたら殺すぞ!」などの罵声を浴びせられていた。仮に児童・生徒が多くの課題をかかえていて、そのことが暴言となって表現されることがあるとしても、常にそれに身を晒される教員が精神的に平静を保つことはきわめて難しい。相手が子どもであるとはいえ、児童・生徒の言いたい放題の暴言によって、教員は教師としての存在をないがしろにされ、また、人間としての尊厳を脅かされ続けて、その結果、自信や誇りを喪失していくのである。

(3)「日常起こり得る出来事」

  磐田市立小学校事件で静岡地裁は「Aが同クラスを担当した当初から、話を聞くことができない児童や、他の児童を叩く等の問題行動のある児童が複数名存在していた」ことを認定している。そして、亡Aはその状況について、初任者研修資料に「私の注意はほとんどきかず、大騒ぎが続いて、どうしたらいいかわからない。疲れきった」等と記載した。このような状況に対して、基金側は「4年2組で生じたトラブルは、いずれも日常起こり得る出来事で、それほど深刻なものではなかったのであり、これらは新規採用教員を含め、ほとんどの担任が経験するものであった」として、業務は過重なものではなかったと主張した。こうした基金側の主張は訴訟のために創作された作文ではなく、教育行政や学校管理職の率直な認識を示すものであるように思われる。つまり、こうした状況は日常的にどこにでも起こりうる出来事で、特別なことではないから、当人で解決してもらわなければならず、指導や支援が不十分だったと言われても、一般的にできることはやっている、という認識である。そして、地裁判決は、亡Aの公務が新規採用教員の能力を著しく逸脱した過重なものであったのに、Aに対して十分な支援が行われていなかったと断じた。
  これらの現状認識を総合すると、亡Aの公務は精神疾患を発症させるほどに過重なものであり、かつ、亡Aが経験したような労働環境はどこにでもあるということであり、結局のところ、現在の新規採用教員の多くが精神疾患を発症させるほどの過酷な労働環境のもとで働いているということになる。そして、このような労働環境は新規採用教員のみならず、経験のある教員にとっても厳しい労働環境であろう。
  堺市立中学校事件において、基金側は、中学校での対教師暴力が珍しいものではないことを統計資料をもって示し、当該中学校の他の教師も暴力を受けていたこと、亡Dの勤務条件が他の同僚教師と同様であったこと等から、亡Dの業務は過重であったとはいえないと主張したが、大阪地裁は、基金側の主張が「他の教師が精神障害を発症していないことのみをもって、 公務による心理的負荷の過重性を低く見積もるに等しく、にわかに採用できない。むしろ、 他の教師も、Dと同様、本件中学校での状況下で肉体的にも精神的にも疲弊し、いつ精神障害を発症してもおかしくない状態にあったことが容易に窺われるところである。」として、当該中学校の教師たちが精神障害を発症させるような過重な労働環境のもとで働いている実態を確認した。

(4)新聞報道から

  冒頭に紹介した8件の裁判例以外にも、近年、児童・生徒指導の困難が原因となって教員が精神的疾患を発症したと主張されている事例は明らかに増加している。新聞報道には次のような事例が見られる。

・岩手県大槌町立中学校教員自殺事件 男性34歳
  「自殺は公務災害と逆転認定 岩手の中学教諭」(京都新聞2008年2月14日)。基金審査会(東京)は「生徒の暴力などで強い精神的負担を受け精神疾患を発症した。治療が受けられるように転勤させるなど適切な対応をせず、症状を悪化させた」と認定した。

・山口県立支援学校教員うつ病事件 男性49歳
  「元教諭のうつ病、公務災害と認めず 山口地裁が請求棄却」(朝日新聞2012年3月15日)。判決によると、元教諭は2006年10月、授業中に漫画を読んでいた男子生徒を注意した際、腹を殴られたり、左腕をクリップの先やボールペンで刺されたりする暴行を受けていた。

