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TITLE:  判例にみる教師の言動
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第170号(1997年2月)
WORDS:  全40字×200行

 

判例にみる教師の言動

 

羽 山 健 一 

 

はじめに−−心ない言葉が法廷へ

  日常の教育活動の中で、生徒が何らかの問題行動を行った場合、教師がその生徒から事情を聞いたり、注意を与えたり叱責するのは当然のことである。ところが、その時に指導を徹底しようとするあまり、指導が長時間に及んだり、生徒に対し罵詈雑言を浴びせたりすることもある。それでも多くの場合は問題にはなっていないが、それがもとで生徒が精神的ショックを受け、不登校などの傾向を示したり、自殺を図るような事態に発展すれば、保護者としても黙ってはいない。教師の暴力的な言葉やその他の処遇によって、生徒が精神的・肉体的損害を被ったとして慰謝料を請求する裁判を起こすことにもなる。体罰が違法な懲戒方法であることは周知のことであるが、それに至らない指導・叱責行為についても、その適否が裁判所の審査を受けるのである。そのような事例について、裁判所の認定した事実およびそれについての判断を紹介してみることにする。

 

1.部活動の指導の中で

  最初の[事例1]は県立高校二年生の女子生徒が、陸上競技部の顧問教諭から頻繁に体罰や叱責を受け、ついに自殺したというものである。この顧問は自らも高校生時代に陸上競技の選手として、厳しい練習に耐え、全国大会で優勝するなどの優秀な成績を残したこともあり、部活動における指導方法について、ある種の強い信念を持っていたようである。そのため生徒の指導にたいへん熱心で、生徒の生活面や学習面の全般にわたって厳しい指導を行っていた。ところが、気に入らないことがあるとすぐに手を出すという短気なところがあり、生徒に対する思慮の足りない発言も多くあった。

(1) 「ブス」「やめろ」

  この顧問は、練習中に良い記録がでないと、「ブス」、「おまえは使いものにならない」、「陸上部をやめよ」などと発言することがあり、自殺した女子生徒に対しても「おまえはバカだから。何度言ったらわかるんや。やめろ。」、「のらくらでぐず」、「心の中が腐っている」、「猿の物まねしかできない」などと言っていた。

  こうした発言に対して裁判所は、「ブス」という表現は、陸上部の指導とは関係がなく、「一般的には相手の容貌に対する侮辱的な表現でしかない」うえに、相手が一七歳という多感な思春期の少女であることから、「教師あるいは陸上部顧問の発言としては、極めて不適切である」と批判している。また、その他の発言についても、「単に生徒の人格を傷付け、自尊心を損なうだけの表現」であり不適切との非難を免れない、と厳しく戒めている。また、陸上部を「やめろ」という発言についても、その女子生徒は「本件陸上部で陸上競技に打ち込むために本件高校に入学してきたのであるから、そのような生徒にとって指導者から陸上部をやめろといわれることがどれほど精神的苦痛を与えるものであるかは」容易に推認できる、としている。そして裁判所は、こうした侮辱的発言について、体罰と併せて一連の行為であるととらえたうえで、生徒の名誉感情ないし自尊心を著しく害するものであって違法行為に該当すると認定し、生徒が被った精神的損害に対する慰謝料の支払いを命じた。

(2) 正座・土下座

  この顧問は、生徒を指導するときに、生徒を床に正座させることがあり、また、生徒のほうも、本心から謝っていることを示すために土下座するということが常態化していた。

  これに対し裁判所は「土下座という行為がいかに屈辱的な行為であるかは多言を要しない」のであって、生徒が許しを乞うために自発的に土下座したものであっても、「生徒の土下座を容認し、生徒がそうしなければ許さないという姿勢そのものが、もはや教育的配慮の全く欠けた、極めて不適当な指導方法」であるとして、土下座の不当性を認めた。

