◆199010KHK100A1L0230CM
TITLE:  伝習館判決と教科書使用義務
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第100号(1990年10月)
WORDS:  全40字×230行

 

伝習館判決と教科書使用義務

 

羽 山 健 一 

 

 はじめに

  伝習館訴訟は,県立高等学校の三人の社会科教諭が,授業における教科書の不使用,学習指導要領の逸脱(いわゆる「偏向教育」の実施),一律評価等を理由に,県教育委員会から懲戒免職処分を受けたため,その取消を求めたものである。本件では,学習指導要領の法的拘束力の有無,および教師の教科書使用義務の有無という問題をめぐって争われたが,その特徴は,教師の教室での具体的な教育活動のあり方が処分の対象とされているところにあると言えよう。最高裁は原審を維持し,学習指導要領の法規性を確認し,教師の教科書使用義務を肯定した。ここに至って,教師は,日常の教育活動や授業を行うにおいて,学習指導要領を遵守し,また,学習指導要領に基づく検定に合格した教科書を使用することを義務づけられるようになり,この義務に違反することは懲戒処分事由となることが確認されたことになる。すでに教科書は,発行,検定,採択にわたって大幅に国の裁量権に委ねられており,その教科書に授業における優先的地位を与え,使用を義務づけるということは,国の教育内容統制が貫徹され,現場の教育活動にまで直接的に及ぶことを意味する。小論では,まず,戦前,戦後の教科書使用観,制度の転換を概観したうえで,伝習館訴訟判決を中心に,教科書使用義務の有無,および教科書使用義務を履行したといえるための使用形態について検討することとする。

 

 1.教科書観の転換

  戦前の日本では,教科書は神聖なものとみなされ,「唯一絶対の教材」であるとする極端な教科書中心主義がとられていた。教師も教科書だけを型どおり教えることが最大の任務とされていた。これは教科書が天皇制教学を国民に注入するのに最も有効なものであると考えられていたためであろう。こうして教科書は天皇制国家体制のなかで,学習者に対し絶対的権威をもつこととなり,国定教科書の使用義務は疑う余地のないものであった。したがって,教科書を授業に使用しない教師は厳罰に処せられたのであった。たとえば,その典型例が1924年の「川井訓導事件」である。松本女子師範付属小学校の川井訓導は,視学委員などの参観者の前で行った修身の授業で,教科書を使用しなかったことを理由に休職処分をうけたのであった。

  戦後の教育改革のなかで教科書観は大きく転換した。すなわち,教科書は教材の中で絶対的な権威をもつものではなくなり,「主たる教材の一つ」(注1)とされるに至った。このことは,まさに「教科書を教える」から「教科書で教える」ことになったという変化を意味する(注2)。この変化をものがたるものとして,たとえば,1947年,文部省が戦後最初に発行した社会科教科書『土地と人間』(6年生用)のあとがきには,次のような記述がある。「この本は・・・・児童にぜひ与えなくてはならない知識を精選して排列したものではない。・・・・だから従来の教科書と同じように考えてはいけない。むしろ児童用の参考書の一種として取り扱っていただきたい」。このように教科書が「児童用参考書の一種」と考えられるようになったからこそ,学校教育法21条2項も,「教科用図書以外の図書その他の教材で,有効適切なものは,これを使用することができる」と規定するに至ったのである。

 

 2.教科書使用義務

  教科書の使用義務について,学校教育法21条1項は,「小学校においては,文部大臣の検定を経た教科用図書又は文部省が著作の名義を有する教科用図書を使用しなければならない」と規定し,同条は中学校,高等学校にも準用される(同法40条,51条)。学校教育法には,教科書および教科用図書の定義は定められておらず,実定法上の統一的な定義はない。ただし,教科書の発行に関する臨時措置法(以下,教科書法)2条には,「『教科書』とは,小学校,中学校,高等学校及びこれらに準ずる学校において,教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として,教授の用に供せられる児童又は生徒用図書であって,文部大臣の検定を経たもの又は文部省が著作の名義を有するもの」であると同法上の教科書の定義を定めている。学校教育法21条1項が教科書使用義務を規定しているとすれば,教師の教育の自由の観点から,この規定の合憲性が問われなければならない。しかし,ここでは,この規定の存在を前提として,その解釈において,使用義務説と使用義務否定説の対立があることを述べるにとどまる。

