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TITLE:  矛盾だらけの教員免許更新制
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 愛知高法研ニュース 第103号(2007年9月)
WORDS:  全40字×433行


矛盾だらけの教員免許更新制


羽 山 健 一



はじめに


  かつて、中央教育審議会(中教審)は2002年答申において、教員免許制度の導入について、@教員の適格性確保のための制度として、A教員の専門性向上のための制度として、という2つの視点から検討を行い、いずれの場合でも更新制の導入には「なお慎重にならざるを得ない」という見解を示していた [1] 。ところが、この見解の前提となる状況に変化がないにもかかわらず、再度の諮問を受けた中教審は2006年の答申で方針転換をはかり、その導入を提言した [2]
  これに対して、内閣府に設置され新自由主義改革を唱える、規制改革・民間開放推進会議は、中教審の提言する更新制の導入が参入規制につながるものであって、教員の資質向上策としての「有効性には疑義」があるとしていたが [3] 、最終的には、「分限免職を行う上での要素として活用可能な制度」として、その導入にゴーサインを出した [4] 。また、政府に設置された教育再生会議は、設置当初より不適格教員を排除するための制度として、更新制の導入を唱えており、中教審の提言に対して「講習受講のみで更新するのではなく、厳格な修了認定とともに、分限制度の活用により、不適格教員に厳しく対応することを求めます。」として、「真に意味のある教員免許更新制の導入」を主張した [5] 。ともあれ、政府はこうした指摘を受けながらも、中教審の提言する制度設計に沿って更新制の制度化を図った。
  教育基本法の改正を経て、教育関連3法が2007年6月20日、可決・成立した。その内容は次の3項目である。@学校教育の目標に愛国心などの徳目を盛り込み、学校に副校長、主幹教諭、指導教諭の職をおくことを定める学校教育法の改正、A文部科学大臣が教育委員会に対し「指示」及び「是正の要求」を行うことを可能にする地方教育行政法の改正、B教員免許更新制を導入し、指導力不足教員に対する人事管理システムの厳格化を図る、教育職員免許法及び教育公務員特例法の改正。これらの改革は一体となって、近い将来、学校現場に大きな影響をもたらすと考えられるが、ここでは免許更新制に絞って、その制度の構造や問題点について整理することとする。


1.更新制とは


(1)更新制の意義
  免許状の更新制度というのは、免許状に有効期限を設け、その期限の満了とともに当然に免許状を失効させることを前提として、一定の要件を満たした者についてのみ免許状を更新し、その法的資格をさらに継続させるというものである。
  教育職員免許法は「教育職員は、この法律により授与する各相当の免許状を有する者でなければならない。」(第3条)と定めているため、免許状が失効し、この資格要件を欠くに至った場合、公立学校の教員であれば、地方公務員法上の失職に該当する(同法第28条第4項)。失職とは、職員が、職員になることのできない法令上の欠格条項に該当するに至った場合に、当然かつ自動的にその職を失うことをいうのであって、分限処分等と異なり、法律上、何らの行政行為、手続も必要とされない。最高裁は、臨時免許状の失効にもとづく失職について、「免許状を有することは教育職員の資格要件であり、この要件を欠くに至つた場合には教育職員を当然に失職するものと解するのが相当である。」として、関係法条の解釈を確認した [6] 。これは、臨時免許状の有効期限満了とともに教育職員検定の出願をした者が、検定に不合格になったために、免許状が失効し失職した事例であるが、同様の事例において文部省は、当該教員に対し分限による「免職処分を行なう必要はないが、法律関係を明確ならしめるため、失職を確認するための通知を行なうべきである」としている [7] 。なお、教育職員免許法3条には罰則規定が設けられており、「相当の免許状を有しない者を教育職員に任命し、又は雇用した」者、並びに、「相当の免許状を有しないにもかかわらず教育職員となつた者」は罰金に処することとしている(教育職員免許法22条)。
  かつて有倉は、助教諭の臨時免許状の再出願と免許状の更新について、更新されるかどうかは教員の需給関係に左右され、「組合活動の抑圧策として、[教育職員免許]法第3条を根拠に、臨時免許状の有効期間満了と共に交付を願い出ても交付せず、実質的に免職処分にしている例が多い。」として、恣意的な運用の実態を指摘していた [8]

