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TITLE:  人種差別撤廃条約日本政府報告書の検討
AUTHOR: 伊藤 靖幸
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第191号(2000年8月)
WORDS:  全40字×200行

 

人種差別撤廃条約日本政府報告書の検討

 

伊 藤 靖 幸 

 

 1.はじめに

  子どもの権利条約の日本政府報告書、国際人権B規約の第4回日本政府報告書につづいて、人種差別撤廃条約の日本政府報告書が最近発表された。(報告書には1999年6月とあるが一般に公表されたのは2000年3月である。) ここ数年の間に、重要な国際人権条約の日本政府報告書が相次いで公表されているのである。ここでは、前回の子どもの権利条約についての私の発表の続編として、在日朝鮮人等のマイノリティの権利を中心に人種差別撤廃条約日本政府報告書の検討するとともに、この条約の意義について若干解説してみたい。

 

 2.人種差別撤廃条約とは

 1)制定の経過

  本条約の正式名称は「あらゆる形態の人種差別撤廃に関する国際条約」であり、数ある国際人権条約の中でも、子どもの権利条約・女性差別撤廃条約につぐ155ヵ国(2000年3月現在)の締約国を持っている。本条約の制定は、女性差別撤廃条約の1979年子どもの権利条約の1989年などよりもかなり早い1965年である。制定のきっかけとなったのは、1959〜60年にかけて欧米で反ユダヤ主義を扇動するネオナチによる暴動等が多発したことである。そうした情況をうけて、国連差別防止・少数者保護小委員会は1960年の1月に「反ネオナチ決議」を行なう。国連総会でも1963年の11月には前文と11ヵ条からなる「人種差別撤廃宣言」が決議された。しかしこうした決議や宣言では法的拘束力を持たないので、1965年12月に全会一致で本条約が採択されたのである。国連総会はわずか数年の間に、人種差別撤廃に関する宣言と条約を採択したことになる。本条約は1969年1月に発効したが、わが国は後述のような経緯があり、かなり遅れた1995年の12月になってようやく一部を留保した上で146番目の加盟国となった。

 2)本条約の内容

  本条約は前文と25ヵ条からなっているが、実質的な内容である第一部の実体規定は7ヵ条であり、B規約や子どもの権利条約のような包括的な人権条約に比べてコンパクトなものである。以下簡単に7ヵ条の内容を見ておこう。第1条は本条約に言う「人種差別」の定義である。本条約の人種差別は、通常考えられる内容に比べてたいへん広範なものである。差別の根拠となる事由としては、人種以外に皮膚の色・門地(discent)・民族的種族的出身があげられており、カースト制や部落差別在日朝鮮人差別等も含まれることは、明瞭である。また差別の様態についても「政治的、経済的、社会的、文化的またはその他のすべての公的生活分野における人権および基本的自由の平等な立場における承認・享有または行使」を妨げるものとあり、きわめて広範なものである。ただし、1条の2項3項では、国籍の有無による区別は特定の国籍を差別したものでないかぎり本条約の適用外であるとする。しかし内外人平等の原則等にもあり、国籍の有無による区別のすべてが本条約の適用外であると解されてはならないだろう。第2条は当事国の差別撤廃義務を定めている。ここでは、各当事国にあらゆる適切な手段により、あらゆる形態の人種差別を撤廃する義務を課している。単に政府による差別を禁じているばかりでなく、「いかなる個人、集団または組織による人種差別をも」禁止し終決させる義務を政府に課している事が、大きな特徴である。第3条はアパルトヘイトの禁止を定める。第4条では人種的優越主義に基づく差別および扇動を禁じている。上述の制定の経緯を考えればこの条文は本条約の中心とも言えるが、後述するように日本政府は日本国憲法との関係でこの条文の一部に留保を付している。第5条は様々な分野において法の前における平等の権利を保障する。第6条は人種差別に対し適切な救済措置を取ることを定めており、第7条では教育や文化の面で差別撤廃精神を普及させることを定めている。

 

