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TITLE:  私立学校における教育課程編成権について
AUTHOR: 大西 幸次
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第125号(1992年12月)
WORDS:  全40字×146行

 

私立学校における教育課程編成権について

 

神戸海星女子学院高校教諭  大 西 幸 次 

 

1.はじめに

  高校の新学習指導要領が平成2年3月15日告示され、平成6年4月1日に施行、その後学年ごとの段階的実施が予定されている。それに先立ち中学校は平成5年4月1日に全面実施され、既に移行措置で内容的には新学習指導要領に基づく教育がなされている。高校においても目前にせまった新学習指導要領実施に向けて新教育課程の編成で教務部、教科、職員会議等でいろんな議論がなされている。教育課程の編成は言うまでもなく学校教育の中核的な計画であり、その計画に基づいて学校は運営される。今回の報告でその教育課程の編成を法的に考えたい。特に私立学校において、教育課程を誰がどういう法的根拠に基づいて編成するのか、またその教育課程の編成者に対してその他のものは何がいえるのかについて考えて見たい。

 

2.教育課程をめぐる法制

  教育課程という言葉の他にカリキュラムという言葉もあり、論者によっては指導計画とのからみでこれを区別する考えもある(1)。しかし指導要領は教育課程で統一されており、教育現場でもカリキュラムは教育課程と区別されていない。一般的には学校における教育の目的や目標の達成をはかる教育活動の計画と解されている。

法令上の規定としては、学校教育法第41条、42条に高等学校の目的及び高等学校教育の目標が規定され、43条において「高等学校の学科及び教科に関する事項は、前2条の規定に従い、監督庁がこれを定める。」と規定され、監督庁は当分の間文部大臣と規定されている(同法106条1項)。それに基づき同法施行規則57条によって教育課程の領域が定められている。さらに同施行規則57条の2によって「高等学校の教育課程については、この章に定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する高等学校学習指導要領によるものとする。」とある。学習指導要領の法的拘束力については伝習館高校事件最高裁判決(平成2年1月18日)で認められたが、批判も多いのは周知の事実である。ここでは、学習指導要領の法的拘束力については立ち入らないが、実際の指導要領の各教科の目標といい、教科の内容といい抽象的、羅列的でありそのすべてに法的拘束力があるというような厳格なものではないと考える。従って、百歩譲って法的拘束力があるとしてもそれは高校の教育目的(教育基本法・学校教育法)、必修教科目名、授業時数や卒業に必要な単位数などの学校制度的な基準に限定するのが妥当と考える(2)。

では、以上のような法的な背景をもつ教育課程を誰がどのような法的権限をもって各学校での編成をするのであろうか。教育課程とは前述のように教育活動の計画であり、教育内容そのものに直結するものであるから各学校自身にあることは疑いはない。この点については学習指導要領も今次改訂で特にその第1章総則第1款教育課程編成の一般方針の一番最初に「1.各学校は・・・・適切な教育課程を編成するものとする。」とあり、また教育課程自主編成権を主張する論者も各学校にあることは否定していない(3)。 ただ、後者は各学校における教育自治の中核は各教師の教育権の行使であるが、教育課程編成の性質上、学校教師集団にあるとする(4)。 具体的には校長を含む職員会議ということになる。それに対して行政側の解釈は前述の学習指導要領の「各学校において編成する」をうけて「学校が教育課程を編成するとなればその編成の責任者は当然のことながら学校の責任者の校長にあるとする。この根拠づけとしてとして「(校長)は校務をつかさどり、所属職員を監督する。」という学校教育法28条第3項をあげる。ただ、教育課程の編成は校長の校務に属するとしながらも「実際問題として校長1人で編成するということではなく、権限及び責任の所在を意味するものである。学校は組織体であり、教育課程の編成は、全教師の協力の下に行わなければならないものである。・・・・教育課程の編成は校務のうち最も重要なものの1つであり、各学校の教育課程は、それぞれの学校運営を生かし、各教師がそれぞれの分担に応じて十分研究を重ね、創意工夫を加えて編成することが大切である。」とする(5)。 長く引用したが、結局のところ教育課程を編成するのは校長を含む教職員全体ということには変わりがなく、各高校の設置者たる教育委員会や学校法人との関係でいえば、教育課程の編成は校務の1つであり、それは学校教育法第28条第3項に規定してある校長のつかさどる校務であることは疑いがない。では学校の教育課程編成権と学校設置者との関係はどうであろうか。ここで公立高校と私立高校との違いが生じてくる。

 

3.私立高校と学校法人の関係について

 公立高校では、その管理は設置者である地方公共団体が行うものとされ(学校教育法第5条)、具体的には地方公共団体の教育委員会が管理する(地公行法23条)。そして学校の管理については教育委員会は「必要な教育委員会規則を定めるものとする。」(地公行法33条1項)とあり、これに基づき学校管理規則を定めている。この学校管理規則の中で各学校の教育課程は教育委員会に届け出ないしは承認を受ける事になっている。この「届け出・承認」については問題点もあるようだがここでは立ち入らない(6)。 ただ、今回の改訂でいままでの学習指導要領が教育課程編成の主体を単なる「学校」から「各学校」に改め学校の主体性を強調しているが(7) 、それが教育課程編成の作業にどのような影響を与えるか注目していたい。

それに対して私立学校の管理その設置者であるは学校法人によってなされる(学校教育法5条、私立学校法3条)。学校法人は私立学校法によって創設され、学校の設置・管理を目的として設立された特別法人であり(教育基本法6条、学校教育法2条・5条、私立学校法3条)、その管理機関である理事(具体的には理事会)が学校法人の業務の決定権を有し(私立学校法36条)、その結果学校の包括的管理権を有する。

