◆ S45.07.17 東京地裁判決 昭和42年(行ウ)85号 家永教科書検定(第二次)訴訟・杉本判決(検定処分取消訴訟事件)




 家永教科書訴訟事件・東京地裁判決

   昭和42年(行ウ)第85号
   検定処分取消訴訟事件
   昭和45年7月17日言渡


   判   決

  東京都練馬区東大泉町九〇三
    原    告    家  永 三  郎
    右訴訟代理人    別紙原告代理人目録のとおり
  東京都千代田区霞が関三丁目二番二号
    被   告     文部大臣
              坂  田  道  太
    右指定代理人ならぴに訴訟代理人
              別紙被告代理人目録のとおり


    主    文

1 被告が原告の昭和四三年度用教科用図書高等学校日本史(第三学年用)改訂の原稿審
 査において、左記改訂箇所について、昭和四二年三月二九日付でした各検定不合格処分
 は、いずれもこれを取り消す。
      記
(一) 改訂箇所番号五「第1編 原始社会とその文化、扉の見出し『歴史をささえる人
    々』」1頁
(二) 改訂箇所番号六「第2編 古代国家と古代文化の形成、扉の見出し『歴史をささ
    える人々』」9頁
(三) 改訂箇所番号一四「第3編 封建社会と封建文化の発展、扉の見出し『歴史をさ
    さえる人々』」63頁
(四) 改訂箇所番号一八「第4編 近代社会の発展、扉の見出し『歴史をささえる人々
    』」175頁
(五) 改訂箇所番号一二「脚注、(1)『古事記』も『日本書紀』も『神代』の物語から
    始まっている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数
    代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が日本を統
    治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には諸豪族の
    民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、古代の思想・芸
    術などを今日に伝える史料として貴重なものである。」33頁
(六) 改訂箇所番号一九「1941年(昭和16年)4月、南進態勢を強化するため、
    日本は日ソ中立条約を結んだ。」256頁
2 訴訟費用は被告の負担とする。

     事    実

第一 当事者の申立て
 一 原  告
  主文と同旨の判決を求める。
 二 被  告
  1 原告の請求を棄却する。
  2 訴訟費用は原告の負担とする。
  との判決を求める。
第二 原告の主張
 一 請求の原因
   別紙訴状の「請求の原因」欄に記載のとおり。
 二 事実および法律上の主張
   別紙昭和四二年一〇月一七日付原告準備書面(第一)および昭和四二年一一月二八
  日付原告準備書面(第二)に記載のとおり。
 三 主張の補充
   別紙「教科書検定制度ならびに本件検定処分の違憲違法性」と題する書面に記載の
  とおり。
第三 被告の主張
 一 請求の原因に対する答弁
   別紙答弁書の「請求の原因に対する答弁」欄に記載のとおり。
 二 事実および法律上の主張
   別紙「本案前の主張について」と題する書面および昭和四二年一〇月一七日付被告
  準備書面(第一)に記載のとおり。
 三 原告の主張に対する反論
   別紙昭和四二年一一月二八日付被告準備書面(第二)、昭和四二年一二月二一日付被
  告準備書面(第三)、昭和四三年一月三一日付被告準備書面(第四)および昭和四四
  年四月一四日付被告準備書面(第七)にそれぞれ記載のとおり。
 四 主張の補充
   別紙「教科書検定制度ならびに本件改訂検定の合憲性および適法性」と題する書面
  に記載のとおり。
第四 証拠関係
 一 原 告
   (甲号証の提出)
   甲第一ないし第六号証、同第七号証の一ないし四、同第八ないし第三〇号証、同第
  三一号証の一、二、同第三二ないし第一三三号証、同第一三四号証の一ないし三、同
  第一三五ないし第一五七号証、同第一五八号証の一、二、同第一五九ないし第一六四
  号証、同第一六五号証の一ないし三、同第一六六ないし第一七一号証を提出した。
   (証言等の援用)
   証人末川博、同堀尾輝久、同遠山茂樹、同大槻健、同日高六郎、同小野周、同岡田
  進、同松島栄一、同吉村徳蔵、同直木孝次郎、同小松謙二郎、同小林直樹、同丸木政
  臣、同青木一、同杉村敏正、同鈴木英一、同兼子仁の各証言および原告本人尋問の結
  果を援用した。
   (乙号証の認否)
   乙号各証の成立を認めた。

 二 被 告
   (乙号証の提出)
   乙第一ないし第一四号証、同第一九ないし第七一号証を提出した(ただし、同第一
  五ないし一八号証は欠番)。
   (証言の援用)
   証人森克巳、同安達健二、同村尾次郎、同木下一雄、同安倍辰夫、同勝部真長、同
  中村菊男、同内海厳、同西村三郎、同吉久勝美、同阿曾一、同柳瀬良幹、同高山岩男
  、同今村武俊の各証言を援用した。
   (甲号証の認否)
   甲第一一、第一二号証、同第一四号証、同第一八号証、同第二〇号証、同第二七、
  第二八号証、同第三一号証の一、二、同第三二号証、同第三四号証、同第四三号証、
  同第四八号証、同第五一、第五二号証、同第五七号証、同第七四号証、同第一〇四な
  いし第一〇七号証、同第一〇九ないし第一一七号証、同第一二一、第一二二号証、同
  第一四〇ないし第一四三号証、同第一五〇号証、同第一五五号証、同第一五九、第一
  六〇号証、同第一六三号証および同第一六六号証の成立は不知、同第五〇号証および
  同第六六号証のうち各本文の部分の成立は認めるが、各メモの部分の成立は不知と述
  べ、その余の甲号各証の成立を認めた。


   理   由

     目   次
第一 本件各検定不合格処分およびこれに至る経緯
 一 本件各検定不合格処分に至る経緯
  1 原告の経歴と地位
  2 「新日本史」の執筆に至るまで
  3 「新日本史」五訂版までの検定の経緯
 二 本件各検定不合格処分
  1 本件各検定不合格処分の経緯
  2 本件各検定不合格処分の処分理由
第二 教科書検定制度
 一 教科書検定制度の沿革と変遷
  1 戦前の教科書制度の沿革
  2 戦後初期の教科書制度の改革
  3 その後の教科書制度の変遷とこれをめぐる動き
 二 現行教科書検定制度の概要
  1 教科書の意義
  2 教科書検定の権限および組織
  3 教科書検定の基準
  4 教科書検定の手続
  5 教科書改訂検定の手続
 三 現行教科書検定手続の運営
  1 検定受理計画
  2 原稿審査
  3 校正刷審査
  4 見本本審査と合格の公告
  5 改訂検定手続の運営
第三 本案前の判断
第四 本案の判断
 一 教科書検定制度の違憲、違法性の有無
  1 教育を受ける権利および教育の自由を侵害するとの主張について
  (一) 教育を受ける権利
  (二) 教育の自由
  (三) 教科書検定制度と教育を受ける権利および教育の自由
  2 憲法二一条および同二三条違反の主張について
  (一) 学問の自由と表現の自由
  (二) 教科書検定制度と憲法二一条二項(検閲の禁止)
  (三) 教科書検定制度と憲法二一条一項
  3 憲法三一条および法治主義の原則違反の主張について
  (一) 教科書検定制度と憲法三一条(適正手続の保障)
  (二) 教科書検定制度と法治主義(法律に基づく行政)の原則
  4 教育基本法一〇条違反の主張について
  (一) 戦後の教育改革と教育基本法の成立事情
  (二) 教育基本法一〇条の趣旨
  (三) 教科書検定制度と教育基本法一〇条
 二 本件各検定不合格処分の違憲、違法性の有無
  1 教科書検定制度が違憲または違法であるから、本件各検定不合格処分は違憲ま
   たは違法であるとの主張について
  2 本件各検定不合格処分が違憲または違法であるとの主張について
  (一) 本件各検定不合格処分の処分理由との関係について
  (二) 本件改訂検定の各改訂箇所について
   (1) 改訂箇所番号五、六、一四、一八(各編の扉「歴史をささえる人々」)
   (2) 改訂箇所番号二一(古事記、日本書紀に関する記述)
   (3) 改訂箇所番号一九(日ソ中立条約に関する記述)
  (三) 結 語
第五 結論

     ※  ※  ※

第一 本件各検定不合格処分およびこれに至る経緯
 一 本件各検定不合格処分に至る経緯
 成立に争いのない甲第一ないし第五号証、同第五六号証、同第五九ないし第六六号証
(ただし、同第六六号証中メモおよび付せんの部分は証人小松謙二郎の証言によって真正
に成立したものと認める。)、同第一三九号証、同第一四四ないし第一四九号証、乙第一
〇号証、同第六四号証、原告本人尋問の結果によって真正に成立したものと認める甲第五
七号証、同第一四〇ないし第一四二号証、同第一五〇号証、弁論の全趣旨により真正に成
立したものと認める甲第一四三号証、証人小松謙二郎、同吉久勝美、同高山岩男、同村尾
次郎の各証言および原告本人尋問の結果、ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、つぎの事
実を認めることができ、他にこれに反する証拠はない。
1 原告の経歴と地位
  原告は、昭和一二年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業し、同大学文学部史料編纂
 所嘱託、旧制新潟高等学校教授等を経て、現在東京教育大学文学部教授の地位にあるが
 、この間東京大学、京都大学、早稲田大学等の非常勤講師を兼任したこともあるもので
 、大学卒業以来一貫して日本史主として中世仏教思想史の研究に携わってきたが、戦前
 および戦時中において自らの研究および研究成果の発表の自由がかなり制限を受けたこ
 と、また戦後になって戦前自らが受けた教育ことに国史教育が非科学的で真実に反し、
 画一的、国家主義的、軍国主義的なもので、その弊害が著しかったことを痛感するに至
 り、今日においては憲法を遵守し、学問、思想等の自由が十分尊重されなければならな
 いと考えているものである。
2 「新日本史」の執筆に至るまで
 原告は、教科書執筆の経験はなかったが、戦後昭和二一年、はじめて文部省から依嘱さ
 れて、国定教科書「くにのあゆみ」(小学校)の古代史の部分の執筆を担当し、その際
 、叙上のように、戦前の日本史教育が真実の歴史を伝えるものでなかったとの反省のう
 えに立って、原始、古代に関する従来の教科書の記述が「古事記」、「日本書紀」の客
 観的史実でない記述を大巾にとり入れて神代の物語から始まっていたのに対し、右の「
 くにのあゆみ」では、石器時代の記述から始めるなど客観的史実を盛りこむことに努力
 した。
  その後、原告は、しばらく教科書を執筆する機会がなかったが、昭和二二年に一般市
 販書として「新日本史」を発行していたところ、のちに株式会社三省堂(以下「三省堂
 」という。)から依頼を受けて、高等学校用の日本史教科書を執筆することになり、右
 の「新日本史」を台本として、これを全面的に書き改め、昭和二七年に三省堂から「新
 日本史」と題する高等学校用日本史教科書の検定を申請したのであるが、原告が右のよ
 うに高等学校用の日本史教科書を単独で執筆するに至ったのは、戦前教育に対する前記
 のような反省と右の「くにのあゆみ」の執筆が必ずしも意にみちたものではなかったの
 で、自らの理想とする教科書を単独で執筆しようとしたものであった。そして、原告は
 、「新日本史」の執筆に当って、まず何よりも、戦後の日本史教育が戦前の日本史教育
 のように単なる政治権力者中心の視野の狭い歴史教育でなく、広く日本歴史全体に目を
 開かせるように文化史、社会経済史を重視するものであるとともに、日本国憲法下の日
 本史教育が憲法と教育基本法の理念に基づいたものでなければならないとの観点から、
 教材の選択や取扱いに教育的観点を加えた。すなわち、たとえば封建社会などにおける
 女性の生活・家族生活その他の日常生活の変遷過程を明らかにして日本史を学習者の身
 近な問題として理解できるように工夫し、また、高等学校における日本史教育が、日本
 国憲法下の国民としての良識を培うためのものであるべきだとの配慮から、年号、人名
 、事件名等の細かな叙述はできるだけ省略して単なる固有名詞の羅列に終わることのな
 いよう、歴史の大筋を明らかにすることに努めた。