 3.日本政府の対応

  日本政府は、上で見たように長期間にわたり本条約への加入を見送ってきていた。その理由については、アメリカ合衆国も未加入であったことや、政府の国際人権条約一般についての消極的な姿勢等が考えられるが、政府が公式に加入しない理由として説明していたのは、本条約4条と日本国憲法21条の表現の自由との抵触の問題であった。本条約の4条の(a)(b)は、人種的優越主義等の思想のあらゆる流布、またそうした団体の活動やそれらへの参加が法律で処罰されるべき犯罪であることを宣言することを政府に求めている。また(c)では公権力による人種差別の助長や扇動を禁じている。このうち(c)に関してはなんら問題はないが、(a)(b)については確かにやっかいな問題をはらんでいる。ナチズムの苦い経験を持つドイツ等では、いわゆる「たたかう民主主義」の立場、すなわち民主主義を否定する主義主張の言論や、政党の活動には自由を与えないという立場がとられている。しかし日本国憲法の場合は一般にそのような立場をとらないと解されており、人種差別を肯定・助長・扇動する言論活動であっても、言論活動にとどまっているかぎり、直ちに処罰する立法を行なうことは、やはり憲法21条に抵触する恐れが強いというのは正論であろう。そこで4条に留保か解釈宣言をつけて締結する方向が政府内で検討され、詰まるところ、4条の(a)(b)に「日本国憲法の下における集会、結社および表現の自由その他の権利の保障と抵触しない限度において、これらの規定に基づく義務を履行する。」という留保を付した上で本条約を締結したのである。

  さて、このような日本政府の本条約に対する態度は妥当であるだろうか。留保とは条約に参加する意志はあるが、条約の一部の規定が自国にとって好ましくない時に、その部分の法的効果を排除したり変更するために国家が行なう一方的宣言である。どのような留保が可能であるかは条約ごとに判断されるのだが、一般に当該条約の趣旨・目的に反する留保は認められない。4条の(a)(b)は本条約の中心的規定と考えられ、そこにこのような抽象的な留保を付けるのはよくないとの立場もありうる。しかしそうであれば、全く本条約に加入しないか、または日本国憲法と抵触するのを承知の上で本条約に加入するかということになる。私としては、本条約の全体の趣旨から当然加入すべきであると考えるし、4条が日本国憲法21条と抵触するのも事実なのでそのまま加入するのもやはり問題が多いと考える。外国では留保を付けずに加入して、しかも4条の趣旨を完全に満たした立法を行なっていない例もあるのだが、私としてはそういう方向よりも留保をきちんと付した日本政府の立場を支持したい。ただし、留保を付したから4条についてはそれでおしまいというわけではなく、日本国憲法と抵触しないぎりぎりの範囲で4条の趣旨を実現して反人種差別立法を行なっていく努力が求められると考える。

 

 4.日本政府第1回第2回報告書について

 本条約の9条は締約国に対して、効力発生後1年以内に最初の報告書をまたその後は2年ごとに報告書を提出することを求めている。1996年1月に日本で発効したので1999年にはすでに3年を経過しており、1回目と2回目の報告をまとめて提出することになったようである。(とはいえ、内容では1回目と2回目が区別されているわけではないのであるが)全体で113パラグラフ、資料つきで邦文では60ページの小冊子である。資料以外は7部に分かれており、Tが総論でU〜Zはそれぞれ本条約の2条〜7条に対応している。以下簡単に内容を見ておこう。(数字はパラグラフ番号を示す。)

 I.総論 

  3 日本国憲法における基本的人権尊重原理を説明している。憲法14条は法の下の平等を規定すると述べ、これらの人権は性質上日本国民のみを対象とするものをのぞき、わが国に在留する外国人にも等しく及ぶと外国人の人権について性質説の立場で説明している。ただし、ここにわざわざ注をつけて、この報告では外国人について取り上げているが、このことは日本政府が国籍に基づく区別を本条約の対象と考えていることを示さないという立場を表明している。

