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◆199402KHK139A1L0307H TITLE: 大阪府立高校における臨時教員問題 AUTHOR: 尾崎 俊雄 SOURCE: 大阪高法研ニュース 第139号(1994年2月) WORDS: 全40字×307行
尾 崎 俊 雄
はじめに
現在、大阪府立高校では約2500人の臨時教員が勤務しており、全教職員の15%を占めている。臨時教員は高校現場において「臨時的役割」を越え「基幹的役割」を担うに至っている。困難な問題を抱えた高校現場で臨時教員は欠くこととのできない存在ではあるものの、その実態や問題点についてはあまり語られていない。ここでは教育法の立場から大阪府立高校の臨時教員問題について報告する。
教育基本法第6条第2項は、教育の重要性、公共性、専門性、国民への直接責任性等の観点から、その職務の遂行のために教員の身分の尊重と待遇の適正について規定している。この条文は、教育聖職論を否定し、教育職の専門職性・労働者性を認めたものであり、教員の学問の自由等の市民的権利の保障、継続教育の機会の保障、雇用の安定等の身分保障、労働基本権の保障を、専門職としての責任とともに求めたユネスコ・ILO「教員の地位に関する勧告」と同じ地平に立つものといえよう。
教員の労働条件は、子どもの教育のための教育条件という一面もあり、さらに手厚い身分保障と待遇の適正が求められる。このような教育基本法第6条の精神から臨時教員問題について考えてみたい。
(1) 臨時教員の範囲(臨時教員の種類は勤務形態から次のように大別される)
・常勤 定数内 年度途中の学級増、教員の死亡、採用辞退、年度途中退職等による欠員に臨時教員を配置、定数未充足への配置。 代替 産前・産後休暇、育児休暇、長期研修、団体出向や組合専従休等の代替。 ・非常勤講師 正規教諭の授業時数軽減(時数の端数受け持ち)、妊婦の労働条件緩和、初任者研修に対する配置。 ・自宅待機 任期切れによる雇い止め(未着任)
大阪府では、常勤の臨時教員は講師として任用されているが、教諭として任用されている県もある。両者の職務は同じであるが、適用される給与表が違い、給与に格差が生じる。
非常勤講師は、他に生業を持っている人で、その人の特殊な知識や技能を学校教育上必要とするような場合に配置されるのが、当初の法律上の趣旨であった。したがって非常勤講師は、教育公務員特例法でいう教員ではなく、地方公務員法の適用を除外される特別職であるとされている(文部省の見解)。しかし現実には、通常の授業の枠に組み込まれ、非常勤講師の仕事だけで生活を維持しなければならない多くの人を生み出し、実情は当初の趣旨とは大きく違ったものになっている。教育公務員特例法を歪めて運用し、非常勤講師を教員とみなさないこととした結果、このような事態を招来した教育行政当局の責任は重いといわざるをえない。
(2) 任用の根拠、手続き
常勤講師の場合、任用の法的根拠は地方公務員法第22条第2項であると行政当局は説明している。この条項によれば、6ヵ月を越えない期間で臨時的任用ができるのは、@緊急の場合、A臨時の職に関する場合、B任用候補者名簿がない場合、に限られる。@は当該の職が永続的、固定的なものてはなく、1年以内にその職自体の廃止が予定されている臨時的職の場合で、博覧会やオリンピックに関する職がこれにあたる。Aは地震や台風その他で正規採用が間に合わない緊急の場合がこれにあたる。したがって学校ではこの@Aの場合は当てはまらない。Bの場合も、教員免許を有し、人事委員会の承認を得て、現実に教壇に立っている人はすべて名簿に載せるべきであり、Bに必ずしも当てはまっているとはいえない。
地方公務員法第22条第2項による臨時的任用の形式をとらず、地方公務員法第17条1項による期限付任用にしている事例もある。これは正規任用の変形であり、恒久的な職については特段の事情と身分保障がなければ、雇用期間を限定した任用はできないとされており、問題がなくなるわけではない。非常勤講師の場合、地方公務員法第3条の特別職として発令されている。
臨時教員の任用手続きは次のようになされる。@講師登録、現職にある者は勤務校で管理職通じて行い、それ以外は府教育委員会に出向いて行う。A学校での面接、管理職との顔あわせ。B事務手続き、書類作成と健康診断。C辞令交付、この一連の手続きにも問題点が多い。第一に教員の任用の選考が、どの段階で、誰が、いかなる権限に基づいて、どのような方法で行われているのか、非常に曖昧であること。第二に労働基準法第15条で義務ずけられている事前の労働条件等の明示・説明がほとんどないこと。第三に書類の作成が非常に煩雑であり、健康診断にかかる費用が自己負担であること。第四に辞令交付が大幅に遅れること。このように臨時教員の任用手続は、あまりにも貧しいものではあるが、ほとんど競争試験によってなされている正規教員の採用よりは、本来の「選考」の趣旨に沿うものといえるかもしれない。