3 新日本史五訂版までの検定の経緯
  右の「新日本史」は、当初検定の結果不合格とされたが、同年(昭和二七年)、原告
 において、一たん不合格とされた右原稿に一字も修正を加えることなく、そのまま再び
 検定申請をしたところ、再度検定の結果合格となり、「新日本史」(初版)として使用
 されるに至った。
  ところで、原告は、昭和三〇年、右初版本に全面的に加筆して検定申請をしたのであ
 るが、これに対し文部省から二〇〇か所以上の修正意見が付されたので、右の修正意見
 に応じられない理由を述べてその旨の書面を提出したところ、文部省から再び口頭で同
 様の修正の意見を述べられたので、再度これに対し反論を加えた。このようにして原告
 と文部省との間で検定の内容をめぐり、前後三回にわたってやりとりがなされたが、最
 終的には合格となり、「新日本史」(改訂版)として昭和三一年度から使用されること
 になった。
  しかるところ、その後、昭和三〇年度の高等学校社会科学習指導要領の改訂に伴い、
 「新日本史」も書き改める必要を生じたので、原告は、右改訂版原稿に加筆し、昭和三
 一年一一月二九日付で三訂版の検定申請をしたが、検定の結果不合格となった。この検
 定に際しても原告は、右不合格理由は具体性に欠け、かつ恣意的であるばかりでなく、
 憲法、教育基本法の精神にも反すると考え、文部省初等中等教育局長にあて、文書をも
 って右の考えを述べるとともに、とくに右不合格理由のうちのある点について、憲法前
 文を引用しその誤りを指摘して抗議したが、結局右不合格処分は維持された。続いて、
 昭和三二年に再び検定申請をしたが、これに対しても不合格処分がなされ、原告側にお
 いて、いくつかの修正を加えて三たび検定申請をした結果合格となり、「新日本史」は
 昭和三四年度から同三七年度まで三訂版として使用された。
  ついで、原告は右三訂版に改訂を施して改訂検定(教科用図書検定規則一一条参照、
 いわゆる四分の一改訂)の申請をしたところ合格し、「新日本史」は四訂版として昭和
 三七年度より同三九年度まで使用された。
  さらに、昭和三五年に高等学校学習指導要領が改訂されたので、原告は、右四訂版に
 加筆し、昭和三七年八月一五日検定申請をしたところ、被告は、翌三八年四月一一日に至
 って不合格を決定し(以下「五訂版第一次検定」という。)、同月一二日、申請者側か
 ら原告のほか三省堂社員小松謙二郎ほかが文部省に出頭し、文部省側から教科書調査官
 渡辺実、同村尾次郎、同貫達人の三名が出席し、初等中等教育局長名の「検定申請教科
 用図書の原稿審査の結果について(通知)」と題する書面が交付されたが、右書面には
 不合格の理由としては、単に「この原稿は、正確性、内容の選択に著しい欠陥がある。
 」とあるのみで具体的な指摘は記載されておらず、すべてその場で右教科書調査官によ
 り口頭で説明された。この理由説明の中で具体的に指摘された点には、後記のとおり、
 本件で問題となった古事記、日本書紀に関する記述も含まれていた。原告は、これに対
 し、著者としての立場から反論を述べた。
  原告は、さらに、右五訂版第一次検定において不合格とされた原稿に若干の修正を加
 えて、昭和三八年九月三〇日再び検定申請をしたところ、被告は同三九年三月に至って
 約三〇〇項目に及ぶ修正意見を付した条件付合格処分をなした(以下「五訂版第二次検
 定」という。)。右の修正意見は、同月一九日、文部省において、出頭した原告および
 三省堂担当社員に対し、審議官妹尾茂喜立会のもとで教科書調査官渡辺実から伝達され
 た。これに対し、原告は一部の修正を拒否し、若干の修正を加えて再提出したところ、
 同年四月一二日および四月二〇日に再度にわたって修正意見が伝えられた。この五訂版
 第二次検定において付された修正意見の中には、のちに述べるように、本件各検定不合
 格処分の対象となった六力所の改訂箇所も含まれていたが、右六力所について原告は文
 部省側の修正意見の趣旨に沿って削除、修正したうえで、三省堂から「新日本史」(五
 訂版)として発行されるに至った。
二 本件各検定不合格処分
  前顕甲第一ないし第五号証、同第五九号証、同第一四九号証、乙第一〇号証、証人小
 松謙二郎、同吉久勝美、同高山岩男、同村尾次郎の証言および原告本人尋問の結果な
 らびに弁論の全趣旨を総合すると、つぎの事実を認めることができ、これを左右するに
 足る証拠はない。なお、以下の事実のうち、本件改訂申請があったこと、これに対し六
 力所について本件各検定不合格処分がなされ、それが伝達されたことは当事者間に争い
 のないところである。
1 本件各検定不合格処分の経緯
  原告は前記五訂版第二次検定において条件付合格となった「新日本史」に改訂を加え
 、これに基づき、三省堂から昭和四一年二月二日、三四力所の改訂(いわゆる四分の一
 改訂)の申請がなされたが、原告がこのように改訂をなすに至ったのは、右五訂版第二
 次検定(昭和三八年度検定)において修正意見が付され、原告の側でこれに応じて修正
 したが、修正箇所のうち、なお意に満たない数力所について修正前の記述に戻したいと
 の希望があったためと、五訂版執筆以降の新しい事実を記述し、あわせてその後におけ
 る学問的成果に基づき従来の記述を修正しようとする意図に基づくものであった。
  右改訂申請は、まず同申請に係る原稿について、主査村尾次郎、副主査目崎徳衛各教
 科書調査官による調査を経たのち、被告から教科用図書検定調査審議会(会長高垣寅次
 郎)に諮問がなされ、同審議会では、昭和四二年三月二三日、社会科部会(総員一九名
 )が開かれたが(出席者一一名)、部会長である気賀健三慶応義塾大学教授が欠席した
 ので、西村熊雄委員が部会長の代行をつとめた。村尾主査調査官が三四力所の改訂箇所
 について調査結果の評定を説明すると、その説明に約三、四〇分の時間を要したほかは
 、二、三の委員から発言があったのみで、調査原案どおり、右申請にかかる改訂箇所の
 うち、改訂箇所番号五、六、一二、一四、一八および一九の六か所については不合格、
 その他三か所についてはA意見が付されて、「新日本史」の審議は終了し、同日、同審
 議会会長から被告に対し右審議の結果どおりの答申がなされ、被告は、昭和四二年三月二
 九日、右答申どおりの決定をなし、同日、文部省内において、出頭した原告および三省
 堂担当社員に対し、文部省初等中等教育局長斎藤正名義の右六か所を不合格とする旨の
 同日付三省堂あて検定結果の通知書を交付するとともに、教科書検定課長吉久勝美およ
 び教科書調査官村尾次郎から不合格理由等の伝達が行なわれた(以下右六か所の不合格
 処分を「本件各検定不合格処分」という。)。
2 本件各検定不合格処分の処分理由
 (一) 本件各検定不合格処分の対象となった改訂箇所番号五、六、一二、一四、一八
  、一九の内容は、つぎのとおりである。
   改訂箇所番号五、六、一四、一八は、「第1編 原始社会とその文化」、「第2編
   古代国家と古代文化の形成」、「第3編 封建社会と封建文化の発展」、「第4編 
  近代社会の発展」の各扉のさし絵に付された説明文の「歴史をささえる人々」という
  見出しである。改訂箇所番号一二は、脚注で、「(1)『古事記』も『日本書紀』も
  『神代』の物語から始まつている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後
  の最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室が
  日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には諸豪
  族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、古代の思想・
  芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。」との記述である。また、改
  訂箇所番号一九は、「1941年(昭和16年)4月、南進態勢を強化するため、日
  本は日ソ中立条約を結んだ。」との記述である。
   以上の記述は、「新日本史」の五訂版第二次検定に係る原稿(いわゆる白表紙本)
  の記述と同一のものであるが、右六か所については五訂版第二次検定において、いず
  れも被告から修正指示がなされ、原告側においてこれに応じて修正ないし削除したも
  のであるが、原告は、本件改訂申請にあたり、右修正指示がいずれも不当であるとし
  て、右各箇所をいずれも五訂版第二次検定に係る白表紙本の記述のとおりに復活しよ
  うとしたものである(以上の事実は、当事者間に争いがない。)。
 (二) ところで、被告は右の改訂申請に対し本件各検定不合格処分をしたが、その処
  分理由は、右改訂箇所六か所のすベてについて、すでに検定に合格し現在格別の欠陥
  の認められない教科書の内容をいずれも検定基準に照らし欠陥の認められる五訂版第
  二次検定に係る白表紙本の記述にもっぱら戻そうとするものであるが、改訂検定の本
  来の趣旨は、教科書内容の一層の改善向上を期するにあって、個々の改訂箇所はそれ
  ぞれ検定基準に照らして改訂前の記述よりも良くなると認められるものか、少なくと
  もそれと同程度のものでなければならず、改訂前の記述よりも悪くなると認められる
  ものである場合には、その改訂を認める理由がないわけであるから、右改訂箇所六か
  所は、上記の改訂検定の趣旨に照らし許されないというのである。
第二 教科書検定制度
 原告は本件各検定不合格処分の取消しを求めるに当たり、その前提として教科書検定制
度の違憲、違法性を主張するので、当裁判所は、本件各検定不合格処分の違憲、違法性の
有無を判断するに先だち、教科書検定制度についてその沿革と変遷ならびにその概要と運
営を検討する。
 一 教科書検定制度の沿革と変遷
  成立に争いのない甲第六号証、同第一〇号証、同第一五号証、同第一九号証、同第三
 七ないし第四二号証、同第四七号証、同第七〇号証、同第九一ないし第九三号証、同第
 九五、第九六号証、同第一二三号証、同第一五二、同第一五三号証、同第一六五号証の
 一ないし三、同第一七一号証、乙第二六ないし第三一号証、同第三三号証、同第五九号
 証、同第六二号証(ただし後記措信しない部分を除く。)同第六三号証および証人遠山
 茂樹、同大槻健、同安達健二、同内海巌の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、
 つぎの事実を認めることができ、他にこれを左右するに足る証拠はない。
 1 戦前の教科書制度の沿革
   明治政府は明治維新の当初から富国強兵政策をとっていたが、その一環として教育
  政策にも力を入れ、その結果明治四年には文部省が設置され、翌五年には「学制」(
  文部省布達第一三号地三布達)が発布された。しかし、当時は教科書についてまだ統
  制は行なわれず、たとえば同六年に「小学校用書目録」を公布して標準的な教科書
  を指定、推薦したが、その中には自由民権的啓蒙的な教科書も少なくなく、また、文
  部省自身もいくつかの教科書を編集出版していた。
   その後自由民権運動が高揚するに伴って明治政府はこれを抑える方向で政策を進め
  たが、同時に教育の面でも積極的な政策がとられるようになり、小学校を中心とした
  学校制度が整備されてきたことも相まって、明治一三年には何種類かの教科書につい
  て使用禁止の措置がとられ、翌一四年には小学校の教科書について開申制度(届出制
  度)が設けられ、ついで、同一六年には小学校および中学校の教科書について認可制
  度が設けられた。そして同一九年には、「小学校令」、「中学校令」、「師範学校令」
  、「帝国大学令」の四つの勅令が定められて、戦前の学校教育の体制が一応確立した
  が、右の小学校令および中学校令によって、小学校および中学校の教科書について検
  定制が採用されることとなり、同時に教科用図書検定条例が定められたが、同条例は検
  定基準について、「文部省ニ於テ教科用図書ヲ検定スルノ要旨ハ該図書ヲ教科用タル
  ニ弊害ナキ事ヲ証明スルニ止マリ即国体法令ヲ軽侮スルノ意ヲ起サシムベキ恐アル書
  又ハ風致ヲ敗ルベキ憂アル書若クハ事実ノ誤アル書等ハ採択セザルモノトシ其教科用
  上ノ優劣如何ハ問ハサル事トナセリ」と定めていた。
   明治二〇年代に至り自由民権運動が衰え、同二二年には大日本帝国憲法が発布され
  て翌二三年から施行されたが、同年一〇月三〇日教育勅語が発布され、「朕惟フニ我
  カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ
  億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ
  此ニ存ス」とし、忠孝の精神を説き、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼」すべき国民を育成す
  るために教育を施すべきことを定め、これらが教育に関する基本理念として以後今次
  大戦に至る教育を基本的に規制することとなったが、さらに同二五年には前記の教科
  用図書検定条例が改正されて、教科書の検定は教育勅語によるべきこととなった。
   さらに、その後、明治三六年に至り、その前年に発生したいわゆる教科書疑獄事件
  を一つの契機として、小学校令の一部改正があり、これにより、小学校については、
  修身、日本歴史、地理、国語、書き方について、のちに算術、図画、さらに理科につ
  いて、教科書は文部省において著作権を有するものに限られることとなり、国定制が
  とられることとなった。中学校については、長らく検定制が維持されたが、昭和一八
  、一九年に至り、国定教科書が使用されるようになった。
   かくて、戦前の検定ないし国定教科書の使用およびその他の教育政策は、いわゆる
  大正デモクラシーと呼ばれた一時期にはある程度民主的な色彩をもったことがあるほ
  か、一般に、上記の教育勅語にみられるように、天皇主義的、国家主義的なものであり
  、同時に軍国主義的色彩が強く、また画一的、統制的性格をもっていたが、このよう
  な傾向は時とともに次第に強まり、とくに昭和に入ってから敗戦に至るまでは、右の
  傾向が極度にまで進んでいった。この点に関し、前顕乙第六二号証には、戦前におい
  ても、昭和六年、同一二年あるいは同一六年をそれぞれ一の段階として教育の軍国主
  義化が強まったが、それ以前には決してそうではなかった旨の記述があるが、同号証
  中この部分の記載は採用できない。
 2 戦後初期の教科書制度の改革
  (一) 昭和二〇年八月、日本がポツダム宣言を受諾し、敗戦によって太平洋戦争が
  終了すると、日本を占領した連合国軍総司令部は、ポツダム宣言に基づき、つぎつぎ
  に日本の非軍国主義化、民主化の措置を講じたが、その一環として教育についてもさ
  まざまな抜本的改革措置を実施した。
   これら総司令部による諸改革に先だち、文部省は、昭和二〇年九月「新日本建設ノ
  教育方針」を発表し、この中で新教育の方針として、軍国主義思想を払拭し、平和国
  家の建設を目途としつつも国体の護持を説いたが、「教科書」に関しては、「教科書
  ハ新教育方針ニ即応シテ根本的改訂ヲ断行シナケレバナラナイガ差当リ訂正削除スベ
  キ部分ヲ指示シテ教授上遺憾ナキヲ期スルコトトナツタ」旨指示し、そしてこれを受
  けて、同月二〇日、「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件」を通達し、「現行教
  科書ヲ継続使用シ差支エナキモ、戦争終結ニ関スル詔書ノ御精神ニ鑑ミ適当ナラザル
  教材ニツキテハ、全部或ハ部分的ニ削除シ又ハ取扱ニ慎重ヲ期スル」よう指示した。
  これに基づき、教科書のうち国体、軍備等を強調した箇所、戦争を論じた部分などが
  削除さるべきものとされ、全国の生徒達は、教師の指示に従ってこれらの箇所を墨で
  黒くぬりつぶして使用した。
   昭和二〇年一〇月二二日、総司令部は、日本政府に対し「日本教育制度ニ対スル管
  理政策」を発して軍国主義や極端な国家主義を排除すべきことを指令したが、その中
  で現在一時的に使用を許されている教科書等については、可能な限り速やかにその内
  容を検討すべきであり、軍国主義的ないし極端な国家主義的イデオロギーを助長する
  目的をもって作成された箇所は削除さるべきことを命じ、ついで同年一二月三一日に
  は、「修身、日本歴史及ビ地理停止ニ関スル件」を発してこれら三科目の授業の停止
  と教科書の破棄を指令した。そして、同二一年九月、文部省は、右の指令の趣旨に沿
  って、暫定的に前示の「くにのあゆみ」その他の新しい国定教科書を発行した。
   ところで、昭和二一年三月には、第一次アメリカ教育使節団が来日し、日本側の教
  育家委員会(昭和二〇年暮、右教育使節団に対し日本の事情を述べ、かつ意見を交換
  するために設けられた委員会)とともに戦後の日本の教育のあるべき姿について調査
  、検討を加え、同年三月三一日に連合国軍最高司令官あて報告書を作成したが、この報
  告書はのちの教育基本法をはじめとする戦後の日本教育法制改革の要因となった。す
  なわち、この報告書は、あらゆる面から日本の教育に関する提言を供しているが、そ
  の中の「教育の目的」の項で、軍国主義的、国家主義的教育の否定、個人の価値と尊
  厳を確立する教育の必要性を強調し、ついで「カリキュラム」の項で、カリキュラム
  の内容はわかりやすく、生徒の興味を拡大充実するものでなければならず、そのため
  にはカリキュラムないし学科課程は中央官庁と教師の協力活動の結果として生まれる
  べきものであると主張し、さらに続いて「教科書」の一項で、つぎのように報告した。
  「日本の教育に用いられる教科書は、事実上文部省の独占になっている。小学校用の
  教科書は文部省において直接これを作成し規定し、中等学校用の教科書はこれを作成
  せしめて文部省の検定を受けさせることになっている。調査した範囲では、教師は教
  科書の作成にもまた選定にも十分相談に与っていない。カリキュラムについて前節に
  論じた原則が健全な至当なものであるとすれば、更に教科書の作成ならびに出版も一
  般競争に委ねられるべきであるという原則が生れてくる。機会さえ与えれば、教師も
  視学官も教材の工夫と評価とにおいて十分有能であることを示すであろう。多くの人
  の努力によってこそ、新しいすぐれた考案を発展せしめる一層良き機会が来るもので
  ある。主として経済的理由により、教科書の選定を全く教師の自由に任してしまうこ
  とはできない。教科書の選定は一定の地域から出た教師の委員会によって行なわれる
  べきである。
   日本の教育者達のみがよくこの仕事をなしうるのである。他国の教育制度は手引と
  しては役立つかもしれないが、これを盲目的にまねるべきものではない。日本の教育の
  転換において、極めて重大な役割を持つある教授分野が存在する。これらについて更
  に具体的に論ずることにしよう。」
   他方、右の教育家委員会も、単に使節団に対する情報提供あるいは使節団との協議
  にとどまることなく、進んで自ら教育改革のあるべき姿を検討し、別途、報告書を作
  成してこれを使節団と文部省に提出したが、その中で、(1)新教育の理念を打ちた
  て、個人としての人間性の開発をはかるべきこと、(2)従来の中央集権的官僚的行
  政を廃し、地方分権的な教育行政を打ちたてること、(3)学制を改革し、六・三・
  三・四制を採用することなどを提唱した。
   さらに、昭和二一年、日本国憲法が制定されようとする動きの中で、同年八月、前
  記の教育家委員会を発展解消し、教育に関する重要事項を調査審議するため、「教育刷
  新委員会」が設置された。
   以上に述べた戦後教育改革の経緯については、後に詳述する。
   このように、戦後のごく初期の教育ないし教科書の改革は、主として連合国軍総司
  令部の手によって行なわれたというべきであろうが、他方、日本国内においても、叙
  上の教育家委員会、教育刷新委員会の設置などにみられるように自ら日本の教育改
  革に当たろうとする動きがあったことも看過できない。
  (二) 昭和二二年三月三一日、教育基本法とともに学校教育法が公布施行されたが
  (ただし後者の施行日は翌四月一日)、学校教育法第二一条一項で、「小学校におい
  ては、監督庁の検定若しくは認可を経た教科用図書又は監督庁において著作権を有す
  る教科用図書を使用しなければならない。」と定められ、中学校、高等学校について
  も、この規定が準用されることとなり、これにより従来の国定教科書制度は廃止され、
  教科書検定制度が発足することとなったので、その実施のため同年五月には文部省に
  学識経験者より成る教科書制度改善協議会が設置され、教科書制度全般にわたって検
  討が加えられた結果、同年九月一七日、教科書の編修発行は機会均等であるべきこと、
  社会の要求に応じ教授と学習の両面を考慮して教師が積極的に教科用図書の編修に関
  与できる制度をつくるべきことを大綱とする答申がなされた。そして、同年一二月には
  教科用図書委員会が設置されて、新しい教科書制度実施についての諸施策の立案に当
  たった(同委員会は、昭和二四年七月教科用図書審議会にひきつがれ、ついで同二五
  年五月には後記の教科用図書調査会と合体して教科用図書検定調査審議会となつ  
  た。)。さらに、翌二三年四月には、文部省から「教科書検定に関する新制度の解 
  説」が出され、ここでも、教科書の著作につき広く門戸を開放し、自由な競争によって
  よい教科書をつくり、今後の教育の発展を図るべき旨が強調された。かくして、同月、
  教科用図書検定規則が文部省令第四号として公布され、翌五月には教科用図書調査会
  が発足して、昭和二三年度から検定が実施され、同二四年度から、小学校、中学校およ
  び高等学校において検定教科書が使用されるに至った。なお、昭和二四年四月には、
  教科用図書検定基準が文部省告示として定められた。そして、右の検定は、申請のあ
  った図書ごとに五人の調査員(うち二人は専門の学識者、他の三人は学校の教員) 
  がそれぞれ調査、評定を行ない、教科用図書検定調査審議会(一六名の委員で構成) 
  の審議を経てこれを決定した。
   なお、昭和二三年七月には、教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号。のちにふ
  れる地方教育行政の組織及び運営に関する法律の制定に伴い、同法附則によって昭和
  三一年九月三〇日限り廃止された。)が制定公布され、その五〇条では都道府県委員
  会の権限に属する事務(私立学校については都道府県知事に属する。) のうち、「
  左に掲げるものは、都道府県委員会のみが、これを行う。(中略)二文部大臣の定め
  る基準に従い、都道府県内のすべての学校の教科用図書の検定を行うこと。」と規
  定されて、教科書検定の面においても教育行政の地方分権の理念が具体化されていたが、
  当時の用紙事情が極度に悪化していたため、とくに、同法八六条で「教科用図書の検定は、
  第五〇条第二号の規定にかかわらず、用紙割当制の廃止されるまで文部大臣が行う」
  旨を規定し、検定権限は一時的に文部大臣に与えられることとなった。
  (三) ところで、戦前の教科の内容は、小学校令、小学校令施行規則、中学校令施
  行規則、中学校教授要目その他の法令により細目に至るまで規定されており、国定教
  科書はもとより検定教科書もこれに準拠すべきこととされていた。戦後、昭和二二年
  に教育課程の基準として学習指導要領一般編および社会科編が作成された。そして、
  同じ年に制定された前記学校教育法二〇条には、「小学校の教科に関する事項は、第
  十七条及び第十八条の規定に従い、監督庁がこれを定める。」とあり、同法一〇六条
  で、右の監督庁は当分の間文部大臣とする旨定められ、またその年の五月二三日に制
  定された学校教育法施行規則(同年文部省令第一一号)旧二五条には、「小学校の教
  科課程、教科内容及びその取扱いについては、学習指導要領の基準による。」と定め
  られており、中学校、高等学校についても同様の規定が置かれていた。しかしながら、
  前記昭和二二年度の学習指導要領は、その表紙に(試案)と明記され、その一般編の
  序論において、旧来の教育が画一主義に流れ、教育の実際の場での創意工夫がなされ
  る余地がなく、教師の立場を機械的にし、生きた指導を行なおうとする気持を失なわせ
  た、と指摘し、ついで「この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、こ
  れまでの教師用書のように、一つの動かすことのできない道をきめて、それを示そう
  とするような目的でつくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応
  じて生まれた教科課程をどんなふうにして生かして行くかを教師自身が自分で研究し
  て行く手びきとして書かれたものである。(中略)この書を読まれる人々は、これが
  全くの試みとして作られたことを念頭におかれ、今後完全なものをつくるために、 
  続々と意見を寄せられて、その完成に協力されることを切に望むものである。」と述
  べている。このことは、昭和二六年度に改訂された学習指導要領についても同様であ
  って、同年度版の一般編、社会科編も、その表紙に(試案)の文字が明記され、「学
  習指導要領は、どこまでも教師に対してよい示唆を与えようとするものであって、決
  してこれによって教育を画一的なものにしようとするものではない。教師は、学習指
  導要領を手びきとしながら、地域社会のいろいろな事情、その地域の児童や生徒の生
  活、あるいは学校の設備の状況などに照して、それらに応じてどうしたら最も適切な
  教育を進めていくことができるかについて、創意を生かし、くふうを重ねることがた
  いせつである。」と述べている。
   なお、学習指導要領の作成権限については、文部省設置法(昭和二四年五月公布。
  法律第一四六号)では、その附則六条で「初等中等教育局においては、当分の間学習
  指導要領を作成するものとする。ただし、教育委員会において学習指導要領を作成す
  ることを妨げるものではない。」として、文部省が指導要領を作成するのは暫定的な
  措置であるとしていた。
   そして、右の学習指導要領は、前記教科用図書検定基準の必要条件の一つとされて
  いたが、当時においては、学習指導要領そのものが前示のとおり「試案」にすぎない
  ものとされていたのであるから、検定基準としては参考程度のものにとどまっていた。
 3 その後の教科書制度の変遷とこれをめぐる動き
  (一) 昭和二八年八月、学校教育法の一部改正により、教科書の検定権限は建前と
  して、都道府県教育委員会(私立学校においては都道府県知事)に属するとされてい
  たのが改められ、恒久的に文部大臣に属することとなった。
  (二) いわゆる「うれうべき教科書」の問題
   日本民主党は、昭和三〇年二月の総選挙の際、その選挙綱領の中で、「文教の刷新
  、施設の整備、国定教科書の統一」を十大政綱の一として掲げてこれを公約し、教科
  書の民編国管案を提唱した。すなわち、教科書の編集は民間に委ねるが管理は国が行
  ない、検定を厳格にすることによって各教科とも学年ごとに教科書を二種類くらいに
  しぼり、採択は各都道府県ごとに一種類にして国定化と同様の実を上げようとするも
  のであった。ついで同年七月、衆議院行政監察特別委員会において、教科書問題がと
  りあげられ、同委員会で喚問した石井一朝証人は、日本の教育の基本原理を根本的に
  くつがえすおそれのある偏向教科書が発行されつつあるが、これらの教科書はつぎの
  ような特徴をもっていると述べた。すなわち、
  (1) 日本の労働者階級の生活がきわめて悲惨なものであることを、故意に必要以
  上に強調し、それが社会制度の欠陥、資本主義の矛盾によるものであると強調しよう
  としている。
  (2) ソ連と中国とを礼讃し、わが国がこれらの国に対して卑屈な態度をとらなけ
  ればならないかのごとく強調している、等と述べた。
   そして、同年の八月から一一月にかけて、日本民主党から「うれうべき教科書の問
  題」と題するパンフレツトが第一集から第三集まで出され、その第一集では、「教科
  書にあらわれた偏向教育とその事例」としてつぎの「四つの偏向タイプ」を上げた。
   すなわち、第一は、教員組合運動や日教組を無条件に支持し、その政治活動を推進
  するタイプ(宮原誠一編、高等学校社会科社会用「一般社会」実教出版)
   第二は、日本の労働者が、いかに悲惨であるかということをいい立てて、それによ
  って急進的な、破壊的な労働運動を推進するタイプ(宗像誠也編、中学校社会科、標
  準中学社会「社会のしくみ」教育出版)
   第三は、ソ連・中共を、ことさらに美化し、讃美して、じぶんたちの祖国日本をこ
  きおろすタイプ(周郷博編、小学校社会科六年用「あかるい社会」中教出版)
   第四は、マルクス・レーニンの思想、つまり、共産主義思想を、そのまま、児童た
  ちに植えつけようとしているタイプ(長田新編、中学校社会科「模範中学社会」実教
  出版)
   これに対し、これら例示された教科書の編集者、著者らから、「日本民主党の『う
  れうべき教科書の問題』に対する抗議書」、「日本民主党の『うれうべき教科書の問
  題』はどのようにまちがっているか」、「『明かるい社会』とはどんな教科書か」な
  どの抗議書あるいは声明書などが出され、反論がなされた。
  (三) いわゆるF項パージの問題
   昭和三〇年の九月に教科用図書検定調査審議会委員の交替があつて、その直後の検
  定において、従来に比し、不合格となる原稿が一時に増加した。そして、従来、五人
  の調査員による評定が原則としてそれぞれAないしEの符号で示めされていたが、こ
  の検定では、AないしEの評定は合格の意見でありながら、Fの意見により結局不合
  格となるといわれるものが多く、このことをめぐって、右のFの意見は、前記委員の
  交替で新たに同審議会の委員に加わった日本大学教授高山岩男の意見ではないかとの
  噂がながれ、ジャーナリズムも、これを「F項パージ」としてとり上げた。これにつ
  いて文部省は、Fというのは、昭和三〇年以前には同審議会の委員が自ら原稿を調査
  のうえ評定を下す仕組でなかったのを、同年から委員もまた自ら調査し評定するこ
  ととなったので、同審議会の評定をFとして示したものにすぎず、特定の個人の意見
  を示すものではない。ただし、例外的に五人の調査員のうち、とくに評定が偏ったも
  のがある場合には、これに新たに六人目の調査員の評定を加え、これをFの符号をも
  って表示することもあった旨説明した。
  (四) 教科書法案と教科書調査官の設置
   昭和三〇年一二月、中央教育審議会(文部省設置法二六条参照)から文部大臣に対
  して、教科書制度に関する答申があり、これを受けて教科書法案が立案され、翌三一
  年教育委員会制度の改組に関する地方教育行政の組織及び運営に関する法律案ととも
  に、いわゆる第二次教育二法案として第二四回国会に提出された。教科書法案は、教
  科書の検定、採択、発行、供給の全体にわたって法制を整備しようとするもので、検
  定に関しては、(1)審議会を拡充強化すること(従来の一六人の審議会委員を八〇
  人以内とする。)、(2)検定基準を整備すること、(3)検定に合格する見込がな
  いと認められる図書その他の図書について、検定を行なわないことができるものとす
  ること、(4)検定に有効期間を設け、または一定の場合に検定の効力を失なわせる
  ことができるものとすること、等の要綱が設けられ、また、採択に関しては、(1)
  採択は都道府県教育委員会が行なうものとすること、(2)一定の広域にわたる採
  択地区を設けて、採択地区ごとに行なうものとすること、(3)また右採択は教科書
  選定協議会の決定に基づいて行なうが、協議会は学年ごとに一の種目について原則と
  して一種類の教科書を選定するものとすること等の要綱が設けられ、さらに発行に関
  しては、発行者の登録制を設けようとするものであった。
   しかしながら、右教育二法案に対しては、教育の中立性を脅やかし、教育に対する
  国家統制の復活を意図するものであるとして、矢内原東大総長らのいわゆる「十大学
  長声明」をはじめ、多くの批判があり、結局前記二法案のうち「地方教育行政の組織
  及び運営に関する法律」は成立したが(昭和三一年法律第一六二号。以下「地方教育
  行政法」という。これによって教育委員会は公選制から任命制に変わった。)、教科書
  法案は成立せず、廃案となった。
   このようにして教科書法案は成立しなかったが、文部省は、昭和三一年に行政措置
  として審議会委員を拡充して、委員を八〇人に増員し、また、前記中央教育審議会の
  答申に則り、新たに同省に専任の教科書調査官四〇名を設け、教科書の調査に当たら
  せることとした。また、従来条件付合格の際に示していた修正意見を、その性質に応
  じて現行のようにA意見およびB意見の二つに分けることとし、同時にその伝達方法
  も従来調査意見書をそのまま提示していたのを改めて、教科書調査官が口頭で伝える
  こととなった。
  (五) 学習指導要領および教科用図書検定基準の改訂
   昭和三三年、文部省は学習指導要領を改訂したが、その際、これを文部省告示とし
  て官報に公示し、また、この時以来学習指導要領には法的拘束力があると主張するよ
  うになった。また、昭和二二年版、同二六年版の学習指導要領の表紙に記されていた
  (試案)の文字は、昭和三〇年の改訂の時から削除され、従前学習指導要領自身の中
  でそれが単なる一つの手びきにすぎないとされていた点も昭和三〇年版ないし同三三
  年版からは強調されなくなった。さらに、同じく昭和三三年に教科用図書検定基準が
  改訂され(同年文部省告示第八六号。昭和四三年文部省告示第二八九号によって改正
  されるまで、本件検定時においても用いられていたもの。その大綱はのちに示す。)、
  その際検定基準の絶対条件の一として、教科の目標等については学習指導要領のそれ
  に合致しているかどうかを基準とすべきことが明定されるに至った。
  (六) 教科書無償措置の採用
   さらに、昭和三八年には、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律
  (同年法律第一八二号、以下単に「無償措置法」と略称する。)が成立したが、これに
  よって、小中学校教科書の無償措置制とともに、教科書の広域統一採択制と文部大臣に
  よる教科書発行業者の指定制度とがとられることとなった。
   なお、文部省は、その頃「義務教育諸学校生徒に対する無償給与実施要綱案問題 
  点」と題する文書を作成しているが、その中の「義務教育教科書の国定化について」
  という項で、「(1)義務教育教科書については、国定化の論もあるが、現在検定は
  学習指導要領の基準に則り厳格に実施されているので、内容面においては実質的には
  国定と同一である。またかりに、名実ともに国定とするためには、検定教科書につい
  て著作権の買上げ等の方法による補償を行なう必要があり、そのためには莫大なる経
  費を要する。(2)今後企業の許可制の実施及び広域採択方式整備のための行政措置
  を行なえば、国定にしなくても五種程度に統一しうる見込であるので、国定の長所を
  取り入れることは現制度においても可能である。」としている。
二 現行教科書検定制度の概要
  本件各検定不合格処分のなされた当時における教科書検定制度の概要は、つぎのとお
 りである。なお、現行制度ものちに触れる教科用図書検定基準の改訂等を除いてはほと
 んど同一であるので、以下においては、本件検定時における教科書検定制度を中心とし
 て必要に応じ、改正ないし改訂部分を特記することとする。

