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◆199902KHK182A1L0385HM TITLE: 教員の適格性と分限処分 AUTHOR: 羽山 健一 SOURCE: 大阪高法研ニュース 第182号(1999年2月) WORDS: 全40字×385行
羽 山 健 一
教育活動の質的水準を高めるには、教員の果たす役割が重要であることから、これまでの教育論議において「教員の資質向上」というテーマが幾度となくとり上げられてきた。そして教員には、まず、現状のいじめ・不登校といった教育荒廃の克服、次に、多様な教育活動や特色ある学校づくりなどの教育改革の展開、といった教育課題に対して積極的な役割を果たすことが求められている。
教育改革のメニューがほぼ出そろった現段階においては、とりわけ後者の課題が重視されており、教員が改革の意義を理解し、構想された改革の一端を担うべきことが、教員に向けられている。ところが、現実には逆に教員が教育改革を展開する上での障害になっている実態もみうけられる。
これまでにも、教員の資質向上について、養成、免許、採用、研修などの各段階において具体的な方策が打ち出されてきた。これらのうち、教員免許法の改正、新任研修の制度化など、いくつかが現実のものとなっている。そして現在では、資質向上策の総仕上げとして、教員評価の段階での具体策の制度化が注目されつつあるといえよう[1]。
教員評価制度は、当然、評価の結果に応じた措置を伴うものと考えるべきである[2]。そして、その評価結果の両極に位置づけられる措置として「優良な教員に対する褒賞」と「不良な教員の排除」とが考えられる。前者は、教員の処遇に成績主義を導入することに結びつき[3]、後者については、教職に必要な適格性を欠く者に対する分限免職の問題として捉えることができる。
本稿では、まず、教員評価の結果、教員としての「適格性を欠く」として、教員を教職から排除する制度の現段階を紹介し、次に、その最終的な手段として用いられる分限制度について、その意義や問題点の整理を試みる。
(1) 臨教審の「教職適性審議会」構想
1984年に内閣総理大臣から教育改革の諮問を受けた臨時教育審議会(以下、臨教審)は、初等中等教育の改革を審議する第三部会において、教員の資質向上の問題を扱った。その『審議経過の概要(その2)』では、「最近、教員として明らかに不適格と思われる者が不祥事を起こした事例が見られるが、教職の子共に及ぼす影響の重大性にかんがみ、医療処置を含め、適切な対応が取られるべきであるとの意見があった」として[4]、適格性を欠く教員への対応についての問題提起がなされていた。その後、この問題に検討を重ねたうえで、『審議経過の概要(その3)』において、具体的な方策を公表した。それが、「教職適性審議会(仮称)の設置」である[5]。その名称について、当初は「教職適格性審査会」として提案されていたが、検討のなかで「適格性」が「適性」に、「審査会」が「審議会」にそれぞれ改められた経緯がある。その制度の概要は次のように説明されている。
この審議会は、都道府県教育委員会に設置されるものである。教育委員会は、教員としての適格性を欠くと認められる者に対する措置について審議会に諮問する。これを受けて審議会は、当該教員の適格性の有無および適格性を欠く場合においてとるべき措置について調査・審議し、教育委員会に意見を述べる。審議会の構成員は、教育委員会が委嘱する20ないし25人程度で、その任期は2年。所掌事項は、教員としての適格性を欠く者(懲戒処分を対象者を除く)の審査、およびとるべき措置の審査である。審議会は、人事にかかわる決定権限を持つものではなく、諮問事項について意見を述べるものであり、教育委員会は、その意見を得て、分限免職その他の処分を課するなど必要な措置を講ずることとされている。
(2) 中教審の「教職員の資質向上」策
さきの「教職適性審議会」構想は臨教審の最終答申には盛り込まれなかったものの、その考え方は中教審に継承された。1998年の中教審答申は、教員の資質向上の具体的方策の一つとして、中教審としては初めて、適格性を欠く教員の問題をとりあげた[6]。
同答申は、学校において個性や特色ある教育活動を展開していくためには、校長や教頭のリーダーシップと、教員の資質の向上が必要であるとして、職員会議の在り方など学校運営組織の見直し、教職員の人事・研修の見直しなどを提起している。その中で、教員の資質向上にかかわって、教員の資質向上の意欲を喚起するために「その職務と責任に見合った処遇の改善を図る」とともに、教員としての適格性を欠く者に対しては、「教育委員会において、継続的に観察、指導、研修を行う体制を整えるとともに、必要に応じて『地方公務員法』第28条に定める分限制度の的確な運用に努めること」を説いている。これまで充分に機能してこなかったといえる分限免職や分限休職の制度を積極的に活用すべきであるとする論旨は、臨教審の「教職適性審議会」構想と軌を一にするものである。