(3) 臨時教員の労働条件、賃金、待遇
非常勤講師 常勤講師 正教員 賃金 9,0000円 教育職給与表1級
頭うちあり同2級
頭うちなし有給休暇 時間数、任用期間に
応じて年間最高13日任用期間に応じて年間
最高20日、繰越なし年間20日
繰越あり交通費 月12,500円を上限
に交通費相当分として実費全額、但し1日づけ
採用のとき実費全額 諸手当 一時金夏6,000円
冬12,000円期末、勤勉は基準日で
勤務日数により一定割合を全額 昇給 なし 任用途中の昇給なし
任用時に前歴として
15ヵ月あれば1号up基本的に12ヵ月
で1号up健康保険 国民健康保険に各自で
加入2ヵ月以上は政府管掌
健康保険共済組合 年金保険 国民年金に各自で加入 2ヵ月以上は厚生年金 共済組合 互助組合 加入資格なし 加入資格なし 加入 任用期間 その年度で当局が必要
と認める期間6ヵ月以内 制限なし 産休 なし 基本的には認めるが、
現実には退職を迫られ
た例もあるあり 育休・病休 なし なし あり
以上のように臨時教員は非常に劣悪な労働条件のもとにおかれている。賃金水準が低いことだけではなく、それは雇用・待遇全般に及んでいる。特に非常勤講師の生活実情は目を覆いたくなるものがある。1週当たり持ち時数18時間で、30歳の非常勤講師(1校の持ち時数の上限は15時間とされているため2校以上の掛け持ちとなる)の年収は約195万円で、同じ年齢の正規教諭の1/3にも満たない。この低収入のなかから交通費・健康保険料等を持ち出さなくてはならないのである。
さらに問題なのは、長期間継続して任用されていた臨時教員(非常勤・常勤とも)が任期切れによる雇い止め(事実上の解雇)が当然のように行われていることである。民間では、短期の雇用契約の反復更新によって、労使関係継続の期待が客観的に認められる状態ができていれば、労働基準法第21条但書きにもとずいて、その契約は「実質上期間の定めのない労働契約」に転化していると見るべきで、「期間満了を理由に傭止めをすることは、信義則上許されない」という判例が定着している(東芝柳町工場事件、最高裁判決1974年)。公務員の場合、その勤務関係は公法的関係であり、新たな任用がなければ、当然にその地位を失うものとされる(福井郵便局事件、名古屋高裁判決1988年)。しかし教育基本法が、一般以上に教員の身分保障を要請していること、教育の継続性・一貫性・教員の身分保障や労働条件は子どもの教育条件でもあるという教育の条理からみても、雇い止めが当然に行われているというように、臨時教員の身分保障がまったくないのは重大な問題である。
非常勤講師の生活の実情や雇い止めに代表される臨時教員の身分保障と待遇の適正に関する問題は、子どもの教育の本質にかかわっていることを、教育行政当局はまず理解しなければならない。
(4) 高校現場での臨時教員の扱い
常勤の場合、HR担任を持てない(担任代理はありうる)こと以外、教科担当・校務分掌・クラブ顧問は正規教員とほとんど同じ勤務内容で、当然いろいろな会議にも出席する。臨時教員は単年度雇用であり、正規教員のように次年度の希望を考慮されることはほとんどない。したがって校務分掌やクラブ顧問の担当は正規教員の穴埋めとして配置されることになる。臨時教員の教育の継続性や一貫性が省みられないばかりか、嫌われる分掌や仕事量の多い分掌に臨時教員が配置されるという奇妙な事態が生じているところがあるという。
非常勤講師の場合、時間単位の教科指導のみであり、校務分掌やクラブ顧問は担当しない。職員会議・成績会議・卒業判定会議等についても内規によって構成メンバーから除外されていることが多い。教育公務員特例法第2条の規定が根拠になっていると思われるが、自分が授業をして、テストをして成績をつけた生徒の成績や卒業を最終的に判定する会議に参加できないのは理解に苦しむ。非常勤講師は時間単位で報酬が支払われている(授業研究・テスト問題作成・採点を含む報酬かどうかについては疑問が残るが)ため、会議に参加しても、それに対する報酬は支払われないことが、問題をさらに複雑にしている。また、非常勤講師は常時学校にいるわけではないので、生徒指導・教科・事務・行事等の情報連絡が抜け落ちることがある。
