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TITLE:  桃谷通信で出会った事から
AUTHOR: 伊藤 和雄
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第187号(1999年12月)
WORDS:  全40字×268行

 

桃谷通信で出会った事から

 

大阪府立桃谷高等学校(通信制)教諭  伊 藤 和 雄 

 

1.通信制高校に赴任して

  義務制の中学校に5年、新興の摂津高校勤務が7年、さらに旧制中学校以来の伝統の八尾高校勤務が10年、この後がらりと替わって底辺の困難校であった加納高の勤務が僅かに5年で桃谷通信制に転勤になった。3年間は通信制昼間部に、本年4月からは日・夜間部に勤務している。ここでの体験は実に貴重なもので自分の今までの「教育実践」に根源的な転換を迫るものでした。前半は桃谷通信での新鮮な出会いの風景を若干スケッチし、後半でそれらの体験から近年思うようになった教育は私事に過ぎないと言う見方を提示してご批判を仰ぎたい。

 

2.桃谷高校の風景スケッチ

(1) 異年齢集団の可能性

  桃谷高通信制は昼間部と日・夜間部がある。昼間部は月水金がスクーリング日、後者は日曜全日と月・金の夜間という事になる。昼間部の生徒は未成年が主体で、新中卒生と、転・編入生で勤労学生は少ない。なかには成人、主婦、高齢の男性もかなりいる。日・夜間部になると、勤労成人が中心で、夕方、校舎前のベンチに座って眺めていると、ちょっとした大学の趣がある。私のクラスで具体的に説明すると、不登校・病弱・障害者といった弱い立場の生徒が多い。成人が6名、お母さんが車椅子の息子と一緒に私のクラスにいる。たいへんな別嬪さんの成人女性がいて、小生はあがってしまう事さえある。どこか「普通」の体制から挫折した子供達だから、とても優しい。さらに成人、主婦が加わる異年齢集団だから、不登校の子供には、救われる空間になっている。在学中に妊娠・出産を経て卒業予定生になっている成人女性がいて、先日のバレーボール大会でも頑張ってられた。異年齢集団(実はこれが普通)には、競争社会の同年令集団にない、多様な可能性がある。

(2) 「卒業予定生判定会議」?

  先日、標記の会議がありました。その後、職員会議もあって、終わったのは午後七時。12時半から別の会議もあったので、午後の半日、会議室に缶詰。高校では、卒業判定会議はあっても、卒業予定生の判定なんて考えられない。ところが、桃谷は単位制で学年制ではない。しかも、転入・編入生は前籍校で様々な科目の単位を持ち、なかには旧課程は当然、それ以前の生徒もいる。故に、生徒は一人ひとり、多様な科目を履修しており、これを桃谷通信制の必修得・必履修科目、開講科目と読み替え、生かしながら卒業条件を超えるように正しく履修指導しなければなりません。これが困難な作業で、点検すると卒業条件にはずれる事があり、こうしたミスを防ぐためのようです。

(3) スクーリング(面接指導)の事

 スクーリング、通信制の授業の事、指導要領では、「面接指導」。私の世界史で、4単位で27回開講、単位認定の為の必要出席回数は、わずかに4回。二単位科目では、二回。随分少ないが、実験・実習科目は多くなり、物理四単位、30回で、16回、体育、三単位で30回の内、15回という具合。だから正に自学自習、計画的に学習すれば、登校をそんなに頻繁にしなくともいい。私が今日までに担当したスクーリングは、計8回、第一範囲で合計15回にすぎない。全日制の一週間の持ち時間が一学期の授業時数!

  授業時間は50分、当然その授業の主題は決められてあり、生徒はそれを承知して出席する。当方としては、その50分にレポートが書け、かつ興味深い内容を盛り込むために教材の準備を綿密にやる事にはなるが、どうしても頭が膨らんで、しっぽが削られてしまう。

