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TITLE:  私学における校長の裁量権
AUTHOR: 笠原 啓二
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第183号(1999年4月)
WORDS:  全40字×124行

 

私学における校長の裁量権

 

笠 原 啓 二 

 

 はじめに

  本校は97年の3月に校長、教頭が代わり4月より新体制で新学期がはじまった。この交代には様々ないきさつがあった。校長は退職、教頭は元の教員となった。新校長は中部地方の公立高校で長年校長をつとめその後私学の校長もつとめた人である。新教頭は大阪の公立高校を退職の後私学の教員をしていた人を抜擢した。これは本校の抱える問題を解決するための新人事であるという理事会の発表であった。これは理事会の決定であり、教員たちは新年度になるまでどのような人が着任するかわからなかった。

 新体制のスタート

  この年、年度末に教務内規の進級規定に抵触し職員会議の決定を経て成績不良で他校転出を命じられた中学部の生徒がいた。その一人が決定を不服として他校転出を受け入れず学校側と対立関係にあった。しかし、旧校長、教頭はそれを解決しないまま管理職を退いた。そこでこの問題は未解決のまま新年度をむかえることとなった。

  新学期に入った最初の職員会議で新校長は中学は義務教育であるから入学させた生徒は3年間面倒を見るということが学校の使命であるとし、この生徒の復学を提案した。これは教務内規ならびに職員会議の決定を覆すことであり、その意図並びに目的が教員たちには十分に納得できないものであった。校長は無理を承知でひたすらお願いするというかたちをとった。それに対し教員からも様々な意見が出されたが、結局はすべてを押しきる形で職員会議は終了した。これは今から思えば校長のお願というよりも自分の裁量権の強硬な行使の始まりであった。年度当初からから大変なスタートとなったがこの後も新管理職たちの強引な学校運営は続いた。

 学校改革の提案(1)

  次に学内の諸改革の名のもとに教員の既得権の取り上げが行われた。教員の既得権の取り上げとして最も大きなものは、半日の研修日のカットがあげられる。今までは週1回平日の午後が半日研修日とされており自宅研修(実質的には半休)が認められていた。しかしそれを次年度よりなくすことが改革の名のもとに提案された。

  本校では公立並みの週休2日制が導入されていない上に、どうしても土曜日の午後に会議や入試説明会が入ったり、日曜日の塾の入試説明会への参加などボランティアに近い勤務がつきまとう。そんな点などを考慮してこの研修日というものは組合が理事会との交渉の中で手に入れてきたものである。しかしこれが研修は学内で行い帰宅は禁止という形となった。それと引き替えというのでもないのだろうが、5、6、9、10、11月に月1回休業日を入れることが提案された。生徒向けには本校では公立並みの週休二日制がないための代替え措置であり、7時間授業やクラブの練習などによる生徒の負担を軽減するためでもあると説明された。しかしこれは教員向けには研修日をカットしたことに対する不満をそらすための代替え休暇的な意味合いもあった。しかし何かにつけてこの研修日のカットはその後の諸改革の中でも教員に対する校長の強引なやり方を印象的づけるものであった。その他細かいところでは、休日出勤や、土曜日の午後の勤務に関しては代休を取ることで埋合わせをし特別な賃金は払わないことを徹底してきた。また、早退などをする時はかならず年休届けを出し半休あつかいとすることもきちんと遵守するよう指導が入った。このことにより超過勤務に対するいわばヤミ休暇的なものなどがすべてなくなった。その一方で欠勤する時は必ず課題を作り授業に支障のないようにということが言われる。そこで教員は現実にはとても代休など取れる雰囲気ではないのである。それ以外にも出張費の見直しや諸経費の切り詰めなど有形無形の締めつけが厳しくなっている。例えば教科の出張を伴う研修なども以前はかなりの範囲が認められていたが現在では主催する団体や費用の額などかなり厳しいチェックが入る。そうなるとわざわざ管理職にくどくど説明をしてイヤミの一つも言われ、嫌な思いをしてまで研修会に参加しようと思う人もいなくなってくるのである。

 学校改革の提案(2)

  本校ではこれまで学校運営の中心は運営会議というものでなされ、それは教員の中から選出された5〜6名の代表と校長、教頭、理事長とで構成されていた。しかし、ここ数年この組織はしだいに多量の問題を抱えることとなりうまく機能しなくなってきた。そこで運営会議は廃止され、新たに部長会議に理事長、管理職が加わり合議のうちに公務の運営に当たることになった。部長はそれぞれその部に適任と思われる人が職員会議の席上で選挙で選ばれることになっていた。本校では部長の任期は2年で再選は妨げないというのが原則である。しかし、着任後2年を経過した今回の部長選挙では校長の本心は指名制にしたいのだろうが、いきなり指名制にしては反発が強いと見てか、部長選挙の票数の多い者十位までの中から校長が適任者を判断し任命することになった。これは教員たちによる選挙と校長の思惑との折衷案のようであるが結局は校長の気に入った人事になることは間違いないであろう。そこで今回の部長選挙の結果であるが、現職の部長がこの十位以内に全員納まった。しかし前職を引き継いだのは生指部長だけで他の部長はそれぞれ横滑りとなった。校長は適任者を選んだということであったが教員の間にはどうも釈然としない雰囲気が残った。