教育行政当局は、臨時教員を「便利屋さん」あるいは「お客さん」扱いすることを学校現場に求めているように映る(不作為にではあっても)。しかし教員集団のかなりの部分を占める臨時教員を「便利屋さん」「お客さん」扱いしていては、まともな教育はできない。学校現場には、臨時教員の身分や位置づけについて理解を深めることが、子どもの教育を充実させるという観点からも求められる。
(4) 臨時教員の心理・思い
まず、臨時教員の多様性について理解する必要がある。採用試験を受け正規教員になろうとする人、受験する意志のない人、受験しようにもできない人(年齢制限・家庭の事情による)、パート感覚の人など実にさまざまな臨時教員像が見られるのである。しかし、ほとんどの臨時教員に共通するのは、次年度以降の将来への不安、自分の教育実践に対して確信が持てないことである。これらは職場の雰囲気によっては、疎外感・孤立感・劣等感につながり、またある場合には、正規教員への反感に転じたりする。さらに「ことなかれ主義」に陥り、教育への情熱を失ってしまうことある。このような臨時教員にありがちな状況は学校教育全体にとってもマイナスである。そうならないためには、臨時教員自身の努力が必要なのはもちろんだが、何より重要なのは、臨時教員を孤立させない職場の取り組みである。教職員団体のイニシアティブによる暖かい職場の雰囲気のなかで、生き生きと教育実践に励む臨時教員が数多く存在していることもまた事実である。
教員の研修は、その職務の性質上、自主的・主体的に行うのが本筋であり、教育が成立する前提である。「単に教育に従事している者の義務としてのみではなく、権利としても研修をなし得るような機会を持たなければならない」(教育公務員特例法提案理由の補足説明)のである。しかし本人の意欲や努力だけでは、自らの職責を果たすのに十分な研修を行うことは困難である。その職責とは、教師が職務を遂行するに当たって、教授であろうと助教授であろうと、また教諭たると助教諭たるとを問わず、教師の等級によって責任に濃淡軽重の差はなく、各人同一の責任をもってこれに当たらなければならないことを意味している(文部省内教育法令研究会『教育公務員特例法−解説と資料−』1949年)教育行政の最も重要な任務の一つはは研修の実施に必要な条件を整備し、指導・助言を行うことである。臨時教員の研修の実態はどのようになっているのだろうか。
(1) 行政研修
行政研修は、一般教員向けの初任者研修・年次別研修、管理職向けの研修、管理運営・指導者養成・生徒指導・教育課程等の目的内容別研修がある。しかし、採用試験に合格していない(受験していない場合も含めて)臨時教員向けの研修は皆無である。学校現場において一定の役割を果たしているはずの臨時教員には、教育行政当局がいつもしつこいほど言っている「資質の向上」は必要ないのだろうか。臨時教員の方が正規教員よりも研修の必要がないほど資質が高いということは考えられない。ということは、行政研修の本当の目的は「資質の向上」とは別のところにあるのではないかといわれても仕方がない。そこで行政研修の中身を見てみると、教育公務員特例法で想定していた教員の研修とは違い、教育行政当局の解釈や見解を一般の行政的手法で強制するための場となってしまっているように見受けられる。そうであるとすれば、このような研修を受けない臨時教員の方が自由でその資質も磨耗していないといえるのかもしれない。
(2) 自主研修
臨時教員にとって研修とは、自らの意思において勤務時間外に行われる研修がほとんど唯一の研修であるが、実際には経済的な事情から困難な場合が多い(特に非常勤講師は)。また、職務専念義務免除による管外出張研修も、原則的には常勤の臨時教員に認められているものの、勤務期間が短い等の事情からほとんど実現していない。
以上のように臨時教員の研修権は、まったくと言っていいほど保障されていない。教育行政当局は、臨時教員の研修について別枠での財政的措置を講ずる必要を認識しなければならないし、学校現場においても臨時教員の研修権の保障のために、出張旅費の運用等の改善が望まれる。
(1) 安上がりの教育
臨時教員の賃金は、非常に低水準におかれている。特に非常勤講師の場合、同じ持ち時数で1/3以下の賃金水準であり、ボーナス(一時金)の金額は情けなくなるほど少ない(校務分掌・クラブ顧問などを担当しないので同列に論ずることはできないが)。常勤でも代替の場合、目の前には生徒がいて現に業務がそこにあったとしても、夏休み等の長期休業中の任用がカットされ、賃金は支払われない。このような臨時教員の低水準の賃金は、教職員全体の賃金水準を引き下げる役割を果たしていることに留意するべきである。それにしても文部省に対して府教委は、教員数についてどのように報告しているのだろうか。
(2) 雇用の調整弁