(4) スクーリングの実態

  スクーリングにはたくさんの生徒が集まる。勿論、眠ったり騒いだりする生徒はいない。大教室があってここで授業をする時には持ち前の大声がいっそう大きくなってしまう。普通の教室でも溢れる時には廊下にパイプ椅子が用意してあって、生徒がそれを持ってくる。それでも納まらない時は、廊下に立ったままの生徒もいる。当然年度初めは参加者が多く、やがて減少する。起立・礼なんてやってる暇はない、すぐに授業に入って目いっぱいやる。その間に出席カードを回して、出席点呼という事になる。何人来ているかなんて確認できはしないから、このカードへの記入が出席確認のデータになる。ごまかして何人もの名前を書く事も勿論できる。この出席の記録をエンマ帳に転記する作業がまたたいへん。私が成績評価をしなければならない生徒が、私のスクーリングに出ているわけでもなく、出席番号順に座っているのではないのだから、エンマ帳のあちらを開いたり、こちらを開けたりの原始的手段で記録しなければならない。エンマ帳の使い方がまた異なる。

(5) レポートの処理

  レポートの提出は、4単位世界史で年間13回、指導要領の規定では、概ね1単位あたり3回のようだ。内容はほぼ定期考査の問題のようなものだが、私自身が世界史の第一範囲のレポート5枚を完成させるのに、約一週間。一枚に2時間。だから生徒諸君は、もっと時間のかかる困難な作業になる。完成したら、レポート右端にレポート提出表を貼付し、必要事項を記入し、さらにゼムピンで返信用封筒(送付先記入)を裏側に付けて提出。生徒は三ケ所に通信番号・氏名等の必要事項を記入する事になるが、まれに、記入漏れがあるけれども、ほとんど完璧に近い。これはなかなかの生活力と感嘆せざるをえない。ボックスから取り出すと、カウンターで、提出表に受付け日付印を二ケ所押し、ミシン目で半分を切って、そばの白いボックスに入れる。これを係りが、コンピューターに入力して、生徒個人別の提出状況一欄表になる。添削の終わったレポートから、評価と提出日をエンマ帳に記入する。これがまたあちらをめくりこちらを開きの原始的作業になる。

(6) レポート処理・提出の実状

  第一範囲(普通の学校の一学期)の世界史のレポートは、5枚、5月17日が一枚目の提出締切日、その後、ほぼ2週間毎に締切日がやってくる。この締切日をピークにしてレポートがボックスにやってくる。つまりレポートの添削が不断にある。こうしてコンスタントにレポートを提出している生徒は、およそ、半数弱でしょうか。担当生徒が約175名、単位認定の実態はまだ良く分からないが、半数近い生徒は問題なしにクリヤーするだろう。世界史は社会科唯一の必修得科目であり、入学してまず取る科目に普通はなるので、提出率はいいはずだと思うのだが、これが実状でしょうか。日・夜間の方は提出率は昼間部よりもかなり低くなるようです。

 

3.私教育の原理で教育の改革を、学校は親たちが作るものだ。

(1) 教育は私事に過ぎない

  教育は根源的に私事であるべきだ。桃谷高通信に集う異年齢、様々な過去を持つ生徒諸君の唯一の共通点は学びたいと自分で決心した事に他ならない。勉強したいからやってくる、それに応えて手助けしようという教員がいる事が我が桃谷の最良の部分だ。学習したい意欲に応えて教育が成立している。近代社会においては教育(宗教・信仰の内面教育)は私事、自由であった。親が子に自然に感化したのだ。だから原理原則的に親の教育権は保障された。だが近代日本では新文明としての学校教育が国定有償・強制義務教育として始まり、私事ではなかった。公教育の開始により親は子どもを学校で教育しない自由を失い、教育を独占した学校(公教育)は凡庸な教育の温床となり、七〇年代以降は荒廃を深めた。個の学習意欲を起点にしない教育改革は失敗に終わるに違いない。荒廃しているのは個々の生徒の学習の意欲なのだから。

(2) 福沢諭吉の教育私事論

  福沢諭吉は明快に教育は私事であるべきだと喝破している。「抑も子を教ふるは、父母の責任にして子を思ふの私情に出るものなり。(中略)左れば一国の政府たる者は公共の資金を費して国民の私の教育を補助するの義務ある可きやと尋ぬれば鄙見においては是れなしと答へざるを得ず」福沢は明らかに近代原理にのっとって教育を私事と規定し、国家権力が教育に干渉する事を否定し、始まる義務教育制度を批判している。経済的事情により自ら教育する事ができない国民のために公教育を開始するにしても3RSに限定している。「政府より費用を出して人民に私の教育を世話するの限界は、これをして普通に読み書き叉は聊か算術の心得あらしむるを以て足れりとするものなり。更に其上に歴史地理を授け叉博物究理を教ゆるが如きは父母本人の志に一任し、尚ほ之より以上高尚専門の教育となればなるほど、政府に於て其の費用を給するは餘分の世話なりと云はざるを得ず」 内面道徳、学習意欲に国家が介入する事を拒否する近代精神が輝いている。政治と教育の区別、文部省直轄学校の独立(私学化)を主張しているのは云うまでもない。