・大分県立高校教員自殺事件 男性30歳代
  「生徒の暴言で教諭自殺…公務災害と逆転認定」(読売新聞2012年4月2日)。組合によると、教諭は08年4月、校内でも荒れているとされるクラスの担任になった。生徒から暴言を浴びせられるなどして約1か月後にはうつ病などと診断され、09年3月に自殺した。

・宮城県登米市立中学校教員自殺事件 男性43歳
  「生徒が給食に薬、残業150時間…自殺は公務外」(読売新聞2012年4月9日)。県教組などによると、教諭は06年に同校に赴任。月に150時間を超える時間外労働を強いられ、生徒からは給食に睡眠薬を入れられるなどのいやがらせを受けていたという。08年2月7日、授業で暴れた生徒を指導中に校舎3階から飛び降り、死亡した。

・広島県立高校教員自殺事件 男性41歳
  「学級崩壊で自殺 教諭の公務災害認定…広島地裁」(読売新聞2013年1月30日)。妻側の主張によると、1年の担任時、生徒が授業中に教室を抜け出したり、携帯電話の着信音を鳴らしたりしたため、教諭が注意すると「きもい」「消えろ」と暴言を受け、胸ぐらをつかまれたり、顔を近づけてにらまれたりもした。2年の担任になってからも生徒の言動は荒れたままで、うつ病から復帰後は「まだ生きていたのか」「死ね」と言われたという。


3.保護者対応の困難

  磐田市立小学校事件では、授業中に騒いで他の児童を叩いたり突き飛ばすなど、トラブルの絶えない児童の指導をめぐって、担任教員である亡Aは、当該児童の保護者から「私から見て先生の方は少し神経質すぎるのでは…と思っています。あまりにもひんぱんに電話をいただくので精神的にまいっていますし仕事にも集中できません」、「先生はちゃんと子供の話を聞いていますか?」、「先生の方も過剰に反応しすぎだと思います。もう少し先生が厳しく子供達に接していただきたいです」、「今のままの状態では学校へ通わせる事を考えなければなりません」と記載された手紙を受け取っている。この保護者自身が子育てに悩んでいるのにも関わらず、適切な援助を受けられないでいるという事情は容易に推測できる。しかし、その保護者のストレスが、直接に担任教員に向けられ、教員を追いつめていることも否定できない。こうした保護者からの要望、苦情は、教員に対する個人的非難となることがあり、ときに、教員の人格や人間性を否定するような言動へとエスカレートすることさえある [15]
  新任の女性教員についての新宿区立小学校教員うつ病自殺事件 [16] でも、当該教員が保護者の苦情に悩んでいる状況があった。ある保護者が、「子どものけんかで授業がつぶれているが心配」、「下校時間が守られていない」、「結婚や子育てをしていないので経験が乏しいのでは」などと連絡帳で苦情を寄せ、また、他の保護者たちも校長室を訪ね担任の指導に対する不信を訴えていた。これと類似する、西東京市立小学校教員うつ病自殺事件 [17] では、自殺した新任の女性教員は、児童のトラブルをめぐって深夜にも携帯電話に保護者からの連絡が入り、また、連絡帳で些細なことで苦情を受けたりするなどして精神的に疲弊していた。
  近年、教員に対する保護者の態度は明らかに変化している。それは、保護者の立場が、子どもとともに先生(師)から教えを受ける立場から、教育サービスを利用する「顧客」へと変化したことに伴うものであるといえよう。この変化は、新自由主義化をはかる教育改革の進展によってもたらされたものである。その教育改革の理念によれば、教育の主役は、教育サービスの消費者である児童・生徒・保護者であり、その児童・生徒・保護者のニーズが最も尊重され、そのニーズに応じた教育が行われなければならないとするものである。そのために、児童・生徒・保護者による学校・教員に対する評価を学校教育に反映する仕組みが整えられつつある [18] 。このようにして、保護者は教育サービスという商品を選択する消費者として、「主役」の地位を与えられ、その保護者の「顧客満足度」を高める学校教育が指向されることとなった。こうした学校教育の枠組みの変化に伴い、教員に対する保護者の態度が大きく変化することとなったのである。