(2)更新制の目的
  中教審は2006年答申において、「その時々で求められる教員として必要な資質能力が保持されるよう、定期的に必要な刷新(リニューアル)を図るための制度」として導入するべきであるとして、その導入の趣旨・目的を述べている。その一方で、同答申は「更新制は、結果として、教員として問題のある者は教壇に立つことがないようにするという効果を有している。」と認めているので、この制度が、@教員の専門性を向上させる機能と、A教員の適格性を確保する機能という2つの機能を備えたものとして設計されていることが分かる。
  ところが、中教審2006年答申はこの制度が「いわゆる不適格教員の排除を直接の目的とするものではない」ことを各所で強調しており、また、国会での提案理由説明においても、政府は同答申とまったく同じ説明を繰り返している。しかしながら、教員の資質能力の保持向上のみを目的とするのであれば、先にみたような強権を伴う更新制を導入する必要はない。つまり、この更新制は明らかに不適格教員の排除をも目的としているのであって、ことさら、これを「目的とするものではない」と言う中教審答申も政府説明もまったくの詭弁でしかない [9] 。なぜなら、更新制は一定期間後にすべての免許状を一律に失効させ、適格者についてのみ免許状を更新するという制度であり、本質的に不適格な者の排除を伴う制度であるからである。

(3)法制度上の整合性
  かつて、中教審の2002年答申は、「我が国全体の資格制度や公務員制度との比較において,教員にのみ...更新制を導入することは,なお慎重にならざるを得ない」と述べていた。これに対し、2006年答申は資格制度や公務員制度との調整を行わないまま、更新制の導入を提言した。その理由は次のとおり。@更新制は任期制とは異なり、「教員として日常の職務を支障なくこなし、自己研鑽に努めている者であれば、通常は更新されることが期待されるもの」であって、更新制の導入により、任期制を教員についてのみ導入する結果とはならない。A「本来、資格制度の在り方は、当該制度の特性や業務の性質等を踏まえて検討されることが基本」であって、教員免許は、その特性上、他の職業資格と比べて、更新制を導入する必要性が高い [10] 。しかしながら、@にあるように、「通常は更新されることが期待される」ものであれば、教員の資質向上に顕著な成果が期待できるとは考えられないし、もともと、更新制という他の公務員には見られない強権的な制度を教員にだけ導入することについての説明はない。また、Aでは、医師や弁護士などの職業資格には存在しない更新制を、教員免許だけに導入する理由は何かについて、「その特性上」としか説明がなされていない。これらの法制度上の問題点については、更新制の実施後、訴訟などによって司法判断を受けることになると考えられる。
  この問題について、政府側も一抹の不安を抱いているようであって、国会審議の中で伊吹文明文部科学大臣は更新制についての次のように述べている。
 「やはり一応職業免許として交付をしている免許状を、駄目教師だからといってその免許を強制的に失効させることによって失職させるということは、法制局的に言えば私は非常に難しいと思います。」 [11]
  この発言は、更新制の下で更新を認められない者を直ちに失職させることが、「法制局的に」難しい、つまり、法制度上の問題が十分に解決されていないという認識を示したものであると考えられる。伊吹氏は続けて、更新講習修了の認定を受けられない者は分限処分の対象となると述べており、これによれば、この更新を認められない者を直ちに失職させるのではなく、今回改正された教育公務員特例法の指導力不足教員に対する人事管理システム(第25条の2)の手続にのせることを想定しているものと考えられる。すなわち、更新を認められない者について、任命権者が「指導力不足教員」の認定を行い、指導改善研修を受けさせ、1年後、改善がみられない者については分限免職処分を行うというものである。この期間は、その者の教員としての身分を剥奪したとしても、教員以外の職に充てておくことも可能であろう(地方教育行政の組織及び運営に関する法律第47条の2)。
  この「更新の不認定、免許状の失効、失職」という制度上の当然の帰結を避けようとする運用は、「今回の更新制は不適格教員の排除を目的とするものではない」という、先の政府の説明と結びついているように思われる。しかし、このような運用が為されるにしても、免許状の更新を認められない者は、一定の手続に則って、免職されることには変わりがない。


