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◆198804KHK071A2L0187F TITLE: 停学三回目で退学処分!? AUTHOR: 羽山 健一 SOURCE: 『月刊生徒指導』1988年4月号102頁(学事出版) WORDS: 全40字×187行
大阪高等学校教育法研究会 羽 山 健 一
●話題●
喫煙を理由とした退学処分事例。
A君は私立高校の三年生であったが、ある日の授業開始数分前、自分の教室にもどったところ、後ろの席にいた友人から火のついた煙草をまわされた。つい持ってしまった。しかし、吸う気はなかったので処理に困っていると、「先生が来た」という声が聞こえた。それであわてて煙草の火を消して捨てた。教師が来た時には、もはや誰も喫煙していなかったが、教室内にいた十数名の生徒は連れ出され、別室で一人ずつ事情聴取を受けた。A君の「吸っていない」との弁明は聞き入れられず、教師達はA君が喫煙したと決めてかかり、「目撃者もいるから素直に言え」などと誘導を行い、そのためA君は興奮し、ついに自暴自棄になり、「吸ったと思うなら吸ったでいい」と言ってしまった。
翌日の学年会議では、A君が喫煙したという事実を認定し、それが停学処分に該当すること、およぴA君が以前に二度の停学処分を受けていることから、A君に対する自主退学勧告を決定した。同高校の内規やその運用では、三回目の停学処分に該当する理由があったときには、退学させることになっていたのである。
しかしA君の両親は、A君が「絶対に煙草を吸っていない」と言うので、学校に対して目撃者や喫煙場所などの事実確認を求めるとともに、自主退学する意思のないことを伝えた。
これに対して学校は、喫煙の事実認定を変えず、仮に火のついた煙草をもっただけであっても、「喫煙に類似する行為」として、同等の処分の対象となるという判断から、退学勧告の態度を維持し、A君が登校することを認めなかった。そして、事件から数か月後の三月下旬の職員会議で、A君の退学処分を決定した。
●どう考えたらよいか●
学校教育法一一条および同法施行規則一三条二項は、退学・停学・訓告の懲戒処分を行う権限を、学校教師集団(法文上は校長)に与えている。懲戒処分とは、学校が教育目的を達成するため、ならびに学校の教育的環境を保持するために認められた自律作用であって、その発動については、教育の専門家である学校に大幅な裁量(自分の意見によって裁断し処理すること)の権限が認められている。
とはいうものの、退学処分は学校が行うもっとも強力な懲戒処分であり、その学校で教育を受ける権利を剥奪し、在学関係を一方的に終了させるという、重大かつ最終的処分であるから、訓告・停学の処分に比較して特に慎重に行われなければならない。同法施行規則一三条三項が、退学処分についてのみ四個の処分事由を限定的に定めているのも、このような趣旨において、学枚の「裁量の余地を狭めたものと解される」(注1)。
したがって、退学処分は次のような場合でなければ選択することができない。
第一に、退学に値するような教育上の必要があること。もともと、学校が懲戒を行うには、「教育上必要がある」ことが大前提である(同法一一条)。ただし、その必要性の判断にあたっては、懲戒により「予期しうべき教育的効果と生徒の蒙るべき右権利侵害の程度」とを比較考量することが要請され(注2)、明らかに教育的効果がまさると確信できるときに「教育上必要がある」と認められる。このことは、退学処分についても当てはまるであろう。
第二に、あらゆる指導によっても「改善を期待しえず教育目的を達成する見込みが失われた」(注3)場合でなければならない。つまり、単に指導に従わず改善の見込みがないというだけでなく、このことによって、その生徒が在学する意味が失われているときである。また、改善の見込みがないという判断は、生徒が心身ともに未成熟な部分に富んでいることを考えると、特に慎重になされる必要がある。
策三に、生徒を「学外に排除することが教育上やむをえない」(注3)と認められる場合でなければならない。これは、その生徒が学校の教育活動を現実に妨害し、あるいは他の生徒の安全や学習権を侵害しているために、その生徒を学外に排除しなければ正常な教育的環境を保持できないという、真にやむをえない場合である。
以上のいずれの意味においても、学校による退学処分の選択は、きわめて限られた場合にしか認められないことになる。
学校に退学処分を行うについての裁量権が与えられているといっても、その行使のしかたを誤れば、適法の問題が生じる。いうまでもなく、違法な処分によって生徒の教育を受ける権利を侵害するようなことがあってはならない。特に、生徒が教師の対応に不信をいだき、裁判にまで訴えた場合には、「処分事由の存否はもとより当該処分が教育措置としての目的・範囲を逸脱するものではないかどうかも裁判所の審査に服する」(注4)。そこで退学処分が次の諸原則に反するときは、適法な処分になると考えられる。
(1) 事実を正確に把握していること
処分事由となる事実が存在しない場合の処分は、当然のこととして適法である。冒頭の事例では、学校はA君に喫煙の事実があったと認定しているが、これは明らかに事実誤認である。また「仮に煙草を持っただけであっても、同等の処分の対象となる」と判断しているが、いやしくも退学処分の前提となる事実について、あいまいな点を残したままでは困る。確かに喫煙の事実を把握することは難しい。いくつかの状況から、喫煙したことがほぽ間違いのないような場合でも、生徒がそれを否認することも珍しくない。しかし、確実な証拠がない限り、学校に「生徒の喫煙行為があった」と断定するような特別の裁量権があるとは考えられない。
