■ 教育勅語等排除に関する決議 1948年6月19日 衆議院本会議



昭和23年6月19日 衆議院本会議

        教育勅語等排除に関する決議


 民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
 右決議する。




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衆議院議事録 本会議 67号
昭和23年6月19日

○松本淳造君
 私は、各派共同提案であります教育勅語等排除に関する決議案提出にあたりまして、その趣旨を弁明いたしたいと思うものであります。
 申すまでもなく、永い間わが國民の精神を支配していました教育勅語等を排除するというのでありまするから、その影響するところはかなり甚大であると思うのであります。從つて、この問題につきましてほ、すでに文教委員会等におきましても数回にわたる会合をもちまして、きわめて慎重に審議いたしたわけでございますが、その結果、本日首題の通り、教育勅諸等を排除するという決議案提出に至つた次第であります。なおこの教育勅語等の等でございますが、これは教育勅語に類する、主として教育関係の勅語、詔勅、これらを意味するものでございまして、すなわち陸海軍軍人に賜りたる勅諭、戊申詔書、青少年学徒に賜りたる勅語等を指すのであります。この点、あらかじめ御了承おき願いたいと思うものであります。
 まず主文を朗読いたします。

  教育勅語等排除に関する決議
 民主平和國家として世界史的建設途上にあるわが國の現実は、その精神内容において未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となつている教育勅語並びに陸海軍軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは、從來の行政上の措置が不十分であつたがためである。
 思うに、これらの詔勅の根本理念が主権在君並びに神話的國体観に基いている事実は、明かに基本的人権を損い、且つ國際信義に対して疑点を残すもととなる。よつて憲法第九十八條の本旨に從い、ここに衆議院は院議を以て、これらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの詔勅の謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。
 右決議する

 ただいま朗読いたしました主文の通りに、現在わが國は平和國家、民主國家としての建設の途上にあるのであります。それはポツダム宣言受諾以來、かつまた新憲法制定以來、確固として決定された國の方針であるといつて間違いはないのであります。從つて、われわれといたしましては、その方面を目ざしまして、あらゆる改革を断行し、また断行せんとしておるのであります。ところが、それらの諸改革は、すでに制度上におきましては相当大幅に、画期約に、これがなされてまいりましたが、しかし、それらの制度上の改革に比べますと、いわゆる精神的内容についての改革、すなわち、いうところの精神革命に至りましては、未だしという感じがしないわけではないのであります。この点は率直に認めてよいことであろうと思うのであります。すなわち、從來の封権主義的、軍國主義的、超國家主義的な、そういつた理念、精神から、個の尊厳を確認しますところの民主主義的な精神の切替え、改革といつたようなものが、まだまだ十二分にはなされていない、世界の水準にもなお達していないということは、遺憾ではありますが、事実と言わなければならないのであります。從つて、新憲法は制定されましても、依然として古い考え方が、未だに遺憾ながら残つておりますので、これら新旧二つの理念がときに衝突し、ときに予盾し、その結果混乱をひき起して、そのために民主化の停満性が現われておるといつて間違いはないのであります。世間でいいますところの道義の頽廃、あるいは虚無的な、没理想的な生活展開のごときは、ひつきようするところ、この精神の混乱から生れてくる現象であるといつて間違いはないのであります。
 そこで、われわれといたしましては、かような混乱をいつまでも放置しておくわけにはまいりません。できるだけこれらを整理し、民主的な精神内容を國民の一人々々が正しく把握し、もつて理想とする平和國家としての体を整え、國際的にも信頼されなければならないことが急務であるのであります。そして、そのことを達成いたしますためには、何よりも教育によることが本質的に必要であるのでございまして、そのために、諸君も御承知でありますように、教育基本法をわれわれはすでに制定いたし、これによつて國民の指導原理を明らかにしているわけであります。
 すなわち、その基本法におきましては、われわれは新らしき憲法の精神に則り、民主的で文化的な國家を建設して、世界平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示し、個人の尊嚴を重んじ、眞理と平和を希う人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造を目ざす教育を普及徹底しなければならないと、かように規定しでいるわけであります。
 ところが、かように明確に規定しているのでありますけれども、遺憾ながらその規定及びその内容が、國のすみずみまで生命的に行き渡つていないうらみもあるのであります。そして、その効力を失つてしまつておりますところの教育勅語、あるいは陸海軍人に賜りたる勅論、または戊申詔書、青少年学徒に賜りたる勅語等、これら教育に関する諾詔勅が、今日もなお國民道徳の指導原理としての性格をもつているかのごとく誤解されている向きもあるのであります。この点は、民主革命の基本でありますところの精神革命の達成には、かなり重要なポイントでございまして、これをこのまま見逃がしておくことは、決してわが國の現在にとつて、さらに将來にとつて、よいことであろうとは考えられないわけであります。
 ところで、なぜそのような誤解が残ているのであるか。これが問題になつてまいりますが、これは前にも申しました通り、新憲法あるいは教育基本法の精神が、未だ國民の精神内容そのものになつていない結果であることは、言うまでもないことでありますけれども、しかし何と申しましても、これらの諸詔勅に対する措置が、法制上または行政上における措置が、今日まで十分にとられていなかつたと考えなければならないのであります。
 といつて、その措置が全然なかつたわけではありません。たとえば、昭和二十一年三月には儀式の場合に勅語を捧読せよとの項を削除し、教育は教育勅語の趣旨に則れの項を削除しました。次いで、昭和二十一年十月八日、その当時の文部省は、次官通牒の形式をもつて、「教育勅語をもつて我國教育唯一の淵源とせず、式日等に棒読の慣例をやめる。保管及び捧読に際しては神格化しない。」と、一應行政上の措置をとつておることは事実であります。
 けれども、その措置がきわめて消極的でありまして、徹底を欠いているうらみがあるのでありますから、ほんとうに勅語を廃止したのか、失効せるものとして認めておるのか、自然消滅をでも期しておるのであるか、いずれにせよ、徹底的な措置がなされているとは言いがたい点があるのであります。從つて、今もなお教育勅語の謄本は、各学校に保管させて、そのままにしているような状態であります。だから國民におきましても、はたして勅語が失効したのか、効力をもつているのであるか、生きているのであるか、その辺か判断がわからないのでありますから、そこにいろいろな誤解が生れてくるわけであります。
 これらを一應考えます場合におきまして、われわれは、その教育勅語の内容におきましては、部分的には眞理性を認めるのであります。それを教育勅語のわくから切り離して考えるときには眞理性を認めるのでありますけれども、勅語というわくの中にあります以上は、その勅語そのものがもつところの根本原理を、われわれとしては現在認めることができないという観点をもつものであります。それが憲法第九十八條にも副わないゆえんでありまするので、この際この條規に反する点を認めまして、われわれはこの教育勅語を廃止する必要があると考えざるを得ないわけであります。これは単に國内的の視野においてのみ見るのではなくして、國際的の視野においてもこれを見ます場合に、特に明らかにしておくことが必要でありますので、本日衆議院は、院議をもつてこれらの諸詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言し、政府をしてただちにこれら詔勅の謄本を回収せしめ、この際はつきりと排除の措置を完了せしめたいと思うのであります。
 以上、簡單ではありまするが、教育勅語等排除に関する決議案上程に際しまして、その趣旨を弁明した次第であります。何とぞ諸般の事情を御明察賜わりまして、御賛成あらんことを切に希望してやまない次第であります。(拍手)








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