2.更新制と不適格教員の排除


(1)免許制度と任用制度
  この更新制は、前述の教育再生会議や政治サイドから、「不適格教員を排除するための制度」としてその導入が主張されてきた。世論の後押しがあったのも、このような立場からである。ところが、更新制は不適格教員の排除のための制度としては適当ではない。その理由は次のとおり。@不適格を疑われる教員がいるとすれば、10年ごとの更新時期を待つまでもなく、迅速に対応すべきである。A適格性の判断は、30時間の講習後の修了認定では適切に判断できるものではなく、継続的な勤務実態の把握が必要である。教員の適格性は、自動車運転免許の更新時における視力や身体能力検査のように画一的に測れるものではないからである。したがって、更新制によって実現できる教員の適格性はきわめて限定的なものになる。Bそもそも、免許制度は個人が何を学んだかを公証するする制度であり、免許状を保有していても適格性に問題のある者については、採用しないようにするとか、採用されている者については分限処分等を行うことで対処すべきである。つまり、不適格教員への対処は任用制度によって対応すべき性格のものである。

(2)不適格教員排除のための制度
  不適格教員や問題教員などを教育現場から排除するための制度は、次に挙げるように多様に整備されている。
 @条件附採用期間  地方公務員については6カ月間とされている条件附採用期間が、教員については、1年間とされている。(地方公務員法22条、教育公務員特例法12条)
 A指導改善研修  指導が不適切な教諭に対し指導改善研修を実施し、改善が不十分な教諭に対して免職などの措置を講じることとする。(今回の法改正により追加された教育公務員特例法第25条の2、第25条の3、施行は2008年)
 B配置転換制度  指導が不適切で、かつ、研修等の措置が講じられても改善が不十分な教諭を、教員以外の職に採用することができる。(地方教育行政法第47条の2)
 C分限処分(地方公務員法28条)
 D懲戒制度(地方公務員法29条)
  E免許状の失効及び取上げ  懲戒免職処分または懲戒解雇を受けたとき、その免許状は失効または取り上げられる。(教育職員免許法10条、11条)。今回の法改正により、分限免職処分または分限処分に相当する解雇を受けたときも同様の扱いとなる(施行は2008年)。したがって、ひとたび懲戒免職、分限免職等の処分を受けた者は、その者が保有していた免許状は失効するので、そのままでは、他の都道府県においても教員として採用されることは不可能となる。

  このように不適格教員や問題教員を排除する制度は十分すぎるほど整備されており、これらに加えて更新制を導入する必要性は乏しい。一部の不適格教員を見つけ出すために、更新制という形で、全教員に対する一斉の資格検査を行うことは、無駄であるだけではなく、弊害も大きい。たとえば、更新制は、学校現場において資質能力に問題のある教員が広範に存在しているということを前提とするものであるから、教員には不適格者が多いという偏見を助長させる。


3.更新制は教員の資質向上に役立たない


(1)教員の資質向上策
  今回の更新制は「教員の資質の保持と向上を図るため」、導入するものであるとされているが、資質の保持向上のための制度はこれまでに多く導入されており、これらの制度の実効性についての検証が十分なされないまま、また、これらの制度との関係も整理されないままに、更新制が導入された。既存の制度には次のようなものがある。@教員養成課程=免許状授与の要件(教育職員免許法5条)、A教員採用選考(教育公務員特例法11条)、B初任者研修(教育公務員特例法23条、1989年施行)、C10年経験者研修(教育公務員特例法24条、2003年施行)、D教員評価システム(各教育委員会による)。
  とくに10年経験者研修は、中教審の2002年答申が、更新制の導入に代えて新たに構築することを提言し導入されたものである。そのため、今回の更新講習は10年経験者研修と、その内容や時期が重なる。資質の保持向上のためには、既存の研修制度を有効に運用する方途を考えるのが妥当な政策であり、更新制の導入は「屋上屋を架す」ものである。