(3) 身体の拘束

  顧問は、この女子生徒に対し、陸上部の他の生徒が自主的に退部したことについて、約二時間にわたり責めたてたり、この生徒が自殺する前日には、生徒を直立させたまま、午前中約一時間、午後約一時間三〇分の長時間にわたって成績に関して説諭した。これらに対して裁判所は、前者について、「長時間にわたる身体的拘束であって、もはや正当な懲戒権の範囲を逸脱した違法な身体の拘束といわざるを得ない」とし、また後者については、「直立という特定の姿勢を連続して長時間保持させたまま、執ように怒鳴るなどして説諭を続けたこと」は、「もはや正当な懲戒権の行為を逸脱した違法な懲戒行為であるといわざるをえない」として、長時間の説諭が違法となる場合があることを示した。

 

2.問題行動の事情聴取の中で

(1) 尋問・詰問

  [事例2]は、民家のガラスを割った小学六年の児童が教師の事情聴取後、校舎の三階から飛び降り自殺を図り、未遂に終わったというものである。ここでも、事情聴取の中で教師が言った言葉が問題とされた。その言葉とは、「はっきりしないと、今後このような事件が起こった場合、お前のせいにされても仕方がないんだぞ」、「本当なら、ここでぶっとばされても仕方ないんだぞ」、「指紋をとればすぐに犯人は分かるのだ」、「お前、よくもそんな涼しい顔をして嘘をつけるな」というものである。

  教師の「言動のうちには、個別的に見れば教育者の言辞として必ずしも妥当でないと感じられるものもあることは否めない」としながらも、その違法性までは認めていない。この事例では、当該生徒の行状が悪く、事情聴取において真相究明に難渋していた。しかしそうであっても、教師の行うことのできない体罰や指紋の採取(学校教育法一一条・刑事訴訟法二一八条参照)にまで言及しているのは、脅迫的であり、正当な事情聴取であったとは言い難い。

(2) 身体の拘束

  次の[事例3]は、担任が日頃から学業や素行について注意しようと考えていた生徒を、長時間にわたり応接室にとどめ置き執拗に詰問したというもので、この生徒は担任を恨んでいるという内容の手紙を残し自殺した。担任は反抗的態度をとる生徒に対し、「そんなことなら学校をやめてしまえ」と叱責し、部屋を飛び出そうとするのを連れ戻すなどした。そして非行事実を認めると、頭部を殴ったうえで、明日父親を学校に出頭させるよう申し向けて、ようやく三時間半後に教室に帰した。この間に生徒は昼食をとることができず、授業も受けられなかった。

  この一連の懲戒行為について裁判所は、担任は生徒の「身体的自由を長時間にわたって拘束し、その自由意思を抑圧し、もって精神的自由をも侵害し、ついには体罰による身体への侵害にも及んだのである」と認めた上で、「これらの点を総合して判断するとき」、本件懲戒行為は故意または過失により、「担任教師としての懲戒権を行使するにつき許容される限界を著しく逸脱した違法なものであると解するのが相当である」と判示した。

  裁判所は、この担任の性格について次のように認識している。「当時二五歳位で未だ弱年であったこともあり、潔癖感が強く、教育に熱心で、生徒の非行に対し寛大に処したり看過することなどのできない性格で、事の軽重を問わず非行ある生徒を職員室などに呼びつけて訓戒することが多く、しかも幾分短気で激情に走りやすく、また攻撃的性格でもあるため、時にはその訓戒も過度に及ぶことがあったこと、即ちしばしば体罰を加えることがあった」。

 