しかしながら前述したように、「校長は校務をつかさどる」のであり、教育課程の編成はそれに属するものとすると理事(会)の包括的な管理権とどのような関係にあるのであろうか。このように理事(会)の権限と校長の業務が重なるので問題となる。教育課程の編成権が校長(学校)に属するからといって、独自の学風と建学の精神(私学の独自性)に基づいて学校法人の運営をする理事(会)が学校活動の中心たる教育課程の編成に全く関与できないのでは建学の精神(私学の独自性)を維持するのは難しい。従って理事(会)が教育課程の編成に関与し、学校現場に影響力を行使できるのは否定できない。しかし当然のことながら、私立高校は公教育機関であり、その中に国民の教育の自由を確保するために私立高校が存在する事を忘れてはならない。即ち、教育権の主体が国家ではなく国民にあることを前提にする。だからこそ行政側の管理権が公立高校に比べて制限されているのであり(私立学校法5条2項など)理事(会)の業務権限が強大だからといって国民の教育権を無視するような関与は許されない。事例は異なるが判例では「教育基本法10条1項において・・・・教育権の独立が宣明され・・・・教員は・・・・教育の目的の範囲内においてその自由と自主性を保持し、公の機関又は学校法人の理事者やその他の団体又は個人に由来する不当な支配または影響力から防御されなければならない。」とある。(8)このことから校長を含める教職員に対して直接学校の教育内容にかかわる関与(具体的には教育課程の変更等)はできないと考える。

以上をまとめると原則として理事(会)は、学校の教育課程について学習指導要領その他に違反しない範囲で独自の教育課程の基準を決めることができ、必要に応じて指導助言なり指示を与えることができると考えるが妥当と思う。但し、「宗教」など私立学校設立の根幹にかかわるような教科・科目は別と考える。宗教は高校では教育課程の中に「その他必要な教科・科目」として設けることができる。学習指導要領のなかに「その他特に必要な教科及び当該教科に関する科目の名称、目標、単位数等については、設置者の定めるところによるものとする。」とある(9)。 私立高校の性質上、この規定は合理的と考える。なぜなら私立学校の独自性を発揮しようとするなら、学校活動の中心たる教育課程にその独自性を発揮するのは当然であり、それができるのは学校設置者=学校法人、即ち理事(会)ということになる。この趣旨に従えば、校長(学校)は「宗教」等の教科・科目の新たな設置または消滅させる権限はないと考える。ただ、どの教科・科目がそのような性質をもつかの判断は個別に行われるべきものと考える。

4.私立学校の教育課程編成と生徒=父母の関係について

  上記のように教育課程は学校で編成されるものであるが、学校の決定に対し生徒・父母はどの程度意見を述べることができるのであろうか。

上記のように必修教科名や授業時数及び卒業に必要な単位数などの学校制度的な基準について法的拘束力があるとするならば、学校がそれらの基準を著しく逸脱した場合、生徒は適法な授業を受けるという権利を主張できると考える。判例でも「親権者はその子女が学校においてほどこされる教科・科目の授業およびそのもとになる教育課程の編成について法律上の利害関係を有するものというべきであり、・・・・(原告には)右課程の編成の取消を求める適格があるといわなければならない。」とある(10)。ここでの原告適格についての言及は教育課程の編成に生徒・父母が法令違反のおそれがあるならば異議をとなえることができるということになる。これは「専門職性が排他的・絶対的なものではなく、委託者(国民)に対して常に責任を有することからして妥当な解釈ということができ、また、国民に対する直接の責任(教育基本法10条1項)の条理に立ったものと見ることもできる(11)。この事例は私立学校でもそのまま準用できる。その意味でこの判決は重大な意味を持ち学校に対して有効な批判の手段となり得る。ただ、学習指導要領にある標準単位数などはあくまで標準であり、教科の目的や生徒の資質を考えて学校の判断がなされるから実際の単位数には幅があると考えられる。従ってよほどの逸脱がない限り(例えば家庭科について標準単位より極端に単位数を減らすなど)法令違反にはならないのではないか。

 

5.まとめにかえて

  私立学校はその独自性ゆえに、公立高校に比べかなり自由に教育課程を編成することができる。生徒の資質が一定の傾向を持つ場合などはそれに教育課程を編成することは容易であろう。またある意味で私立高校は私企業であるから生徒=父母の要求に直接応えなければならない。

  しかしながら私立高校は公教育の一翼を担う学校であることを忘れてはならない。極端な受験用の教育課程を編成して生徒の健全な成長をいびつなものにしてはならない。教員1人1人が「全体の奉仕者であって、自己の使命を自覚し、その職責の遂行に務めなければならない。」(教育基本法6条2項)ことを肝に銘じるべきである。

 

【注】

(1) 長尾彰夫 「 新カリキュラム論」 有斐閣双書
(2) 兼子仁 「教育法(新版)」P.379 〜
(3) 兼子仁 同上 P.439 〜
(4) 兼子仁 同上 P.439 〜
(5) 文部省 「中学校指導書 教育課程一般編」 P.24
(6) 大橋 基博「教育課程の届け出・承認制度の問題点」季刊教育法81号 P.29 〜
(7) 林田 英樹・大西珠枝編 「高等学校新学習指導要領の解説 総則の内容と指導のポイント」 P.16
(8) 目黒高校事件 昭和47年3月31日東京地裁判決
(9) 文部省 「高等学校 学習指導要領」 第1章 総則 第2款 4 P.4
(10) 大阪八尾高校事件 昭和47年3月1日大阪地裁判決
(11) 平原 春好 「教育判例百選」 P.81

                                   1992.12.5



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