 1 教科書の意義
   教科書の意義については、教科用図書検定規則(昭和二三年文部省令第四号)一条
  二項に「この規則において教科用図書……とは、小学校、中学校、高等学校及びこれ
  らに準ずる学校の児童又は生徒が用いるため、教科用として編修された図書をい  
  う。」との規定があるほか、法律で直接これを定義づけた規定は見当たらない。もっ
  とも、教科書の発行に関する臨時措置法(昭和二三年法律第一三二号)の二条一項で
  は、「この法律において『教科書』とは、小学校、中学校、高等学校及びこれらに準
  ずる学校において、教科課程の構成に応じて組織排列された教科の主たる教材として、
  教授の用に供せられる児童又は生徒用図書であつて、文部大臣の検定を経たもの又は
  文部大臣において著作権を有するものをいう。」と規定されているが、右の規定は、
  同法が「現在の経済事情にかんがみ、教科書の需要供給の調整をはかり、発行を迅速
  確実にし、適正な価格を維持して、学校教育の目的達成を容易ならしめることを目的
  とする。」(同法一条)ものであることからしても、教科書の意義一般を規定したも
  のというよりは、同法において教科書の発行に関する臨時措置に関し規定を設けるに
  当たって、同法上は教科書とは右のものをいうと定めたにとどまるものと解するのが
  妥当である。
 2 教科書検定の権限および組織
  (一) 教科書検定に関する文部大臣の権限
   学校教育法(昭和二二年法律第二六号)二一条一項は、「小学校においては、文部
  大臣の検定を経た教科用図書又は文部大臣において著作権を有する教科用図書を使用
  しなければならない。」と定め、同条二項は、「前項の教科用図書以外の図書その他
  の教材で、有益適切なものは、これを使用することができる。」と規定し、同条は、
  四〇条で中学校に、五一条で高等学校に、七六条で盲学校、聾学校および養護学校に、
  それぞれ準用されているが、ただし、一〇七条では、「高等学校、盲学校、聾学校及
  び養護学校並びに特殊学級においては、当分の間、第二十一条第一項(第四十条、第
  五十一条及び第七十六条において準用する場合を含む。)の規定にかかわらず、文部
  大臣の定めるところにより、同条同項に規定する教科用図書以外の教科用図書を使用
  することができる。」と規定され、右一〇七条の規定を受けて学校教育法施行規則(
  昭和二二年文部省令第一一号)五八条で、「高等学校においては、文部大臣の検定を
  経た教科用図書又は文部大臣が著作権を有する教科用図書のない場合には、当該高等
  学校の設置者の定めるところにより、他の適切な教科用図書を使用することができ 
  る。」と規定され、同規則七三条の一二、同条の一三、同条の一七にも盲学校等につ
  いてほぼ同様の規定がある。
   右の学校教育法二一条、五一条は、高等学校において使用する教科書は、文部大臣
  の検定を経たいわゆる検定教科書か、あるいは国定教科書でなければならないことを
  規定しているが、同時に、教科書検定は文部大臣においてこれを行なう旨をも定め、
  これによって文部大臣に教科書検定の権限を付与したものと解せられる。
   そして、教科用図書検定規則二条によると、教科用図書の検定は、教科用図書検定
  調査審議会の答申に基づいて、文部大臣が行なうものとされている。
  (二) 教科書検定の組織
   文部省設置法(昭和二四年法律第四六号、以下「設置法」という。)五条一項は、
  「文部省は、この法律に規定する所掌事務を遂行するため、次に掲げる権限を有する。
  ただし、その権限の行使は、法律(これに基く命令を含む。)に従ってなされなけれ
  ばならない。」として、その一二号の二で、「教科用図書の検定を行うこと。」を定
  め、文部大臣の補助機関として、初等中等教育局長、同局審議官、同局教科書検定課
  長および同課主任教科書調査官および教科書調査官が置かれ、教科書検定の事務に当
  たっているが、そのうち初等中等教育局長は、教科用図書の検定をつかさどり(設置
  法八条一三号の二)、同局審議官は、「命を受け、初等中等教育局の所掌事務のうち
  重要事項に係るものを総括整理する。」(文部省組織令一三条)とされ、教科書に関
  する事務についてもその総括整理の任に当たり、教科書検定課長は、「教科用図書検
  定基準の作成及び改訂等初等中等教育用教科書の検定に関する」事務その他の検定に
  関する事務をつかさどり(同組織令一二条)、「教科書調査官は、上司の命を受け、
  検定申請のあった教科用図書及び通信教育用学習図書の調査に当る。」(設置法施行
  規則五条の二、第二項)ものとされ、また、「教科書調査官のうち九人以内を、担当
  する教科を定めて主任教科書調査官とすることができる。主任教科書調査官は、その
  担当する教科について、前項に定める教科書調査官の職務の連絡調整に当るものとす
  る。」(同施行規則五条の二、第三項)とされている。
   さらに、「検定申請の教科用図書を調査し、及び教科用図書に関する重要事項を調
  査審議すること」を目的として、文部省に教科用図書検定調査審議会(以下単に「
  審議会」という。)が置かれ(設置法二七条一項)、その内部組織、所掌事務等を定
  めるため、教科用図書検定調査審議会令(昭和二五年政令第一四〇号、以下単に「審
  議会令」という。)が定められ、これによると、審議会は、「文部大臣の諮問に応じ、
  検定申請の教科用図書……を調査し、及び教科用図書に関する重要事項を調査審議し、
  並びにこれらに関し必要と認める事項を文部大臣に建議する」ことを所掌事務として
  おり、また、審議会は委員一二〇人以内で組織され、委員は教育職員、学識経験のあ
  る者および関係行政機関の職員のうちから、文部大臣が任命するものとされている(
  審議会令二条一項、二項、三条一項)。また、審議会には、検定申請のあった教科用
  図書等の原稿を調査させるために調査員が置かれ、学識経験のある者のうちから、審
  議会の意見を聞いて、文部大臣が任命するものとされている(審議会令二条三項、三
  条二項)。ところで、審議会には、その所掌事務の分担のために、教科用図書検定調
  査分科会、教科用図書分科会、教科用図書価格分科会の三分科会が設けられ、委員は
  文部大臣の指名によりいずれかの分科会に分属するものとされ、また検定申請の教科
  用図書に関する事項は教科用図書検定調査分科会が分担するものとされている(審議
  会令六条、七条)。そして、右教科用図書検定調査分科会は、さらに国語、社会科等
  各科目ごとに第一部会ないし第九部会および総括部会に分かれ、委員は各部会に分属
  し、特別の場合を除き、部会の議決をもって分科会の議決とすることになっている「
  教科用図書検定調査分科審議会の部会の設置及び議決事項の取扱に関する規程(昭和
  三一年教科用図書検定調査分科審議会決定)」。なお、証人吉久勝美の証言によると、
  右各部会のうち、社会科と職業・家庭科の二つの部会(第二および第九部会)につい
  ては、さらに便宜これに小委員会を設け、小委員会の審議を経たうえで部会の審議を
  行なうとの扱いになっており、第二部会(社会科)の場合、中学校および高等学校に
  ついては、日本史、世界史、地理などの小委員会が設けられていることが認められる。
 3 教科書検定の基準
   教科書の検定については、教科用図書検定規則一条一項で「教科用図書の検定は、
  その図書が教育基本法及び学校教育法の趣旨に合し、教科用に適することを認めるも
  のとする。」と定められ、また、検定の基準については、教科用図書検定基準(昭和
  三三年文部省告示第八六号、昭和四三年八月二六日文部省告示第二八九号による改正
  前のもの。)および教科用図書検定基準内規(昭和三三年文初教第五八六号、以下「
  検定基準内規」という。)が定められている。
   教科用図書検定基準は、検定の基準を絶対条件と必要条件とに分けている。
   絶対条件は各教科に共通な条件で、このいずれかを欠くときは申請図書は絶対的に
  不適格となるものであり、その内容はつぎのとおりである。
  (1)(教育の目的との一致)教育基本法に定める教育の目的および方針などに一致
  しており、これらに反するものはないか。また、学校教育法に定める当該学校の目的
  と一致しており、これに反するものはないか。
  (2)(教科の目標との一致)学習指導要領に定める当該教科の目標と一致してお 
  り、これに反するものはないか。
  (3)(立場の公正)政治や宗教について、特定の政党や特定の宗派にかたよった思
  想・題材をとり、またこれによって、その主義や信条を宣伝したり、あるいは非難し
  たりしているようなところはないか。
   必要条件は各教科ごとに定められ、これを欠くときは瑕疵のある教科書とされるも
  のであるが、その内容も実質的にはほぼ共通でその骨子はつぎのとおりである。
  (1)(取扱内容)取扱内容は学習指導要領によっているか。
  (2)(正確性)誤りや不正確なところはないか。また、一面的な見解だけをとりあ
  げている部分はないか。
  (3)(内容の選択)内容には、学習指導要領の示す教科の目標および科目または学
  年の目標の達成に適切なものが選ばれているか。
  (4)(内容の程度等)内容の程度は、その学年の児童・生徒の心身の発達段階に適
  応しているか。また、児童・生徒の生活・経験および興味に対する配慮がなされてい
  るか。
  (5)(組織・配列・分量)組織・配列および分量は、学習指導を有効に進めうるよ
  うに適切に考慮されているか。
  (6)(表記・表現)漢字・かなづかい・ローマ字つづり、記号、用語、計量単位な
  どは適切であり、これらに不統一はないか。また、表現は冗長・粗雑でなく、児童・
  生徒に理解しやすいものであるか。
  (7)(使用上の便宜等)目次・索引・注・凡例・諸表その他教科書使用上の便宜を
  与えるものが、必要に応じて用意されているか。また、出典などは必要に応じて示さ
  れているか。
  (8)(地域差・学校差)特定の地域や特に施設・設備のよい学校にだけ適するよう
  になっていないか。
  (9)(造本)印刷、文字の大きさ・行間・書体、判型、分冊ならびに図書としての
  各部の表示その他に欠陥や適切でないものはないか。
  (10)(創意工夫)内容、組織、表現その他について、適切な創意工夫が認められ
  るか。
   つぎに、検定の基準と学習指導要領の関係については、教科用図書検定基準におい
  て実質的に学習指導要領によることにしている(同基準絶対条件の第二項目、必要条
  件の第一項目、第三項目参照)。
 4 教科書検定の手続
   教科書検定の手続については、教科用図書検定規則でつぎのような規定が設けられ
  ている。
  (一) 教科書検定の申請は、当該教科書の著作者または発行者のいずれからでもで
  きる(検定規則三条)。
  (二) 教科書の検定は、原稿審査、校正刷審査および見本本審査の三段階を経て完
  了する(検定規則三条)。申請者は、まず、所定の原稿審査申請書に教科書の原稿と
  所定の検定審査料を添えて文部大臣に申請し、つぎに原稿審査を経て合格とされたと
  きは、校正刷審査申請書に校正刷を添えて申請し(審査料を添える必要はない。)こ
  こで合格とされたときは、さらに見本本につき見本本審査の申請をするものとされる(
  検定規則五条、六条)。このような三段階審査は、原稿審査では原稿自体について、
  校正刷審査では校正刷につき再び主としてその内容面について、さらに見本本審査で
  は実際の製本された教科書と同様の見本本について造本等を含めて審査しようとする
  もので、それぞれ別個独立の手続ではなく、当該申請に係る図書についての一連の手
  続であると解するを相当とする。たとえば、申請に係る図書が原稿審査において不合
  格の検定を受けた者は、それ以後の校正刷審査および見本本審査の申請をすることが
  できず、右原稿審査の不合格処分が最終の処分となるのであって、これに対して行政
  不服の申立て、訴訟等を提起できることはいうまでもない。
  (三) そして、審査においては、審議会の調査員による調査および評定、教科書調
  査官による調査、評定がなされ、ついで審議会で審議が行なわれ、その結果が文部大
  臣に答申され、文部大臣は右答申に基づいて検定を行なうものとされている(検定規
  則二条)。
  (四) このようにして最終的に合格とされた教科書は、その名称、ページ数、定価、
  目的とする学校、教科の種類、検定および発行の年月日、著作者の氏名および発行者
  の住所氏名等を官報で公告することになっている(検定規則一一条一項)。
 5 教科書改訂検定の手続
   以上は、主として新たに教科書の検定をする場合(いわゆる白表紙本)の手続に関
  するものであるが、検定規則九条によると、検定の効力は改訂(検定規則一一条一項
  で、改訂とは、文章、字句さし絵を増減改訂し、記述の方法もしくはさし絵、ページ
  数、行数、字体、判型を変更し、または注解、附録、序文等を加除変更する場合を含
  むものとされている。)を加えた教科書には及ばないものとされ、この改訂がページ数
  の四分の一以上にわたるものは検定規則五条および六条により、一般の白表紙本とし
  て新たに検定の申請をしなければならない(検定規則一一条二項)が、改訂がページ
  数の四分の一に満たない場合には、所定の改訂申請書に改訂理由書、改訂原稿、検定
  審査料(白表紙本の場合の半額)を添えて文部大臣に提出すべきものとされている(検
  定規則一〇条、以下これを「改訂検定」という。)。本件検定は改訂検定である。改訂
  検定の場合には、改訂申請に対する合否の決定は改訂箇所ごとに別個の処分であると
  解するのが相当である。
三 現行教科書検定手続の運営
  成立に争いのない甲第五三ないし第五五号証、同第一三八号証、乙第四、第五号証、
 同第九号証、同第一一ないし第一四号証と証人吉久勝美、同安達健二、同村尾次郎、 
 同高山岩男、同小松謙二郎の各証言および弁論の全趣旨を総合すると、本件検定時にお
 ける教科書検定手続の運営は、およそつぎのとおりであることが認められ、これを左右
 するに足る証拠はない。
 1 検定受理計画
   文部省は、検定事務の便宜と発行者らの便宜のため、毎年度ごとに検定を受理する
  種目およびその時期などについて、あらかじめ計画を立て、これを検定申請予定者に
  通知することとしているが、これに先だち、教科書発行者をもって組織される社団法
  人教科書協会の意見を聞いてほぼ三年ごとに検定実施年次計画を定めているところ、
  本件検定については、昭和三九年六月二二日、昭和四〇年度ないし同四二年度の高等
  学校用教科書検定実施計画が作成され、その中で昭和四一年度には、昭和三八年度検
  定の教科書についての改訂申請の受理がなされる旨が定められ、ついで同四〇年一二
  月二五日付文初検第四六二号文部省初等中等教育局長名義の「昭和四一年度における
  高等学校用教科書の検定申請について(通知)」と題する文書をもって、昭和四一年
  度検定について検定を受理する種目およびその時期等が三省堂に通知された。
 2 原稿審査
  (一) 右受理計画に従って、教科書の著作者または発行者から、まず原稿審査の申
  請がなされるが、ここで申請者から文部省に提出される原稿は著者名あるいは発行者
  名が記載されていない白表紙のものであるので、通常白表紙本と呼ばれている。この
  ような白表紙本を審査の対象とするのは、調査、評定を行なう者が、著作者あるいは
  発行者がだれであるかにとらわれることなく、審査を公正にするためである。そして、
  原稿審査の申請に当たっては、申請者側から編集趣意書が提出されることになってい
  るが、これにより、学習指導要領に示された内容と原稿の内容とが対比できること、
  また、著作者がとくに意を用いた点もしくは特色など調査の参考としてほしい事項が
  あればそれを簡潔に記載すべきことが求められている。
  (二) このようにして申請が受理されると、申請に係る原稿は教科書調査官の調査
  に付され、同時に、審議会に対し諮問がなされて調査員に対しても調査が依頼される。
  たとえば原稿が高等学校の日本史であれば、社会科担当の全調査官(本件検定当時
  一〇名。うち日本史は三名)の調査に付され、各調査官の調査ののち、社会科関係の調
  査官による会議が開かれてそこで調査の結果が検討され、各調査官の意見が述べられ
  る。右調査に際しては、各原稿ごとに主査および副主査の調査官が決められ、右調査
  官会議の結果を主査および副主査の調査官がまとめて、調査意見および評定を書面に
  記載する。また、調査員も原稿一点につき三名が選ばれ(無作為抽出により、大学教
  授等の専門学識者一名、学校の教員等二名が選ばれる。)各調査員は別個に調査し、
  それぞれ調査意見書および評定書を作成する。
  (三) これら教科書調査官および調査員の調査結果がまとまった段階で審議会が開
  かれることになるのであるが、これに先だち審議会の各委員には約一か月前に原稿が
  送付される(のちに述べる改訂原稿については事前の送付はなされない。)。そして、
  審議会は各科目について部会ごとに開かれ、まず調査官(調査官は教科書検定課に属
  するものとして審議会の幹事となり、審議会開催の準備等にも当たる。)が、調査官
  の調査結果および調査員の調査結果をとりまとめて報告し、それから各委員が意見を
  述べる。審議は通常午後一時ないし一時三〇分頃から五時頃まで行なわれ、この間に多
  いときには六、七点の原稿について審議がなされる。審議の結果当該原稿の合否が決
  せられるが、その決定は通常は全員一致でなされることが多い。審議の結論には合格
  と不合格とがあるが、検定基準に照らし欠陥ありとされるものについても必ずしも不
  合格の検定がなされるわけではなく、絶対条件に触れず、かつ、必要条件の各項目に
  照らして一定の水準に達していると認められる場合には合格と判定されるが、この場
  合に、審議会において原稿に訂正、削除または追加など適当な措置をしなければ教科
  書として不適当と認める事項があるときはこれにA意見を付し、この意見に沿って必
  要な措置を加えることを条件として合格と判定される。これが条件付合格といわれる
  ものである。またこの場合に、必要条件の各項目に照らし欠陥とは認められるが、そ
  れを修正しなくとも合格と認められる程度のもの、または必要条件に照らし欠陥とは
  認められないが、修正した方が教科書としてより適当であるものについては、参考意
  見としてB意見が付される。そして、これら審議の結果に基づき、合格、不合格の判
  定およびA意見、B意見が文部大臣に答申される。
  (四) 文部大臣は、右の答申に基づいて検定の決定をする。答申は、法的には拘束
  力があるものとは解されないが、実際には、答申どおりの決定がなされている。
  (五) 文部大臣の決定の結果は、不合格の場合には、その旨および簡単な不合格理
  由を記載した書面が申請者に交付され、同時に不合格の理由となった事項が教科書調査
  官から口頭で説明されるのであるが、欠陥があるとされた個々の事項のすべてについ
  てまでは説明がなされない。条件付合格の場合には、条件付合格である旨を記載した
  書面が交付されるとともに、教科書調査官からA意見またはB意見が申請者に伝達さ
  れる。通常、A意見とB意見とは区別して伝達されるのであるが、ときに明確な区別
  なく伝達されることもあり、また、申請者側でB意見に応じられない旨を述べてもな
  お重ねて修正すべき旨を伝達されることがある。
   なお、不合格理由の告知または条件付合格の場合における修正意見の伝達に際し、
  調査官の説明等を録取するため、速記あるいは録音機を用いることが許されている。
  (六) これら不合格処分または条件付合格処分に対する救済措置としては、不合格
  の場合には、処分の通知に際し文部省側から行政不服審査法に基づく異議の申立てが
  できる旨告知されることがあるが、条件付合格の場合には、不服申立ての方法はなく、
  校正刷審査の段階で修正意見に応じられない旨を述べることが事実上認められている
  にとどまる。ただし、その結果文部省側で再検討のうえA意見が撤回されることはあ
  る。
  (七) 以上の原稿審査に要する期間は必ずしも一定しないが、通常、四力月ないし
  六力月であるが、ときに八力月に及ぶ場合もある。また、申請後の審理に要する期間、
  日程等について申請者側に知らされることはない。ところで、教科書の採択・発行の
  手続については、まず、毎年、教科書を発行しようとする者が発行しようとする書目
  を文部大臣に届け出、ついでこの届出に基づき文部大臣が教科書目録を作成して都道
  府県の教育委員会に送付し、都道府県の教育委員会がこれを基に教科書展示会を開く
  仕組になっているが、教科書発行者は右文部大臣に対する届出においては、すでに検
  定に合格している教科書のほか、現に検定申請中のもので原稿審査に合格しているも
  のを届け出ることが認められている。
 3 校正刷審査
   原稿審査で合格とされた教科書について、つぎに申請者は、半月ないし一力月以内
  に、前記のような修正意見の指摘があるときはこれに対する修正等をしたうえで、校
  正刷審査の申請をする。右校正刷においては、A意見について修正した箇所、B意見に
  ついて修正した箇所、A意見について修正を拒んだ場合のその箇所、著作者自らが修
  正した箇所にそれぞれ赤、黄、紫、緑の各付箋がつけられ(申請者においてA意見に
  よる修正を拒んだ紫付箋の箇所には理由を付することが認められる。)、それぞれの箇
  所ごとに審査が行なわれる。審査は通常教科書調査官のみで行なわれるが、ときには審
  議会の審議に付されることもある。その結果、前記のとおり、A意見が撤回されるこ
  ともある。A意見による修正に応じない場合において、文部省側がこれを承認するこ
  とができないときは不合格とされる。なお、この審査に要する期間は通常約半月で、
  審査終了後審査の結果が申請者に伝達されるが、その際、B意見について申請者が修
  正に応じない場合に再びB意見が付され、その説明がなされることがある(B意見の
  性質が前記のように参考意見だとすれば、申請者においてその修正に応じない場合に
  校正刷審査の段階で再び修正意見を付するのは妥当とはいえないであろう。)。
 4 見本本審査と合格の公告
   校正刷審査に合格した教科書は、さらに表紙、奥付等をつけて実際の教科書と同一
  の造本を施したものについて、見本本審査が行なわれる。見本本審査は、検定基準に基
  づき、内容面と製本、用紙、表紙その他の造本面とにわたって行なわれ、その結果が申
  請者に通知される。
   見本本審査に合格した教科書は、官報に検定済教科書として公告され、さらに前記
  のように教科書目録に登載され、採択されて現実に使用されるわけである。
 5 改訂検定手続の運営
   改訂検定の申請は、既述のように改訂のページ数が全体の四分の一をこえない場合
  に行なわれるものであるから、原稿審査の場合にも、白表紙の原稿を提出するのでな
  く、既存の検定済教科書をそのまま用いて、改訂を加えようとする部分に、改訂文、
  改訂を加えようとするさし絵等を記載した別紙を新旧の区別が明らかに対照できるよ
  うに改訂箇所に貼付して申請するものとされており、また申請の際に改訂理由書を提
  出する仕組みになっている。
   改訂検定においては、調査員による調査は必要なしとして省略されている。また、
  検定結果の通知は一通の通知書でなされるが、審査は個々の改訂箇所ごとに行なわれ、
  合否の決定も個々の改訂箇所ごとになされる。
第三 本案前の判断
 被告は、本件改訂検定の申請者は訴外株式会社三省堂であって、原告ではないから、原
告は本件各検定不合格処分の取消しを訴求する法律上の利益を有せず、それゆえ本訴につ
いて原告適格を有しないと主張するので、この点について判断する。
 前顕甲第二号証によれば、本件改訂検定の申請者は訴外株式会社三省堂であることが認
められ、これに反する証拠はない。しかしながら、前示のとおり、教科用図書検定規則三
条は「図書の著作者又は発行者は、その図書の検定を文部大臣に申請することができる」
と定めており、その趣旨は、一般に教科書の出版を含めて図書の出版に関する権利は著書
および発行者のいずれにも属するものであることにかんがみ、著作者と発行者と同一に扱
い、教科用図書の検定は著作者または発行者のいずれからもその申請をすることができる
というにあると解され、したがって、右の趣旨からみて検定の効果は著作者、発行者のい
ずれにも及ぶというべきであるから、たまたま教科用図書の検定申請が発行者からなされ
た場合であっても、これに対して検定不合格処分がなされたときは、申請者たる発行者の
みならず、当該教科用図書の著作者もまた右の検定不合格処分についてその取消しを訴求
する法律上の利益を有すると解するを相当とするところ、原告が本件改訂検定に係る教科
用図書の著作者であることは前記認定のとおりであるから、原告は本件各検定不合格処分
についてその取消しを訴求する原告適格を有するものというべきである。この点に関する
被告の上記主張は失当である。
第四 本案の判断
一 教科書検定制度の違憲、違法性の有無
 1 教育を受ける権利および教育の自由を侵害するとの主張について
 (一) 教育を受ける権利
  (1) 憲法二六条は、一項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能
  力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」と定め、二項で「すべて国民は、
  法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
  義務教育は、これを無償とする。」と定めているが、この規定は、憲法二五条をうけ
  て、いわゆる生存権的基本権のいわば文化的側面として、国民の一人一人にひとしく
  教育を受ける権利を保障し、その反面として、国に対し右の教育を受ける権利を実現
  するための立法その他の措置を講ずべき責務を負わせたものであって、国民とくに子
  どもについて教育を受ける権利を保障したものということができる。
   ところで、憲法がこのように国民ことに子どもに教育を受ける権利を保障するゆえ
  んのものは、民主主義国家が一人一人の自覚的な国民の存在を前提とするものであり、
  また、教育が次代をになう新しい世代を育成するという国民全体の関心事であること
  にもよるが、同時に、教育が何よりも子ども自らの要求する権利であるからだと考え
  られる。すなわち、近代および現代においては、個人の尊厳が確立され、子どもにも
  当然その人格が尊重され、人権が保障さるべきであるが、子どもは未来における可能
  性を持つ存在であることを本質とするから、将来においてその人間性を十分に開花さ
  せるべく自ら学習し、事物を知り、これによって自らを成長させることが子どもの生
  来的権利であり、このような子どもの学習する権利を保障するために教育を授けるこ
  とは国民的課題であるからにほかならないと考えられる。
   そして、ここにいう教育の本質は、このような子どもの学習する権利を充足し、そ
  の人間性を開発して人格の完成をめざすとともに、このことを通じて、国民が今日ま
  で築きあげられた文化を次の世代に継承し、民主的、平和的な国家の発展ひいては世
  界の平和をになう国民を育成する精神的、文化的ないとなみであるというべきである。
   このような教育の本質にかんがみると、前記の子どもの教育を受ける権利に対応し
  て子どもを教育する責務をになうものは親を中心として国民全体であると考えられる。
  すなわち、国民は自らの子どもはもとより、次の世代に属するすべての者に対し、そ
  の人間性を開発し、文化を伝え、健全な国家および世界の担い手を育成する責務を負
  うものと考えられるのであって、家庭教育、私立学校の設置などはこのような親をは
  じめとする国民の自然的責務に由来するものというべきものである。このような国民
  の教育の責務は、いわゆる国家教育権に対する概念として国民の教育の自由とよばれ
  るが、その実体は右のような責務であると考えられる。かくして、国民は家庭におい
  て子どもを教育し、また社会において種々の形で教育を行なうのであるが、しかし現
  代において、すべての親が自ら理想的に子どもを教育することは不可能であることは
  いうまでもなく、右の子どもの教育を受ける権利に対応する責務を十分に果たし得な
  いこととなるので、公教育としての学校教育が必然的に要請されるに至り、前記のご
  とく、国に対し、子どもの教育を受ける権利を実現するための立法その他の措置を講
  ずべき責任を負わせ、とくに子どもについて学校教育を保障することになったものと
  解せられる。
   してみれば、国家は、右のような国民の教育責務の遂行を助成するためにもつぱら
  責任を負うものであって、その責任を果たすために国家に与えられる権能は、教育内
  容に対する介入を必然的に要請するものではなく、教育を育成するための諸条件を整
  備することであると考えられ、国家が教育内容に介入することは基本的には許されな
  いというべきである。
   この点に関し、義務教育に関する憲法二六条二項の反面から、国家もまた教育する
  権利を有する旨の見解があるが、しかし、同条項に「すべて国民は、法律の定めると
  ころにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ」というのは、上
  記のような親の子どもに対する教育の責務の遂行を保障したものと解するのが相当で
  あって、この規定の反面から国にいわゆる教育権があるとするのは相当でないという
  べきである。
  (2) 被告は、現代において、公教育は国政の一環として行なわれるものであるか
  ら、公教育についても民主主義の原理が妥当し、議会制民主主義をとるわが国におい
  ては国民の総意は法律に反映される建前になっており、憲法二六条一項も「法律の定
  めるところにより」と規定しているから、法律の定めるところにより国が教育内容に
  関与することは認められている、と主張する。しかしながら、憲法二六条は、前示の
  とおり教育を受ける権利を実質的に保障するために国が立法その他の積極的な施策を
  講ずべき旨を定め、また、戦前におけるごとく勅令主義あるいは法律に基づかない恣
  意的な教育行政を否定し、国の行う教育行政が法律によるべき旨を定めたものではあ
  るが、法律によりさえすればどのような教育内容への介入をしてもよい、とするもの
  ではなく、また、教育の外的な事項については、一般の政治と同様に代議制を通じて
  実現されてしかるべきものであるが、教育の内的事項については、すでに述べたよう
  なその特質からすると、一般の政治とは別個の側面をもつというべきであるから、一
  般の政治のように政党政治を背景とした多数決によって決せられることに本来的にし
  たしまず、教師が児童、生徒との人間的なふれあいを通じて、自らの研鑽と努力とに
  よって国民全体の合理的な教育意思を実現すべきものであり、また、このような教師
  自らの教育活動を通じて直接に国民全体に責任を負い、その信託にこたえるべきもの
  と解せられる(教育基本法一〇条)。
   被告は、また、現代のように、政治、経済、社会、文化等の各方面にわたり高度に
  発達をみている社会においては、国は福祉国家として、社会の有為な構成員や後継者
  の育成を図るとともに、社会において各人が十分にその人格を向上させ、能力を伸長
  させることができるよう配慮する責任があり、また、すべての国民の福祉のために、
  国民に対し健康で文化的な生活を確保することを責務としており、教育はこの意味に
  おいて欠くことのできない重要な役割をになうものである、すなわち、国は公教育制
  度を設け、教育の機会均等を確保し、適切な教育を施し、教育水準の維持向上に努め
  ることが要請されているのであって、この要請に基づき、憲法、教育基本法、学校教
  育法等が定められ、教育内容についても、国の関与を定める法制がとられている旨主
  張するので、案ずるに、現代国家が福祉国家としてすべての国民に対し健康で文化的
  な生活を保障すべき責務を負い、教育がこのために欠くことのできない重要な役割を
  になうものであることはいうまでもない。しかしながら、現代国家の理念とするとこ
  ろは、人間の価値は本来多様であり、また多様であるべきであって、国家は人間の内
  面的価値に中立であり、個人の内面に干渉し価値判断を下すことをしない、すなわち
  国家の権能には限りがあり人間のすべてを統制することはできない、とするにあるの
  であって、福祉国家もその本質は右の国家理念をふまえたうえで、それを実質的に十全
  ならしめるための措置を講ずべきことであるから、国家は教育のような人間の内面的
  価値にかかわる精神活動については、できるだけその自由を尊重してこれに介入する
  を避け、児童、生徒の心身の発達段階に応じ、必要かつ適切な教育を施し、教育の機
  会均等の確保と、教育水準の維持向上のための諸条件の整備確立に努むべきことこそ
  福祉国家としての責務であると考えられる。
  (3) 以上のことは、近代および現代における教育に関する思想および教育に関す
  る近代市民国家の憲法その他の教育法制に照らしても、肯定されるところであると思
  われる。すなわち、近代市民社会の思想は人権の思想であり、個人の尊厳の確立をめざ
  すものであり、したがって当然子どもたちにも人格と人権とが認められたが、さらに
  また、ルソーに見られるように、子どもに大人とは違った独自の権利が認識され、子
  どもは発達の可能態であつて、子どもが将来にわたって、その可能性を開花させ、人
  間的に成長する権利を有することが確認された。そして、この成長・発達する権利を
  現実に充足するためには、子どもが学習する権利を行使しうるような機会を与えられ
  るべきことが重要な意味を持ち、子どもに教育を受ける権利があまねく保障されなけ
  ればならないと主張され、そして、それは同時にまた新しい世代の権利であるとも考
  えられた。また、同時に、近代人権思想は子どもを教育する権利を親の責務としての
  親権に属するものとして捉え、これに対する権力の干渉を強く排除すべきことをも包
  含していたのであり、絶対主義的ないし家父長的な教育を否定するものであった。そ
  して、これらの子どもの学習権=教育を受ける権利と親の責務とが一体となって近代
  教育思想の中核となり、一七九三年フランス憲法二二条で「教育は、すべての者の需
  要である。社会は、その全力をあげて一般の理性の進歩を助長し、教育をすべての者
  の手の届くところに置かなければならない。」と定められ、さらに一八四八年フラン
  ス憲法は前文で、「共和国は、すべての者に不可欠な教育を各人の手の届くところに
  置かなければならない。」旨を宣言し、同時にその九条で「教育は、自由である。教
  育の自由は、法律の規定する能力および道徳性の条件にしたがい、かつ国の監視のも
  とにおいて実行される。この監視は、なんらの例外なしにすべての教育および教化の
  施設におよぶものとする。」と定めて、国の監視のもとにおいてではあるが、教育の
  自由が規定されるに至った。かくして、一九世紀の末になって、西欧各国に公教育制
  度が確立してくるのであるが、そこでは、たしかに一面では従来の教育の自由をある
  面では制限しつつ国家全体の公教育を確立しようとする動きもあったが、近代におけ
  る教育の自由の原理はその中でも基本的には継承されたといいうるし、さらに二〇世
  紀に入って、生存権的基本権が各国の憲法において規定されるに至ると、子どもの権
  利としての教育を受ける権利が確立したといえよう。こうして現在においては、たと
  えば、ボン憲法は、六条で「子供の育成および教育は、両親の自然の権利であり、か
  つ、何よりもまず両親に課せられている義務である。その実行に対しては、国家共同
  社会がこれを監督する。」と規定し、七条で「全学校制度は、国の監督をうける。」
  としたあと、「教育権者は、子を宗教教育に参加させることについて、決定する権利
  を有する。私立学校設立の権利は保障される。公立学校の代用としての私立学校は、
  国の認可を必要とし、かつ、ラントの法律に従う。」旨定め、イタリア憲法(一九四
  八年)三〇条は、「子を、たとえ婚姻外で生れたものでも、育て、教え、学ばせること
  は、親の義務であり、権利である。」と定め、さらに、世界人権宣言の二六条では、
  「何人も、教育を受ける権利を有する。教育は、少くとも初等のかつ基礎の課程では、
  無料でなくてはならない。初等教育は義務とする。専門教育と職業教育は、一般に利
  用し得るものでなくてはならない。また高等教育へのみちは、能力に応じて、すべて
  の者に平等に開放されていなくてはならない。両親は、その子供に与える教育の種類
  を選択する優先的な権利を有する。」旨規定するに至っている。また、アメリカ合衆
  国では、連邦最高裁判所は、父兄、保護者に対し学齢期の児童をすべて公立学校に就
  学させるべき義務を課した州法(The Oregon Compulsory Education Act)を違憲と
  して、「両親が、自らの監督のもとに児童の養育および教育を指揮する自由を州法が
  合理的な理由なく妨げるものであることは明らかである。(中略)この連邦内のすべ
  ての政府がその上に基礎をおくところの自由に関する根本理論は、児童をしてただ公
  立学校教師の授業のみを受けしめるように強いることによって児童を規格化するとこ
  ろの州のいかなる一般的権力をも排除する。児童は単なる州の付属物ではない。児童
  を養育し、児童の運命を左右する人は、児童を引受け、児童をして人生において課せ
  らるべき責任を果せるよう用意させる権利をもち、かつ崇高な義務を負う」(Pierce
v, Society of Sisters,268 US. 510,1625)旨判示した。
   こうして、一八世紀末に成立した、子どもの教育を受ける権利と教育の自由を中核
  とする近代教育思想は現代における実定憲法および公教育法制の中に基本的に生かさ
  れて子どもの教育を受ける権利が生存権的基本権の一つとして認められ、国民は子ど
  もないし次の世代を教育する責務を負い、国家はそのために具体的な施策を行なう任
  務を担うことになったということができよう。
 (二) 教育の自由
  (1) 公教育としての学校において直接に教育を担当する者は教師であるから、子
  どもを教育する親ないし国民の責務は、主として教師を通じて遂行されることになる。
  この関係は、教師はそれぞれの親の信託を受けて児童、生徒の教育に当たるものと考
  えられる。したがって、教師は、一方で児童、生徒に対し、児童、生徒の学習する権
  利を十分に育成する職責をになうとともに、他方で親ないし国民全体の教育意思を受
  けて教育に当たるべき責務を負うものである。しかも、教育はすでに述べたとおり人
  間が人間に働きかけ、児童、生徒の可能性をひきだすための高度の精神的活動であっ
  て、教育に当たって教師は学問、研究の成果を児童、生徒に理解させ、それにより児
  童、生徒に事物を知りかつ考える力と創造力を得させるべきものであるから、教師に
  とつて学問の自由が保障されることが不可欠であり、児童、生徒の心身の発達とこれ
  に対する教育効果とを科学的にみきわめ、何よりも児童、生徒に対する深い愛情と豊
  富な経験をもつことが要請される。してみれば、教師に対し教育ないし教授の自由が
  尊重されなければならないというべきである。そして、この自由は、主として教師と
  いう職業に付随した自由であって、その専門性、科学性から要請されるものであるか
  ら、自然的な自由とはその性質を異にするけれども、上記のとおり国民の教育の責務
  に由来し、その信託を受けてその責務を果たすうえのものであるので、教師の教育の
  自由もまた、親の教育の責務、国民の教育の責務と不可分一体をなすものと考えるべ
  きである。
  (2) 叙上のように、教師に教育の自由を保障することは、近代および現代におけ
  る教育思想および教育法制の発展に基本的に合致し、また、わが国における戦後教育
  改革の基本的方向と軌を一にするばかりでなく、ことに最近における教育に関する国
  際世論の動向にも沿うゆえんであると考えられるので、以下、そのもっとも権威ある
  ものとして、教員の地位に関するユネスコ勧告(一九六六年)に触れることとする。
   成立に争いのない甲第一二五号証、同第一五八号証の一、二、乙第六〇号証および
  証人今村武俊の証言を総合すると、つぎの事実を認めることができ、他にこれを左右
  するに足る証拠はない。
   一九四七年、ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)の第二回総会において、教員
  憲章を作成すべき旨の意見が出されたが、これが一つの契機となり、また近時世界の
  諸国において教員の不足が一つの大きな問題となってこれに対する対策が検討された
  結果、多くのすぐれた教師の採用なくしては現在および将来にわたり教育を通じて文
  化を創造発展させてゆくことが困難となるとの考慮から、まず、ILO(国際労働機
  関)においてこの問題がとりあげられ、一九五八年および一九六三年にそれぞれ第一
  回および第二回の初等中等学校教師の社会的経済的条件に関する専門家会議が開かれ、
  これによって初等中等学校(日本における高等学校程度のものまで)における教員の
  過不足の現状および原因の調査がなされ、これに基づき有能な資質、資格を有する教
  員を得るために教員の地位あるいは労働条件に関する勧告草案が作成された。一方、
  この間ユネスコにおいても一九六一年に専門家会議が開かれ、有能な資質の教員が得
  られない原因は何であるか、また教育文化を向上発展させるために必要なすぐれた教
  員を養成するにはいかにすべきか、などの問題について調査検討が行なわれ、その結
  果に基づいて一九六四年にユネスコの勧告原案が作成された。その後ILOとユネス
  コとで共同してこの問題についての勧告を作成すべきことが両機関の間で協議され、
  一九六五年四月にはILOとユネスコとの共同による教員の地位に関する勧告草案が
  作成され、これが各国政府および関係国際機関に配布されて修正その他の意見が徴さ
  れ、ついで一九六六年一月にILOとユネスコとの合同の専門家会議が開かれ、ここ
  で教員の地位に関する勧告の最終的な案文が作成された。そして、ついに同年一〇月に
  パリでユネスコによる教員の地位に関する特別政府間会議が開催され、「教員の地位
  に関する勧告」が採択されるに至った。右一九六六年一月のILO、ユネスコ合同の
  専門家会議には、日本から専門家として京都大学教授相良惟一が、また、同年一〇月
  の特別政府間会議には日本政府の首席代表として文部省初等中等教育局審議官今村武
  俊がそれぞれ参加した。かくして同勧告は最終的にはユネスコ単独の勧告となったが、
  それは教育の問題はユネスコが担当すべきであるとの認識からであって、ILOも全
  く関与しなくなったわけではなく、勧告の実施に関しては両機関の共同による委員会
  が設けられることになった。
   右教員の地位に関する勧告(以下単に「勧告」という。)は前文および一四六の項
  目からなり、定義、(適用の)範囲、指導的諸原則、教育目標と教育政策、教職への準
  備、教師の現職教育、雇用と経歴、教師の権利と責任、効果的な授業と学習のための
  条件、教師の給与、社会保障、教師の不足、最終的規定の一三小節に分かれている。
   まず、勧告は、前文で、「教員の地位に関する特別政府間会議は、教育をうける権
  利が基本的人権の一つであることを想起し、世界人権宣言の第二十六条、児童の権利
  宣言の第五原則、第七原則および第十原則を達成するうえで、すべての者に適正な教
  育を与えることが国家の責任であることを自覚し、不断の道徳的・文化的進歩および
  経済的社会的発展に本質的な寄与をなすものとして、役立てうるすべての能力と知性
  を十分に活用するために、普通教育、技術教育および職業教育をより広範に普及させ
  る必要を認め、教育の進歩における教員の基本的な役割、ならびに人間の開発および
  現代社会の発展への彼らの貢献の重要性を認識し、教員がこの役割にふさわしい地位
  を享受することを保障することに関心を持ち、異なった国々における教育のパターン
  および編成を決定する法令および慣習が非常に多岐にわたっていることを考慮し、か
  つ、それぞれの国で教育職員に適用されるアレンジメント(とりきめ)が、とくに公
  務員規定が教員にも適用されるかどうかによって、非常に異なった種類のものが多く
  存在することを考慮に入れ、これらの相違にもかかわらず教員の地位に関してすべて
  の国々で同じような問題が起っており、かつ、これらの問題が、今回の勧告の作成の
  目的であるところの、一連の共通基準および措置の適用を必要としていることを確信
  し、教員に適用される現行国際諸条約、とくにILO総会で採択された結社の自由及
  び団結権保護条約(一九四八年)、団結権及び団体交渉権条約(一九四九年)、同一
  報酬条約(一九五一年)、差別待遇(雇用及び職業)条約(一九五八年)、およびユ
  ネスコ総会で採択された教育の差別反対条約(一九六〇年)等の基本的人権に関する
  諸条項に注目し、また、ユネスコおよび国際教育局が合同で召集した国際公教育会議
  で採択された初中等学校教員の養成と地位の諸側面に関する諸勧告、およびユネスコ
  総会で一九六二年に採択された技術・職業教育に関する勧告にも注目し、教員に特に
  関連する諸問題に関した諸規定によって現行諸基準を補足し、また、教員不足の問題
  を解決したいとねがい、以下の勧告を採択した。」(甲第一五八号証の二の訳によっ
  た)旨を述べ、勧告の由来と基本的な立場を宣明している。
   つぎに、勧告は、「八 教師の権利と責任」の冒頭に「職業上の自由」として六一
  ないし六九の九項目を設け、その六一項において、原文(英文、なお英文および仏文
  が正文とされる。)で、つぎのように定めている。