(3) 教育は私事である 再論

  教育は近代社会においては構造的に私事に属する営みであった。従って、国や地方公共団体が教育内容決定権を独占せず、私学教育の自由や家庭教育の権利が保障されていた。ところが産業社会に進展にともなって、工場をモデルにした一斉監視型の学校が成立し、「子どもの教育を受ける権利」を規範とする公教育体制が成立する、機会均等・義務制・無償制・宗教的中立性を法原理にしての公教育法体制がこれだ。そのために僅かに私学撰択の自由ぐらいを残して、我々は学校で教育しない自由を失ってしまった。当人の希望如何に関わらず一定年齢に達すれば学校に行かねばならない。しかも、私学を選択しない限り、公立義務教育は地域独占になっていて親・本人に撰択の余地さえない。本来学習、勉強というのは当人のがその気になってこそ始まる。それを原点と考えれば、自分が行きたい以外になんの規制もない学校があるべき学校の姿だ。桃谷通信の最良の部分はここに微かながらでも根ざしている。日本の近現代の学校システムは十全のものではあり得ない。次善の工場モデルに過ぎない。義務制は何かを圧殺している。

(4) 「義務教育」の錯覚

  高校の職員室で教員が説教する時に出る台詞がある。「高校は義務教育とちゃうんじゃ!」自分の意思で来たはずだと説教する。ここに言葉の錯覚がある。生徒本人には義務教育の就学の義務なんてさらさらありはしない。学齢児童・生徒の保護者に就学させる義務が規定されているに過ぎない。学校教育法二二、三九条だ。「保護者は子女が小学校(中略)の課程を修了した日の翌日以後における最初の学年の初めから満一五才に達した日の属する学年の終わりまでこれを中学校(中略)に就学させる義務を負う」これに市町村・都道府県の学校設置義務、授業料の不徴収、市町村の就学奨励義務が義務教育の内容だ。義務教育の授業料は営造物の使用料として私人が受けた利益の見返りとして支払うのが当然であった。その後、無償化されたのは国家的見地から、国家が受ける利益の方が大きいと判断したからだ。ところで、就学の義務を学齢児童・生徒ではなくその保護者に負わせたのは教育権は国家に第一義的にあるのではなく保護者、親の側にあるという当然の認識であろう。子供に学校へ行く義務なんて実はありはしない。

(5) 「民法八二〇条」の規定

  教育基本法では「国民はその保護する子女に九年の普通教育を受けさせる義務を負う」と規定し、子供自身が教育を受ける義務を国家から負わされてはいない。親の子に対する教育の自由は「自然権」であって国家以前のものだ。親に子供の教育についての権限がまずある。だから民法八二〇条はでは、「親権を行う者は、子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う」と規定し、さらに八二二条では懲戒権も与えている。つまり教育はまずは私事なのだ。だからといって親の恣意を放任するものではなく、その子供の成長、発達、学習権を保障・代位するものとして親の教育権が位置づけられている。学校は知識を与えられはしても、その子の人生の幸福と成長まで対応するものではありえない。子供一人ひとりにとって幸福のあり様は違い、個人性を持つ。従って親は家庭教育の自由を持つし、その協同化としての学校をかの「学童保育所」のように自立して建てるべきなのだ。それが不可能な巨大社会であるとすれば、「公」教育(私学も含まれる)の選択の自由は当然ある。本来、家庭教育で義務教育を実施する事も法認されるべきだ。