今後の子どもの急減期にそなえて、簡単に雇い止めのできる臨時教員を濫用しているのである。露骨にいえば首切要員である。ヨーロッパの諸国では子どもの急減に一クラス当たりの定数を引き下げることで教育の質の向上をはかってきた。
(3) 教員集団の分断・統制
臨時教員制度は学校現場に階層構造を持ち込むことである。しかも同じ勤務内容でありながら、待遇に大きな格差をつけてである。結果として教員の中には孤立したり、他の教員に反感を持ったりする者もでてくる。教員集団が分裂していることは教育自体にとってマイナスであるばかりか、教員をバラバラにして管理・統制することにとって都合のいいことなのである。
以上教育行政当局の意図を3点見てきたが、これらはすべて弊害を伴い、犠牲者が出てもそれを切り捨てるという側面を持っている。生活に窮々として授業に打ち込めない教員に学ばなければならない子ども、相変わらず40人以上の教室での授業を受けなければならない子ども、教員がバラバラで冷たい雰囲気の学校に通わなければならない子どもというように、最大の犠牲者は子どもであることを教育行政当局はもっと深刻に受けとめなければならないだろう。
(1) 教育内容の断片化
学校教育の内容は、一定のまとまりと一貫性を持っている。これはユネスコ・ILOによる「教員の地位に関する勧告」において「継続教育の保障」を求めている所以である。授業内容が、年度あるいは時間単位で途切れてしまい、その有機的な連携が持てなくなる。また、3年間を見通したカリキュラムの構成、教授方法の選択等が困難になり、授業は画一的で一方的なものになることが考えられる。教科以外の教育活動では影響はさらに深刻なものになろう。
(2) 教師集団の一体性の喪失
学校において生徒指導や教科指導は教員全体でなされるものであり、教員全員が教育にかかわり、主体的に教育を支えているという意識を共有していることが重要である。当然様々な性格・思想・生育歴を持った教員がいる。そしてむしろ学校にはその多様性が必要なのだが、それを認めたうえでの教師集団の一体性は学校教育が成立する前提である。ところが臨時教員に対する理解の十分ではない現場では、生徒指導の行き違い等をきっかけにその一体性を壊してしまうような雰囲気ができてしまうことがある。
(3) 生徒の不信・不安
臨時教員がもっとも困惑するのは「先生、ほんとの先生と違うん?」という言葉であろう。これに対しては普段の教育実践でこたえていく以外にはないけれども、現在の制度のなかでは生徒のこういった言動を非難することはできない。生徒の不信や不安はある意味で当然なのだから。臨時教員の実践の力量を高めることと、それを支持する職場の体勢をつくることが重要である。
(4) 隠れたカリキュラムのもたらすもの
学校には、教科やクラブ活動のように意識的に形成されたカリキュラムだけではなく、学校の雰囲気や教員の普段の態度等から生徒が無意識的に学習してしまう「隠れたカリキュラム」が存在するといわれる。臨時教員に関する「隠れたカリキュラム」とは、臨時教員制度の矛盾や彼らのの困難な状況を無視したり、異質なものを見るような態度をとった場合、たとえそれが悪気のない無意識のものであったとしても、それは普段、教員が強調している人権などの価値に対する裏切りにほかならない。このことから生徒は何を学習するのだろうか。
(5) 学校現場の活力
以上のように問題の多い臨時教員制度てあるが。臨時教員が学校現場に活力をもたらしていることもまた否めない。たしかに多くの校種・学校で勤務してきた彼らの経験は貴重であるが、現状の臨時教員制度を正当化することはできない。
産育・病休の制度化にともない、絶対に不可欠な補充教員をどう確保するかという問題が生じるのは、だれの目にも明らかであるのに、安易に臨時教員に頼ってしまったこと。他職では20人のところを19人でも運営は可能だが、学校の教員は代替が不可欠である。教育実践上の任務・責任は正規教諭と同等であること。子どもにとっては臨時教員も正規教員も同じ「先生」なのである。
まとめ
「便利屋さん」または「お客さん」などと呼ばれる臨時教員ではあるけれども、子どもたちからみれば同じ「先生」である。その「先生」をとりまく問題は、教員全体の問題であり、学校教育全体の問題でもある。その責任の大半は教育行政にあることに間違いないが、これまでの経過から見ても、教育行政にすべて任せておくことはできない。教育法学の立場からも研究を深め、その解決に貢献したいと思う。なお、教員採用制度の問題点については別の機会にゆずることにする。
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