 組合との関係

  このような状況を組合側も手をこまねいて見ていたわけではない。しかし、校長は精力的な人で組合との話し合いを決して厭わないし、自分からも積極的に話の場を持とうとする。さらに長時間に渡る交渉も苦にならない。しかしけっして必要以上の譲歩はしない。彼の考えでは本校の理事は組合側にあまりにも譲歩し過ぎてきたという思いが強い。そこで話し合いならいくらでもやるが条件面などのことに話題が及ぶとガードが固くなる。

  一方、組合側も以前のように何が何んでも組合員の権利を勝ち取るというような時代でもなくなっている。生徒減少期で互いに苦しい財政状況がわかっているので理事会に金銭的にも条件的にもそう無理が言えないことは理解している。そんな中で、組合のほうがより経営者的な考えを持ち、自分たちが学校運営の一端を担っているという思いこみもを持ちつつある。そこで組合側に援助協力を頼まれると断り切れなくなってくる。そんな中でずるずると教員の既得権が取り上げられ、気がつくと労働強化が押し進められている状況となっていった。皆それぞれが不満は持っているが経営の危機が叫ばれると口に出しにくい面もあり不満は内にこもっていく。また組合員の数が教員の約三分の一なので、他の教員もそれほど組合に頼るというのでもなく、彼らたちも自分たちのグループの中のことは気にするが学校全体や教員全体に関しての権利には余り関心がないようである。このように校長は正面から組合員や教員たちとぶつかり合い、組合潰しを強硬に行うということはないが、現在の状況では知らない間に組合は骨抜きにされてしまったといえよう。ここでも管理職側の頭脳プレーにうまくしてやられたようである。

 校長の裁量権

  本校では新管理職の着任前までは職員会議の意向は管理職側も尊重した上での公務運営がなされてきていたし、教員側もそれをうけてそう無理難題を言うこともなくきていた。組合も団体交渉などの席でも無理な要求を出し理事会側と対立するというわけでもなかった。ところが新校長は、校長の裁量権を最大限に使って学校運営にあたり出した。当然職員会議で議論をしても最終決定権は校長にあり、校長は自分の意見を曲げないため教員の議論は無意味なものになってきた。そしてとうとう職員会議自体が単なる連絡機関となりつつあるのである。『教育法』(兼子仁著)などでも「職員会議には法律上の根拠なく、校長が職務命令によって召集し適当な審議を行わせる補助機関にほかならないという、補助機関説の解釈が存している」とある。しかし再度述べるがこれまでの学校教育の場では職員会議での議論や決定は尊重されてきたのである。それが職員会議の議論を無視して校長の裁量で学校運営は行うものであり、教員はそれに従うのが当然であるというのでは、職員会議のあり方の大きな変更である。これは今後の教員の志気にも大いにかかわってくるであろうし、当然予想される志気の低下は経営者にとっても生徒にとっても損と考えられる。

  また一方では私学は経営を如何に行うかという問題がある。公立の場合は自動的に予算がつくが私学は収入と補助金とで学校運営をしていかなくてはならない。そのためには管理職並びに理事会の指導性というものが重要な意味を持つ。だからといって教員の声を無視して学校運営は成り立たないのも事実である。そこで、この兼ね合いが大変に難しい問題となってくる。校長としては指導性を発揮し理事会に認められるためには少々強引な運営も辞さない。そこで裁量権の範囲がどんどん拡大してくるのである。あからさまには口に出さないが、私学は教育よりも経営であり、生徒がいなくては給料が支払えないのだという議論がある。だが、戦後数十年教育に携わる人々が様々な困難な状況の中で議論し目指してきた生徒の人権、教育条件の向上、教職員の権利等々を忘れてしまっていいのであろうか。私学が経営上の問題を解決するため、学校の特色を出すという名目の中で、生徒よりも自分たちの都合だけを考えている教育現場の状況は当然反省すべきであろうと考える。また教員も労働者の権利を忘れてただ管理職の言いなりに働くというものでもないはずである。私学を取り巻く困難な状況の中で、いま教育現場で見落としてはならない問題は何か考えてみる必要があろう。


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