 (1) 使用義務説  この説は,学校においては必ず検定教科書または文部省著作教科書を使用しなければならない,とするものである。文部行政解釈はこの説をとり,その根拠として,同条の文言から明らかであること,全国的一定水準の確保と教育を受ける機会の保障をあげている(注3)。また行政実例でも(昭和26.12.10委初332 初中局長回答「教科用図書使用に関する疑義について」),学校教育法21条1項の趣旨について,「小学校においては必ず教科用図書を使用しなければならない。そしてその使用する教科用図書は監督庁の検定もしくは認可を経たものまたは監督庁において著作権を有するものでなければならない」として,教科書使用義務を肯定している。

               

  (2) 使用義務否定説  この説は,教科書を使用するか否かは任意であって,使用する場合には,検定教科書または文部省著作教科書でなければならないとするものである。教育条理解釈としてはこの説が正しいと考えられている(注4)。また学校教育法21条1項が教科書使用義務を規定したものだとする解釈には,文部当局者によっても疑義が出されていた(注5)。それは,教科書使用義務を否定する解釈もまた成り立ちうるであろうとして,「何となれば,教科書中心主義の戦前の教育においては,教科書こそは唯一のよるべきものであり,教科書は必ず学習上用いなければならないものと考えられていたのに対し,戦後の新しい教育においては,教科書は,児童生徒の学習活動を助けるための多くの教材,教具のうちで,もっとも内容,系統の整った重要な教材,教具の一つにすぎないと考えられるようになったからである」としている。生徒の学習権を保障するためには,生徒の成長,発達に応じた教材を選定することが求められ,これを最もよく為しうるのは専門家としての教師であり,教師には教育の自由の一環として,教材選択の自由が認められなければならない。したがって,教科書が生徒の学習権保障のために役立たないと考えられる場合には,教師は教科書を使わないことができると考えられる。この点につき,1966年10月,ユネスコ特別政府間会議において採択された「教員の地位に関する勧告」は,「教職者は職業上の任務の遂行にあたって学問上の自由を享有すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するため格別に資格をあたえられたものであるから,承認された課程の大綱の範囲で教育当局の援助のもとで,教材の選択と採用,教科書の選択,教育方法の採用などについて主要な役割を与えられるべきである」(61項),と述べており,教師の教材選択の自由,教材使用の自由を積極的に認めている。さらに,教師の教育の自由が憲法23条によって保障されると判断した杉本判決も,「教師に児童,生徒にもっとも適した教材および方法を判断する適格が認められるべきであり,・・・・国が教師に対し一方的に教科書の使用を義務づけたり・・・・することは,叙上の教育の自由に照らし妥当ではない」という明確な判断を示していた。

 (3) 伝習館判決にみる教科書使用義務

  伝習館判決においては,第一審,第二審,最高裁判決は,ともに学校教育法21条1項が教科書使用義務を肯定したものであると判断している。その根拠として,第一審判決は次の諸点をあげている。@文言上から明らかであること,A教科書の検定・採択制度,補助教材の届出・承認制,教科書法の存在等の教育法制度が,教科書使用義務の肯定を前提としていること,B教育の機会均等の要請,C全国的な一定水準維持の要請,D子どもの側から学校や教師を選択する余地が乏しいこと。これに加えて第二審では,E教科書が学習指導要領によって編成されていること,F教授技術上も教科書を使用して授業をすることが有効であること,をあげている。これらの根拠に対しては,少なくとも次のような批判の余地がある。まず,教育の機会均等は画一的な教育を要請するものではなく,また,全国的な一定水準維持の要請は,高等学校に関する限り,大幅な学校間格差のあることを考えれば,意味をなさないものである。次に,学習指導要領は最高裁学テ判決においても,法規として全面的に法的拘束力があるとは認められていない(注6)。さらに,教授技術上の有効性という根拠は,「法的根拠というよりは教育科学の成果に基づかない裁判所の恣意的な教育的根拠」というべきであろう(注7)。

 