(6) 家庭義務教育の可能性

  実は戦前の教育法には家庭で義務教育を実施する事を予定し、法認していた。例えば、明治一二年の「自由」教育令一七条では「学校ニ入ラスト雖モ別ニ普通教育ヲ受クルノ途アルモノハ就学ト做スヘシ」とある。森有礼の学校令(小学校令第二二条)でも次の規定がある。「学齢児童ヲ保護スへキ者ハ其学齢児童ヲ市町村立小学校又ハ之ニ代用スル私立小学校ニ出席セシムヘシ若シ家庭又ハ其他ニ於テ尋常小学校ノ教科ヲ修メシメントスルトキハ其市町村長ノ許可ヲ受クベシ」明治三三年小学校令(第三六条)でもほぼ同主旨の文言がある。つまり、戦前の教育法は学校で教育しない自由を公認していた。戦後の立法は正に学校化した社会に絡め取られてしまっている。学校が教育機能を独占し、一定年齢の集団に就学を強制し、国定カリキュラムを押しつけ、フルタイムの出席を要求する事で自発的学習意欲を放棄させてしまう。学校以外の選択があっていい。学校があるために誰もが教育に手を出す事を思いとどまり、学校に任せてしまう。学校の教育独占は廃止されるべきだし、不参加権・拒否権もあるべきだ。

(7) 「公教育」の中の私事教育

  「公教育」は私教育の自由を前提にしている。私教育段階では教育の自由が尊重され、宗教的私立学校が中心であった。庶民向けには教会学校があった。その後、経済界の労働者への基礎学力の要求、国家的統合のための教育の必要性が叫ばれ「教育の自由」を前提に公教育が開始された。従って私立学校の設置は自由であり、家庭教育の権利は法認された。フランスでは義務教育を規定した一八八二年法においては「初等教育は公立もしくは私立の小学校もしくは中等学校で、または家庭で家長もしくはその選んだ他の人物によって行われる」と規定し、自らの信念によってわが子を教育する核心である宗教教育の自由が尊重され、親が必要とする宗教教育を実施する時間として日曜以外の一日を休み、親が宗教教育を与える時間を保障している。アメリカでは親の宗教教育のために出席免除時間制を取っている。英・独では公立学校での宗教教育の時間があるが、当然欠席の権利がある。途上国日本では、学校が新文明を宣布するお上の権威ある機関であったから、フルタイムの出席が要求され、「皆勤」が表彰されるべき模範になった。

(8) 私事の協同としての学校づくり

  「子どもの教育は、その最も始源的かつ基本的な形態としては、親が子との自然的な関係に基づいて子に対して行う養育、監護の作用の一環としてあらわれるのであるが、しかしこのような私事としての親の教育及びその延長としての私的施設による教育をもってしては、近代社会における経済的、技術的文化的発展と社会の複雑化に伴う教育要求の質的拡大及び量的増大に対応しきれなくなるに及んで子どもの教育が社会における重要な共通の関心事となり、子どもの教育をいわば社会の公共的課題として公共の施設を通じて組織的かつ計画的に行ういわゆる公教育制度の発展をみるに至り、現代国家においては、子どもの教育は主としてこのような公共施設としての国公立の学校を中心として営まれるという状態になっている。」以上は学テ旭川事件最高裁判決文よりの引用だが、実際の歴史はかくも単純に進んだ訳ではない。様々な価値観の相克があって教育条件を国家がその財政的経済的実力をもって整備して行く公教育が親の教育の自由・私教育原理を内包して成立したのだ。

(9) 続・義務教育の錯覚

  「義務教育」と言うとき、義務を負うのは親であって子どもではない事は以前に指摘した。それでは親の義務は誰に対する義務なのかと問えば、国家に対する義務と観念している人が多い。国家への義務であったのは戦前の話。これは子どもの教育を受ける権利に対する義務なのだ。憲法二六条は「国民各自が自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在している。換言すれば子どもの教育は教育を施す者の支配的権能ではなく、何よりもまず子どもの学習する権利に対応しその充足をはかりうる立場にある者の責務」なのだ。親の義務の対象が国家にあると考えるから、教育内容の決定権も国家にさらわれ、教育を国家独占させてしまう。「子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤った知識と一方的観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは許されない」とは最高裁の判示だ。