(2)10年ごとの更新講習
  更新制の目的が政府の説明のように「その時々で求められる教員として必要な資質能力」を保障することであるとすれば、10年ごとの更新講習ではその目的は達成できない。10年も待っていては意味がないことは分かりやすい道理である。つまり、必要なときに必要な研修を実施するべきであり、日常的な研修の充実こそが求められる。

(3)共通の講習内容
  更新講習の内容は、学校種や教科種に関わらず、「およそ教員として共通に求められる内容」が中心になる。政府の説明によれば、講習内容の80%はすべての教員に共通する内容で、残りの20%については、各教員が選択できるように工夫することを検討しているという。したがって、教員一人一人のニーズに対応する更新講習は期待できない。つまり、学校の種類(幼稚園、小学校、中学校、高等学校、中等教育学校)、教科の種類、免許の種類(専修・一種・二種)に関係なく、また、免許取得から10年目の教員、20年目の教員、そしてペーパーティーチャーさえも基本的に同じ内容の講習を受けることになる [12] 。同じ学校種においてさえ、地域や学校の実情によって求められる知識、資質能力は異なる。それをいっさい切り離して、すべての教員に共通の講習を受けさせることによって、どれほどの資質向上の効果が期待できるのであろうか。
  法律では、講習の内容について、「教員の職務の遂行に必要なものとして文部科学省令で定める事項に関する最新の知識技能を修得させるための課程であること。」(教育職員免許法第9条の3第1項第1号)と定められているだけで、具体的な内容は省令で定めることになっている。この点につき、2006年答申では、更新講習の内容は、大学の教職課程の中に必修科目として新たに設定される「教職実践演習(仮称)」という科目と同様の内容を含むものとすることが提言されており、これに従い、更新講習を行う各大学では、カリキュラムの検討がすすめられている。つまり、既に教員免許を取得した者が10年ごとに受ける更新講習と、これから免許を取得しようとする学生が受講する科目とが、教職実践演習という同じ枠組みにのっとって行われるわけである。大学側としても、この性格の異なる二つの講習なり講義にふさわしい内容を盛り込むことに苦心するであろうが、それは容易ではない。教育学における様々な言説、知見の中から、「その時々で求められる教員として必要な資質能力」や、「およそ教員として共通に求められる内容」とは何かを確定するだけでも困難な作業であろう。

(4)膨大な数の対象者
  現職だけでも約110万人の教員がいるなかで、更新の対象者は毎年約10万人という膨大な数になる。この10万人の対象者に30時間の講習を実施するには大学教員の数、教育委員会職員の数も不足している。そのため更新講習の質は劣悪なものにならざるを得ないと考えられる。中教審2006年答申は、前述の教職実践演習の授業方法について、「役割演技(ロールプレーイング)やグループ討議、事例研究、現地調査(フィールドワーク)、模擬授業等を取り入れることが適当である」と述べているが、大量の対象者に受講の機会を提供するためには、一斉講義の形式が中心とならざるを得ないであろう。

  このように、更新講習の具体的内容をみれば、更新制は教員のニーズに応じた資質向上に役立つものとならないことは明らかである。単純に、講習時間だけをとってみても、10年経験者研修は校外、校内あわせて40日間(200時間)程度で、更新講習は30時間である。それにもかかわらず、中教審の2006年答申は、更新制は「教員が、社会構造の急激な変化等に対応して、更新後の10年間を保証された状態で、自信と誇りを持って教壇に立ち、社会の尊敬と信頼を得ていくという前向きな制度である。」と説明している。僅か30時間の講習で「自信と誇り」が持てるようになり、「社会の尊敬と信頼」が得られるなどという説明は、誰も本気で信用しないであろう。中教審や政府の説明は見えすいた虚言といっても過言ではない。