 ”Professional frredom
61 The teadhing profession should enjoy academic freedom in the discharge of
professional duties. Since teashers are particulary qualified to judge the
teaching aids and methods most suitable for their pupils, they should be
given the essential role in the choice and the adaption of teaching
material, the selection of textbooks and the application of teaching
methods, within the framework of approved programs, and with the
assistance of the educationala authorities.”

   右の原文の文部省の訳はつぎのとおりである。
   「教員(教職者)は、職責の遂行にあたって学問の自由を享受するものとする。教
  員は、生徒に適した教具および教授法を判断する資格を特に有しているので、(教員
  には)、教材の選択及び使用(採用)、教科書の選択並びに教育方法の適用にあたっ
  て、承認された計画のわく内で、かつ、教育当局の援助を得て、主要な役割が与えら
  れるものとする。」
   右の原文の日本教職員組合の訳はつぎのとおりである。
   「教職者は職業上の任務の遂行にあたって学問上の自由を享受すべきである。教員
  は生徒に最も適した教材および方法を判断するため格別に資格を与えられたものであ
  るから、承認された課程の大綱の範囲で教育当局の援助のもとで教材の選択と採用、
  教科書の選択、教育方法の採用などについて主要な役割が与えられるべきである。」
  (3) では、以上述べたような教師の教育ないし教授の自由は、教育思想としての
  自由または教育政策上認められる自由にとどまるものであるのか、あるいはわが実定
  法上保障されている自由であるのか。結論的にいえば、教師の教育ないし教授の自由
  は学問の自由を定めた憲法二三条によって保障されていると解せられる。
   けだし、教育は、すでに述べたように、発達可能態としての児童、生徒に対し、主
  としてその学習する権利(教育を受ける権利)を充足することによって、子どもの全
  面的な発達を促す精神的活動であり、それを通じて健全な次の世代を育成し、また、文
  化を次代に継承するいとなみであるが、児童、生徒の学び、知ろうとする権利を正し
  く充足するためには、必然的に何よりも真理教育が要請される(教育基本法前文、一
  条参照)。誤った知識や真理に基づかない文化を児童、生徒に与えることは、児童、
  生徒の学習する権利にこたえるゆえんではなく、また、民主的、平和的な国家は、真
  理を愛し、正義を希究する個々の国民によって建設せられるものであり、現代に至る
  文化も真理を追求するすぐれた先人たちによって築かれたものであって、これを正し
  く次代に継承し、さらに豊かに発展させるためには、真理教育は不可欠であるという
  べきである。教育基本法二条が「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所にお
  いて実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、
  実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展
  に貢献するように努めなければならない」としているのも、右のことを明らかにした
  ものと解せられる。また、下級教育機関において教育を受ける児童、生徒は、いずれ
  も年少であって、大学における学生のように高度の理解能力を有せず、また教えられ
  たところを批判的に摂取する力もないから、これらの児童、生徒に対して、学問研究
  の結果をそのままに与えることは妥当でなく、したがって、教育は児童、生徒の心身
  の発達段階に応じ、児童が真に教えられたところを理解し、自らの人間性を開発して
  いくことができるような形でなされなければならず、また、子どもが事物を批判的に
  考察し、全体として正しい知識を得、真実に近づくような方法がなされなければなら
  ないわけであるが、いわゆる教育的配慮は右の点を内容とするものでなければならな
  い。そして、このような教育的配慮が正しくなされるためには、児童、生徒の心身の
  発達、心理、社会環境との関連等について科学的な知識が不可欠であり、教育学はま
  さにこのような科学である。すなわち、こうした教育的配慮をなすこと自体が一の学
  問的実践であり、学問と教育とは本質的に不可分一体というべきである。してみれば、
  憲法二三条は、教師に対し、学問研究の自由はもちろんのこと学問研究の結果自らの
  正当とする学問的見解を教授する自由をも保障していると解するのが相当である。も
  っとも、実際問題として、現在の教師には学問研究の諸条件が整備されているとはい
  いがたく、したがって教育ないし教授の自由は主として大学における教授(教師)に
  ついて認められるというべきであろうが、下級教育機関における教師についても、基
  本的には、教育の自由の保障は否定されていないというべきである(前記「教員の地
  位に関するユネスコ勧告」六一項参照)。
   この点について、下級教育機関における教育はその本質上教材、教課内容、教授方
  法などの画一化が要求されることがあるから、下級教育機関においては、教授ないし
  教育の自由は保障されないとする見解がある。たしかに、日本国民が、ひとしく教育
  を受ける権利を充足するためには、すべての国民がある程度の水準の教育をひとしく
  与えられるべきものではあるが、しかし、戦後の日本の教育理念は、のちに検討する
  ように、戦前教育の国家権力によって中央集権的に統制された画一性に基因する弊害
  を除去すべきものとする視点から出発しており、また、すでに述べたように、教育は
  本質的に自由で創造的な精神活動であって、これに対する国家権力の介入が極力避け
  られるべきものであり、右の下級教育機関における公教育の画一化の要請にもおのず
  から限度があるというべきであるし、また下級教育機関における公教育内容の組織化
  は法的拘束力のある画一的、権力的な方法としては国家としての公教育を維持してい
  く上で必要最少限度の大綱的事項に限られ、それ以外の面については、教師の教育の
  自由を尊重しつつ、これに対する指導助言、参考文献の発行等の法的拘束力を有しな
  い方法によることが十分可能であり、かつ、これらが実質的に高い識見とすぐれた学
  問的成果に基づけばこのような方法によっても十分の指導性を発揮することができる
  のであるから、こうした方法によるべきである。したがって、下級教育機関における
  教育はその本質上教材、教課内容、教授方法などの画一化が要求されるとの理由で、
  下級教育機関における教授ないし教育の自由を否定するのは妥当でないというべきで
  ある。
   以上のとおり、公教育制度としての学校の教師に対し憲法上教育ないし教授の自由
  が保障されているというべきであるが、しかし、教育ないし教授の自由といっても、
  児童、生徒にどのような教育を与えてもよいというのではなく、学校における教育は
  その本質上政治的にも宗教的にも一党一派に偏することなく、いわゆる教育の中立性
  が守られなければならないことはいうまでもない(教育基本法八条二項、同九条二項、
  義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法三条等。)。こ
  のことは、先に述べたとおり、教師の教育の自由が子どもの教育を受ける権利に対応
  する国民(親を含む)の責務に由来するものであることにかんがみ、けだし当然であ
  るというべきであるが、しかしまた、かかる教育の中立性は教師自らの責任において
  自律的に確保されなければならないものであることも多言を要しないところである。
  (4) かくして、教師の教育ないし教授の自由を以上のように解する限り、教師に
  児童、生徒にもっとも適した教材および方法を判断する適格が認められるべきであり、
  教科書の採択についても主要な役割を与えられるべきであるから(前記「教員の地位
  に関するユネスコ勧告」六一項参照)、国が教師に対し一方的に教科書の使用を義務
  づけたり(昭和二六・一二・一〇委初三三二号初中局長回答参照)、教科書の採択に
  当たって教師の関与を制限したり、あるいは学習指導要領にしてもその細目にわたっ
  てこれを法的拘束力あるものとして現場の教師に強制したりすることは、叙上の教育
  の自由に照らし妥当ではないといわなければならない。
 (三) 教科書検定制度と教育を受ける権利および教育の自由
   さて、原告は、憲法二六条は児童、生徒がすぐれた学問研究の成果を自由に学び、
  これによって個性を尊重され、人間としての全面的な発達を自由に追求しうるような
  教育を受ける権利を保障したものであって、教科書検定制度は国が教科書の内容に介
  入し、これを規制することによって、右のような児童、生徒の教育を受ける権利を侵
  害するものであり、また、憲法はかかる教育を受ける権利を保障するその前提として、
  現場教師、教科書執筆者等に教育の自由を保障しているものというべきであって、教
  科書検定制度は国が教科書の内容に権力的に介入し、これら教育の関係者にこれを強
  制することによって右の教育の自由を侵害するものである旨を主張するものであるが、
  しかし、原告が本件各検定不合格処分の取消訴訟について有する利益は、前示のとお
  り、教科書を執筆し、出版するにあたって、児童、生徒の教育を受ける権利または教
  師の教育の自由とは直接の関係がないものであることは上来述べてきたところにより
  明らかであるから、本訴において、教科書検定制度が右の教育を受ける権利または教
  育の自由を侵害し、違憲、違法であることを理由として、本件各検定不合格処分の取
  消しを求めることは許されないというべきである(行政事件訴訟法一〇条一項)。し
  たがって原告の右主張は採用の由なきものといわざるを得ない。
 2 憲法二一条および同二三条違反の主張について
 (一)学問の自由と表現の自由
   憲法二三条は「学問の自由は、これを保障する」と定めているが、憲法が思想およ
  び良心の自由、表現の自由の保障に加えて本条を設けたのは、学問の研究は常に新し
  いものを生み出そうとするいとなみであって、歴史の発展に寄与するところが大きか
  った反面、それだけにときの為政者による迫害を強く受けてきたことにかんがみ、と
  くにこれを制度的に保障したものであると考えられる。ところで、本条で保障される
  学問の自由の内容をみるに、(1)研究者が、自らの学問的研究に基づいて、自らが
  正当とするどのような学問的見解(学説)を抱いても自由であること、(2)研究者
  が、自らの学問的見解(学説)をさまざまな形で発表する自由を有すること、および
  (3)研究者が、その学問的見解(学説)を教授ないし教育する自由を有する(この
  点はすでに第四の1(二)で述べたところである。)ことであるが、右(2)の学問
  的見解の発表の自由は、上記のような本条の沿革ならびに憲法が二三条とは別個に表
  現の自由について条項を設けてこれを保障していることにかんがみ、憲法二一条によ
  って保障されていると解するを相当とする。
   ところで、被告は憲法二一条にいう出版の自由には小学校、中学校、高等学校等の
  教科書に学問研究の結果を発表する自由は含まれない旨主張するが、しかし、学問の
  研究者が自らの研究成果に基づき、高等学校以下の学校において教材として使用され
  る教科書を執筆し、出版することもまた、上記(2)の学問的見解(学説)を発表す
  る一の形態であって憲法二一条にいう出版の自由に属すると解するのが相当である。
  けだし、学問の研究者は、研究の成果を社会に発表する自由を有することはいうまで
  もないが、それとともにさらに、子どもの教育を受ける権利に対応して国民に課せら
  れた前記(第四1(一))のような責務を果たすため、国民の一人として、学問研究
  の成果を教科書の執筆、出版という形で次代を担う子どもたちに伝えるという出版の
  自由を有するものというべきであるからである。すなわち、すでに述べたように、小、
  中、高等学校における教育の目的の中には真理を希求する人間の育成を期することが
  当然に含まれ(教育基本法一条参照)、したがって教育は真理教育をその本質的要素
  とするものであるから、そのために教育においては学問の自由が尊重されなければな
  らず(同法二条参照)、また教科書は教育の場において主たる教材として使用される
  ものであるから、教科書の内容は学問的成果に基づいた真理を包含するものであるこ
  とが要請される。それゆえ、一般の国民より以上にすぐれた教科書の執筆が期待され
  る学問の研究者に教科書執筆、出版の自由が保障されなければならないことは、けだ
  し当然であるというべきである。
   もっとも、教科書は単なる自己の主張する学説の発表の場であってはならないので
  あって、教科書の執筆、出版に当たっては、教科書が児童、生徒の教育に重大なかか
  わりをもつものであることにかんがみ、とくに児童、生徒の心身の発達段階に応じ適
  切な教育的配慮が払われるべきことは当然であるが、しかし、このような教育的配慮
  は教科書の執筆、出版をする者が自主的に行なうべきものと解するのが相当である。
 (二) 教科書検定制度と憲法二一条二項(検閲禁止)
  (1) さて、原告は、教科書検定は右条項によって禁止されている「検閲」に該当
  すると主張するので、まず、この点を検討する。
  (イ) 憲法二一条二項は「検閲は、これをしてはならない。」と定め、「検閲」を
  禁止しているが、ここに「検閲」とは、これを表現の自由についていえば公権力によ
  って外に発表されるべき思想の内容を予じめ審査し、不適当と認めるときは、その発
  表を禁止するいわゆる事前審査を意味し、また、「検閲」は、思想内容の審査に関す
  る限り、一切禁止されていると解すべきである。すなわち、憲法二一条一項で保障さ
  れる表現の自由も全く自由であるわけでなく、公共の福祉による必要最少限度の制約
  を受けるものであることはいうまでもないが、このことを前提としつつ、なおかつそ
  の歴史的経験にかんがみ、思想内容の審査に関する限り、たとえ公共の福祉の名にお
  いても、公権力が事前にこれを規制することは一切許さない趣旨と解しなければなら
  ない。
  (ロ) ところで、すでに述べたように、学校教育法二一条は「小学校においては、
  文部大臣の検定を経た教科用図書……を使用しなければならない」と定めており、そ
  の趣旨は検定を経ない教科書の使用を禁止するにあると解せられるところ、教科書検
  定の法的性格について争いがあるので、案ずるに、教科書検定は、申請に係る図書が
  教科書として適切であるか否かを客観的基準に照らして審査し、それがその基準に合
  致しているかどうかを公の権威をもって認定する行為であると解せられるから、それ
  自体の法的性格としてはいわゆる確認行為の範ちゅうに属する行為であるというべき
  であろうが、しかし、学校教育法二一条は上記のとおり検定を経ない教科書の使用を
  禁止する(なお、昭和二三年八月二四日教科書局長通達は検定不合格図書は教科書以
  外の教材としても使用を禁止している。)という法的効果を付与し、さらにこれによ
  って実際上、検定を経ない教科書を教科書として発行することを禁止する機能を果し
  ているというべきである(教科書として使用が禁止されるものを教科書として発行す
  ることは実際上あり得ない)から、かような機能にかんがみ、同条にいう教科書検定
  は実質的には事前の許可たる性格のものと解するを相当とする。
   この点に関し、教科書検定は、一般の図書が本来は有しない、教科書としての資格
  を新たに付与するものであって、いわばこれにより一種の特権を与えるものであるか
  ら、いわゆる特許行為に属すると解する見解があり、被告の主張するところもこれと
  同趣旨と解せられるのであるが、しかし、すでに前段で述べたように、教科書を教科
  書として著作し、発行することも、基本的には憲法二一条が表現の自由として保障し
  ているところであって、教科書検定によって新たに教科書としての資格を付与される
  のではないというべきであるから、教科書検定を特許行為と解する右の見解ならびに
  被告の主張は相当でないといわなければならない。
   さらに、被告は、教科書検定に不合格となっても、当該図書が教科用図書に採用さ
  れないという効果を生ずるにとどまり、それ以上に当該図書の出版を禁止しようとす
  るものでは決してなく、またそのような効果を生ずるものでもないから、法律上も事
  実上も当該図書の出版は禁止されず、発表の自由は確保されているのであるから、教
  科書検定は検閲に該当しない旨主張するが、憲法二一条は一般図書の出版の自由のみ
  ならず、教科書を著作、出版する自由をも保障していると解すべきことはすでに述べ
  たとおりであり、また、教科書検定が教科書を教科書として発行するについての事前
  許可たる性格のものであることは右に述べたとおりであるから、被告の右主張は失当
  というべきである。
  (ハ) では、教科書検定は検閲に該当するであろうか。
   教科書検定は、叙上のとおり、国の行政機関である文部大臣が教科書の発行に先だ
  ち、申請教科書について審査を加え、その結果検定において不合格とされた図書を教
  科書として出版することを禁止するものであつて、その法的性格は事前の許可と解せ
  られるのであるが、しかし出版に関する事前許可制がすべて検閲に該当するわけでな
  いことはいうまでもない。してみると、右の審査が思想内容に及ぶものでない限り、
  教科書検定は検閲に該当しないものというべきである。
   なお、ここで思想内容の審査とは、政治思想の審査のみならず、広く精神活動の成
  果に対する審査をいい、したがって、学問研究の成果としての学問的見解(学説)に
  対する審査も当然にこれに含まれると解すべきである。これを歴史教科書の内容につ
  いていえば、史観や個々の歴史事象の評価などに対する審査はもとより、年代などに
  ついてもそれが歴史学上の評価にかかわるときは、右にいう学問的見解に含まれると
  解するのが相当である。
  (2) また、原告は、現行の教科書検定制度は右のように事前許可制を採用してい
  るばかりでなく、申請に係る教科用図書が「教育基本法及び学校教育法の趣旨に合致
  し、教科用に適することを認める」(教科用図書検定規則一条一項)ことを趣旨、目
  的にするものであるから、この制度の目的自体のうちに、教科用図書の記述内容に対
  する価値判断を含んでおり、さらに、教科用図書検定基準に定められている検定の基
  準ははなはだ抽象的、かつ包括的であつて、検定権者の恣意に基づいた判断を容認す
  るものであり、これにより教科用図書の内容すなわち教科書に盛られた執筆者の思想
  の内容を審査するものである。このことはこの制度の運用の状況からもいえるのであ
  って、たとえば思想審査にわたる検定の事例として、(1)昭和三一年検定申請の中
  学三年用教科書「日本の社会」の事例、(2)昭和三五年改訂申請のK出版社刊、小
  学校社会科用教科書の仁徳天皇陵についての記述に関する検定の事例、(3)昭和三
  九年検定申請の中学校用社会科「新しい社会」(東京書籍)の事例、などを上げるこ
  とができる。したがって現行の教科書検定制度は思想内容の審査にわたるもので検閲
  に該当する旨主張するので、つぎにこの点について案ずるに、教科用図書検定規則一
  条一項ことに教科用図書検定基準の定める検定の基準はたしかに原告の主張するよう
  に教科書の思想内容を審査する恐れのあるものというべきであるから、その運用に当
  たっては、教科書に盛られた思想の内容(学問的成果としての学問的見解を含むこと
  はすでに述べた)の審査にわたらないように厳に戒心すべきであるが、しかし、のち
  に述べるように教科書検定制度は本来児童生徒の心身の発達段階に応じ、必要かつ適
  切な教育を施し、教育の機会均等と教育水準の維持向上を図るという国の責任を果す
  ためにその一環として行われるものであるから、これにより教科書の思想内容を審査
  することは許されず、さらに教科書の内容への介入にも一定の限界がある(後記4(
  二))にしても、なおその意義が認められるべきである。してみると、現行の教科書
  検定制度自体が思想内容の審査にわたるもので検閲に該当すると断定するのは相当で
  ないといわざるを得ない。
 (三) 教科書検定制度と憲法二一条一項
  (1) 憲法二一条一項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は
  これを保障する。」と定め、教科書執筆、出版の自由も同条項によって保障されてい
  ることはすでに述べたとおりであるが、表現の自由も無制約なものでなく、公共の福
  祉の見地からの必要かつ合理的制限に服するものなることはいうまでもない。ところ
  で教科書検定は、国が福祉国家として、小学校、中学校、高等学校において児童、生
  徒の心身の発達段階に応じ、必要かつ適切な教育を施し、教育の機会均等と教育水準
  の維持向上を図るというその責任を果たすために、その一環として行なうことをその
  趣旨とするものであるから、その限度において教科書執筆、出版の自由が制約を受け
  てもそれは公共の福祉の見地からする必要かつ合理的な制限というべきであつて、表
  現の自由の侵害にならないと解するを相当とする。
  (2) ところで、原告は、現行教科書検定制度は文部大臣が自ら定めた検定基準に
  従い教科書の内容を審査し、教科書としての適否を公権的に決定する仕組みになって
  いるところ、右の検定基準は、「立場の公正」とか「教育の目的との一致」というよ
  うに、きわめて自由で包括的な裁量を検定権者に付与するものであるばかりでなく、
  またその基準の実質内容を学習指導要領によっているのであつて、これらの基準によ
  って審査が行なわれるときは、のちに述べる検定手続の不公正ともあいまって、公共
  の福祉または教育的配慮の名のもとに教科書の著者の学説、見解を排除し、著者の学
  問研究の成果を教科書に反映する可能性を封ずることになるから、かような教科書検
  定制度は憲法二一条一項に違反する旨を主張するので案ずるに、検閲に該当しなけれ
  ばいかなる検定を行なってもよいというわけでなく一定の限度があることは上記のと
  おりであり、この点からすると、現行の検定基準は右の限度を超え、原告が主張する
  ように著者の学問研究の成果を教科書に反映する可能性を封ずる恐れのあるものであ
  ることは否定しえないから、その運用に当たっては、いやしくも著者の学問的成果を
  封ずることのないよう戒心すべきは当然であるが、しかし、このことをもって直ちに
  教科書検定制度が表現の自由を侵害するものというは相当でないというべきである。
 (四) 以上を要するに、現行教科書検定制度は、違憲とはいえず、したがって現行教
  科書検定制度が憲法二一条および同二三条に違反するとする原告の主張はこれを採用
  することができないが、その運用を誤るときは、憲法の保障する表現の自由を侵害す
  るとのそしりを免れないものというべきである。
 3 憲法三一条違反および法治主義の原則違反の主張について
 (一) 教科書検定制度と憲法三一条(適正手続の保障)
  (1) 憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若し
  くは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。」と規定しているが、同条は、
  アメリカ合衆国憲法修正五条にいわゆる適正手続(due procese of law)の原則の影
  響の下に成立したといわれるもので、主として刑罰権の発動に関し、人身の自由の基
  本原理として設けられたものである。そして、同条は、その文面のみからすると単に「
  法律の定める手続による」ことを要求しているにとどまるかのようにみえるが、前記
  のようにアメリカ合衆国憲法の適正手続の原理に由来するものであることにかんがみ、
  個人に対して、その生命もしくは自由を奪いその他刑罰を科するには法律の定める適
  正な手続によらなければならない旨を規定したものと解するのが相当である。また同
  条は、手続についてのみ定めているかのごとくであるが、実体的要件の点でもいわゆ
  る罪刑法定主義をも定めたものと解するのが相当である。
   しかるところ、憲法三一条の規定が行政手続にも適用(または準用、以下同じ)さ
  れるのか、また、仮に行政手続に適用されるとしても、どの範囲で適用されるかにつ
  いては説が分かれ、たとえば、同条は単に刑罰についてのみの規定ではなく、刑罰以
  外に、国家権力によって個人の権利、利益を侵害する場合にも適用されると解する説
  があるが、同条が前示アメリカ合衆国憲法の適正手続条項と異なり、「生命若しくは
  自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定し、また、刑事手続に関す
  る三二条以下の規定の冒頭に置かれていることにかんがみると同条は、主としては刑
  事手続に関するものというべきであるから、これが行政手続に適用されるとしても、
  個人の生命(実際上はほとんど考えられないであろうが)、身体の自由を奪い、個人の