3.不登校を招いたとされる事例

  この[事例4]は、小学校四年の児童が、担任の一連の言動によって精神的打撃を受けたとして、慰謝料などの損害賠償を求めたものである。裁判所が認定した、担任の言動は次のようなものである。@ぜんそくが理由で遅刻して教室に入ってきたところ、担任が「よく来たじゃない。皆さん○○さんに拍手しましょう。よく学校に出てきましたから」といった。A本人を登校拒否児童扱いして、母親に対し、市の養護教育総合センターに相談に行くことを勧めた。B担任が本人を放課後教室に居残りさせ、生育歴や家庭環境、前学校について聞いた。C本人の指導要録の記述を引用して、「自分の気に入らないことをされると友人をとても攻撃すると書いてあるが、友人関係はどうだったのか」と母親に対し質問した。

  これらの事件について裁判所は、@この言葉は本人を褒め、元気づけるとともに他の児童に対しても好影響を与えるようにという教育的配慮から出たものであり、本人を異常視あるいは障害児扱いしての発言ではない。本人はこの言葉によっていじめが助長されるようになったと言っているが信用できない。A本人は典型的な心因性ないし情緒障害による登校拒否の傾向の兆しが窺われる状況であったのであるから、本人は一応市センターの対象児童に該当する。Bこの事情聴取は本人の置かれている状況を正確に把握する目的で行われたもので、担任教師の判断にゆだねられた教育指導方法の範囲内にある。C母親に対する質問は、登校を嫌がる本人に対する改善策の一つとしてなされたもので違法ではない、などと判示した。

  これら以外にも、児童側は次のような事実を主張したが、裁判所は事実として認めなかった。@写生授業の際「あんたの絵は下手くそね、やり直し」といって、描いた絵を洗い落とした。A宿題を自宅に置き忘れていたことを告げたときに「本当にやったの。信じられない」といった。B児童に本人の指導要録の記述を読み上げたうえで、「『わがままで、いつも保健室にいて勉強していません』と(指導要録に)書かれると、おとなになってから人に笑われるよ」と注意した。

  この事例では、児童側は「学校が子どもを排除しようとしている」と主張し、学校側は「親が不登校の原因を教師のせいにしようとしている」と考えており、双方の相互不信と感情的対立がうかがわれる。教師の言動が問題となっているが、双方が主張する事実が大きく食い違っており、本当にその言動があったのかどうか不明のままである。学校側としては、生徒や親が学校に不信感を持っていると思われるときには、誤解されることのないよう特に配慮して、その言動に慎重を期するべきである。

(2) 「二度と来るな」

  [事例5]は、ツッパリグループに属していて、普段からよく指導を受けていた中学生が、欠席、遅刻、早退を繰り返した後に登校してきたのに対し、担任が「もういいから帰れ。二度と来るな」、「もし学校に来たいなら、親と一緒に来て俺の前で土下座して謝れ」と怒鳴り、下校させたというものである。そのため生徒は約三ヶ月間の欠席を余儀なくされたと主張する。

  裁判所は、担任の言動および下校させたことは、「懲戒の範囲を逸脱し、教育的配慮を欠いた違法なもの」で、「無断欠席等の懲戒の対象となるべき行為があったことをもって正当な懲戒権の行使として右行為の違法性が阻却されるものとすることはできない」と判示した。担任は、生徒に帰れ等と言った真意は生徒に本気で反省させることにあったのであり、翌日には登校すると思っていたと供述しているが、仮にそうであったとしても、担任の行為の違法性を阻却できるものではないとした。

  ただし、担任の言動によって欠席を余儀なくされたのは最初の三日間のみで、その後の欠席は担任の言動によるものではないとした。

 

4.教師の言動の違法性

(1) 教師の教育権限と義務

  学校教育法二八条六項には「教諭は児童[生徒]の教育をつかさどる」と規定され、これにより、教師は教育目的を達成するため、生徒の心身の発達に応じた教育を行う職務権限を有しているものと解される。したがって、教師は具体的な教育活動において、教育内容、教育方法、教材の選定、評価などの教育専門的事項について決定権を有する。また、教育活動の中でも、とくに懲戒については、「校長及び教員は、教育上必要があると認められるときは、・・・懲戒を加えることができる」(同法一一条)いう規定があり、教師は問題行動のある生徒に対して、必要に応じて叱責・訓戒などの事実上の懲戒を加える権限を有する。ただし、こうした権限は生徒の学習権を保障するために認められているものであるから、この権限を行使するにあたっては、生徒の学習権その他の人権を侵害することのないよう、教育上必要な配慮をしなければならない。これは教師の職務上の義務といえる。したがって、この義務に反する様態で行われた教育活動は、教育権限の逸脱ないし乱用として違法性なものとなる。