4.引き起こされる問題


(1)行政による教員統制の強化
  更新制は、失職を伴う制度であり、教員の身分を一般公務員よりも不安定にする。これは新教育基本法第9条第2項に定める「その身分は尊重され、待遇の適正が期せられる」という条項に違反する疑いがある。たしかに、政府が言うように「通常は更新することが期待できる」のであり、おとなしく素直に受講すれば身分は保たれるのかもしれない。しかし、自動車運転免許の更新と異なり、教員免許の更新の認定には客観的基準がなく、恣意的運用の余地が残されており、免許状が更新されるかどうかについて、多分に教育行政の意向が反映されることは免れない。
  更新講習の内容には「教職実践演習」と同じ次の4項目が含まれる。@使命感や責任感、教育的愛情等に関する事項、A社会性や対人関係能力に関する事項、B幼児児童生徒理解や学級経営等に関する事項、C教科・保育内容等の指導力に関する事項。そして、更新講習の修了の認定については、「開設主体が、国が定める認定基準に基づき、あらかじめ各講習科目の修了目標を定め、受講者の資質能力を適切に判定した上で、修了の可否を決定する」ことになる(中教審2006年答申)。この4項目には、主観的、抽象的内容が含まれていることから、修了目標や修了認定基準についても客観的なものとはなり得ない。また、修了の可否の決定について、これを行う大学等の講習開設主体と教育委員会との力関係を考えると、教育行政の意向が講習開設主体の判断に影響を与えることも否定できない。
  教育行政による恣意的な権力行使は、これまでに懲戒処分、分限処分、転任処分、研修命令等が恣意的に運用され、多くの訴訟となって争われていることからも予測される。したがって、教育行政は、失職を「脅し」として教員を支配する、これまで以上に強力な権限を得ることになる。そして教員は、失職の危険を考えると、教育行政を批判したり、その意向に抵抗することに躊躇せざるを得なくなる。更新制の実施によって、これからの教員は、従順でなければ仕事を続けられないということを、10年ごとに思い知らされることになろう。
 教育行政の意向に反して教員が抵抗している典型的な例が日の丸・君が代の問題であるが、更新制を審議する国会において、更新講習における日の丸・君が代の取扱いについての議論が行われた。少し長いが議事録から引用する [13]

○川内委員 (略)講習の始まりのときに、その講習を設定する側が日の丸を掲揚し国歌を斉唱しなさいと言うことは僕は自由だ、それはやっていいというふうに思いますが、それに従わなかったからといってそれが評価の対象になることはないという理解でよろしいですね。法的にですよ。
○銭谷政府参考人 まず、免許更新講習の内容は、教員として必要とされる知識や、あるいは生徒を把握し、教えるための技術といったようなことが講習内容となるわけでございます。ですから、例えば学習指導要領の内容ということが講習の内容に入ってくることは当然あり得るわけでございます。学習指導要領の内容として国旗・国歌の取り扱い等について触れることがありますし、それを踏まえ、教員に課せられる服務上の義務でございますとか、非違行為があった場合の扱いなど、こういうのも講習の内容には含まれ得るものでございます。ただ、その更新講習の修了の際に、いわば個々の教員の思想、信条をチェックするようなこと、こういうことは考えていないということでございます。
○川内委員 それが評価の対象にはならないと、国民の皆さんにわかりやすい言葉を使っていただきたいんですが、それは評価の対象ではないということを御答弁いただけますか。私の質問に対して答弁してください。
○銭谷政府参考人 いわば教員の内心の問題でございますから、そういうことは評定の対象にはならないということでございます。
  講習前後の国旗掲揚・国歌斉唱を拒否することが講習修了の評価の対象とならないというのは当然の結論である。しかし、講習内容そのものが、行政解釈一辺倒の偏った内容になる可能性もあり [14] 、さらに、受講者がレポートなどに講師の説明に反して、「学習指導要領は法規ではない」、「儀式において君が代斉唱の拒否はできる」などという見解を述べた場合、マイナス評価になるかどうかについては、「個々の教員の思想、信条をチェックするようなこと」は考えていないとあるだけで、この回答からは明らかにされていない。

