◆198707KHK063A2L0183G
TITLE:  体罰だけを控えればいいのですか?
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 『月刊生徒指導』1987年7月号98頁(学事出版)
WORDS:  全40字×183行

 

体罰だけを控えればいいのですか?

 

大阪高等学校教育法研究会  羽 山 健 一

 

●話題●

 

 A 「ほんとに最近の生徒は教師のいうことを聞かなくなりました。遅刻や欠席は多い、授業中の私語もなくならない。掃除はさぼる、宿題はやってこない。いくら注意しても、いっこうに直らない。それでついつい言葉も悪くなって、『まじめにやる気がないのなら学校をやめてしまえ」『こんなことをしていたら将来ろくな人間にならないぞ!』などと言ってしまう」

 B 「口で何度注意しても無駄ですよ。うちのクラスでは、遅刻や欠席をするたびに『ケツバット』をしています。プラスチックのバットで思いきりやるんです。これは確かに効果がありますよ」

 A 「しかしそれじゃ体罰です。体罰は法律でも禁止しているし、どうも感心しませんね」

 B 「それでは、こういう方法もあります。掃除をさぼったら、別に一週間の便所掃除を徹底的にやらせるんです。生徒もこれは相当イヤだとみえて、さぼる生徒も少なくなりました。それでもさぼったときは、私の教科の平常点を引くと言ってあります」

 C 「私も体罰はしませんが、授業中あまりにも騒がしい生徒は、机の上に正座させることにしています。本人は恥ずかしそうですが、おとなしくなります。先日、それでもこりない生徒がいたので、机ごと廊下にほり出してやりましたよ。でも、これくらいのことなら体罰にもならないし、法律上も問題ないでしょう」

 A 「確かに体罰以外は禁止されていませんが……」

 

●どう考えたらよいか●

 

 いわゆる「精神罰」とは

 

  最近、体罰に対する社会的批判の目が厳しくなり、その非教育性なり違法性については、不充分ながら一定の認識がみられるようになった。しかしその反面、「体罰のみ控えればよい」といった意識もみられ、学校教育法一一条が禁止する体罰には当たらないが、生徒の人権を侵すような懲戒・罰がまだ存在している。

  それには次のようなものがある。第一に、生徒を中傷・侮辱する「アホ」「バカ」「下手くそ」「ブタ」などの「言動の暴力」。第二に、偏見・独断による「親が共働きだからこんな子になる」「おまえがみんなを悪の道に誘いこんでいる」などの決めつけ。第三に、「内申を下げるぞ」「これ以上問題をおこしたら退学させるぞ」などという成績等による威嚇。第四に、授業中の質問をとばしてあてる、テストの点数が悪い者だけ名前を発表するなど、反抗的な生徒・成績の悪い生徒に対する無視・差別的取り扱い。第五に、生徒に屈辱的で恥ずかしい行為をさせる「辱しめの罰」。たとえば、フェルトペンや墨で顔に落書きをしたり、「僕は○○を忘れました」と書いたプラカードを首から吊すことなどがある。さらに、虫や動物のまねをさせたり、英語の成績の悪い生徒にかけ算の九九を最初から言わせたり、「生徒手帳を持ってないね」と言いながら、女子生徒の胸ポケットに手を入れるという教師までいる。

  以上のような、生徒に精神的苦痛や屈辱を与える罰は、体罰に当たらないといっても、生徒の「人間としての尊厳」を侵し、教師の懲戒権の範囲を越えた違法な懲戒行為であろう。したがって、教師は「体罰だけを控えればよい」のではなく、生徒の人格を専重し、学習権を保障するような指導方法をとらなければならない。

  そこで、このような罰が、体罰に匹敵するほどの人権侵害性・違法性を帯びたものであるという意味をこめて、ここでは「精神罰」と呼ぶことにしよう。体罰が肉体的苦痛を与える罰であるのに対して、精神罰は精神的苦痛を与えるものである。次には、精神罰の人権侵害性・違法性の検討を進めてみたい。

 

 精神罰は生徒の人格権・学習権を侵害する

 

