◆199311KHK136A1L0110B
TITLE:  学校現場から見た指導助言行政
AUTHOR: 朝倉 達夫
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第136号(1993年11月)
WORDS:  全40字×110行

 

学校現場から見た指導助言行政

 

朝 倉  達 夫 

 

1.戦前の教育行政

  戦前の教育行政は概ね明治初年から明治18年までの太政官制時代と、それ以降、太平洋戦争直後までの内閣制度時代の二つの時期に分けられる。太政官制時代の教育は天皇専制のための教育行政を前提としながらも、開国黎明期の教育の特徴として、かなり大綱的、先進的なものであったことが「学制」や「教育令」の内容からも推察できる。これは立憲主義への模索や自由民権運動を意識した政府の一般行政の対応と軌を一にしているといえよう。

  内閣時代に入り、森有礼の登場により、憲法体制に見合った学校教育体系の確立とともに「国家の須要」に応える大学、「順良信愛威重」な教員養成をめざす師範学校令にみられる、「忠君愛国」の臣民教育が国家教育の目的とされた。日清、日露戦争を経て、大正デモクラシーの影響が主に大学教育に反映されることもあったが、概ね教育勅語の精神を基本に「国家思想教育」が国家教育権思想の下でおし進められた。そして戦時下に入り、国家主導の皇民教育が押し進められるが、それは国民学校令の中に色濃く表れている。従ってこれらの時期は天皇政府による命令行政が教育全般を支配していた。

2.戦後の教育行政

(1)教育委員公選時代

  新憲法の発布、教育基本法の制定に基づく新教育制度の実施に対応して、文部省設置法、教育委員会法が制定された。戦後教育行政の特徴は臣民の義務としての教育から、受ける権利としての教育保障のための行政として教育諸条件の整備確立にあった。しかし、やがてこのような教育行政の姿勢はアメリカ及び日本の支配層には有害無益となり、教育の変質が始まる。教育委員会の公選制の廃止、教育委員会法から、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」制定の画策である。

(2)教育委員任命制以降

  「地教行法」が制定され、教育委員は任命制となった。教育長は教育委員会によって選任されることとなったが文部省の承認事項となり、教育の中央集権化が押し進められた。指導助言行政から「指導助言」という名の命令行政が復活した。命令行政化は教頭の管理職化、勤務評定実施、主任制度化という一連の「改革」による、上意下達ルートを使って、学習指導要領の法的拘束性の強化や日の丸、君が代の強制など教育内的事項への国家意思の貫徹を図った。「国家のための教育」への変質は急速に進められていった。そのことによってもたらされた教育困難状況を生徒や父母、教師による自主的学校づくりによる解決の筋道をとらず、間接民主主義=議会=文部省、教育委員会を絶対化し、上からの「指導助言」によって、一般行政と同じスタンスで対応してきているのが現状である。

3.指導助言行政の法理

  教育行政はいかにあるべきかの基本原理として、教育行政の法律主義、教育行政の地方自治がいわれる。さらに平原教授が指摘(「教育行政の基本原理」考)するように「教育行政の指導助言性」「教育自治の尊重」も欠くことの出来ない原理であると思う。

  教育行政の法律主義とは戦前の命令主義に対するものである。行政を命令や詔勅によらずに法律によって行うことをいう。しかし単に手続き的な面で法律を根拠にして教育行政を行えばよいというのではなく、内容的正当性をもってはじめて法律による行政の原理が生きる(前掲 平原論文より)。

  教育行政における地方自治は、戦前の教育行政が「国家の事務」、「国家の権限行政」とされていたものが、戦後、「地方自治の固有事務」、「地域住民のための、地域住民による行政」への変化をいう。国家は教育の教育外的事項の条件整備面を中心とする非権力的教育行政の遂行が期待された。

  指導助言性は上からの権力的、支配的に命令によって教育行政を遂行するのでなく、教育現場に主体を置き、行政は強制、指示ではなく、被指導助言者と同じ地平に立って、要求に応えて行われるものである。「指導助言に従ってもらいます」というような「指導助言」は指導助言とはいえない。