4.教員に対する支援体制の不十分

(1)個人的な支援

  かつて、教員の社会には先輩が後輩を指導し、仕事上で困ったことがあれば相談にのり面倒をみるというインフォーマルな支援のしくみが機能していた。現在これは、行政研修や、指導教諭、管理職による評価育成制度にとって代わられたものの、それらの新しい制度は何れも十分に機能しているとはいえない。そして、教員の精神疾患の背景には、教員同士のつながりが希薄になって、悩みを共有したり、支えあったりしにくい状況があることは、多くの論者によって指摘されている [19] 。その状況は「職場の民主的団結」、「仲間意識」、「同僚性」、「協働関係」が失われた状態などと表現されている。こうした現状認識から、文部科学省も教員のメンタルヘルスの保持に関する通達 [20] を発出し、気軽に相談できる職場環境づくりが必要であるとしている。
  そして、こうした状況を招いたものは、またしても、新自由主義に基づく教育政策であると考えられる。その教育政策というのは、副校長・主幹教諭及び指導教諭の導入、職員会議の意思決定機能の否定、業績評価・能力評価の処遇への反映、指導力不足教員の認定、などである。これらは教員間の競争を煽り、教員同士が支え合う関係を破壊し、悩みを抱えた教員を精神的に追い込んでいった。したがって、教員同士のつながりを回復するためには、まず、これまでに実施されてきた教育政策の見直しが行われなければならない。

(2)組織的な支援

  堺市立中学校事件で、大阪地裁は「教師集団は、まとまりがなく、 問題が生じた場合の指導方針に一貫性や統一性がなく、支援体制もなかった」こと、および、事なかれ主義的な学校側の対応が、亡Dの孤立感を深めていったことを指摘した。つまり、教員集団としてのまとまりがなく、個々の教員の直面している問題について学校全体で組織的に対応するような仕組みのないことが、教員を精神疾患に追い込んでいるというのである。したがって、学校管理職はリーダーシップを発揮して、児童・生徒の問題が生じた場合の組織的な指導方針を確立し、問題に直面している教員の支援を行えるような指導体制を整備していかなければならない。
  そもそも、教員に対する支援策は、メンタルヘルスについての認識を深めたり、カウンセリング技術の改善のような対症療法的、応急処置的な支援では足りず、教員の健康や安全を実質的に守る、具体的、制度的な対策でなければならない [21] 。ところが、学校の人員配置には余裕がなく、正規教員の人数は削減されつつあり、管理職には教員定数を増やすような措置を行う権限も予算も認められていないため、管理職が行うことのできる対応策には限界があり、有効な支援ができているとは言いがたい。
  たとえば、校長が代替の職員を手配できるのは、ひとたび、教員が病気による休暇・休職の手続をとった場合に限られる。その病気休暇についてさえ、堺市立中学校事件では、Dさんがうつ状態と診断され、その夫が教頭に3か月間の休業の承認を依頼したにもかかわらず、「休まないでください。ぎりぎりでやっているから、これ以上休まれると支障が出る。」と言われ、休業することを断念させられている。
  すでに、うつ状態と診断された教員など、早急な支援が必要な者に対しては、次のような実効性のある対策が求められ、これを可能とするための人事的、予算的な措置が講じられる必要があると考えられる。