  憲法一三条は「すべて国民は個人として尊重される」として人間の尊厳を保障しており、これをうけて教育基本法前文および一条は、「個人の尊厳を重んじ」「人格の完成をめざし」「心身ともに健康な国民の育成」を期して教育が行われるべきことを定めている(注1)。このことは、生徒が学校生活の中で「人間として尊ばれ」(児童憲章一九一五年)、人格権が保障されること、および生徒が学習過程を通じて「人間らしく」発達し人格形成していく権利が保障されることを意味している。

  また、わが国が批准し、国際的に遵守を義務づけられている国際人権規約(B規約)七条は「何人も、……非人道的な若しくは品位を傷つける取り扱い……を受けない」としている。この規定は刑事手続に限ったものではなく、国や政府、さらに学校や教師も規律する。したがって、生徒を非人間的に扱ったり、品位を傷つける懲戒、すなわち精神罰は生徒の「人間としての尊厳」・人格権を侵す遵法行為となる。

  さらに、教科書裁判杉本判決は「子どもにも当然その人格が尊重され、人権が保障されるべきであるが、子どもは未来における可能性を持つ存在であることを本質とするから、将来においてその人間性を十分に開花させるべく自ら学習し、事物を知り、これによって自らを成長させることが子どもの生来的権利」と判示し、学習権・発達権の理念を述べている。このような権利の主体であり、人格の形成過程にある生徒に、精神的苦痛・屈辱を与えることは、その発達に深刻な傷跡を残すこととなる。とくに高校生は、青年期中期の自我の確立段階にあり、辱しめを受け、人格を傷つけられた生徒が、「人間性を十分に開花させるべく自ら学習」する意欲を持てるであろうか。このように、精神罰は生徒の学習権・発達権を侵害する違法行為である。

 

 精神罰は懲戒権の乱用にあたる

 

  学校教育法一一条は、「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、……生徒及び児童に懲戒を加えることができる」として教師の懲戒権を認めている。懲戒の中でも、退学・停学などは別として、ここでは事実行為として行われる懲戒のみを扱うものとする。教師の教育権とは別に、さらに懲戒権まで教師に認める必要があるのかどうかは疑問の残るところであるが、法律の解釈としてその限界を考えることが重要であろう。

  まず第一に、教師の懲戒権は、その生徒本人に対する「教育上の必要」がある場合に認められている。つまり、懲戒権は生徒の学習権・発達権を保障するために認められたものであって、正当な教育目的を達成するために懲戒が行われるのである。「懲戒」といっても、これは教育的な性格を有するものであるから、公務員や労働者の懲戒とは性格が異なり、「教育的効果を期待しうる限りにおいて」(注2)認められるのであり、みせしめ的、あるいは報復的な懲戒は許されない。

  第二に、学校教育法施行規則一三条は、懲戒を加えるに当たっては、生徒の「心身の発達に応ずる等」の「教育上必要な配慮」を要求している(注3)。これは懲戒によって、生徒の権利が侵害される危険性が高いため、どのような懲戒を加えるかについて、その手段・方法が相当なものでなければならないことを定めたものである。この点について、「心」の発達段階にある生徒を、精神的に打ちのめす精神罰は、相当性を欠く手段・方法を用いたものであり、よって「教育上必要な配慮」を欠いた懲戒であるといわざるを得ない。

  第三に、学校教育法一一条ただし書は体罰を禁止しているが、これは体罰が教育上とくに有害であり、生徒の人格権・学習権を侵害するため、懲戒権の乱用に当たることを確認したものである。したがってこれは例示規定であって、懲戒権の乱用に当たる場合が体罰に限定されていると解するべきではない。体罰は明文で禁止されているが、精神罰については明文上の禁止規定がない。このことから精神罰を行ってもよいと考えるむきもある。しかし、前述の憲法・教育基本法・学校教育法の趣旨からすれば、このように考える余地はなく、精神罰は体罰と同様に、懲戒権の乱用に当たる違法な懲戒であると解すべきである。

 

 諸外国の懲戒規則

 