 3.教科書使用方法・形態

  かりに,教科書使用義務が肯定されるとするならば,次には,どのような使用方法・形態がとられたときに,適法に教科書使用義務を果たしたといえるのかが問題となる。この問題についての判断基準の違いから,伝習館判決では,第一審で教科書使用義務に違反しないとされた教科書使用形態が,第二審および最高裁では義務違反とされている。ここでは伝習館判決にそって,教科書使用義務を果たしたといえる使用形態がどのようなものであるかについて検討する。

  処分者である教育委員会側の主張は,@教授方法において教科書が「主たる教材」として活用されていること,すなわち,当該授業に使用される諸教材の中で教科書が常に中心的教材として使用されていること,A授業内容の面でも,教科書の内容に従っていることの二点が,教科書を使用したと認めうる条件であるとするものである。他方,教諭側の主張は,「教科書の使用とは,教師が授業において説明した内容が客観的に,ないし結果的に教科書の内容に相当している場合をいう」とするものである。

  これらの主張に対し,第一審判決は,およそ次のような判断を示した。@教科書法は,「主として文部大臣と教科書発行者との関係を規律したものであるから」,同法上の教科書の定義をもって教科書使用義務ひいては使用形態を演繹することは困難である。A「優れた教科書ほど教師にとっても生徒にとっても適切な教材たりうるが,優れた教科書の存在のみでは教育の成果は期待でき」ず,生徒の実情に即した,「教師の創意工夫」が要請される。B「教科書に絶対的な価値を認めることは戦前の国定教科書の例に照らしても危険を包含している」。Cしたがって,「教科書法上『主たる教材』であることから諸教材の中で中心的教材として使用する義務を肯定することはできず,教科書の教え方や補助教材との使用上の比重等は教師の教育方法の自由に委ねられている」と解するのが相当である。Dしかし「学校教育法21条が教科書使用義務を規定している以上」,教師が授業において,「教科書を教材として活用せず,教科書以外の副読本や資料集その他の教材のみを用いて」教育活動をなした場合には,それが「客観的にあるいは結果的に教科書内容に相当している場合であっても」教科書を使用したとはいえない。E結局,「教科書を使用したといいうるためには,まず教科書を教材として使用しようとする主観的な意図と同時に客観的にも教科書内容に相当する教育活動が行なわれなければならない」。Fもっとも,「一年間にわたる当該科目の授業の全部にわたり右の関係が維持されていることを厳密に要請されるとは言えず,要は当該科目の一年間にわたる教育活動における全体的考察において教科書を教材として使用したと認められなければならない」。このように第一審判決は,教科書使用義務を肯定したものの,その使用形態については,教師の教育の自由の観点から教師の裁量の幅を広く認め,教科書を使用したといいうる使用形態の基準を緩やかに解した。

  以上の第一審判決に対し,第二審判決は一転して教育委員会側の主張を取り入れ,次のような判示をした。@「教科書のあるべき使用形態としては,授業に教科書を持参させ,原則としてその内容の全部について教科書に対応して授業することをいう」。A「教科書を主たる教材として使用する義務がある」。B教科書内容を全部授業した上で,「教科書を直接使用することなく,学問的見地に立った反対説や他の教材を用いての授業をすることも許される」。第二審判決は,教育委員会の主張する「主たる教材」説を採用し,あくまでも教科書を中心に授業を進めるべきであると判断したことになる。このような判断はまさに戦前の「教科書を教える」という教科書中心主義に立つものであると言えよう。

  最高裁は,教諭が教科書使用義務に違反したという第二審の判断を是認した。もっとも第二審で,教科書使用状況から,「法規違反の程度が著しいものとはいえない」と判断された教諭について,最高裁は,教科書使用義務違反が「年間を通じて継続的に行われたもの」であって,「所定の教科書は内容が自分の考えと違うとの立場から使用しなかったものであること」から,「法規違反の程度は決して軽いものではない」として,第二審の判断を覆し,教諭の処分を適法として認定した。

 