(2) 報復的・みせしめ的処分でないこと
退学処分についての裁量権は、学校の教育的目的を達成するために付与されたものであるから、その行使が教育的目的から逸脱し、″不正な動機″にもとづいて裁量を行うことは許されない。そこで、学校の退学処分が純粋かつ直接の教育目的を有しているか否かが問われることになる。ところが学校では、「日ごろから問題行動が多くて、学校からにらまれている生徒、特に教師に対して反抗的な生徒などの場合には、とかく処罰が、感情的、報復的なものに流れがちであるが、そうなっては、もはや処罰の教育的意義はまったく期待されない」(注5)わけで、もっぱら学校・教師に従順でない生徒を学外に排除することを目的とした処分になってしまう。そもそも学校教育法は、特定の生徒に対する嫌悪による処分を認めるものではなく、たとえそれが間接的に「みせしめ」としての効果を伴うものであっても、同法の趣旨とするところではない。
(3) 関係のないことを考慮に入れてはならない
学枚の裁量判断が前述のような諸要素の比較考量により行われるべきものである以上、学校が退学処分の判断をするにあたり、諸要素を正しく評価・考慮することが要求される。そのためには次のような条件が充たされなければならない(注6)。すなわち、@本人の教育を受ける権利という、本来もっとも重視すべき事項を不当、安易に軽視していないか、A退学処分が本人の教育を安ける権利を犠牲にしてまで必要かという、当然尽くすべき考慮を尽くしたか、B「私立学校の経営上の必要」などといった本来考慮に入れるべきでない事項を考慮に入れていないか、C「学校の体面にばかりこだわったり、他の生徒への悪い影響を過大視したりして」(注5)、本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価していないか。
(4) 過重な処分はいけない
生徒の懲戒処分は、その目的を達成するために必要な限度で行われなければならない。したがって「他にこれ〔退学処分〕を避けるための適当な方途があり、それにより規律維持の目的の達成が見込まれるような場合には」(注7)退学処分を行うことはできない。
また、懲戒処分を行うにあたっては、違反(罪)の程度と処分(罰)の重さは均衡していなければならない。「重い処分をしておけば懲りてやらなくなるだろう」という厳罰主義、過酷に失する処分は排されなければならない。喫煙は当然非難される行為ではあるが、退学処分とされるほど重大な違反行為にあたるとは考えられない。たとえば、刑法においては、窃盗を何度はたらいても、死刑とはされないのである。
事例において、さらに問題となることは、「煙草を持っただけ」の行為を、「喫煙類似行為として、喫煙と同等に処分していることである。喫煙する意思がなく、実際に喫煙していない生徒を、このように処分することは、明らかに過酷に失し、違法である。
(5) 公平な処分であること
懲戒処分を行うにあたり、生徒を不公平に扱ってはならない。生徒は、このようなことに意外に敏感なものである。公平な処分といえるためには、決定される処分の内容だけでなく、その結論に至るまでの過程においても平等原則が貫かれていなければならない。たとえば、事情聴取にあたり、不合理に特定の生徒だけについて持ち物検査をするのは平等原則違反である。
さらに、集団喫煙事件に際し、喫煙生徒全員の名前が確認できない場合や、生徒の喫煙が学内で蔓延しているような場合には、計画的・組織的な禁煙指導を優先的に実施するべきであって、安易に処分に頼るべきでない。不公平な処分になる危険性が強いからである。
(6) 機機的処分はいけない
退学処分は説諭や反省を促すなどの、教育的配慮にもとづいた指導を積み重ねた上で、「改善の見込みがない」と認められた場合の最終的手段でなければならない。つまり教育指導を尽くしていない退学処分は、教育的懲戒とはいえない違法なものである。
事例の学校では、「三回目の停学処分に該当する事由があったときは退学させる」こととしている。「内規とか、前例とかを尊重するという原則は無意味ではないが……罰則の単なる形式的、機域的な適用は戒めなければならない」(注5)。つまり退学処分についての裁量判断は、事例のように機械的に行えるものではなく、生徒の個別性に応じ指導の可能性を充分追求した上での判断でなければならない。事例のような機械的処分は「十分な指導を行わないままに指導の限界である」(注8)とするもので、「改善の見込み」のある生徒まで学外に追放してしまう結果となる。
(7) 処分を決定する手続きが適正であること
学校は退学処分を決定するにつき、不公正な恣意・独断が疑われるような手続きを採用する裁量の自由を持つものではない。処分手続きについて、内規の定めがないときでも、最小限、次のような手続きが要請される。
@どのような行為にどのような処分が行われるかについての予見性を与えること、A生徒の行ったとされる違反事実を明確に告知すること、B生徒・親・関係者から充分事情を聴取すること、C学校のもつ資料への要求に応ずること、D生徒・親に弁明する機会を保障すること、E大多数の教職員が出席する職員会議が開かれ、その審理の中で右の手続きが反映されること。
事例における事情聴取は、予断や偏見をもって自白を強要し、圧力をかけるという不適正なものである。またA君の言い分に充分耳を傾けず、弁明の機会を保障しているとはいえない。
判例でも、職員会議における審理については、「〔退学〕処分の重大性を考えると、右処分をするかどうかについて職員会議に諮問することが条理上当然であるといえよう」(注1)として、手続きの重要性を述べている。
< 注 >
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