(3) 東京都の「指導力不足教員」判定制度
東京都は、子どもを適切に指導できない教員を、「指導力不足教員」と判定する制度を1997年度末から実施した。対象となるのは、病気や障害以外の理由で、子どもを適切に指導できない状態の教員で、都立学校の場合は校長が都教育庁人事部に申請し、年度末に判定会議を開く。「指導力不足教員」と認定されると、定員外の教員として校長や都の指導の下に入り、三年後には免職の対象となることもあるという。同年度末に東京都教育庁は、小学校から高校までの16人の教員を該当者とした[7]。
以上の資質向上策には共通して、「現場から排除されるべき不適格教員が、そのまま放置されている」という認識がある。そしてその原因は、不適格な教員に有効な指導や研修を行ったり、不適格かどうかを判定する手続きが整備されていないため、校長が本人や組合からの抗議や紛争になることを恐れて「不適格」の判断を下せないためであると考えられている。だからこそ、不適格な教員を排除する処分を的確に行えるように、諸条件を整備していかなければならないと提案しているのである。この教員を排除する処分とは、まさに国家公務員法(78条)、地方公務員法(28条)に規定する分限処分に他ならない。そしてそこでの最大の論点は、分限処分の要件となる「適格性の欠如」とは何かということであろう。次には、分限処分の意義、分限処分で問題とされる「適格性」について述べる。
(1) 身分保障制度の趣旨
地方公務員法(以下、地公法)は、分限処分、懲戒処分、失職の制度を設けているが、これらの制度は職員の身分保障の制度であるとされている。行政の公正かつ民主的・能率的な運営を実現するため、職員は厳格な服務が要求される一方で、任意に不利益な処分を受けないこととして、身分保障が行われているのである。地公法27条2項に「職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、若しくは免職されず...」とあるように、つまりこれらの制度は、一定の義務に違反しない限りは不利益な処分を受けることがないという意味において、職員の身分保障の制度として位置づけられているのである。
(2) 分限処分の意義
分限処分とは、公務の能率を維持し、適正な運営を確保することを目的として、職員がその職責を十分に果たすことができない場合に、職員の意に反して行う、不利益な身分上の変動をもたらす処分である。これに対し、懲戒処分は職員の非違の責任を追求することを目的として行われるもので、目的の上で明確な差がある。
地公法27条2項は、分限処分として免職、降任、休職及び降給の四種類を定めている。免職は職員としての身分を失わせ離職させるという最も重大な処分である。降任とは昇任の逆であり、職員をその現に有する職より下位のものに任命すること。休職とは職員に職を保有させたまま、一定期間職員を職務に従事させない処分である。降給とは、職員が現に決定されている給料の額よりも低い額の給料に決定する処分である。降給についてはその基準の設定が難しいことから、ほとんど行われていない。
(3) 分限の処分事由
降任または免職を行うための事由は、地公法の定めるものに限定される(地公法27条)。具体的には地公法28条1項が、次の四つの事由を定めている。
一 勤務実績が良くない場合
二 心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合
三 前二号に規定する場合の外、その職に必要な適格性を欠く場合
四 職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合
休職を行うための事由は法定事由のほかに条例事由が認められているが、法定事由については地公法28条2項が次の二つを定めている。
一 心身の故障のため、長期の休養を要する場合(傷病休職)
二 刑事事件に関し起訴された場合(起訴休職)
休職を行うための条例事由について、職員の分限に関する条例(昭26・11・8大阪府条例第41号)は次の三つを定めている。
一 府が援助する公共的団体の業務に従事する場合
二 学校・研究所等に準ずる公共的施設の学術調査・研究・指導に従事する場合
三 災害による行方不明休職
(4) 処分権者の裁量権