 4.学校教育法21条1項と教科書使用方法の自由

  学校教育法21条1項の解釈には,教科書使用義務説と使用義務否定説との対立があることは先に述べたが,このような対立があることを考慮すれば,教科書使用義務を肯定するにしても,その義務内容の確定,すなわち,教科書使用義務を果たしたといいうる使用形態の基準を設定することは,かなり慎重でなければならない。なぜなら,この条項が教科書の使用を義務づけているとしても,その使用方法まで規制しようとするものではないからである。教科書の使用方法は,従来から教科によってかなり異なり,一律には決められない。教科書を実際にどう使うかは,やはり個々の教師の教育的裁量にまつところが大きい(注8)。おそらく学校教育法21条1項の制定当時においては,学校で教科書が何らかの形で使用され,教科書が全面的に使用されないということは予想されていなかったと考えられる。したがって,学校教育法21条1項の法意は,学校では何らかの形で教科書が使用されて教育が行われることを前提として,その際に使用される教科書が,検定教科書または文部省著作教科書でなければならない,というものである。その意味では,同条項が教科書使用義務を規定したと解するにしても,「その義務は,文字通り,学校における教科書の使用を一般的,抽象的に規定したものであり,個々の教師の授業における教科書使用の方法・形態までも含めて具体的に規定したものと解することは論理的な短絡がある」(注9)と言わなければならない。第一審判決は,教科書使用義務を認めたものの,教科書使用方法については教師の教育的裁量に委ねられるべきことを判示し,同条項から具体的な,あるべき教科書使用方法を導き出さなかった,という点で妥当な解釈であった。これに対し,第二審判決は,教師の教科書使用方法の自由を大幅に縮減し,同条項を根拠として,教科書使用方法を直接的に規制できるとする論理展開を行い,個々の教師の具体的義務のあり方を決定づけている。これは,同条項の意味する一般的,抽象的義務の範囲を超えており,いささか慎重さを欠くものであろう。

(注1)平原春好『日本の教育課程<第2版>』(1980)188頁
(注2)このような教科書観の転換は文部省筋でさえも認めるところである。たとえば,
   菱村幸彦『教育課程の法律常識(新訂二版)』(1989)176頁
(注3)文部省地方課法令研究会『学校管理法規演習』(1984)46頁
(注4)兼子仁『教育法(新版)』(1978)418頁
(注5)天城勲『学校教育法逐条解説』(1954)92頁
(注6)兼子仁「最高裁学テ判決の読みとり方」季刊教育法21号(1976)90頁
(注7)世取山洋介「教科書使用義務をめぐる学説と判例」法律時報62巻4号(1990)29頁
(注8)渡辺孝三・下村哲夫『教育法規の争点(増補改訂)』(1981)269頁
(注9)若井彌一「教科書使用の裁量性と創意工夫」季刊教育法51号(1984)120頁

 

<レジメ>

       伝習館判決と教科書使用義務
                                                                    1990.10.6  羽山 健一
1.教科書観の転換
   (1) 教科書の定義  教科書の発行に関する臨時措置法(教科書法)第2条
   (2) 戦前の教科書観・・・・唯一絶対の教材,教科書中心主義的教材観
       川井訓導事件
   (3) 戦後の教科書観・・・・主たる教材の一つ
       第一次アメリカ教育使節団報告書,社会科教科書「土地と人間」
   (4) 「教科書を,で,でも」論議

2.教科書使用義務−−学校教育法21条1項
   (1) 使用義務説
       文理解釈
       行政解釈 「教科用図書使用に関する疑義について」昭26.12.10
       教科書法制(検定・採択),学習指導要領の法的拘束力
   (2) 使用義務否定説
       教育条理解釈
       教師の教育権・・・・教材選択権,教材使用の自由,教科書不使用の自由
       杉本判決
       天城勲「第二の解釈」
   (3) 伝習館判決・・・・教科書使用義務肯定
        ┌────┬───────┬───────┬───────┐
        │ 教諭 │  第一審  │  控訴審  │  上告審  │
        ├────┼───────┼───────┼───────┤
        │ K  │  違反   │  違反   │  違反   │
        │ H ┐│  違反せず │  違反   │  違反   │
        │ Y ┘│       │(著しくない)│(軽くない) │
        └────┴───────┴───────┴───────┘

3.教科書使用形態
   (1) 「主たる教材」として使用する義務
   (2) 教科書の内容に相当する授業
   (3) 教科書使用方法の自由−教科書と教科書以外の教材の比重の置き方
   (4) 伝習館判決
       事実関係「「教科書使用の存否
       第一審判決・・・・使用したといえる基準
       控訴審判決・・・・あるべき使用形態

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