  意思と無関係に刑罰類似の制裁を科する手続たとえば少年法による保護処分(同法二
  四条)伝染病予防法による強制処分などについて適用されるにとどまると解すべきで
  ある(非訟事件手続法による過料の裁判につき、最高裁昭和四一年一二月二七日大法
  廷決定、民集二〇巻一〇号二二七九頁参照)。
  (2) ところで、原告は、教科書検定制度は憲法三一条に違反する旨主張するが、
  教科書の検定制度は前記説示のとおり教科書の執筆、出版という表現の自由に関する
  ものであるから、これについて憲法三一条の適用はないというべく、したがって教科
  書検定制度について同条の適用があることを前提とする原告の右主張は理由がないと
  いわざるを得ない。
  (3) 原告はさらに、憲法一三条、同三一条は国民の権利、自由が手続的にも尊重
  されるべきことを要請する趣旨を含むから、国民は行政庁が国民の権利、自由に関す
  る行政処分をするに当たつては、前示のアメリカ合衆国憲法における適正手続と同様
  に、行政庁の恣意、独断等の介入を疑われることのないような適正手続によって行政
  処分を受ける権利を憲法上保障されているというべきところ、現行の教科書検定の手
  続は、はなはだしく不公正であって、右のような適正手続であるとはいえず、したが
  って、教科書検定制度は憲法の右趣旨に反する旨を主張するごとくであるので、案ず
  るに、憲法の認める権利、自由は実体的のみならず手続的にも保障されることによっ
  て完全なものとなるというべきであるから、行政手続においても国民の権利、利益を
  保護するために、必要な行政処分の告知、聴聞等の手続をとるべきことが基本的に要
  請されるというべきであり、憲法三一条について右のように解する説があるけれども、
  しかし、わが憲法は、前示のとおり三一条において主として刑事手続について法律に
  よる適正手続を保障するにとどめ、一般の行政処分ないしその手続に関しては事柄の
  性質の多様性にかんがみて直接には明文の規定を設けず、むしろいわゆる法治主義(
  法律に基づく行政)の原則によって国民の権利、自由を保障しようとしているものと
  解するを相当とする。
 (二) 教科書検定制度と法治主義(法律に基づく行政)の原則
  (1) およそ公権力の行使たる行政は、国会において制定された法律に基づいて行
  なわれなければならず、ことに国民の権利義務に関する重要な事項については法律に
  おいてこれを明確にすべきことは、憲法四一条、一三条の趣旨に照らしても当然のこ
  とであり、かかる法治主義(法律に基づく行政)の原則は、近代および現代における
  行政の基本原理であるというべきである。
   しかるところ、現行の教科書検定制度は、前記のとおり、学校教育法二一条で「小
  学校においては、文部大臣の検定を経た教科用図書……を使用しなければならない」
  との規定(ただし、昭和二八年改正のもの)するのみで、同法八八条(本法施行事
  項−政令・監督庁に委任)、一〇六条(経過規定、ただし昭和二八年の右改正で同条
  中二一条に関する部分は削除)の規定により教科書検定の手続および検定基準につい
  てはすべて文部省令たる教科用図書検定規則と文部省告示たる教科用図書検定基準に
  委ねている。すなわち、法律は、教科書検定とは何か、いかなる基準、手続でなさる
  べきかなど国民の権利、自由にかかわる教育上の重要事項についてはなんら定めると
  ころなく、これらについては直接国会の議を経ない下位法たる省令または告示などで
  それを充足しているにすぎない。
   この点に関し、被告は、検定の意義、内容については社会通念上明白であり、検定
  の基準については、実質的には教育基本法および学校教育法のうちに規定されている
  といえるし、その手続についても学校教育法二一条、文部省設置法五条一項一二号
  の二、同法八条一三号の二、同法二七条などにおいてその大綱を定めている旨主張す
  るが、しかし、教科書についての検定の意義、内容が社会通念上明白であるとは必ず
  しもいうことはできず、また、検定の基準については、教育基本法および学校教育法
  が教育の目的、内容を規定していることは被告主張のとおりであるけれども、そのこ
  とをもって、検定の基準がこれらの法律の中で定められているとは到底いうことはで
  きず、さらに、検定の手続についてもすでに前記現行制度の概要において述べたとお
  り、学校教育法二一条が検定権限を文部大臣に付与しているほか、法律中に検定の手
  続について定めた規定はなく、被告の検定手続を定めたものとして主張する文部省設
  置法の各条項はいずれも教科書検定に関する官庁の内部的な組織を定めたにすぎない
  ものであるから、これらをもって検定手続の大綱を定めたものといえないことはいう
  までもない。
  (2) ところで、原告は、上記のような現行教科書検定制度は憲法上の法治主義(
  法律に基づく行政)の原則に違背すると主張するので、案ずるに、現行の教科書検定
  制度は、右に述べたように、教育に関する国民の権利、自由を国政上十分に尊重する
  ゆえんのものではなく、これにより教育の理念に沿った適正かつ公正な検定が行なわ
  れない恐れなしとしないというべきであろうが、検定の権限、基準、手続などのうち
  どの範囲で、どのように法律で定め、どの範囲を命令等の下位法に委ねるかは、結局
  は立法の裁量に属するというべきであるから、現行の教科書検定制度が前記のごとく
  であるとしても、なおこのことをもって直ちに法治主義(法律に基づく行政)の原則
  に違背し、違憲であるとは断定できないといわざるを得ない。
 (三) 以上のとおりであるから、現行の教科書検定制度が憲法三一条および法治主義
  の原則に違反するとの原告の前記主張は、いずれも採用しがたい。
 4 教育基本法一〇条違反の主張について
 (一) 戦後の教育改革と教育基本法の成立事情
   前顕甲第六号証、同第一〇号証、同第九一、第九二号証、成立に争いのない甲第七
  号証の一ないし四、同第九号証、同第一〇八号証、同第一一八ないし第一二〇号証、乙
  第四四号証、同第五九号証および証人鈴木英一の証言とこれによって真正に成立した
  ものと認める甲第一〇四ないし第一〇七号証、同第一〇九ないし第一一七号証、証人
  遠山茂樹、同安達健二の各証言ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、つぎの事実を認
  めることができ、他にこれを左右するに足る証拠はない。
   昭和二〇年八月、日本はポツダム宣言を受諾し、太平洋戦争は日本の敗北によって
  終了した。ポツダム宣言の中には、日本から軍国主義と極端な国家主義を除去し、こ
  れに代わり平和主義を確立すべきことおよび日本において民主主義とその前提たる基
  本的人権が確立さるべきことが強く掲げられているが、連合国の日本管理は右の平和
  主義および民主主義の確立を目途として行なわれた。そのために連合国は教育に関し
  いくつかの改革措置をとったが、これらに先だち、文部省は、昭和二〇年九月、「新
  日本建設ノ教育方針」を発表し、その中で将来の教育につき一方でなお従前のように
  国体の護持に努むべきことをうたうとともに、他方「軍国的思想及施策ヲ払拭シ平和
  国家ノ建設ヲ目途トシテ謙虚反省只管国民ノ教養ヲ深メ科学的思考力ヲ養ヒ平和愛好
  ノ念ヲ篤クシ智徳ノ一般水準ヲ昂メテ世界ノ進運ニ貢献スルモノ」としなければなら
  ないとして平和教育の推進をも主張するに至っていた。そして、連合国軍総司令部は
  同年一〇月二二日、「日本教育制度ニ対スル管理政策ニ関スル件」を発し、教育の根
  本方針、教職員の粛正、教育の具体的方法等について基本的な方針を明らかにし、と
  くに軍国主義および極端な国家主義の排除、ならびに民主主義と基本的人権の確立を
  めざして教育が行なわるべきことを強調し、この覚書を基礎として、同年一〇月三〇
  日には「教員及教育関係官ノ調査、除外、認可ニ関スル件」が、また、同年一二月一
  五日には「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃
  止ニ関スル件」が、さらに同年一二月三一日には「修身、日本歴史及ビ地理歴史ニ関
  スル件」がつぎつぎと発せられ、これに基づく具体的措置がとられた。
   これらの一連の措置は、差当たり旧来の教育の弊害を取り除こうとするものであっ
  て、そのために連合国軍最高司令部の招きによりアメリカから教育使節団が来日する
  のであるが、こうした連合国側の改革と並行して、日本国内においても新しい教育理
  念を模索する動きがあった。すなわち、同年一一月には文部省内において、「劃一教
  育改革要綱(案)」および「劃一教育打破ニ関スル検討並ニ措置(案)」が作成され
  たが、これらにおいては、戦前教育の弊害は基本的には「高度ナル国家的統一と劃一
  化」にあるとしたうえで、国民教育の目標として、責任と自由、個人の完成、国家社
  会への奉仕、自発的能動的実践力があげられ、また、教育の自主性が教育理念として
  掲げられ、個性の重視を基本とする教育の創造性がうたわれており、さらにそれにつ
  いてのかなり詳細な具体的措置、たとえば国定教科書の廃止、教師による教科書の自
  由選択なども掲記されていた。また、翌二一年五月には文部省から「新教育指針」が
  発表され、ここでは、これが教師の手引きであって、教育者に押しつけようとするも
  のではないとことわったうえで、戦前の教育が人間性と個性を無視した画一的なもの
  であったことにかんがみ、教育内容および教育制度そのものの民主化、人格の尊重と
  個性に応じた教育などが新しい教育方針として打ち出されている。
   さて、昭和二一年三月、連合国軍最高司令部の招きにより、アメリカから教育使節
  団(団長ジョージ・ストダード博士)が来日し、約一か月にわたって調査等を進める
  こととなったが、これに対し、日本側においても、右の使節団に対し情報を提供す
  る等してこれに協力する機関として、南原繁を委員長とする日本教育家委員会が組織
  され、天野貞祐、上野直昭、小宮豊隆、長谷川如是閑その他の当時の日本の代表的な
  識者がこれに加わった。使節団は右の教育家委員会と協議を重ね、日本の学校等教育
  施設を視察し、また、各層の人々と意見を交換し、その結果同年三月三一日に報告書
  を作成したが、この報告書は軍国主義的、国家主義的教育を排し、個人の価値と尊厳
  を認め、画一教育を否定し、自由な雰囲気の中での教育をうたい、中央集権的教育行
  政のかわりに地方分権的、民主的な教育委員会制度を提唱するものであった。
   右報告書の中から、一部をとり出してみると、「序論」の中で、「教師の最善の能
  力は、自由の雰囲気の中においてのみ十分に発揮せられる。この雰囲気をつくり出す
  ことが行政官の仕事なのであって、その反対の雰囲気をつくり出すことではない。子
  供のもつ計り知れない資質は、自由主義という陽の光を受けてのみ豊かな実を結ぶも
  のである。この自由主義の光を与えることこそが、教師の仕事なのであって、その反
  対のものを与えることではない。」と説き、また、「教育の目的」の項で、「日本の
  教育の再建が行われる前に、民主政体における教育哲学の基礎が、ぜひとも明らかに
  される必要がある。「民主主義」という言葉を絶えず繰り返したところで、それが内
  容をそなえていなければ無意味である。民主政治下の生活のための教育制度は、個人
  の価値と尊厳の承認とを基礎とするものである。それは各人の能力と適性とに従って、
  教育の機会を与えるように組織されることが望ましい。教授の内容と方法によって、
  それは研究の自由と、批判的に分析する能力の訓練とを助成することになる。それは
  異った発展段階にある生徒の能力の範囲内で、広く実際の知識の討論を行うことを勧
  めるであろう。学校の仕事が、規定された学校課程と、各科目毎に認定された、ただ
  一冊の教科書とに制限されていたのでは、これらの目的はとげられようがない。民主
  政治における教育の成功は、画一化と標準化とを以てしては測られないのである。教
  育は個人を、社会の責任ある協力的成員たらしめるよう準備すべきである。また「個
  人」という言葉は、子供にも大人にも、男にも女にも、同じようにあてはまることも、
  わかっていなければならない。新しい日本の建設に当って、個人は自らを労働者とし
  て、市民としてまた人間として、発展させる知識を必要とすることになるであろう。
  彼等は、社会の組織の種々な面に参加する成員として、その知識を自由研究の精神を
  もって応用することが必要であろう。これはすべて国連憲章ならびにユネスコの規約
  草案に記されている基本的原理と一致するものである。その結果は、中央官庁が教授
  の内容や方法、または教科書を規定すべきではなく、むしろ、それらの領域における
  活動を概要書、参考書、教授指導書などの出版に限定すべきであるということになる。
  教師がその専門の仕事に対して適当に準備ができさえすれば、教授の内容と方法を、
  種々な環境にある彼等の生徒の必要と能力ならびに彼等が将来参加すべき社会に適応
  せしめることは、教師の自由にまかせらるべきである。日本の教育方針の転換は、 
  軍国主義的な、超国家主義的な、またその他の非難さるべき教授の特徴を、完全に除
  去するという消極的な面のみではなく、新しいプログラムを充実させるような、文化
  の諸方面の注意深い評価をもふくんでいる。例えば歴史、倫理、地理、文学、美術、
  音楽といったような科目において、日本と他の諸国との間に協力を増すものとして、
  どのようなものを残しうるであろうかということについて、考慮が払われなければな
  らない。教育は真空の中では行われるべくもないし、また民衆の文化的過去との関係
  をすっかり断ち切ってしまうということも考えられない。今日のような重大な時機に
  おいてすらも、何等かの連続がなければならない。新しい計画に力を与えるような人
  道上の観念、理想として、どういうものが保存の価値があるかを知るために、彼等の
  文化的伝統を分析することが、日本の教育活動にたずさわるすべての人々に課せられ
  た仕事でなければならない。ここにこそ、日本人はその忠誠心と愛国心を合法的に鼓
  舞する根拠を発見することになるであろう。「広く世界に知識を求め」という、明治
  時代の国是を採用することはよろしいが、しかし、その場合、絶えず新しい要素を加
  えてゆくことから生ずる新旧の対立を避けるために、価値ある国民文化の意識と照し
  合わせてこれを採りいれなければならない。
   教育の目的についての、この論議の核心となることは、日本の国民文化の保存のた
  めのみならず、その充実のためにも、教授と研究の自由が助成されなければならない
  ということである。事実と神話、現実と空想とを区別する能力は、物事を批判的に分
  析する科学的精神の中に栄えるのである。このためには両親、生徒、教師の心を先ず
  第一に占めている、従来の試験合格第一主義を改めなければならぬということになる。
  受験準備に支配されている教育制度は、形式的になり、紋切型になる。それは服従し
  ておればよいという気持を教師や生徒に起させる。それは研究の自由と、批判的判断
  の自由を奪って、そして社会全体というよりはむしろ狭い範囲の官僚主義のために、
  当局者の意のままにあやつられることになる。結局、この制度は時としては、偽瞞と
  腐敗、あるいはまた健康を害して失敗に終らせたりするような、異常な競争心を生み
  出す。しかしまた、青年の将来を単なる偶然のチャンスのいかんによって左右させな
  いような、新しい型の試験を行う余地がある。この問題は一九三一年から一九三八年
  にわたって約十ケ国が参加して討議した国際的な研究題目であった。試験問題の研究
  は、批判の機関と教育研究の中心機関との創設を必要とする。もし生徒の能力につい
  ての正確な知識を得る必要があるとすれば、できる限りのあらゆる創意工夫が用いら
  れてしかるべきである。教育再建に対する多くの戦後の計画において、指導と助言を
  与えることに、このような重要な地位が与えられるということは、決して偶然のこと
  ではなく、すべての人々に平等な教育の機会を与えようとする理想の直接の結果なの
  である。教育ということは、言うまでもなく学校のみに限られたことではない。家庭、
  隣組、その他の社会的機構もまた教育の分野にそれぞれ果すべき役割を持っている。
  新しい日本の教育は、有意義な知識をうるために、できるだけ多くの出所と方法とを
  開拓するよう努むべきである。学習者が教育の過程に能動的に参加するのでなければ、
  言い換えれば、生徒が理解をもって学習するのでなければ、教育は、試験が済み次第
  忘れられる事柄の蓄積に過ぎなくなるのである。ともあれこのような知的な革命は、
  カリキュラム作成の方法と内容との変更を必要とする。」と述べ、さらに、「初等お
  よび中等学校の教育行政」の項で、「教育の民主化の目的のために、学校管理を現在
  の如く中央集権的なものよりむしろ、地方分権的なものにすべきであるという原則は、
  一般の認めるところである。学校における勅語の朗読、御真影の奉拝などの式を挙行
  することは望ましくない。文部省は本使節団の提案にもとずき、各種の学校に対し技
  術援助および専門的な助言を与えると云う、重要な任務を負うことになるけれど、地
  方の学校に対する直接の統制は大いに削減されるであろう。市町村および都道府県の
  住民を広く教育行政に参画させ、学校に対する内務省地方官吏の管理行政を排除する
  ために、市町村と都道府県に、一般投票により選出される教育行政機関の創設を我々
  は提案する。かかる機関には、学校の認可、教員の免許状付与、教科書の選定に関し
  て相当の権限が付与されるであろう。現在、このような権限は全部中央の文部省に握
  られている。課税で維持し、男女共学制を採用し、かつ授業料無徴収の学校における
  義務教育の引き上げをなし、修業年限を九ケ年に延長、換言すれば生徒が十六歳に達
  するまでの教育を施すところの、年限延長改革案を我々は提案する。さらに、生徒は
  最初の六ケ年は現在と同様に小学校において、次の三ケ年は現在、小学校の卒業児童
  を入学資格とする各種の学校の合併改変によって創設されるべき、”初級中等学校”
  において修学することを我々は提案する。これらの学校において、全生徒に対し授業
  および教育指導を含む一般的教育が実施されるべきであり、かつ個々の生徒の能力の
  相違を考慮しうるように、十分なる弾力性を持たせなくてはならない。更にこの上に、
  三年制の”上級中等学校”を設置し、授業料は無徴収、いくいくは男女共学制を採り、
  初級中等学校よりの進学希望者すべてに、さまざまの学習の機会が提供されるように
  すべきである。初級と上級の中等学校が相伴って、課税により維持されている現在の
  この段階の他の諸学校、即ち小学校高等科、高等女学校、予科実業学校および青年学
  校などの果しつつある種々の機能を継承することになろう。上級中等学校の卒業は、
  その上の上級学校への入学条件とされるであろう。本提案によれば、私立諸学校は、
  生徒が公私立を問わず相互に容易に転換できるようにするため、必要欠くべからざる
  最低の規準に従うことは当然期待されるところであるが、それ以外は、完全な自由を
  保有することになろう。」と提言している。
   このように使節団報告書は、日本の社会および教育の現状を十分に踏まえつつ、新
  しい日本の教育のあるべき姿とその具体化のための諸制度の提言を行なったが、他方、
  前記日本側の教育家委員会も、単に使節団に対する情報提供、あるいはそれとの協議
  にとどまることなく、進んで自ら教育改革の方向を検討し、使節団の来日中に報告書
  を作成して、これを使節団および文部省に提出した。この報告書は公表されなかった
  が、たとえばそのうち教育勅語に関する意見についてみると、国と皇運を絶対的な目
  標とする教育理念を修正して、人間性、自主的精神、合理的精神、平和と文化等をう
  たった新しい教育勅語を渙発すべきことを提唱し、戦後教育改革の理念を打ち出そう
  としたものであった。
   こうした動きのなかで、昭和二一年三月六日に「憲法改正案要綱」が公表され、つ
  いで同年六月二〇日に開かれた第九〇回特別議会に上程されたが、右改正案要綱には、
  教育に関しても現憲法の教育あるいは思想、良心、学問等に関する諸条項、すなわち、
  一四条(法の下の平等)、一九条(思想、良心の自由)、二〇条(信教の自由)、二
  一条(集会、結社、表現の自由等)、二三条(学問の自由)、二六条(教育を受ける
  権利等)に相当する諸条項が盛り込まれ、戦後教育のあるべき姿が示めされていたが、
  さらに、同特別議会の帝国憲法改正案委員会で、議員の中から、憲法全体の精神から
  くみとられるべき教育の指導原理を憲法自体の中に明示すべきであると要求する声が
  生じ、民主的、平和的な国家の建設にとつて教育が原動力でなければならないこと、
  教育がその時々の政治の動向によって影響を受けることのないよう、国の政治的機構
  から独立させる必要があること、新しい教育理念を盛るには勅語という形式は妥当で
  はなく、むしろ憲法の中に含めるのがふさわしいこと等の質疑が出された。これに対
  し、文部大臣(田中耕太郎)は、教育に関し一章を設けることは憲法全体の振合いか
  らみて不適当であり、また憲法は元来政治的な基本法であって教育が問題にされる場
  合でもやはり政治の面から問題となるから、道徳ないしは教育の原理のようなものを
  憲法の中にとり入れるべきでない旨を答弁したが、他方、文部省においても教育に関
  する基本方針等について教育根本法ともいうべきものを早急に立案して議会に提出し
  たいとし、また教育権の独立というようなことも右の教育根本法にとり入れるべく研
  究している旨答えて、教育基本法の構想があることを明らかにした。
   そして、こうした動きを受けて、昭和二一年八月、教育に関する重要事項を調査審
  議するため、内閣のもとに「教育刷新委員会」が設置された。この委員会は前記の教
  育家委員会を拡充発展させたもので、安倍能成を委員長、南原繁を副委員長とし、教
  育界をはじめ各界の代表的識者約五〇名の委員で構成され、翌二二年の一〇月まで四
  二回の総会を開くなどして活発な審議に当たり、教育改革の諸点にわたって積極的な
  建議を行ない、とくに教育の基本に関する諸問題を研究し、教育の根本理念を確立す
  るために第一特別委員会を設けた。かくて、昭和二一年九月末から一一月末に至るまで
  前後一二回の特別委員会が開かれ、教育の根本理念、教育基本法の内容等が検討され
  て総会に報告され、総会においてさらに討論を経たのち、教育勅語については新勅語
  の奏請は行なわず、法律の形で新教育の理念を明らかにすべきことを決め、結局、同
  年一一月二九日の第一三回総会において、「教育の理念及び教育基本法に関するこ 
  と」および「教育行政に関すること」と題するつぎのような建議がそれぞれ採択され
  て同年一二月二七日内閣総理大臣に提出された。
    「教育行政に関すること」
  一 教育行政は、左の点に留意して、根本的に刷新すること。
   1 従来の官僚的画一主義と形式主義との是正
   2 教育における公正な民意の尊重
   3 教育の自主性の確保と教育行政の地方分権
   4 各級学校教育の間及び学校教育と社会教育の間の緊密化
   5 教育に関する研究調査の重視
   6 教育財政の整備
  二 右の方針にもとづき、教育行政は、なるべく一般地方行政より独立し且つ国民の
   自治による組織をもって行うこととし、そのために、市町村及び府県に公民の選挙
   による教育委員会を設けて教育に関する議決機関となし、教育委員会が教育総長(
   仮称)を選任してこれを執行の責任者とする制度を定めること(以下略)
   「教育の理念及び教育基本法に関すること」
  一 教育基本法を制定する必要があると認めたこと。
  二 教育理念は、おおよそ左記のようなものとして、教育基本法の中に、教育の目的、
   教育の方針として、とりいれること。
   1 教育の目的
     教育は、人間性の開発をめざし、民主的平和的な国家及び社会の形成者として、
    真理と正義とを愛し、個人の尊厳をたっとび、勤労と協和とを重んずる、心身共
    に健康な国民の育成を期するにあること。
   2 教育の方針
     教育の目的は、あらゆる機会とあらゆる場とを通じて実現されなければならな
    い。この目的を達成するためには、教育の自律性と学問の自由とを尊重し、現実
    との関連を考慮しつつ、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力とによって、文化
    の創造と発展とに貢献するように努めなければならないこと。
  三 教育基本法には、この法律の制定の由来、趣旨を明らかにするため、前文を付す
   こととし、その内容はおおむね左のようなものとすること。
   1 従来の教育が画一的で形式に流れた欠陥を明らかにすること。
   2 新憲法の改正に伴う民主的文化国家の建設が教育の力にまつことをのべ、新教
    育の方向を示すこと。
   3 この法律と憲法及び他の教育法令との関係を明らかにすること。
   4 教育刷新に対する国民の覚悟をのべること。
  四 教育基本法の各条項として、おおむね左の事項をとりいれ、新憲法の趣旨を敷え
   んすることともに、これらの事項につき原則を明示すること。
   1 教育の機会均等
   2 義務教育
   3 女子教育
   4 社会教育
   5 政治教育
   6 宗教教育
   7 学校の性格
   8 教員の身分
   9 教育行政
  五 前項に示した教育基本法の各条項の内容については総会、各特別委員会の審議の
   結果をとり入れること。
  六 文部省において、右の趣旨に則って、教育基本法案を作成されること。