(2)教育活動への影響
  更新制により失職の可能性が生まれるために、教員にとって自分の免許が無事に更新されることは最優先課題となる。教員免許は個人の資格であることから、更新講習の受講は職務とはされず、基本的に土曜、日曜、夏期休業中など勤務時間外に行われることになる。そのため、政府は更新講習の受講が教育活動に影響を与えることはないと説明している。しかし、更新講習が土曜、日曜に行われようが、夏期休業中に行われようが、それが児童生徒の指導と重なることは当然に起こりうる。そのような場合、教員が子どもの利益よりも自分の身分を確保することを優先し、無意味な講習だと思いつつも、更新講習を受講するほうを選ぶとしても、これを非難できるものではない。
  更新制を含めて不適格教員を排除する制度は、過剰に整備されている。そのために、教員が指導力不足を疑われるような教育実践を避けるようになり、新しい教育実践への挑戦意欲や、試行錯誤によって体得できるような問題解決能力が低下するなど、教育活動全体が萎縮することが懸念される。そして、教育行政の定めた指導方法やマニュアルが絶対視されるようになり、教員がマニュアル人間化する。教員同士が実践の中でお互いに学びあうという風土が失われ、行政研修に依存する傾向が強まる。中堅クラスの教員も後輩教員の指導どころではなくなり、後輩教員のほうも先輩教員のアドバイスよりも行政研修の知識を重視するようになり、個人主義の風潮が広がり、若い教員が育ちにくくなる。このようにして更新制はこれまで日本の教育を支えていた教員社会における協同性を破壊してしまう危険性を孕んでいるといえよう。

(3)教員の人材確保を困難にする
  更新制は教員の資質向上を目的として導入されたものであるが、どのような資質向上策であっても、優秀な人材を確保できてはじめて意味のあるものになる。ところが、近年、教員の需要にあたる採用者数は拡大し、逆に供給にあたる教員志願者は減少して、教員の人材確保が困難になりつつある [15] 。さらに、この時期に更新制を導入することによって、教員志願者の減少に拍車がかかり、教員の人材確保が壊滅的な状況に陥ることは避けられそうもない。したがって、更新制は期待するような資質の向上の成果をあげることはできないであろう。この間の、教員の需給を左右する要因を次に列挙する。
 @教員免許を取得する学生の減少
  教員養成課程において、取得単位数が増大し介護体験などが必修化されるなどして、学生の負担が増大しているなかで、更新制の導入により教員免許の効力が10年で消滅することになったので、これまで「教員免許を取得しておきたい」と考えていた学生も、「どうせ取得するなら、生涯有効な資格を取得した方が有利だ」と考えるようになり、教員免許を取得する学生が減少する。
 A教職の魅力の減退
  これまでにも、教育現場の困難化に伴い教師には過大な要求が突きつけられ、さらに、マスコミ等による教師パッシングが盛んに行われるに及んで、「教師はたいへんな職業である」という認識が若い人の中にも広がっている。ただでさえ、教師の仕事は長時間労働でストレスが多く精神的な疾患になる教師が増えており、若者にとって将来をかけるには危険な職業であると捉えられがちなところに、今回の更新制の導入によって、10年ごとに職を失う可能性が生じ、身分が不安定になると、ますます教職の魅力は失われていく。教師の魅力には「自分の判断で、自律的に仕事ができる」ということがあったが、これも教員管理の強化によって失われつつある。また、教員の給与における優遇措置についても、これを定める人材確保法の見直しが進んでいる [16]
 B退職者の増大
  団塊世代が定年をむかえ大量に退職をする、いわゆる2007年問題がもう既に始まっている。それだけではなく、この時期に、教育現場の管理強化や労働条件の悪化に疲弊し嫌気をさし、あるいは心身の疾病のために、定年前に退職する者や新任教員の退職者も増加の傾向にある。
 C景気の回復
  景気が回復しているという実感は伴わないものの、企業の業績は確実に改善しており、じょじょに雇用の拡大が見込まれている。一般に、好況時には人材が民間企業に流れ、教職など公務員の志願者が減る傾向にある。