  この他に教育行政の原理と考えられるものに「教育の自主性」、「教育の中立性の確保」という重要なものもあるがここでは省略する。

4.「指導助言」の実態

(1)学習指導要領、教育課程編成について

  学習指導要領の法的拘束性の強化によって教育課程の編成、学習指導の実践面でも文部省、教育委員会の「指導助言」が強めらている。教育課程編成基準は学習指導要領に基づいて教育行政機関が作成する。この教育課程編成基準が各学校の教育課程を編成する上で大きな影響を与えるが、この編成基準が指導要領を否定あるいは乗り越えたものになったためしがない。例えば大阪府学校教育審議会(金子照基会長)の出した「府立高等学校の教育課程のあり方について」の答申を見ても、「基本的な考え方」の中では「大綱適な基準をしめすも」とか「各学校の生徒の実態に応じて主体的に編成・実施するもの」などの字句が並ぶが、結局「その際、国の基準である高等学校学習指導要領に基づいて行われなければならない」と自ら縛をかけざるを得ない状態である。審議会答申を読むかぎりでは学校現場はかなり自主編成が出来そうに見えるが、週あたりの授業時数、開講教科名、標準単位と履修単位問題など、新教育課程編成に当たって、教育委員会事務局に何度もお伺いをし、「指導助言」ということで「認められない」「再考されたい」との回答に現場は右往左往させられ、自主編成の熱意をそがれていくのである。

(2)日の丸、君が代問題

  日の丸問題についてはすでに70年代から文部省の指導はあったが、学校現場への指導が強められたのは現学習指導要領が実施された80年代に入ってからである。この指導要領では「特別活動」の項で「(4)国民の祝日などにおいて儀式などを行う場合には、生徒に対してこれらの祝日の意義を理解させるとともに、国旗を掲揚し、国歌を斉唱させることが望ましい」としていた。新指導要領の前倒しが実施された最近では、指導要領の法的拘束力の縛りと「指導に従わない教職員に対しては職務命令を発し、処分の対象とする」との行政指導の両面で強制してきている。新学習指導要領では「3 入学式や卒業式においては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するものとする」と表現したことを根拠としての「指導助言」である。皇太子の結婚にさいしての日の丸掲揚指示に対し、組合が抗議をすると教育委員会事務局は「祝意を押しつけるものではない」「実施報告などは求めない」と回答するが、管理職にはそのようなことは言っていないと逃げをうつといった状態である。大葬の礼の時は弔旗の掲揚を協力に「指導」してきた経緯がある。この指導の特徴は「国の指導である」「学習指導要領に定められ、法的拘束力を持つ以上、遵守義務がある」という理屈でおしとおした。このような現場の意向を聞くつもりのない「指導助言」は指導助言とはいえないであろう。

(3)随時査察、教育計画、成績評価に対する指導

  府議会議員の要求から端を発した教育委員会の随時査察は十年以上続いている。府財政の適正執行が名目であるが、組合対策、管理監視が目的といわれている。実際査察項目は出席簿の捺印状況、勤務手段の点検、時間割から見る勤務状況などが中心であることからも分かる。このような管理強化や、いやがらせのような「指導助言」は指導助言にはならない。

  「5・5・7問題」といわれる教育委員会の指導がある。学期末考査後、終業式までのいわゆる採点休み期間は1、2学期は各5日以内、学年末は7日以内として年間教育計画を立てるようにとの指導である。「考査後の不振者指導など現場の実態を知らないものの発想」「教師不信のいやがらせだ」とい現場の声は多い。教育計画は学校管理規則の規定からも各学校が自主的に作成したものを校長名で届け出ればよいことになっており、極端な授業日数不足の計画でないかぎり現場の自主編成の任せるべきであろう。

  成績評価については実態としては現場に対する重要な指摘と役割をはたしている場合がある。現場教員の成績評価については「生徒の学習への権利」の捉え方、能力観の違いに起因する一致した観点が取りにくいことや、教育法の観点からも問題点が指摘されている。その中での教育委員会の出した「成績評価等について」の指導助言文書は一定評価されてよい。しかしなぜ現場で教育法上問題の多い成績、進級規定が改まらないのかの根本原因が省みられず、きれいごとだけの指導助言、全ての教育困難事象を現場教員の努力不足や内規のあり方のみに求めているようでは指導助言の実効は上がりえない。

5.まとめにかえて

  報告では「指導助言の実態」として、「府立学校に対する指示事項に見る指導助言」について述べたが、紙数の関係で省略せざるをえない。また、この報告の眼目である「指導助言のなにが問題か」という課題として、次に列記してまとめとしたい。

(1)中央政府の地方自治主義の放棄、(2)教育の自主性の否認、(3)教育の中立性確保の忌避(4)指導助言から命令への傾斜、(5)条件整備という本来の任務の怠慢、(6)教育行政と民主教育に対する展望の欠如。



Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会