分限処分を行うかどうかの決定、及びその種類・程度の決定は、具体的な個々の事例に即して判断せざるを得ず、分限処分は任命権者の行う裁量的行為であると解されている。しかし、分限処分が不利益処分であり、しかも、分限処分が身分保障としての側面を持っているものである以上、その決定には正当かつ合理的な判断が要求されることはいうまでもない。地公法27条1項も分限処分が「公正でなければならない」ことを特に明記している。また、地公法の定める一般原則である平等取扱いの原則(13条)、職員団体の構成員であること等による不利益取扱いの禁止(56条・36条IV)などにも適合したものでなければならない。
したがって、分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、任命権者の純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、次のような場合には、裁量権の行使を誤った違法のものとなる。@分限の目的と関係のない目的や動機に基づく処分、A恣意的な事実認定や事実誤認に基づく処分、B考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して処分事由の有無が判断された場合、その他、判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるとき[8]、C処分に平等原則違反がある場合、D処分事由と具体的処分の間に比例原則違反がある場合。
分限処分の裁量権について、一般的には以上のように考えられるが、これは、分限処分の種類すべてに一様とは考えられてはいない。免職処分は特に重大な効果を生ずるものであることから、他の分限処分に比べ、裁量権の行使については特に厳密、慎重であることが必要であると解されている[8]。
(1) 適格性の欠如とは
先にみたように、降任・免職の処分事由は地公法28条1項により、@勤務実績不良、A心身の故障、B適格性欠如、C廃職・過員の場合に限られるが、このうち、職員側に原因が求められるものは@ABである。そして、@Aの事由と、Bの事由とは同時に満たされることが多いと考えられる。同項3号も「前二号に規定する場合の外、その職に必要な適格性を欠く場合」という表現になっており、勤務実績不良と心身の故障は適格性欠如の一類型と考えられているようである[9]。そこで、同項3号の「その職に必要な適格性を欠く場合」とはいかなる場合かを中心に考察していくことにする。
判例は、一般論として、その職に適格性を欠く場合とは「当人の素質、能力、性格等からいつて公務員たるに適しない色彩ないし、しみが附着していて、それが簡単には矯正することのできない持続性を持つている場合」[10]、「当該職員の簡単に矯正することのできない持続性を有する素質、能力、性格等に基因してその職務の円滑な遂行に支障があり、または支障を生ずる高度の蓋然性が認められる場合」[8]などと解されている。
さらに、以上の意味における適格性の有無は、「当該職員の外部にあらわれた行動、態度に徴してこれを判断する」ほかはなく、「その場合、個々の行為、態度につき、その性格、態様、背景、状況等の諸般の事情に照らして判断すべきことはもちろん、それら一連の行動、態度については相互に有機的に関連づけてこれを評価すべく、さらに当該職員の経歴や性格、社会環境等の一般的要素をも考慮する必要があり、これら諸般の要素を総合的に検討したうえ、当該職に要求される一般的な適格性の要件との関連においてこれを判断しなければならない」としている[8]。
したがって、分限処分は職員の個々の具体的行動そのものを処分事由とするものではないから、個々の事実が単独では処分の事由とするに足りないものであっても、それら一連の具体的行為が「相互に有機的に関連づけて」評価され、諸般の要素と併せて「総合的に検討」された場合には、適格性の欠如が認められることがある[11]。このことは、懲戒処分の場合に比べて、分限処分における処分権者の裁量を一層複雑なものにしているといえよう。そのため、分限処分に関する争訟において、職員の不適格事由にあたるものとして、相当数の事実が主張・認定されることが通例となっている。しかし、考慮すべき要素が多岐にわたるということは、「当然に裁量の余地が広いというわけではないのであって、一方では、裁量の対象は拡大するものの、他方では、そのより慎重な考慮が要請されるところから、限界論が強くはたらく場合も想定されるであろう」[12]。
(2) 教員に求められる適格性
同じ公務員であっても、上位の役職者、警察官、税務職員などについては、高度の倫理性が求められ、私生活や個人的活動まで含めて、職務の適格性が論議されることがある。教員の適格性の判断においても、同様の傾向がうかがえる。このことから、教員の適格性には、他の行政職員と同様な一般的側面のほかに、「先生」として児童生徒の教育にたずさわる者という特殊的側面を具備するといえよう。