  諸外国の児童・生徒の懲戒規則の中には、体罰とならんで、精神罰を明文で禁止しているものも少なくない。たとえば、ワシントンDC教育委員会の、学生の権利の章典一二条は「嘲笑、攻撃および品位を落としたり軽蔑するような罰にさらされてはならない。いかなる学生も体罰を課されてはならない」(注4)。オーストリアの学校教育法四七条は「体罰、侮辱的な非難、集団罰は、これを禁止する」。スペインの初等教育法一〇〇条は「いかなる場合も、児童の品位を傷つけるような身体的、精神的罰の使用は、これを認めない」と定めている。さらに徹底して、フランスの小学校基準学校規則二〇条は、教師が生徒を「おまえ」よばわりすることも禁止している。最後に、次にあげるキューバの初等学校一般規則は、より説得的である。

  六五七条 生徒の規律を維持するために、教員は、教育科学の成果に基づいて、教育の諸目標に適切または効果的であると考えられる方法を用いなければならない。したがって次の各号に掲げる罰は、これを禁止する。

 一 体罰
 二 子どもの精神的・身体的健康を害する罰
 三 子どもの自尊心や尊厳を傷つける罰
 四 子どもを復讐や非行に駆り立てる罰

  教師の懲戒権は、生徒の発達権保障の必要から認められているのであり、体罰・精神罰を用いることによって生徒の健全な発達が歪められることのないよう、教師は「教育科学」を研修し、「適切」で「効果的」な懲戒方法・手段を用いなければならないのである。

 

 精神罰と刑事責任

 

  刑法は、自由権・人格権などの市民的権利を保護するために、逮捕監禁罪(二二〇条)、脅迫罪・強要罪(二二二・二二三条)、名誉毀損罪・侮辱罪(二三〇・二三一条)を定めている。懲戒という行為はこのような犯罪を構成するおそれがあるが、正当な懲戒権の行使は、「法令による行為」として違法性が阻却され、刑事責任が問われることになっている(刑法三五条)。しかし教師が公然と生徒の名誉を傷つけ、侮辱し、脅迫し、差別することが許されるものではない。教師に懲戒権が認められているといっても、それは生徒の人権を侵すことのないよう、その乱用が厳しく戒められるべきであり、「合理的な限度をこえて懲戒を行なえば……〔犯罪の〕成立をまぬかれない」(注6)。したがって体罰や精神罰は、教育機関にふさわしい手段・方法を用いた正当な懲戒とはいえず、「合理的な限度をこえた懲戒」であって、当然刑事的処罰の対象となろう。

  学校現場における教育指導が困難になるにつれて、教師の指導に、生徒を強制的に服従させる方法が求められるようになり、そのための強制手段として懲戒権が用いられる傾向がある。体罰や精神罰は、このような状況下で多用されるようになったもので、もはや例外的事実とはいえない状態にある。多くの場合これが権利侵害として受けとめられず、当該教師の教育的責任も問われないまま放任されている。今後、教師の人権意識をさらに高めていかなければならない。

  なお、授業中に生徒を教室外に退去させることは、たとえ短時間であっても、懲戒の手段として許されるものではない(注7)。

  また、懲戒権とならんで生徒を服従させるための強制手段として、教師の成績評価権がある。成績や進級、内申書を盾にして生徒に服従を迫るものである。これも、生徒の「正当な教育評価を受ける権利」の侵害であり、明らかに評価権の乱用に当たる。

 

 < 注 >

(1) 同旨の規定をおくものとして、国連の児童権利宣言(一九五九年)、世界人権宣言二六条、国際人権規約(A規約)一三条
(2) 県立田川東高校生徒自殺事件(福岡地裁飯塚支部判 昭四五・八・一二)
(3) 同前、「当該生徒の性格、行動、心身の発達状況、非行の程度等諸般の事情を考慮のうえ」
(4) 小泉宋『アメリカのハイスクールにおける生徒指導便覧』一九八四、学事出版一三五頁
(5) 沖原豊『体罰』一九八〇 第一法規 二五〇頁
(6)(7) 「児童懲戒権の限界について」法務庁 昭二三・一二・二二

Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会