   かくして、教育基本法制定の構想が示めされ、ついで文部省はこれらの建議に基づ
  き具体的な立案作業にとりかかった。すなわち、文部省官房審議室において(同年一
  二月四日以降は新たに設置された同省調査局審議課において)、立案作業が進められ
  たが、ここでの審議立案過程で、当初の教育刷新委員会第一特別委員会で作成された
  参考案が、少しずつ修正されたが、基本的な考え方は変わらず、また、立案過程におい
  て連合国軍総司令部との折衝もあったが、教育基本法については、ほとんど干渉され
  ることがなかった。この修正の過程を教育行政の条項についてみてみると、まず、前
  記教育刷新委員会第一特別委員会の参考案では「十 教育行政 教育行政は、学問の
  自由と教育の自主性とを尊重し、教育の目的遂行に必要な諸条件の整備確立を目標と
  して行われなければならない」であったが、同年一二月二一日の教育基本法要綱案で
  は、「一〇 (教育行政)教育は、政治的又は官僚的支配に服することなく、国民に
  対し独立して責任を負うべきものであること。学問の自由は、教育上尊重されなけれ
  ばならないこと。教育行政は、右の自覚の下に教育の目的を遂行するに必要な諸条件
  の整備確立を目標として行われなければならないこと。」となり、ついで昭和二二
  年一月一五日の案では、「第十一条 教育行政 教育は、不当な政治的または官僚的
  支配に服することなく、国民に対し、独立して責任を負うべきものである。教育行政
  は、右の自覚のもとに、学問の自由を尊重し、教育の目的を遂行するに必要な諸条件
  の整備確立を目標として行われなければならない。」となり、さらに昭和二二年一月
  三〇日の文部省案では、「第十一条 教育行政 教育は、不当な支配に服することな
  く、国民に対し直接に責任を負うべきものである。教育行政は、この自覚のもとに、
  教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならな
  い。」となり、さらにまた、同年三月一二日に枢密院の諮詢の段階で「国民に」の部
  分が「国民全体に」と修正されてほぼ現行法どおりの政府案ができ上った。右のうち、
  「学問の自由を尊重し」がなくなったのは、第二条(教育の方針)の中に明記されて
  いるので、これと重複するからということであった。また、教育行政機関については、
  当初全国をいくつかの大学区に分け、各大学区に置かれる大学が、大学のみならずそ
  の学区内の小、中、高等学校の教育ないし教育行政に責任を負う仕組みを考え一般行
  政権からは完全な独立をめざす構想があったが、最終的には連合国軍最高司令部民間
  情報教育局(CIE)の示唆もあって、各地に公選制の一般民間人による教育委員会
  制度を設け、これに教育行政を委ねる、いわゆるレーマン・コントロールの方式が真
  に民主的な教育行政であるとして採用され、そのことが教育基本法の立案にも反映し
  て、たとえば「独立して」の文字が削除された。
   政府案は昭和二二年三月一三日に第九二帝国議会に上程された。文部大臣(高橋誠
  一郎)の提案理由ならびに内容の説明はつぎのとおりであった。
   「民主的で平和的な国家再建の基礎を確立致しまするがために、さきに憲法の画期
  的な改正が行われました。これによりましてひとまず民主主義、平和主義の政治的、
  法律的な基礎が作られたのであります。しかしながら、この基礎の上に立って真に民
  主的、文化的な国家の建設を完成致しまするとともに、世界平和に寄与すること、即
  ち立派な内容を充実させますることは、国民の今後の不断の努力にまたなければなら
  ぬことはもちろんでございます。そうしてこのことは、一にかかって教育の力にある
  と申してもあえて過言ではないと存ずるのであります。かくのごとき目的の達成のた
  めには、この際教育の根本的刷新が断行せられまするとともに、その普及徹底を期す
  ることが何よりも肝要でございます。かかる教育刷新の第一前提と致しまして、新し
  い教育の根本理念を確立する必要があると存ずるのであります。それは新しい時代に
  即応する教育の目的方針を明示し、教育者並びに国民一般の指針たらしめなければな
  らないと信ずるからであります。
   次にこれを定めるに当りましては、これまでのように詔勅、勅令などの形を取りま
  して、いわば上から与えられたものとしてでなく、国民の盛り上りまする総意により
  まして、いわば国民自らのものとして定むべきものでありまして、国民の代表者をも
  って構成せられておりまする議会におきまして、討議確定致しまするがために法律を
  もって致すことが新憲法の精神にかなうものと致しまして、必要且つ適当であると存
  じた次第でございます。更に、新憲法に定められておりまする教育に関係ある諸条文
  の精神を一層敷えん具体化致しまして、教育上の諸原則を明示致す必要を認めたので
  あります。
   さて、これらの教育上の諸原則並びにさきに申し述べました教育の根本理念は、単
  に学校教育のみならず、広く家庭を含めました社会教育にも通ずべきものでありまし
  て、これらの根本理念並びに原則は、個々の教育法令に別々に掲げることなく、基本
  的な単一の法律に規定致しまして、その他の教育法令は、総てこの法令に掲げまする
  目的並びに原則に則って制定せらるべきものとすることが適当であると考えるのであ
  ります。この法律をこれがために教育基本法と称したのであります。
   以上申し述べました理由に基きまして、この法案を作成致したのでありまするが、この
  法案は教育の理念を宣言する意味で教育宣言である、あるいは教育憲章であるとも見
  られましょうし、又今後制定せらるべき各種の教育上の諸法令の準則を規定するとい
  う意味におきまして、実質的には教育に関する根本法たる性格をもつものであると申
  し上げうるかと存じます。したがって本法案には普通の法律にはむしろ異例でありま
  する所の、前文を附した次第でございます。
   次に、この法案の内容を御説明申し上げますと、まずこの法律制定の由来趣旨を明
  らかに致しまするがために、ただ今一言申し上げましたような前文が附せられている
  のであります。次に本文に入りましては、第一条に新時代に即応すべき教育の理念を
  明かに致しまするがために、教育の目的を掲げました。次に第二条におきましては、
  このような教育の目的をいかに達成すべきか、その方針を明示致しました。第三条教
  育の機会均等の条下におきましては、新憲法第一四条第一項、同じく第二六条第一項
  の精神を具体化致しました。第四条義務教育におきましては、新憲法第二六条第二項
  の義務教育に関する規定を一そうはっきりと規定したのであります。更に第五条男女
  の共学におきましては、新憲法第一四条第一項の精神を敷えん致しまして、男女共学
  を説きました。第六条学校教育におきましては、学校の性格、教員の身分について規
  定し、第七条におきましては社会教育の原則をうたったのでございます。第八条政治
  教育におきましては、民主主義社会における政治的教養の重要性並びに学校における
  政治教育の限界を示しました。第九条宗教教育におきましては、新憲法第二〇条の信
  教の自由の規定が教育にいかに適用せらるべきであるかを明示したのであります。第
  一〇条教育行政の条下におきましては、教育行政の任務の本質と、その限界を明らか
  に致したのでございます。
   以上本法案制定の理由、性格並びに内容を御説明申し上げたのでございまするが、
  この法案は教育の根本的刷新について議すべく、昨年九月内閣に設置せられました教
  育刷新委員会におきまして、約半歳にわたって慎重審議を重ねられました綱要を基と
  致しまして、政府において立案作成したものであります。なお本案は枢密院の御諮詢
  を経たものでございます。なにとぞ慎重御審議の上御協賛あらむことをお願い申し上
  げる次第でございます。」
   そして、衆議院および貴族院では、それぞれ委員会を設けて、審議のうえ、結局両
  議院ともに本会議において原案どおり可決され、昭和二二年法律第二五号として三月
  三一日の官報で公布され、同日から施行された。