判例ではこの特殊的側面がどのように評価されているかをみてみる。いくつかの判例では、学校教育法に規定する各学校の「教育の目標」を引用した上で、教育目標の達成のために教員の役割が重大であって、教員の適格性を判断するあたって、この点に関する考慮が必要であることを説いている。
たとえば小学校・中学校の事例において、教育目的の達成のために「教員たるものは、その素質、能力、性格等の点で職務の遂行に何らの支障のないものであることを要す」[13]、「教科の授業による教育と並んで、右に述べたような学校生活のあらゆる部面において教師が成熟した社会人としてみずから実践、垂範してする実践教育こそが」強く期待されている[14]、などと述べられている。また、高校の事例においてさえ、「現実の教育の場にあたっては、生徒の個性、人格を重んじ、生徒を全人格的に啓発し、前記目標を達成しうるような学習及び生活指導をなし、これにふさわしい勤務態度をとらねばならない」[15]として、義務教育諸学校と変わりのない判示となっている。
学校教育において教員の果たす役割が重大であることは自明のことであるが、教員の適格性の判断にあたり、上記判例にみるような「成熟した社会人」、ひいては「模範的社会人」、「完璧な教師」の像を前提として、それとの対比によってその適格性の有無を判断するとなれば、教員にとってやや過酷な結果になると思われる。
(3) 具体的処分事例
教員の分限事例は多岐・多数にのぼり、被処分者も小学校から高校教員まで幅広く存在している。ここでは、多様な処分事由を6項目に分類し、各項目について、それが主な処分事由となっている事例を列挙した。ここに揚げた事例はすべて、分限免職に関するもので、いずれも裁判所によってその処分の有効性が認められている。
各事例における処分事由をみると、次の複数の項目にわたる多くの事実が主張されており、とりわけ、教育活動に関する能力、勤務態度の問題がとり上げられることが多い。また、校長との対立・反抗的態度は常に争点となっている。
@ 教育活動
・児童心理を把握せず、学習指導・生活指導に欠け、勝手な行動の多い小学校教員[13]。
・片面講和条約の危険等の政治的教育・生徒に反警察の訓話を行った中学校教員[16]。
・授業計画・態度に一貫性がなく、通知表・出席簿の適正な処理に欠ける高校教員[17]。
・小学校教員が校長の命令に反し、指導要録の評価の記入拒否、指導案提出拒否[18]。
A 勤務態度
・中学校教員の上司に対する反抗的態度、職務に対する熱意の不足、喫煙態度、校長に対 する不穏当な言辞、学年主任との口論などの独善的行動・態度[19]。
・学習指導の不適切、指導能力の不足、学級担任拒否、研修拒否・無届早退[20]。
B 組合活動
・校長着任拒否闘争の一環として、校長に対する暴力的言動、職員朝礼や職員会議への出 席妨害、職務命令拒否等を続けた高校教員[21]。
C 破廉恥行為
・妻子ある中学校教員が同僚教員に対して破廉恥行為を繰り返した[22]。
・学習指導・学習評価上の問題に対し上司がした指導助言を無視し、同校女性事務員と女 性徒に対し、帰途尾行し執拗に交際を求め本人に不安を与えた[15]。
D 長期欠勤
・中学校から小学校に左遷された教員が、神経衰弱におちいったとして月8日ないし25 日の病気欠勤を続け、促された休職願も提出しなかった[23]。
・研修休職勧告に応じない中学校教員の年177日の欠勤が勤務実績不良にあたる[24]。
E 精神疾患
・精神疾患で入院加療後復職した中学校教員が、生徒に対する暴行及び授業や校務に対す る態度に誠実さを欠く等[25]。
(1) 両処分の相違
分限処分と懲戒処分はともに職員の身分上の変動を伴う不利益処分であるが、次のように、両者はその目的、性格を異にする処分である。
@処分の目的について。分限処分は公務の公正中立性・能率を維持し、その適正な運営を確保することを目的とするものである。これに対し懲戒処分は、非違行為に対し公務員関係における規律を正し、秩序の回復・維持を図ることを目的とする。A処分の対象について。分限処分は職員の素質・性格等に由来する一定の継続的事実・状態の発生について行われる。これに対し懲戒処分は職務上の義務違反その他の非違行為に対して科される。B処分の性格について。分限処分は職員の道義的的責任を直接問うものではないが、懲戒処分は一定の義務違反に対して科される制裁で、職員の責任を追求するもの。