(3)管理職による支援の困難

  文部科学省の検討会は、学校の管理職が教員のメンタルヘルスについての認識を深め、日常的に教員の健康状況をみて支援や相談対応を行うこと(ラインによるケア)を求めている [22] 。また、同省は前述のメンタルヘルスの保持に関する通達 [20] で、「各学校の管理職は、心の健康の重要性を十分認識し、自ら親身になって教育職員の相談を受ける」ように指示している。ところが、現在、校長は気軽に相談できる相手ではなくなっている。それは、人事考課制度の導入以降、校長は教員の相談相手や助言者としての立場を失い、教員からは、評価者、業務成績の判定者として捉えられるようになったからである。校長の管理権限は強化されたものの、教員の健康や安全を守る役割は重視されず、有効な取組は行われていない。そして校長自身も監督者として振るまい、問題の原因を教員に転嫁し、教員を責め立て、理不尽な命令を行うなどして、苦悩している教員をさらに追いつめることさえある。たとえば、西東京市立小学校教員自殺事件では、当該新任教員が、管理職により、他の教員の前で「万引き問題でうまく対応せず、その結果学校に迷惑をかけた」と謝ることを強いられた [23] 。また、新宿区立小学校教員自殺事件では、保護者からの理不尽な苦情に対して、校長は、その行き過ぎた保護者の言動を戒めることなく、当該教員に対して、「あなたから保護者に電話をして謝るように」と指示した [23]
  これまでの教育改革によって教員同士の良好な職場環境を破壊しておきながら、それを行った教育行政が、今になって校長にメンタルヘルスを説いている姿はいかにも滑稽である。



おわりに


  私が勤務している高等学校で、この春に大学を卒業し4月に新規採用されたばかりの女性教員が、5月下旬から出勤しなくなり6月に退職した。職場の管理職は、プライバシーの問題もあるため、退職の理由を「家の事情のため」とだけ伝えた。しかし、辞めた本人は事前にそのような話をしていなかったし、退職後に仕事の引き継ぎが必要であるにも関わらず、まったく連絡がとれなくなるなど不明な点もあった。彼女も教員を志望して努力し、簡単ではない採用試験に合格し、希望にもえてようやく教員になったはずである。そんな彼女にいったい何があったのであろうか。私は、彼女が心身に何らかの変調をきたして、勤務を続けられなくなった可能性があると推測している。それは、勤務先の職場には、新卒、新任の若い教員が上手く適応するのが困難な厳しい教育環境があるからである。彼女についての詳しい事情を知る由もないので、これはまったくの推測に過ぎず、何ともいい加減な話で申し訳ないが、とにかくこの出来事は私が本稿をまとめようと考える契機の一つになった。
  近年、学力低下やいじめ、学級崩壊などの教育問題が議論されるたびに教員の責任が厳しく問われてきた。直接、教育に携わる者として、教員に責任があることは言うまでもない。しかしその一方で、政治や教育行政が、自らの責任を現場の教員に転嫁するために、教員をやり玉にあげてきたことも否定できない。たとえば、泉佐野市の市長は、大阪府内でも下位に低迷している同市の学力テストの現状を、「教員のやる気の問題」と言い放って、学校別の成績を公表した [24] 。マスコミも教員批判の傾向をあおり、教員には「やる気がない」、「厳しさが足りない」、「プロ意識に欠けている」などと非難をして、バッシングを繰り返してきた。
  長い不況の中で、身分が安定している公務員は、怨嗟の対象となりがちであり、とりわけ教員は「たいした能力もないのに尊大にふるまい、楽な仕事で優遇されている」という誤ったイメージを持たれているむきもある。そこで、教員を叩けば人気が出るというのは見えやすい関係で、教員のバッシングが政治家の人気取りの道具に利用されてきたのである。
  しかし、教員のみを悪者にして、バッシングを繰り返すことで人々が溜飲を下げたとしても、そのことでかえって問題の本質が見逃されて、教育問題は解決の方向には向かっていない。ただ、教員に対する労務管理だけが強化されることとなった。児童・生徒や保護者の実態の変化が、教員の仕事を困難なものにしているところに、教員に対する管理統制を強める教育政策が加わって、それが教員の労働環境をよりいっそう悪化させてきたといえる。このようにして、学校というところは、民間企業に負けず劣らず、きわめて過酷な職場になっている。本稿で述べた教員のうつ病自殺事件は、全国の学校における労働環境の悪化を反映したものであり、特定の教員、特定の学校だけの問題ではなくなっている。
  このまま過酷な労働環境を放置するなら、教員という職業は若い人たちから見放され、教員を志望する者は減少するであろう。そして、有能な人材を得られない教育界では、その諸課題の解決がますます困難になる。もとより、教員の心身の健康を守れない学校が、生徒の安心・安全を守れるはずもなく、また、新任教員を育てることのできない学校が、子どもを育てられるはずもないのである。