   このようにして、新憲法のもとに新しい教育理念をうたった教育基本法が制定、施
  行されたが、一方で従前の教育勅語は依然として存続しており、基本法制定の過程に
  おいては教育勅語自体には手を触れないとの意向も強かったが、その後昭和二三年に
  至り、第二回国会において、同年六月一九日、衆議院は「教育勅語等排除に関する決
  議」を、参議院は「教育勅語等の失効確認に関する決議」を、それぞれ行ない、教育
  勅語の理念は最終的に否定されることになった。そして、さらに、新しく制定された
  教育基本法の理念に基づき、学校教育法(昭和二二年三月三一日法律第二六号)、(
  旧)教育委員会法(昭和二三年七月一五日法律第一七〇号)、社会教育法(昭和二四
  年六月一〇日法律第二〇七号)、国立学校設置法(昭和二四年五月三一日法律第一五
  〇号)、私立学校法(昭和二四年一二月一五日法律第二七〇号)、教育公務員特例法
  (昭和二四年一月一二日法律第一号)、教育職員免許法(昭和二四年五月三一日
  法律第一四七号)、文部省設置法(昭和二四年五月三一日法律第一四六号)等が相次
  いで制定され、いわば教育基本法体制が整うこととなった。
 (二) 教育基本法一〇条の趣旨
  (1) 教育基本法一〇条は、その一項で、「教育は、不当な支配に服することなく、
  国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」とし、二項で、「教
  育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目
  標として行われなければならない。」と定めている。そして、その趣旨とするところ
  は、前記教育基本法制定の経過に照し、その一、二項を通じ、教育行政ことに国の教
  育行政は教育目的を遂行するに必要な教育施設の管理、就学義務の監督その他の教育
  の外的事項についての条件整備の確立を目標として行なう責務を負うが、教育課程そ
  の他の教育の内的事項については一定の限度を超えてこれに権力的に介入することは
  許されず、このような介入は不当な支配に該当するというにあると解するを相当とす
  る。
   この点について、被告は、本条一項は「不当な」支配を禁じたものであって、不当
  であるかどうかはそれが国民全体の意思に基づいているかどうかによって定まるので
  あり、国会において国民によって正当に選挙された代表者により制定された立法に基
  づく限り、行政権による教育に対する規制ないし介入が教育の内容面にわたっても、
  それは不当な支配ではなく、本条一項後段に定めるとおり国民全体に責任を負うべき
  教育行政としては当然に教育内容についても積極的に行政を行なうべき責務があり、
  したがって、二項の条件整備についても教育内容以外のものに限られるいわれはなく、
  また本来公教育制度は当然にそのことを予想していると主張する。
   しかしながら、本条一項は、教育行政のみを対象として定められたものではなく、
  広く教育のあり方を規定したものであつて、その意味では同法二条と性格において類
  似するが、本条全体が(教育行政)と題しているように、主として教育行政との関連
  において教育のあり方を定めたものであり、このことは、一項の規定が二項を導く基
  礎となっており、二項では「教育行政は、この自覚のもとに」としていること、また
  叙上のごとく戦前の教育行政の中央集権的官僚制の弊にかんがみて本条が制定された
  ことからも明らかである。そして、一項にいう「教育は」というのは、「およそ教育
  は」という意味であって、家庭教育、社会教育、学校教育のすべてを含むことはいう
  までもなく、したがって教育は「不当な支配」に服してはならないということは、と
  りもなおさず、いやしくも教育に関係するものはすべて「不当な支配」に服すべきで
  ないことを意味するといってよい。ここに「不当な支配」というとき、その主体は主
  としては政党その他の政治団体、労働組合その他の団体等国民全体でない一部の党派
  的勢力を指すものと解されるが、しかし同時に本条一項前段は、教育の自主性、自律
  性を強くうたったものというべきであるから、議院内閣制をとる国の行政当局もまた
  「不当な支配」の主体たりうることはいうまでもない。さらに本条一項後段で、「教
  育は、………国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」という
  のは、同項前段の「不当な支配に服することなく」といわば表裏一体となって、教育
  における民主主義の原理をうたったものというべきである。すなわち、憲法はその前
  文において、「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は
  国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享
  受する。」と定めているが、この民主主義の原理は教育ないし教育行政についてもい
  いうるところである。したがって、ここで「国民全体」といっているのは、さきに述
  べた「不当な支配」に服してはならない旨を確認したものと解せられる。このことは、
  同項において国民全体に対し「直接に」責任を負うと規定していることからも窺われ
  るし、また、前記のように、教育基本法が、戦前の我国教育行政の中央集権的画一的
  国家的統制に対する批判の上に成り立っており、その成立過程において、米国使節団
  報告書、教育刷新委員会の建議等で中央集権的画一的国家統制の排除が常に提唱され
  てきたところからも明らかである。さらに、ここで「責任を負う」ということは、具
  体的に法的な責任を負うとか、あるいはまた、国民の一般意思を国会に反映させ、国
  会で制定された法律に基づいて行なわれる行政のルートを通じてのみ、国民に対して
  責任を負うということを意味するわけではない。ここで「教育は………責任を負う」
  というのは、教育および教育行政のあるべき姿を定めたものであつて、責任というの
  も行政的な責任を意味するのでなく、教育自体によって「直接に」国民全体に対しい
  わば文化的ないし教育的意味での責任を負うべき旨を定めたものと解すべきである。
  けだし、文言のうえからそのように解されるばかりでなく、実質的に考えても、すで
  に述べたように、国民(親を含む)は子どもの教育を受ける権利に対応して子どもを
  教育する責務があり、教師は右国民の責務の信託を受けて児童、生徒の教育に当たり、
  国民に対し責任を負うものというべきであるからである。また、本条二項は、本条一
  項をうけて、教育行政の任務と限界を明らかにしたものである。すなわち、憲法二六
  条は国に対し子どもの教育を受ける権利ひいて国民の子どもに対する教育の責務を実
  質的に保障すべき責務を課したものであることは前叙のとおりであり、本条二項は、
  このことを前提として、国は教育目的達成のため諸条件の整備確立という任務を果た
  すべきことを明らかにしているのである。そして、ここに「この自覚のもとに」とは、
  一項の教育行政のあり方についての規定をうけ、そこで定められた原理を自覚して、
  という趣旨と解され、また、「教育の目的を達成するに必要な諸条件の整備」とは、
  右の憲法二六条の趣旨および本法の他の諸規定に明示されたところを具体的に達成す
  るために、各種の諸制度、条件を整備すべきことを意味すると解される。したがって、
  上記のように、本条一項において教育の自主性、自律性をうたっており、教育行政は
  「この自覚のもとに」行なわれなければならないのであるから、本条二項にいう「条
  件整備」とは、教育の内容面に権力的に介入するものであってはならず、教育が自主
  的、創造的に行なわれるよう教育を守り育てるための諸条件を整えること、いいかえ
  れば、教育は学校教育にあっては教師と生徒との間で両者の人格的、精神的なつなが
  りをもととして行なわれるものであるから、この実際の教育ができるだけ理想的に行
  なわれるように配慮し、その環境を整えることを意味すると解すべきである。かくて、
  教育施設の設置管理等のいわゆる教育の「外的事項」については、原則として教育行政
  の本来の任務とすべきところであり、また、教育課程、教育方法等のいわゆる「内的
  事項」については、公教育制度の本質にかんがみ、不当な法的支配にわたらない大綱
  的基準立法あるいは指導助言行政の限度で行政権は権限を有し、義務を負うものと解
  するのが相当である。したがって被告の前記主張は失当というべきである。
  (2) 叙上のとおり、教育基本法一〇条の趣旨は、その一、二項を通じて、教育行
  政ことに国の教育行政は教育の外的事項について条件整備の責務を負うけれども、教
  育の内的事項については、指導、助言等は別として、教育課程の大綱を定めるなど一
  定の限度を超えてこれに権力的に介入することは許されず、このような介入は不当な
  支配に当たると解すべきであるから、これを教科書に関する行政である教科書検定に
  ついてみるに、教科書検定における審査は教科書の誤記、誤植その他の客観的に明ら
  かな誤り、教科書の造本その他教科書についての技術的事項および教科書内容が教育
  課程の大綱的基準の枠内にあるかの諸点にとどめられるべきものであって、審査が右
  の限度を超えて、教科書の記述内容の当否にまで及ぶときには、検定は教育基本法一
  〇条に違反するというべきである。
 (三) 教科書検定制度と教育基本法一〇条
   さて、原告は、現行の教科書検定制度は、検定の基準として、教育の目標との一致、
  教科の目標との一致、立場の公正の三項目の絶対条件および取扱内容、正確性、内容
  の選択、内容の程度、組織・配列・分量・表記・表現、使用の便宜等、地域差、学校
  差、造本創意工夫等にわたって各教科ごとに設けられた数十項目の必要条件を定めて
  おり、これらによって教科書の内容のすみずみにまで立ち入って審査を加え、これに
  適合しないと認めるときは、当該教科書を不合格とし、あるいは条件付合格として不
  適当と認める部分の修正を求め、もって教科書の内容を右の検定基準に適合せしめよ
  うとするものであって、明らかに文部大臣が設定しうる大綱的基準の範囲を超えて教
  科書の内容に不当に介入しようとするものであって、教育基本法一〇条に違反し、無
  効である旨主張するので、案ずるに、原告の主張するとおり、現行の検定基準には前
  示教育基本法に違背するものがあると認められるし、また、教育基本法は前記認定の
  事情のもとに成立したものであって、憲法の諸規定をうけ、これを教育において具体
  化するため教育に関する理念あるいは方針等の基本的なあり方を定めるものであって
  他の教育諸法規の基本法たる性格をもち、同法一一条がこの法律に掲げる諸条項を実
  施するために必要がある場合には適当な法令が制定されなければならないとしている
  のもこのためと解せられるのであるが、しかし、教育基本法の法的効力が他の法律に
  優越するとはいえないから、学校教育法(二一条、八八条、これらの規定の変遷につ
  いてはすでに述べた)に基づく現行教科書検定制度が教育基本法一〇条に違反し無効
  であるとは断じがたい。それゆえ原告の上記主張もまた採用できないといわざるを得
  ない。

