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TITLE:  (書評)堤清二・橋爪大三郎編「選択・責任・連帯の教育改革」勁草書房刊
AUTHOR: 伊藤 和雄
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第188号(2000年2月)
WORDS:  全40字×34行

<超弩級教育改革案の紹介>

堤清二・橋爪大三郎編「選択・責任・連帯の教育改革」勁草書房刊

 

伊 藤 和 雄

 

  世間に喧しい「教育改革」のかけ声はともかく、所謂「困難校」に在籍し、そこでの「成果」が上がらなかった悪戦苦闘の果てに現任校に転勤し、自学自習の教育原理に出会うなかで、自分なりに教育改革の方向を把握し、考えたいと思っていた。例えば、藤田英典著「教育改革」(岩波新書)はなかなか良かった。内容はむしろ、現今の改革の方向には否定的で公立中高一貫校の設立や学校五日制に対する批判は説得力に富んでいる。やや保守的な改良主義に立って日本の学校教育の伝統を評価し、そのインフラを生かそうとしている。保守的な現場には適度な改革論だろう。

  教育問題についての論議は理想主義に立って議論される事が多い。この「業界」は積極的な活動をしたからといって良い結果が出るとは限らない、またその結果も科学的論理的に論証できはしない。だから現在の教育の病理を理想・理念に立って簡単に論断できる。藤田英典はそうした理念から自由に教育問題を解析している。諸外国のデータも豊富で、欧米での改革は日本とは逆である事を説き、教育の自由化・私事化・商品化へ向かう改革動向を批判している。

  私は教育はそもそも私事、自己教育という原理に立って新しく公教育を組立直すべきと考え、蟷螂の斧をかざす志であった。藤田の「教育改革」は随分と学校そのもの、そこでの生徒達、教員集団に対してオプティミスティックだなという印象を持った。学校という装置が本当になお必要なのか、改革すれば児童・生徒の学習への意欲と秩序が蘇生するのか、そもそも現場の教員に改革を主体的に受け入れ、創造的に受容してゆくガバナビリティがあるのか、学校へなんか行かない自由をきちんと押さえた改革案が欲しい・・・・・ 堤清二・橋爪大三郎編「選択・責任・連帯の教育改革」はたいへん素晴らしい、幼・保一元化から大学改革まで余す所がない感がある。

藤田英典や佐藤学(「教育改革をデザインする」岩波書店刊)の改革論は小中高については語っても、自らの大学改革については全く触れず語るに落ちる。堤・橋爪案との最大の岐路は公立小・中学校での学校選択制を導入するか否かにある。他の面では堤・橋爪案に抱合されると言える。

  「堤・橋爪案」は義務教育の学区制の廃止は当然として、地方公務員法の限界を破る教員派遣機構構想、高校卒業資格=大学入学資格を与える高検の創設、大学定員の廃止、キックアウト制の導入、大学学費の学生本人の自己負担原則、それに伴う大学奨学金制度、ローンの提案等々目を見張るばかりの斬新さだ。

  教育は私事である原理から公教育を構想しなおし、日本の教育の現状をリアルに認識し、戦後改革の上から与えられた自由・権利・民主主義を理念としてかざすのではなく、我がものとして発展させ、再構築する手段たり得る教育改革構想ではなかろうか。学区制を廃止して壊れるようなコミュニティなどしょせんファシズムの温床に過ぎないのではないか。

 

全国高法研 理論フォーラムのご案内

テーマ 今、問われる教師像

日 時 2000年3月31日(金)午後3時〜4月2日(日)12時

場 所 いこいの村 美の山

    埼玉県秩父郡皆野町大字皆野3415(tel 0494-62-4355)

日 程 第1日 報告T  「教育改革と教師の能力」(原田琢也 大阪高法研)

        学習会  「秩父事件実踏」(小出啓次 元秩父高校)

    第2日 フィールドワーク「秩父事件をたずねて」

    第3日 報告U  「『高校が崩壊する』を読んで」(河野克枝 埼玉高法研)

費 用 25000円(宿泊費二日分・懇親会費・フィールドワーク費)

申 込 青砥 恭  tel/fax:048-592-6423 E-Mail:aotoyasushi@yahoo.co.jp

    〒364-0003 北本市古市場3-51-103 郵便振替 00170-6-34940


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