(10) 福沢諭吉のマニフェスト

  近代国家は個人の内面道徳には介入しないのが原則であった。従って教育内容からは宗教・道徳に関わる部分は避けられ、家庭教育、私的自治にゆだねられた。近代原理においては教育とは全人教育の事であって、学校のごときまがいものの工場のような施設でなされるものではなかった。従って学校でなされるべきものは教育(エデュケーション)ではなく教授(インストラクション)であった。教育と教授の区別がなされていたのだ。福沢諭吉はこのことを十分に理解していたから、人間教育を市民の私事とし、これへの国家権力の介入を拒否した。それが故に、国家が費用を出して教育に当たる場合は3RSに限界づけたのだ。ところが現実の国家史の展開は、かくも単純ではなく、国家が内面道徳に介入し、国民の道徳教師として立ち現れたし、途上国にあっては、より国民統合のための装置に学校は位置づけられた。教育基本法はこうした近代原理に立っているが、現実の教育行政はこの限定を当然のように裏切って行く。教育と教授を区分する事も教育行政を外的事項に限定する事も国家にとっては意味のない事になっているのだ。

(11) 義務制・無償制学校は正しいか?

  日本で義務教育が確定したのは森有礼の学校令による。授業料は営造物の使用料として徴収された。これが無償になるのは、明治三三年の小学校令による。義務制・無償制が自明の前提とされすぎ、背後にどのような論争と政治過程があったのかが手元の簡便な教育史では視野に入っていない。英仏では国家による無償・義務制学校の導入に対して長期間の論争があった。プルードンは「無償義務教育」は慈善制度として否定した。読み書き能力が仕事にありつくための手段として喧伝され、公教育は教会の支配する私立学校に対抗して世俗の学校を実現する機会になった。英でも労働者側から自己教育の思想に立って国定カリキュラム否定、労働者階級の自己教育論が盛んであり、これが公費教育要求に結実した。日本でも学校反対一揆や自由民権運動の中に自主学校設立があったはずだ。無償制義務教育は即国家統制に転化し、教育の自由の対立物になる。だからこそ国家は易々と授業料の不徴収を決めたのだ。義務制・無償制の教育は正しいのだろうか? 少なくも教育はお上に委ねるものではないだろう。

(12) 国民学校令による私事教育の全否定

  日本の小学校は公立学校としての単一のイメージがある。しかし実は、現今とは違う私学があり、夜間小学校もあり多様であった。「家庭又ハ其ノ他」(小学校令第三六条)での私教育もありえた。しかし、四一年(昭和一六年)国民学校令によって、その精神に反するものとして私立の「国民学校」、私立の「小学校」の存在は認められなくなった。「家庭又ハ其ノ他」での就学を認める条文もなくなった。国民学校令第八条は保護者に学齢児童を「国民学校ニ就学セシムル」義務を負わせ、私人による国民学校設置の条文を置かず、第四五条で「国民学校ニ非ザル学校ハ国民学校ト称スルコトヲ得ズ」とした。かろうじて私立学校令によって存続を認められたが、学務局通牒により国民学校や小学校という名称は使えず、「但シ何々学校(学園)初等科ノ名称ヲ用フルハ差支無シ」と相成ってしまった。もっともこれでは学習院初等科や陸軍幼年学校が矛盾するので第一一条による認定校になり、現に私立小に通う児童も国民学校就学とみなされた。私立小学校は一一条による認定を受けない限り新たに学齢児童を入学させる事ができないとされた。

(13) 「国民学校令」の精神

  この国民学校令の私学、私教育の全否定によって、全国の私立小学校は六七校に激減してしまった。国民学校令の解説書「国民学校法規精義」(船越源一)は次のように解説する。「国民学校は常に皇国の道に則る正しき教育を行ひ得る状態にあることを絶対に必要とするのである。然るに私立学校に於ては、職員の身分取扱其の他の関係上国家の期待する教育に間然する所なきや否や必ずしも明らかでない憾みがあるのである。特に国民学校の目的とする国民的情操、日本人としての世界観の養成は教育者の人格的影響に俟つところが頗る大いのである。知的外形的方面である学科課程、設備などは監督し易いが、其の人的要素により醸成される学校生活の雰囲気は、到底十分なる監督をなし難く、しかもこの感情的雰囲気は教育上影響する所甚大なのである」 家庭教育否定については、「知的教育のみを主体とするに非ざる国民学校教育を、家庭其の他の施設で行ふことは事実上不可能」であり、特に団体訓練は家庭では不可能だからとされた。

(和) 1999/11/13


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