注  釈

(年号について、原典が元号で表記されているものは、それに従った。)
[1] 最新のものは、文部科学省「平成22年度 教育職員に係る懲戒処分等の状況について」(資料・病気休職者数等の推移)平成23年12月
[2] 最新のものは、内閣府自殺対策推進室・警察庁生活安全局生活安全企画課「平成23年中における自殺の状況」平成24年3月9日
[3] 東加古川幼稚園事件(損害賠償等請求事件)最高裁第三小法廷平成12年6月27日決定、労働判例795号13頁
[4] 地方公務員について、地方公務員災害補償基金理事長「公務上の災害の認定基準について」平成15年9月24日地基補第153号。国家公務員については、人事院事務総長「災害補償制度の運用について」昭和48年11月1日職厚―905(最終改正:平成24年9月19日事企法―464)。
[5] 最高裁第二小法廷昭和51年11月12日判決 判例時報837号34頁
[6] 最高裁第三小法廷平成8年1月23日判決 判例時報1557号58頁。同旨、最高裁第三小法廷平成8年3月5日判決 判例時報1564号137頁、仙台市立中学校事件・仙台地裁判決
[7] 地方公務員災害補償法施行規則第1条の2は、「公務上の災害の範囲は、公務に起因する負傷、障害及び死亡並びに別表第一に掲げる疾病とする。」と定め、同規則の別表第1第9号には、「人の生命にかかわる事故への遭遇その他強度の精神的又は肉体的負荷を与える事象を伴う業務に従事したため生じた精神及び行動の障害並びにこれに付随する疾病」と規定されている。そこで、「地公災基準」は要件を整理し、それらを満たしたときに、「地方公務員災害補償法施行規則別表第1第9号に該当する疾病として取り扱う。」こととした。
[8] 「国際疾病分類」(International Statistical Classification of Diseases and Related Health Problems)とは、WHO(世界保健機構)が疾病を分類しコード化したもので、分類されたそれぞれの疾病ごとに診断基準が記載されている。現在は第10版を重ねているので「ICD−10」と呼ばれる。
[9] 日本分析化学専門学校事件・大阪地裁平成22年6月7日判決 労働判例1014号86頁。
[10] 電通事件・最高裁第二小法廷平成12年3月24日判決 労働判例779号13頁
[11] 愛知県市役所職員事件・名古屋高裁平成22年5月21日判決 労働判例1013号102頁
[12] 厚生労働省・精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会「精神障害の労災認定の基準に関する専門検討会報告書」平成23年11月8日
[13] 厚生労働省・精神障害等の労災認定に係る専門検討会「精神障害等の労災認定に係る専門検討会報告書」平成11年7月29日
[14] 日本産業精神保健学会・精神疾患と業務関連性に関する検討委員会「『過労自殺』を巡る精神医学上の問題に係る見解」平成18年12月20日。「6 性格傾向は精神障害の成因を理解する一助とはなるが、性格傾向から個体側脆弱性を評価することは誤りである。性格傾向は脆弱性を示す一つの指標に過ぎず、性格傾向以外にも、薬物・脳内物質の状態・遺伝の影響等脆弱性に関する様々な医学的意見・研究が存在し、それらの様々な要因も含めて、心理的負荷に対する個体側の脆弱性は形成されると仮定されているものであり、医学的に確立された明確な知見というものは存在しないことから、「性格傾向」のみに着目して基準にするのは誤りといわざるを得ない。」
[15] 朝日新聞2013年3月1日「保護者と教師のトラブル訴訟、教諭の請求退ける」参照。「埼玉県内の市立小学校に勤務する40代の女性教諭が、担任するクラスの児童の保護者から再三クレームを受け、不眠症に陥ったなどとして慰謝料500万円を求めた訴訟の判決で、さいたま地裁熊谷支部(堀禎男裁判官)は28日、教諭の請求を退けた。・・・教諭は、保護者とやり取りする連絡帳に『悪魔のような先生』などと教諭への批判を8回にわたって書かれたことを問題にしていた。」
[16] 星徹「ルポ・新人女性教諭自殺 学校現場に不幸をもたらす『教育改革』」月刊『世界』2007年2月号(第761号)、朝日新聞2010年3月5日「新任教諭自殺は公務災害 『職場の支援不十分』処分覆す」
[17] 東京新聞2012年3月27日「『放置違法』両親が提訴」
[18] 規制改革・民間開放推進会議「文部科学省の義務教育改革に関する緊急提言 〜真に消費者(生徒・保護者)本位の多様で質の高い義務教育体系の実現に向けて〜」(平成16年11月30日)
[19] たとえば、池添徳明「ある新人教師の死 分断され孤立化する学校現場」月刊『世界』・2006年4月号。著者は、越谷市立小学校の新任男性教員が自殺した事件を取材し、次のように述べている。「相談に乗って愚痴を聞いてくれるのが、先輩や同僚の教師仲間だったはずだが、そうした『バックアップ体制』がおかしくなっている。教師同士で悩みを共有してフォローし合う関係が崩れてきている。」
[20] 文部科学省通達「平成22年度 教育職員に係る懲戒処分等の状況、服務規律の確保及び教育職員のメンタルヘルスの保持等について」平成23年12月22日 23初初企第87号。「職場内の人間関係の希薄化が指摘されており、日頃から、教育職員が気軽に周囲に相談したり、情報交換したりすることができる職場環境を作るよう、特段の配慮を行うこと。」
[21] たとえば、教員の健康や安全を守る対策として、@数年に一度は教員が担任・主任等を担当しない年度を設ける、A新任・転任教員を担任につけない、B同一年度に人事異動する人数を制限する、などのルール化が考えられる。
[22] 教職員のメンタルヘルス対策検討会議「教職員のメンタルヘルス対策について(中間まとめ)」平成24年10月3日
[23] 久冨善之・佐藤博『新採教師はなぜ追いつめられたのか』高文研(2010年)12頁以下
[24] 産経新聞2012年10月21日「全国学力調査も学校別に公表 大阪・泉佐野市長が意向」