さらに、この両者はその効果においても差がある。まず免職について、分限免職の場合、退職手当は支給され、解雇予告の手続きを経ることが通常は必要とされる(労働基準法20条1項)。これに対し懲戒免職の場合は、退職手当の支給が禁止され(職員の退職に関する条例)、解雇予告の手続きが不要となる場合が多い。また、懲戒免職を受けた者は地公法16条3号の欠格条項に該当し、採用の制限を受ける。次に分限休職と懲戒停職について、休職の場合は一般的に何らかの給与が支給されるが、停職の場合給与は支給されない。その他、退職手当上の勤続期間の取り扱いも異なる。
(2) 懲戒事由に該当するが分限事由には該当しない場合
分限処分と懲戒処分は、その目的・要件を異にするものであるから、ある職員について、懲戒処分事由に該当する事実があったとしても、そのことだけから直ちに分限処分事由ありということはできない。したがって、単に懲戒事由があるにすぎないのに分限処分をなし、あるいは分限処分に名を借りて実質的に懲戒処分を行うこと許されない[26]。たとえば、職員に懲戒処分の対象となる非違行為があった場合でも、その行為が反省を促しても容易に矯正できない持続性のある素質・性格に由来するものでなければ、当該職員に適格性を欠くことの徴表であるとは言えず、分限処分を行うことはできないと解するべきである。
分限処分事例の中には、校長の勤務評定の不提出[8]、学力テスト成績表の不提出[19]、指導要録の評価の不記入[18]などの例がある。これらは、職員がその教育上の信念に基づいて、あえて義務違反となる行為をなしたものがほとんどである。諸般の要素を考慮して総合的に適格性の有無を判断するにしても、こうした信念に基づく行為が適格性の欠如と認定され得るのであろうか。確かに、教育上の信念は容易に変えることのできない「持続性を有する素質」と言えなくもないが、そうした信念に基づいて行動することが教員として不適格であり、そういう素質は矯正されるべきものとすることには、いささか疑問が残る。
この点につき最高裁は、「職員が、ある程度客観性、合理性の認められるその所信に従って、あえて職務命令違反の行為に出たような場合には、それが直ちに持続性のあるその性格等に基因するものであるとはいいえないという意味において、右行為が懲戒事由とはなりえても、直ちにその職に必要な適格性を欠くことの徴表であるとはいいえない場合もありえよう」[8]として、一定の理解を示している。
(3) 分限事由に該当するが懲戒事由には該当しない場合
前項目とは逆に、分限処分に該当する事実があったとしても、そのことだけから直ちに懲戒処分事由ありとすることはできない。そして、一定の事実が懲戒事由には該当しないが、分限事由に該当するという場合があり得る。たとえば、ある職員が公務員として数々の望ましくない行為をしており、その一つ一つを取り上げて判断するときは、それ自体が独立して懲戒処分を形成するような義務違反とまでは認定できないものであっても、個々の行為を「相互に有機的に関連づけて」諸般の要素を「総合的に検討」し判断した結果、一連の行為が適格性を欠くことの徴表であると認められる場合には、その職員に対し分限処分を行うことができるであろう。
しかし、このような分限処分は、懲戒処分をなし得ない事例において、分限処分に名を借りて実質的に懲戒処分と同等の処分を行うという危険性をはらんでいる。
(4) 処分事由の重複する場合の処分
一定の事実が、同時に、分限事由としての性格と懲戒事由としての性格とを併有する場合も少なくない。たとえば職員の行為が、地公法28条1項1号の「勤務実績が良くない場合」(分限事由)に該当し、同時に地公法29条1項2号の「職務を怠った場合」(懲戒事由)にも該当するような場合である。このような両法条に競合して該当する場合においては、当該職員を分限処分に付するか懲戒処分に付するかの判断は、一定の範囲において、任命権者の合理的な裁量権に委ねられていると解されている[27]。ただし、処分事由が重複するときの任命権者の選択判断が、「地公法28条、29条の規定内容ならびに社会通念に照らし、合理性を有するものとして許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤ったものとして違法たるを免れない」[28]とした判例も見られる。
分限処分と懲戒処分とはその趣旨・目的が異なるとはいっても、たとえば、分限免職と懲戒免職、休職と停職など、その効果の上で一定の共通性を有している。そのため、分限・懲戒の処分事由が重複する事例において、懲戒処分にされた場合の不利益(特に免職処分の場合の退職手当の不支給)を緩和させる意図で、分限処分ですませることが考えられるが、このような処分権者の選択判断は裁量権の濫用にあたるか、という争点が生じることになる。
この点につき、懲戒処分の対象になる職員を分限処分ですますことは許されないとする見解が示されている。すなわち、「懲戒処分にあっては、平等原則・比例原則といった法の一般原則に反することは許されず、裁量の巾も分限処分に較べて狭いといえる。処分権者は処分事由に見合った懲戒処分を行うべく拘束を受けるわけであり、したがって、処分事由が重複する場合には、論理的には懲戒処分が行われるべきものと解される」[29]というものである。