  以上をまとめると、団塊世代の大量退職により教員採用枠の拡大する時期に、ちょうど、景気回復が重なり、教員の需給バランスが崩れ教員不足の状況が顕在化してきた。その矢先に更新制が導入され、さらに教員志願者が減ることとなり、教員の確保さえもきわめて困難な状況になる。その結果、教員の資質向上を目的として導入された更新制が、その目的とは正反対に、教員の資質低下をもたらすことになる。このことはかなり確度の高い予測である。これが現実のものとなったとき、教育再生と称してこの制度を導入した安倍首相や伊吹文部科学大臣は、どのように政治的責任をとるつもりなのか。
  さらに、教員の採用とならんで、期限付き講師や時間講師の確保も困難になることが予想される。教員免許を取得しながら教職に就いていない、いわゆるペーパーティーチャーは、採用内定がなければ更新講習を受けられないからである。教員の事故や病気により突発的に講師を手配しなければならないとき、その対象者は現在以上に限られてくるために、講師の確保は困難をきわめることとなろう。


おわりに


  今回の更新制導入の目的は、名目的には、@教員の資質の保持向上と、A不適格教員の排除であるといえるが、政府が更新制を導入する実質的な目的、換言すれば、真の狙いはこのどちらでもないと考えられる。なぜならば、更新制はこのどちらにも十分に役立ちそうもないからである。それでは、更新制導入の真の狙いは何か、それは教員統制の強化にあると考えられるのである。つまり、教育行政を批判せず、従順で命令されたとおりに動く教員の育成が目指されているのである。これまでに、初任者研修、10年経験者研修、指導力不足教員の人事管理システム、教員評価システムなどが導入され、今回の法改正では、副校長、主幹教諭、指導教諭の職が設けられた。これらの改正はすべて教員統制に結びつく。今回の更新制の導入は、教員統制システムの完成ともいえる。
  昨年(2006年)教育基本法が改正され、前文や第2条(教育の目標)のなかに、公共の精神、伝統の継承、国を愛する態度など多くの徳目が挿入された。さらに今回の法改正により、これらが学校教育法にも盛り込まれた。これらを根拠にして、政府の望む教育内容を学習指導要領に定めて、その教育の実施を全国の学校現場に迫ることができるようになった。つまり、教育内容についての行政権限が強化され、教育内容統制が可能となる条件が整ったといえる。行政による教育内容統制に抗して、最後まで異議を唱え、反発する可能性のあった教員も、今回の更新制の導入で行政の意向に抵抗しづらくなるとすれば、教育内容についての行政の意志決定が学校現場に貫徹されることになり、上意下達の教育が完成することになる。
  教育行政と同様に、政治サイドが教育内容を握ろうとする意欲はきわめて旺盛である。彼らにとって教育は最も強力な世論操作のツールなのである。政治家が教育内容に介入する具体的な発言をすることも珍しくない。たとえば、「自衛隊は平和的に貢献するんです。なぜ軍隊が必要か、先生がもっと生徒に教えるべきです」 [17] 、「お国のために命を投げ出しても構わない日本人を生み出す。お国のために命をささげた人があって、今ここに祖国があるということを子どもたちに教える。」 [18] などというもの。また、教科書検定においては、首相の靖国神社参拝に「福岡地裁が違憲判断」という記述から「違憲」という文言を削らせ、領土問題に関しては「日本固有の領土」という文言の明示を徹底させ [19] 、沖縄戦の集団自決に対する日本軍の強制を消し去ろうとしており [20] 、もう既に、やりたい放題で「何でもあり」の介入がまかり通る状態である。これに加え、徳育を教科に格上げすることが目論まれており、教育内容統制はいっそう加速するものとみられる。
  今回の更新制の導入にあたり、政府は国民の教員に対する不満や不信をうまく利用し、また、国民に教育が良くなるような幻想を与え、その結果、世論の後押しを受けて、その実現を果たしたものである。政府の真の狙いが明らかにされないまま導入されたこの更新制によって、政府の教員統制、教育内容統制が学校現場において確実に進行し、気がつけば、国民が望まないような教育が堂々と教室で子どもたちに対して行われるようになっていた、という心配はけっして杞憂ではなかろう。