(2) 事例から見えてくるもの

  具体的にどのような言動が生徒の人権を侵害するかについて、先にあげた事例からは明確な基準を導き出すことはできない。また、小中高の学校段階がことなることから単純に比較することはできない。とはいうものの、事例から次のようなことを読みとることもできよう。まず、体罰を伴っていない[事例2][事例4]では教師の言動を違法とはしていない。また、[事例1]や[事例3]では教師の言動を「不適切」と評価しているものの、法的判断においては、教師の言動と体罰とを連続した行為と捉え、それらを総合的に判断して違法と判断しているので、教師の言動だけを違法としたものとはいえない。ところが、[事例5]では、体罰を違法としただけでなく、「二度と来るな」と怒鳴るなどした言動を体罰とは別に違法と判断している。したがって、教師の言動に不適切な面があったとしても、それが体罰を伴わない場合、その言動のみをもって違法とは判断されにくい傾向があることが分かる。しかし、体罰を伴わない教師の言動について、その内容、状況、生徒に与えた影響によっては違法になることも明かである。ただし、[事例5]は義務教育学校での事例であることに注意する必要がある。

  なお、生徒が自殺した事例において、裁判所は、いずれも教師の懲戒行為と自殺との間に相当因果関係はないとして、自殺に関する学校側の責任を否定している。

 

おわりに

  これまでに紹介した事例は、かなり特異な例であるかもしれない。しかし、教師はこれに近いような言動を普段から用いていないだろうか。生徒が理性的で従順な場合はともかく、反抗的で深刻な問題行動を繰り返す生徒が多数いる場合には、どうしても教師の言葉使いは悪くなる傾向がある。また、生徒の名前を呼び捨てにしたり、生徒を「お前」呼ばわりすることも稀ではない。さらに、教師と生徒の関係が様々な理由から上下関係になり、教師が無意識のうちに権力的、高圧的な姿勢を身につけ、それが教師の発言に現れているということもしばしば見受けられることである。

  教育というものがすぐれて人間的な交流の場であるとすれば、教師の叱責や訓戒の言葉の中に、感情的な言辞が混じることもやむを得ず、逆に、教師が語気を荒くして真剣に生徒に対していることを伝えることによって、教育効果が期待できることもある。

  ところが、生徒は外面から見える以上に繊細で、教師が不用意に発した言葉のために深く傷つけられることがある。そのことは問題行動を繰り返すような生徒であっても同様である。したがって、教師の具体的な言動が違法と判断されるかどうかは別にして、教師はどのような生徒に対しても、侮辱的な、あるいは人格を傷つけるような言葉を用いることのないよう常に配慮するべきであろう。

 

< 判例 >

[事例1] 中津商業高校事件(岐阜地判平5・9・6判時1487号)

[事例2] 中富小学校事件(東京地判昭57・2・16判時1051号、百選56事件)

[事例3] 田川東高校事件(福岡地飯塚支判昭45・8・12判時613号、判評149号、福岡高判昭50・5・1判タ328号、最三判昭52・10・25判タ355号、百選54事件)

[事例4] 横浜市立小学校事件(東京地判平8・1・26判時1568号)

[事例5] 入間市立中学事件(浦和地判平2・3・26判時1364号、教育法84号)

 

追記 本稿を一部削除修正し、月刊『生徒指導』3月号の原稿「気になる教師の言動」として投稿した。

 



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