  5 わが国が締結した条約は、憲法98条2項により国内法としての効力を持つと明言し、直接適用可能性については具体的場合に応じて判断すべきものとしている。

 7 日本社会の民族構成は必ずしも明らかではないと述べている。ここでは政府はわが国社会に民族的多様性があると考えていることが明言されたことになる。約20年前のB規約の第1回報告では政府はわが国にはマイノリティは存在しないとしており、国際人権法システムの運用の中で政府の立場も変わってきていることがうかがえる。1991年のB規約の第3回報告にいたってようやく政府はアイヌをマイノリティであるとしてさしつかえないと認めたのだが、

  10〜15にかけてそのマイノリティであるアイヌの現状についてかなりくわしく述べている。16〜22で在日外国人の現状と人権について述べ、23〜33で在日韓国・朝鮮人について比較的くわしく述べている。24では在日韓国朝鮮人の基本的人権は憲法により保障されているが、日本国籍がないので参政権や入国の自由等通常外国人に与えられていない権利は与えられていないと権利性質説を確認したのち、歴史的経緯と定住性を考慮して種々の措置が行なわれてきたと述べる。30では在日韓国・朝鮮人の教育につき日本人と同様に取り扱っていると述べる。私は在日の彼らにとって、もちろん日本人と同様の教育の保障は必要であるがそれだけでは不十分であり、子どもの権利条約29条が指摘するような広義の民族教育が必要であると考えるが、子どもの権利条約の日本政府報告書では「外国人児童に対し当該国の言葉や文化を学習する機会を提供することは従来から差し支えないとされている」という消極的な記述で、しかも実際は韓国・朝鮮人が主たる問題であるにもかかわらず外国人一般の問題とされていた。本報告書では、日韓三世協議の際の「覚書」に触れて学校の課外で行なわれている韓国語や韓国文化等の学習について支障なく行なわれるよう配慮するとなっており、今度は韓国籍でない部分を無視した記述になってしまっている。

  31では韓国・朝鮮人学校について述べ、そのほとんどが各種学校であって、その修了者に高等学校卒業と同等以上の学力があるとは認定できないので、大学への入学資格は与えられないと文部省の従来の主張を繰り返している。ただ、とりわけ1998年のB規約の第4回審査・子どもの権利条約の初審査で国際的に批判されたことをうけ、外国人学校で学ぶ外国人生徒に大学進学の道を制度的に開くために、1999年9月には大学入学資格検定の受験資格を弾力化するとつけ加えている。確かにこの大検資格の緩和はつとに指摘されていた民族学校に対する差別問題について、全く小さな一歩ではあるが政府が改善の方向に動いたと評価できる。これについては、やはり本条約等の国際人権条約の影響が大きいと考えられるだろう。

  32では外国人の公務就任権につき、公権力の行使または公の意思形成にかかわらない公務員は必ずしも日本国籍を必要としないとして、在日韓国・朝鮮人の場合もその範囲で公務員に採用していると述べている。33では在日韓国・朝鮮人差別の問題について、確実に改善の方向に向かっているとする。しかし、一方で日常生活において依然私人間での差別が見られ、そうした状況の中で、在日韓国・朝鮮人の中に偏見や差別を恐れて日本名を通称として使用する場合も見られると指摘している。ここで政府公式にが在日韓国・朝鮮人の名前の問題を指摘していることは率直に評価しておきたい。

 IV.4条関係

  50・51で4条の(a)(b)に留保を付した理由を述べている。表現の自由の重要性から、表現行為の制約にあたっては過度に広範な制約は認められず、他の基本的人権との調整をはかる場合でもその制約の必要性・合理性が厳しく要求されるとし、さらに罰則によって制約する場合はより一層厳格に適用されるとする。そして4条の定める概念は非常に広いものが含まれる可能性があり、それらのすべてにつき現行法制を越える刑罰法規をもって規制することは憲法と抵触するおそれがあるというのである。さらに、社会の人権意識は、表現の自由によって保障されている自由な言論等を通じて高められるていくべきものであるとする。この政府の言明については、日本政府はこれまでそれほどに言論の自由を大事に考えていたのか、公務員法制では争議行為のあおりそそのかしを処罰しておきながら差別の扇動は処罰できないというのかとの反論もありうるが、上述したように基本的には正論であると考える。57で在日朝鮮人児童生徒に対する嫌がらせ・暴行事件についての政府の取り組みに触れている。