ただし、そこで懲戒処分ではなく分限処分が行われた場合、職員は懲戒処分の不利益を免れたわけであるから、自らその違法性を主張して争うことは実際にはほとんど考えられない。むしろ、問題とされるのは、一定の事実が、そもそも両処分事由に該当するものであったのか疑わしい場合である。処分権者が分限処分を程度の軽い懲戒処分と捉えて、厳密な検討もなくして、分限処分が行われることがあるとすれば、両処分制度の趣旨・目的を誤った違法な処分というべきであろう。
以上、不適格教員の排除をめぐって、分限処分の論点の整理を試みたが、不適格教員の認定基準、審査手続き、ないし排除にあたっての救済手続きについては触れることができなかった。分限制度が職員の身分保障の制度であることをふまえて、分限処分についての任命権者の裁量を統制する理論や制度の構築が望まれる。
(1999.2.20)
< 注 >
[1]臨教審は「教員の資質向上の方策について、養成、採用、研修、評価などを一体的に検討する」と述べている(臨教審『教育改革に関する第一次答申』1985年6月 第2部 本審議会の主要課題 5教員の資質向上)。
[2]地方公務員法第40条1項(勤務成績の評定)は、「任命権者は、職員の執務について定期的に勤務成績の評定を行い、その評定の結果に応じた措置を講じなければならない。」と規定している。
[3]東京都教育委員会「学校職員の成績特別昇級の改正について(最終)」1994年6月13日。これについては、小川正人「教員給与と教員評価(1)」『季刊教育法』1995年100号96頁、井原敏「東京都の成績主義の攻撃」『教育』No.624(1998・3)などを参照
[4]臨教審『審議経過の概要(その2)』1985年4月 3.これまでの論点
[5]臨教審『審議経過の概要(その3)』1986年1月 第5章 教員の資質向上
[6]中央教育審議会答申『今後の地方教育行政の在り方について』1998年9月 第3章 学校の自主性・自律性の確立について 3 校長・教頭への適材の確保と教職員の資質向上
[7]この制度については新聞報道から知るのみで、その詳細は把握していない。朝日新聞1997年11月16日「都『できない先生はクビ覚悟を』」、朝日新聞1998年3月3日「指導力不足教員一六人判定」
[8]今田校長事件 最二判昭48・9・14判時716・27
[9]ただし、勤務実績不良は、外見に表れた勤務の結果を評価するものであるから、厳密には、勤務実績不良には適格性欠如を伴わない場合もありうる
[10]大阪法務局事件 大阪地判昭27・5・6
[11]高松高判昭38・10・21、広島地判昭40・11・17など
[12]田村悦一 民商法雑誌71.1.118
[13]大井小学校事件 岐阜地判昭55・12・22
[14]長田南中学校事件 最三判昭54・7・31 環裁判官の補足意見
[15]城東工業高校事件 大阪地判昭51・11・15
[16]武佐中学校事件 釧路地判昭32・2・27
[17]鳥栖高校事件 佐賀地判昭62・9・25
[18]川平小学校事件 長崎地判平2・12・20、最判平6・7・14
[19]長田南中学校事件 最三判昭54・7・31
[20]北豊島工業高校事件 東京地判平7・6・20、最一判平8・4・25
[21]久留米高校事件 福岡高判平4・5・26、最判平5・10・5
[22]犬田布中学校事件 鹿児島地判昭50・2・28
[23]久野村小学校事件 宇都宮地判昭32・5・13
[24]新城中学校事件 青森地判平4・12・15
[25]川崎市立中学校事件 横浜地判昭59・9・27
[26]今田校長事件 広島地判昭41・7・12
[27]行政実例 昭28・1・14自行公発12号
[28]川崎市港湾局事件 横浜地判昭52・12・19
[29]村井龍彦「公務員の分限・懲戒」雄川一郎他編『現代行政法体系9公務員・公物』230頁(1984年)
<参考文献>
・森部英生「教師の適格性」『教育法規の重要判例』1985年218頁
・有田一寿「教師の資質向上について考える」『季刊教育法』1985年60号13頁
・金子善次郎編『服務・分限・懲戒・労働基本権』1991年
・青木宗也他編『労働判例体系第17巻(公務員の勤務条件)』1991年
・岡村達雄『処分論−「日の丸」「君が代」と公教育』1995年
・佐藤全『教員に求められる力量と評価《日本と諸外国》−公立学校の教員はどこまで評価できるか−』1996年
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