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◆200612KHK228A2L0170C TITLE: 学習指導要領の変遷 AUTHOR: 羽山 健一 SOURCE: 2006年11月(最終更新:2017年8月) WORDS:
改訂年 | 改訂・実施 | 特徴・内容 |
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1947年 | 1947年3月20日「学習指導要領一般編(試案)」発表、「同 各教科編(試案)」発表。 小学校、中学校は1947年度より実施、高等学校は1948年度より実施。 |
教育実践において参考とすべき手引き書 |
1951年 | 1951年7月「学習指導要領一般編(試案)」(小中高)改訂・実施。 | 急遽作成した1947年版の修正 |
1955年 | 1955年小学、1956年中学の「社会科編」改訂。 1955年12月「高等学校学習指導要領一般編」改訂(「試案」の文字を削除)、1956年度より実施。 |
独立国家として、占領時代の違和感の解消 |
1958〜1960年 | (改訂) 小学校:1958年10月 中学校:1958年10月 高等学校:1960年10月 (実施) 小学校:1961年度 中学校:1962年度 高等学校:1963年度(学年進行) |
教育課程の国家基準としての性格の明確化 |
1968〜1970年 | (改訂) 小学校:1968年7月 中学校:1969年4月 高等学校:1970年10月 (実施) 小学校:1971年度 中学校:1972年度 高等学校:1973年度(学年進行) |
教育内容の一層の向上=「教育内容の現代化」 |
1977〜1978年 | (改訂) 小学校:1977年7月 中学校:1977年7月 高等学校:1978年8月 (実施) 小学校:1980年度 中学校:1981年度 高等学校:1982年度(学年進行) |
ゆとりある充実した学校生活の実現=学習負担の適正化 |
1989年 | (改訂) 小中高等学校:1989年3月 (実施) 小学校:1992年度 中学校:1993年度 高等学校:1994年度(学年進行) |
社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成 |
1998〜1999年 | (改訂) 小学校:1998年12月 中学校:1998年12月 高等学校:1999年3月 (実施) 小学校:2002年度 中学校:2002年度 高等学校:2003年度(学年進行) |
「ゆとり」の中で「生きる力」を育む |
一部改正 小中高等学校:2003年12月 |
学習指導要領のねらいの一層の実現 | |
2008〜2009年 | (改訂) 小学校:2008年3月 中学校:2008年3月 高等学校:2009年3月 (実施) 小学校:2011年度 中学校:2012年度 高等学校:2013年度(学年進行) |
「ゆとり教育」の是正と「生きる力」の継続 |
一部改正 2015年3月27日 (実施) 小学校:2018年度 中学校:2019年度 |
道徳教育の教科化 | |
2017〜2018年 | (改訂) 小学校:2017年3月 中学校:2017年3月 高等学校:2018年3月 (実施) 小学校:2020年度 中学校:2021年度 高等学校:2022年度(年次進行) |
アクティブラーニングをすべての教科に取り入れる |
< 参考文献 >
○ 河野重男・西村三郎編『高等学校学習指導要領の展開 総則編』明治図書(1978年)
○ 平原春好『日本の教育課程―その法と行政―第2版』国土社(1980年)
○ 永井憲一編『新学習指導要領と教師』エイデル研究所(1991年)
< 後記 >
ここ数日、高等学校における必修科目の履修漏れの問題が連日のように報道されている。文科省の調査では、履修漏れは、国公私立を合わせて計540校、8万3743人に及び、全国の高校の約1割で履修漏れがあったことになる(2006年11月2日朝日新聞)。この問題で安倍首相や伊吹文科相は、教育現場の校長・教員、教育委員会が規範意識に欠けると批判し、文科省自身の責任は結果責任にとどまるとコメントしている。こうした政府の姿勢はきわめて欺瞞的であり、ここで、改めて学習指導要領(以下、指導要領)の経緯を整理し、その欺瞞性を明らかにしようと考えた。
文科省は指導要領が「法令」であるとの立場をとっている。しかし、指導要領は文字通りの「法令」とは言えない。今回の対策で、生徒に補習を受けさせることが検討されているが、指導要領には何をもって履修を認定するかという「履修」の要件は規定されていない。指導要領が法令とするならば、これは致命的な欠陥であろう。その結果、特例措置として補習時間数を軽減したとしても、定められた補習の時間数を生徒が受講しなかった場合に、その生徒の卒業を認定できるかどうかについて指導要領からは判断できない。結局、卒業させるかどうかの判断は各高校に委ねられることになろう。
もともと指導要領は、1947年に教員が参考とすべき「手引き書」として発行されたものであったが、1958年に当時の文部省がこれを官報に告示することにより、法規性・法的拘束力があるとする解釈を行い現在に至っているのである。
ところが、これまで、指導要領は文字通りの「法令」としては守られてこなかったし、当の文科省自身もそれを放置し、あるいは黙認してきた。たとえば、指導要領に定める教育内容の学年指定は、私立の一貫校では前倒しされ、最終学年で空いた時間を受験勉強に充てていた。これは後に、選択制の拡大や、中高一貫校制度の導入によって実態を追認する方向で解消された。また、1971年度から導入された必修クラブは、実施を始めたものの長らく完全な実施が実現されないまま、2002年度の指導要領から正式に削除された。同じように、小学校で1980年から「ゆとりのある充実した学校生活」を実現するために導入されたいわゆる「ゆとりの時間」は高校でも実施されたが、次の指導要領の改訂でこの時間が削除される前に、学校現場では姿を消していた。
さらに、高校において学校5日制を導入した2003年度からの指導要領では、週当たりの授業時数は、30単位時間を標準とすることになっているが、一部の公立学校や多くの私立学校では土曜日に授業を行ったり、7時間目の授業を実施するなどして週30時間の標準を大きく上回っている。
これとは逆に、文科省は指導要領に定める国旗国歌の指導については、1999年に国旗国歌法が制定される以前から、毎年、その実施状況を全国調査し、執拗にその完全実施を迫り、ついには、ほぼ100%の実施率をもたらした。指導要領のある部分については完全に遵守させるが、別の部分については調査しようともしない。いったいこの落差はどう理解すればよいのだろうか。
文科省設置法によれば、文科省は学校教育について調査し、教育委員会や都道府県知事に対して指導、助言、勧告を行う権限を有している。ところが、今回の必修科目の履修漏れの問題について、文科省はこうした権限を有しながら、問題が発覚するまでは、実態調査をし不適切な運用に対し指導や勧告を行うなどの充分な対応をしてこなかった。
高校では、家庭科を男女必修とし、世界史を必修とした1994年頃から必修漏れの兆候があったといえる。2001年度には広島と兵庫の県立高校でこの問題が発覚し文科省も是正を指導したが(2006年10月26日朝日新聞)、このとき、履修漏れの問題が広範に拡大していることを疑うべきであった。文科省は遅くとも、学校5日制の完全実施を行い授業時数を大幅に削減した2003年に、この問題を察知しその全国調査を行い是正を指導するべきであった。このように、文科省は履修漏れの問題がこれほど全国的に拡大する以前に、それを食い止めることができたのであり、それを行うべきであった。それを行わなかった不作為の責任はきわめて重い。
責任を問われた文科省は、「法改正して教育委員会に対する権限を強化したい」と述べているが、これは責任のがれであり、国旗国歌の徹底に見られるように、現状のままでも、文科省は既に指導要領を遵守させるのに充分な権限を有しているのである。文科省が今回の事件の結果、より強力な権限を手に入れるならば、それは「焼け太り」であり、文科省の責任のがれを許したことになる。
(2006年11月3日)
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