< 注 >

[1] 中央教育審議会「今後の教員免許制度の在り方について」平成14年2月21日
[2] 中央教育審議会「今後の教員養成・免許制度の在り方について」平成18年7月11日
[3] 規制改革・民間開放推進会議「規制改革・民間開放の推進のための重点検討事項に関する中間答申」平成18年7月31日
[4] 規制改革・民間開放推進会議「規制改革・民間開放の推進に関する第3次答申−さらなる飛躍を目指して−」平成18年12月25日
[5] 教育再生会議(第一次報告)「社会総がかりで教育再生を〜公教育再生への第一歩〜」平成19年1月24日
[6] 滋賀県入江小学校免許状失職事件・最高裁(三小)昭和39年3月3日判決・教育判例百選(第3版)172頁
[7] 「臨時免許状の検定不合格者に対する措置について」昭和32年7月8日委初251号 茨城県教育委員会教育長あて文部省初等中等教育局長回答
[8] 有倉遼吉編「増訂・教育と法律」新評論245頁(1964年)
[9] このことは更新制導入の経緯からも明らかであり、安倍首相自身が2006年12月の衆議院特別委員会で「不適格教員の排除のために」更新制の導入を行うと唱えていた。なお、中教審2006年答申は、不適格教員の排除が「直接の目的」ではないことを論じているが、直接の目的か付随的効果であるかは形式的差異にすぎず、制度の趣旨をごまかしているとの批判は免れない。
[10] 中央教育審議会「今後の教員養成・免許制度の在り方について」平成18年7月11日・別添3
[11] 第166回通常国会、参議院・文教科学委員会 2007年5月29日
[12] 2006年答申は、養護教諭、栄養教諭、特別支援学校教諭の免許状については、当該免許状に対応した更新講習を課すことが適当であるとしている。
[13] 第166回国会、衆議院・教育再生に関する特別委員会2007年5月16日、民主党 川内博史委員
[14] 研修の内容を争うものとして、東京都の再発防止研修についての東京地裁決定2004年7月23日、判例時報1871号142頁
[15] こうした状況は、教員採用試験倍率の低下となって現れている。全国の公立学校全体の倍率は2001年度から低下し続けており、とくに小学校では倍率が急激に低下し、全国平均で2000年度に12.5倍であったものが2006年度には4.2倍に落ち込んでいる。(「平成18年度公立学校教員採用選考試験の実施状況について」 http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/18/12/06121109.htm)
[16] 中教審答申「今後の教員給与の在り方について」(2007年3月29日)は、人材確保法の優遇措置の縮減、評価の処遇への反映が検討されており、教職の給与上の魅力も縮減されつつある。
[17] 小泉純一郎首相(当時)、朝日新聞2004年2月3日
[18] 西村真悟衆議院議員(当時)、朝日新聞2004年2月26日
[19] 朝日新聞2006年3月30日
[20] 朝日新聞2007年3月30日


追記:
 本稿は大阪教育法研究会5月例会(2007年5月19日)および、愛知県高等学校教育法研究会7月例会(2007年7月14日)において報告した内容に加筆したものである。
  更新講習の内容について原稿執筆時点においては、本文中に述べたように、その「80%はすべての教員に共通する内容」となる見通しであったが、2007年8月31日に文科省が中教審の教員養成部会に示した案では、教員が共通して受講する「必修領域」は12時間(講習全体の40%)、教科や学校段階によって変わる「選択領域」が18時間となっており、その妥当性についても同部会で詰める模様である(読売新聞2007年9月1日)。法案審議の中で、更新講習の内容は「学校種や教科種に関わらず、およそ教員として共通に求められる内容を中心とする」と説明していたにもかかわらず、さっそくこのような重要な変更を行うということは、この制度が抱える矛盾の一端がはやくも表面化したといえる。









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