裁判例の出典等

1.磐田市立小学校事件
静岡地裁 平成23年12月15日判決 認容(労働判例1043号32頁)
東京高裁 平成24年7月19日判決 棄却・確定(労働判例1059号59頁)
参考 山本圭子・季刊教育法174号92頁、特集・季刊教育法175号6頁、久冨善之・佐藤博『新採教師の死が遺したもの』高文研(2012年)

2.静岡県小学校養護学級事件
静岡地裁 平成19年3月22日判決 棄却(最高裁HP)
東京高裁 平成20年4月24日判決 認容(労働判例998号57頁)
最高裁三小 平成21年10月27日決定 上告棄却

3.京都市立中学校事件
京都地裁 平成23年2月1日判決 却下・棄却(最高裁HP)
大阪高裁 平成24年2月23日判決 認容・原判決取消・確定(ウエスト・ロー・ジャパンHP)

4.堺市立中学校事件
大阪地裁 平成22年3月29日判決 認容・確定(判例タイムズ1328号93頁)
参考 大原利夫・季刊教育法168号68頁

5.仙台市立中学校事件
仙台地裁 平成19年8月28日判決 認容・確定(判例時報1994号135頁)

6.東加古川幼児園事件(行政事件)
東京地裁 平成18年9月4日判決 認容・確定(判例タイムズ1229号91頁、判例時報1953号162頁、労働判例924号32頁)

7.茨城県立高校事件
水戸地裁 平成14年3月12日判決 棄却・控訴(判例地方自治233号24頁)

8.釜石市立平田小学校事件
盛岡地裁 平成13年2月23日判決 認容(労働判例810号56頁)
仙台高裁 平成14年12月18日判決 認容・原判決取消(労働判例843号13頁)
最高裁一小 平成15年7月17日決定 上告棄却







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