 V.5条関係

  66・67では参政権について述べ、基本的に国政も地方選挙でも人種・民族の差異なくすべての国民に平等に与えられているとし、憲法15条により国民固有の権利でありその性質上外国人に及ばないとする。ただし、地方自治体においては「外国人市民代表者会議」等を設置したりして、在日外国人の意思を反映させていることを付言している。68では在日外国人の公務就業権について、32と同じく公権力の行使および公の意思の形成への参画に携わる公務員は日本国籍が必要であるとしている。84ではいわゆる1条校に通う在日外国人には、課外に当該国の言葉や文化を学習する機会を提供することは従来から差し支えないとされている趣旨をくりかえしており、さらにインターナショナル・スクールなどの外国人学校は、各種学校として「その自主性は尊重されている」とする。強制的に解散させられた事もある民族学校の苦難の歴史に鑑みれば、各種学校なので自主性は尊重されているという言い方は非常にしらじらしいものを感じる。

 VII.7条関係

  108では小・中・高で教育活動の全体を通じて人権尊重に関する内容を指導するとともに、国際理解教育の推進を図っているとし、とりわけ社会科や道徳で人権関係の国際法の意義と役割、基本的人権の尊重について指導していると述べている。細かいつっこみをいれれば、社会科(social study)も道徳も高校にはないはずであるがそれはともかく、この項は現場の教師から見ていかにも「作文」っぽい。110では人権教育のための国連10年国内行動計画に触れている。

 

 5.本条約の影響

 1)本条約を援用した国内判決

  一般に国際人権条約は国内法に優位する国内効力を持つが、現実にはわが国の裁判所は国際人権条約の援用にはたいへん慎重である傾向が強い。B規約の第4回の審査の総括所見において、規約人権委員会から裁判官に国際人権法を教育するように勧告されているほどである。しかし、最近では国際人権条約を援用した判決がみられるようになってきた。本条約については、静岡地浜松支判1999・10・12「外国人入店拒否訴訟」が参考になる。これは宝石店に入店していたブラジル国籍の女性が外国人である事を理由に退出を強要され警察官を呼ばれたという事件である。判決は被告の行為を民法90条の不法行為であるとして、150万円の損害賠償の支払いを求めた。その際に、不法行為の要件の解釈基準として本条約の実体規定を援用したのである。国際人権法の援用の手法として、直接適用するためには当該の規定が自動執行的であることが必要であるとされるため、そうした検討を必要としない間接適用の方が用いられやすい。間接適用とは国内法の解釈基準等として国際人権法を適用することであり、民法90条の解釈基準として本条約を適用したこの判決はまさに条約の間接適用の例である。また憲法の人権規定を私人間に適用するにあたって、間接適用説が通説となっているが、本判決は国際人権条約を私人間に適用するについても間接適用説の立場によることを示した事になる。

 2)石原東京都知事の「三国人」発言について

  周知のように石原都知事のこの4月の自衛隊記念式典での発言が問題になっている。ここでは詳しく検討はできないが、本条約2条は国や地方のすべての当局や機関が、個人や集団・団体に対する人種差別の行為・慣行に従事しないという義務にしたがって行動するよう確保することを定め、また4条の(c)は国や地方の当局や機関が人種差別をを助長したり扇動することを認めないと規定しており、都知事の公的な場での発言である石原発言はこれらの条文に抵触する可能性がある。(上述のように4条の(c)は留保の対象ではない)ともあれ、石原発言を含めたわが国の人種差別撤廃状況は2001年春に予定されている国連人種差別撤廃委員会の審査で検討されることになる。長い目でみれば大検の受験資格緩和に見られるように、日本政府の政策も国際人権条約の実施にともない変化を見せてきている。本条約の実施によりわが国の人権が改善していくことを期待したい。


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