二  本件各検定不合格処分の違憲、違法性の有無
 1 教科書検定制度が違憲または違法であるから本件各検定不合格処分は違憲または違
  法であるとの主張について
   上来説示のとおり、教科書検定制度は、それ自体は違憲あるいは違法と断ずること
  ができないから、教科書検定制度が違憲または違法であることを前提とし、これに基づ
  いてなされた本件各検定不合格処分がいずれも違憲または違法である旨の原告の主張
  は、結局において理由がないといわざるをえない。
 2 本件各検定不合格処分が違憲または違法であるとの主張について
   さて、つぎに、原告は、本件各検定不合格処分は、いずれも、学問的にも十分な根
  拠があり、かつ教育上も適切な創意工夫のなされた記述についてこれを教科書の中か
  ら排除しようとするものであって、歴史の見方に対する介入であるという点で思想審
  査であり、かつ事前抑制の方法によるものである点で憲法二一条の禁止する検閲に該
  当し、学問研究の結果に介入するものである点で同二三条の学問の自由を侵し、教育
  内容に介入するものである点で教育の自由を侵害し、同二六条、教育基本法一〇条に
  違反し、さらに手続が公正でない点で憲法三一条、一三条の趣旨に違背する、と主張
  するので、以下この点を検討する。
 (一) 本件各検定不合格処分の処分理由との関係について
  (1) 本件改訂検定において、前示申請に係る「新日本史」の改訂箇所のうち、(
  1)改訂箇所番号五、六、一四、一八、(2)同一二、(3)同一九の六か所が不合
  格となったことは前示のとおりであるところ、右六か所について、それぞれ不合格と
  なった経緯をみるに、前顕甲第一号証、同第五六号証、同第五七号証、同第五九号証、
  同第一四九号証、乙第一〇号証、証人小松謙二郎、同吉久勝美、同高山岩男、同村尾
  次郎の各証言および原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合するとつぎの事
  実を認めることができ、これを左右するに足る証拠はない。
   (イ) 改訂箇所番号五、六、一四、一八(各編の扉「歴史をささえる人々」)に
   ついて
    右各箇所について、五訂版第二次検定申請白表紙本の記述、同検定済教科書の記
   述、本件改訂申請原稿の記述を対比すると、つぎのとおりである。


 改訂箇所番号 5
 五訂版第二次検定申請白表紙本の記述(上欄)

 第一編
  原始社会とその文化(さし絵略)
 ・歴史をささえる人々1・
  縄文式土器につけられた人面、呪術のためのものであろうが、原始社会人の自画像と
  見ることもできるのではあるまいか《山梨県塩山市出土》

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)
 第一編
  原始社会とその文化(さし絵略)
  縄文式土器につけられた人面、呪術のためのものであろうが、原始社会人の自画像と
  見ることもできるのではあるまいか
                        《山梨県塩山市出土》

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)
 第一編
  原始社会とその文化(さし絵略)
 ・歴史をささえる人々1・
  縄文式土器につけられた人面、呪術のためのものであろうが、原始社会人の自画像と
  見ることもできるのではあるまいか《山梨県塩山市出土》

 改訂箇所番号 6
 五訂版第二次検定申請白表紙本の記述(上欄)
 第二編
 古代国家と古代文化の形成(さし絵略)
・歴史をささえる人々2・
 古代社会の表面を飾るのは貴族文化であるが、その背景には、この図に見られるような
 庶民の労働があった
     《扇面写経の下絵の一つ》

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)
 第二編
 古代国家と古代文化の形成(さし絵略)
 古代社会の表面を飾るのは貴族文化であるが、その背景には、この図に見られるような
 庶民の労働があった
     《扇面写経の下絵の一つ》

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)
 古代国家と古代文化の形成(さし絵略)
・歴史をささえる人々2・
 古代社会の表面を飾るのは貴族文化であるが、その背景には、この図に見られるような
 庶民の労働があった
     《扇面写経の下絵の一つ》

 改訂箇所番号 14
 五訂版第二次検定申請白表紙本の記述(上欄)
 第三編
 封建社会と封建文化の発展(さし絵略)
・歴史をささえる人々3・
 封建社会をささえるのは農民の生産労働であった。農民の汗の結晶が、この図のように、
 年貢として武士の手に収められていく
  《円山応挙の「難福図巻」の一部》

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)
 第三編
 封建社会と封建文化の発展(さし絵略)
 封建社会をささえるのは農民の生産労働であった。農民が骨をおって作った米を、この
 図のように、年貢として武士の手に収められていく
  《円山応挙の「難福図巻」の一部》

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)
 封建社会と封建文化の発展(さし絵略)
・歴史をささえる人々3・
 封建社会をささえるのは農民の生産労働であった。農民が骨をおって作った米を年貢と
 して納めている光景
  《円山応挙の「難福図巻」の一部》

 改訂箇所番号 18
 五訂版第二次検定申請白表紙本の記述(上欄)
 第四編
 近代社会の発展(さし絵略)
 ・歴史をささえる人々4・
 資本主義経済において基本的な役割を演ずる製鋼工場で働く労働者の姿

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)
 第四編
 近代社会の発展(さし絵略)
 基幹産業の一つに数えられている製鋼工場で働く労働者の姿

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)
 第四編
 近代社会の発展(さし絵略)
 ・歴史をささえる人々4・
 基幹産業の一つに数えられている製鋼工場で働く労働者の姿


    すなわち、右各箇所は、すでに認定したとおり、「新日本史」各編の扉のさし絵
   に付した説明の見出しであるが、昭和三八年度の五訂版第二次検定の申請において、
   原告が右説明の一行目に従来どおり「歴史をささえる人々」と記載した(この記述
   は「新日本史」初版以来ほとんど同一の態様で存したが、右五訂版の検定に至るま
   では、不合格処分の具体例あるいは条件付合格処分におけるA意見あるいはB意見
   として指摘されたことはなかった。)ところ、渡辺実教科書調査官から、「『ささ
   える』とはどういうことか、子供には理解できないのではないか。何か一方的なと
   ころから材料をとらえているような感を受ける。いろいろな階級から材料をとって
   はどうか」との趣旨の意見がB意見として述べられた。そこで、原告は本件改訂箇
   所番号一に該当する第一編の扉の「歴史をささえる人々」のつぎに「歴史のはなや
   かな舞台の背後には、縁の下の力持ちとなって、これをささえる無数の人々がい 
   る。」という説明を加え、本件検定の改訂箇所番号一四に該当する第三編の扉では、
   その説明のうち「農民の汗の結晶が、この図のように、年貢として武士の手に収め
   られていく。」を「農民が骨をおって作った米を、年貢として納めている光景」と
   改めたが、同年四月二〇日に再び文部省側から削除する方がよいとの意見が述べら
   れ、結局、原告は右各扉の「歴史をささえる人々」の一行を削除し、また第一編の
   扉の説明に加えた右「歴史のはなやかな……」の一文をも削除修正し、その結果前
   認定のとおり合格とされたが、しかるに原告は本件改訂検定の申請に当たり、右四
   か所のすべてについて昭和三八年度の五訂版第二次検定申請の白表紙本の記述に戻
   そうとしたところ、前記認定の処分理由(第一、二、2)を伝達されて、いずれも
   不合格の処分を受けたのである。
   (ロ) 改訂箇所番号一二(古事記、日本書紀に関する記述)について
    右箇所について、五訂版第二次検定申請白表紙本の記述、同検定済教科書の記述、
   本件改訂申請原稿の記述を対比するとつぎのとおりである。


 五訂版第二次検定白表紙本の記述(上欄)
(1)「古事記」も「日本書紀」も「神代」の物語から始まっている。「神代」の物語は
もちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまですべて天皇家が日
本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には民間で語り
伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、古代の思想・芸術などを今日に伝える貴
重な史料である。

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)
(1)「古事記」や「日本書紀」の中には諸豪族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説
なども織り込まれており、古代の思想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なもので
ある。

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)
(1)「古事記」も「日本書紀」も「神代」の物語から始まっている。「神代」の物語は
もちろんのこと、神武天皇以後の最初の天皇数代の間の記事に至るまですべて皇室が日本
を統一してのちに、皇室が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であ
るが、その中には諸豪族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、
古代の思想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。

    すなわち、この箇所の記述については、すでに昭和三七年度申請の五訂版第一次
   検定の際に、教科書調査官から「古事記、日本書紀をそのまま歴史とみることので
   きない点のみが説かれていて、これらが古代の文献として有する重要な価値が記さ
   れていない。」との趣旨の意見が述べられ、これに対し原告はその場で「古事記、
   日本書紀の積極的価値を記していないといわれるけれど、その点は二〇頁の一四〜
   一六行に書かれているので、重複を避けて三二頁には記述しなかったにすぎない。」
   と反論を加えたのであったが、昭和三八年度申請の五訂版第二次検定の際に、さら
   に右箇所について「これでは為政者の気持を正しく伝えていない」との趣旨のB意
   見が述べられた。原告ははじめ申請どおりの記述を残そうとしたが、同年四月二〇
   日に再び文部省側から同様の意見が述べられ、結局右表の中欄のごとく書き改めた
   が、本件改訂申請に際し、従来の記述の方が正当であるとして五訂版第二次検定の
   白表紙本のとおりの記述に戻そうとしたところ、前記認定の処分理由(第一、二、
   2)で不合格とされたのである。
    なお、この箇所の記述については、「新日本史」四訂版では、第二編の本件改訂
   申請に係る原稿に相当する箇所に、注(1)として「『古事記』『日本書紀』につ
   いては、二〇ページおよび三〇九ページ『日本史の研究方法』の『2神代の物語の
   解釈』を参照すること。」と記述され、右巻末の三〇九頁には三三行にわたって説
   明がなされてその中の一部に「『神代』の物語はもちろんのこと、『古事記』『日
   本書紀』に書いてある神武(じんむ)天皇以後の最初の天皇数代の間の記事も、す
   べて大和(やまと)朝廷が日本を統一してのちに、皇室が日本に君臨するいわれを
   権威づけるために作り出した物語である。部分的には民間で云い伝えられてきた神
   話・伝説を採り入れているし、また日本統一後の社会の実際のありさまをもととし
   た話も少なくないが、物語の全体の骨組みは新しく考え出されたものと思われ  
   る。」との記述があったが、これらの記述は、五訂版(第一次、第二次)における
   前示の記述と類似していたにもかかわらず、四訂版までの検定においてはとくに問
   題とはされなかった。

   (ハ) 改訂箇所番号一九(日ソ中立条約に関する記述)について
    右箇所について、五訂版第二次検定白表紙本の記述、同検定済教科書の記述、本
   件改訂申請原稿の記述を対比すると、つぎのとおりである。



 五訂版第二次検定申請白表紙本の記述(上欄)
 (二五六ページ本文)
   一九四一年(昭和一六年)四月、南進態勢を強化するため、日本はソビエト連邦と
  の間に日ソ中立条約を結んだ。(1)

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)

   一九四一年(昭和一六年)四月、南進態勢を強化するため、日本はソビエト連邦の
  提案に応じて、日ソ中立条約を結んだ。(2)

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)

   一九四一年(昭和一六年)四月、南進態勢を強化するため、日本は日ソ中立条約を
  結んだ。(2)


 五訂版第二次検定申請白表紙本の記述(上欄)
 (右aの脚注)
 (1)しかし日本は、六月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると、「関東軍特
  別大演習」の名目で大軍をソ連国境の近くに集中し、情勢が有利となったときにはシ
  ベリアに侵入できるように準備を進めた。

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)

 (2)日本は、六月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると、「関東軍特別大演
  習」の名目で大軍をソ連国境の近くに集中し。

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)

 (2)日本は、六月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると、「関東軍特別大演
  習」の名目で大軍をソ連国境の近くに集中し。


 五訂版第二次検定申請白表紙本の記述(上欄)
 (二五七ページ本文)
   これより先、アメリカ・イギリス・ソビエト連邦3国の首脳は、一九四五年二月、
  クリミア半島のヤルタで会議を開き日本本とドイツの戦後の処理について取り決めた
  が、この会談に基づいて、(2)ソビエト連邦は八月八日、日本に戦いを宣し、進撃
  を始めていた。
 (上記の脚注)A ヤルタ会談で、アメリカ・イギリスは南樺太・千島をソ連の領土と
  することに同意し、その代わりソビエト連邦はドイツ降伏後三か月以内に対日開戦す
  ることが約束された。

 五訂版第二次検定済教科書の記述(中欄)

   これより先、アメリカ・イギリス・ソビエト連邦三国の首脳は、一九四五年二月、
  クリミア半島のヤルタで会議(2)を開き日本本とドイツの戦後の処理について取り
  決めたが、この会談に基づいて、ソビエト連邦は八月八日、日本に戦いを宣し、進撃
  を始めていた。

   (2) ヤルタ会談で、アメリカ・イギリス・ソビエトの間で秘密協定が結ばれ、
  南樺太・千島をソ連の領土とすることに同意し、その代わりソビエト連邦はドイツ降
  伏後三か月以内に対日開戦することが約束された。この約束に基づいてソビエト連邦
  は日ソ中立条約の破棄を通告し、戦いを宣したのである。

 本件改訂申請原稿の記述(下欄)

   これより先、アメリカ・イギリス・ソビエト連邦三国の首脳は、一九四五年二月、
  クリミア半島のヤルタで会議(2)を開き日本本とドイツの戦後の処理について取り
  決めたが、この会談に基づいてソビエト連邦は八月八日、日本に戦いを宣し、進撃 
  を始めていた。

   (2) ヤルタ会談で、アメリカ・イギリス・ソビエトの間で秘密協定が結ばれ、
  南樺太・千島をソ連の領土とすることに同意し、その代わりソビエト連邦はドイツ降
  伏後三か月以内に対日開戦することが約束された。この約束に基づいてソビエト連邦
  は日ソ中立条約の破棄を通告し、戦いを宣したのである。


    右箇所の記述のうちaの部分については、五訂版第二次検定の際、昭和三九年三
   月一九日に「何ゆえソ連は中立条約を結んだか、スターリンが急に提案したという
   こともあるから、補ってほしい」との趣旨のA意見が述べられ、また、右bの部分に
   ついては、「このとおりだが、こういう戦争という情勢からいうと、日本だけがこ
   のような戦略をとったといえないし、国際情勢を考えると、よその国との関係をみ
   ては、日本だけがこうやっているとの印象が強いが、日本の教科書という点からみ
   ると、教育上の配慮から何か工夫してほしい」との趣旨のB意見が述べられ、さら
   にcの部分については、「ヤルタ協定が秘密協定であることを補った方がよい」と
   の趣旨の意見がA意見として述べられた。これに対し、原告は、右のうちbの箇所
   について、「ソビエトの側では、ソビエトが両面戦争におちいることをさけるため、
   日本との中立条約を結んだのであろう。しかし日本は、六月にドイツ軍がソビエ 
   ト連邦に侵入を開始すると、『関東軍特別大演習』の名目で大軍をソ連国境の近く
   に集中した。」と改め、またcの箇所については、その注(2)の部分を「ヤルタ
   会談でアメリカ・イギリス・ソビエトの間で秘密協定が結ばれ、南樺太・千島をソ
   連の領土とすることに同意し、その代わりソビエト連邦はドイツ降伏後三カ月以内
   に対日開戦することが約束された。この約束に基づいてソビエト連邦は日ソ中立条
   約の破棄を通告し、戦いを宣したのである。」と改めて提出したところ、四月二〇
   日に、再び、右aの部分について「『ソビエト連邦の提案に応じて』と改めるよう
   に」との意見がB意見として付された。そこで、原告は、aの箇所については指示
   のとおり改め、同時にbの部分について当初の修正意見に応じて挿入した記述のう
   ち「ソビエトの側では、ソビエトが両面戦争におちいることをさけるため、日本と
   の中立条約を結んだのであろう。しかし日本は」という部分を削除し、結局、「新
   日本史」五訂版は前記表の中欄のごとき記述に改められて出版された。本件におい
   て、原告は右修正意見を不当としてaについて五訂版第二次検定申請の白表紙本の
   記述に戻そうとしたところ、被告は他の不合格とされた箇所とともに、前記のとお
   りこれを改訂検定趣旨に沿わない等の理由(第一、二、2)で不合格とした。
    なお、右の箇所について、これより先に検定合格となった「新日本史」の四訂版
   では、aに相当する部分は、本文で「一九四一年(昭和一六年)四月には、ソビエ
   ト連邦と中立条約を結び、南進の態勢をとったが、六月にドイツ軍のソ連侵入が開
   始されると、『関東軍特別大演習』の名目で大軍をソ連国境の近くに集結し、ドイ
   ツ軍の作戦の発展に呼応できるように準備を整えた。」と記述され(ただし、注は
   ない。)、cに相当する部分は、「ソ連首相スターリンは、ヤルタでアメリカ・イ
   ギリス両国首脳と秘密協定を結び、千島・南樺太をソ連領とすることを条件として、
   参戦を約束し、日本に戦いを宣し、進撃を始めた。」と記述されていたが、これら
   の点について四訂版までの検定においてはとくに問題とされることはなかった。
   (2) ところで、以上の点に関し、被告は、本件各検定不合格処分の処分理由は
   右改訂箇所六か所がいずれもすでに検定に合格し現在格別の欠陥の認められない教
   科書の内容をいずれも検定基準に照らし欠陥の認められる五訂版第二次検定申請に
   係る白表紙本の記述にもっぱら戻そうとするものであるから、教科書内容の一層の
   改善向上を期するという改訂検定の趣旨に照らし認められないというにあるので、原
   告が右処分理由を争うのであれば格別、前示のような違法事由を主張することは許
   されない旨を主張するもののごとくであるが、しかし、被告は本件各検定不合格処
   分の処分理由において叙上のとおり右改訂箇所六か所が検定基準に照らし欠陥が認
   められると述べているのであるから、結局その限りにおいて、五訂版第二次検定の
   際に示した修正意見の内容を処分理由として援用しているものと解するのが相当で
   ある。したがって、被告の右主張は採用することができない。
 (二) 本件改訂検定の各改訂箇所について
  (1) 改訂箇所番号五、六、一四、一八(各編の扉「歴史をささえる人々」)
    前記のとおり、右各箇所は、いずれも「新日本史」中の各編の扉のさし絵に付さ
   れた説明文の「歴史をささえる人々」という見出しであるが、右各箇所について、
   被告が主張するところは、右の見出しは、どのようなことを意味するのかあいまい
   であり、生徒にとっては理解が困難であり、この「歴史をささえる人々」という見
   出しとそれぞれの説明文をあわせみると、たとえば、第三編の扉の農民が封建社会
   をささえるという趣旨の説明文については、封建社会における武士等の立場、役割
   をどうとらえているのかあいまいであり、また第四編の扉の労働者が資本主義社会
   において基本的な役割を演ずるという趣旨の説明文については、資本主義経済にお
   いては労働者のみが基本的な役割を演ずるものであるかのように理解されるなど、
   生徒を誤り導く恐れがある、それゆえ、これらの記述は全体として高等学校学習指
   導要領(昭和三五年一〇月一五日文部省告示)のうちの日本史の目標(2)の「日
   本史における各時代の政治、経済、社会、文化などの動向を総合的にとらえさせて、
   時代の性格を明らかにし、その歴史的意義を考察させる。」うえに適切でなく、し
   たがって、教科用図書検定基準(昭和三三年文部省告示第八六号)の「内容の選 
   択」(3)の「注・さし絵・写真・地図・図表・問題などには、教科の目標および
   科目または学年の目標を達成するうえに必要なものが選ばれており、適切でないも
   のは含まれていない。」との基準に照らして不適切な記述であるというのであって、
   すでに認定したように、五訂版第二次検定の際に、ほぼ同趣旨と解せられるB意見
   が伝達されている。
    しかしながら、右の各改訂箇所は、その文言のみからしても、日本史における基
   本的な歴史の見方あるいは日本史における教育的な配慮に係るものであり、また、
   すでに論じたように、ある記述が生徒に理解が困難であるかどうかも、基本的には
   著者ないし発行者の権限および責任において判断すべき事項であると考えられるの
   みならず、原告が、「新日本史」において右のような記述をした点について、原告
   本人尋問の中で「およそ人類社会は、大多数の民衆の歴史であると思います。少数
   の権力者、あるいは英雄、あるいは少数の知識人、そういうものだけで歴史が動く
   のではありません。多数の名もない民衆の力が総合されて歴史が築き上げられてき
   ております。日本の社会は非常に緩慢であり、またその改革もあるいは不徹底なと
   ころが多いということは否定できませんけれども一歩一歩民衆の地位が向上したと
   いうことが、歴史の中心点を貫いております。そのことを明らかにするために私は各
   時代の扉に『歴史をささえる人々』というネームを付した写真を掲げているわけで
   あります。同時にまた文化というものも、従来のような、往々にして支配階級だけ
   の文化ではなく、民衆の中にも豊かな文化があり、また、単に体制を擁護するだけ
   の文化ではなくて、体制を変革する思想や文化も、豊富に日本の歴史の中で生み出
   されているということ、これをやはりわれわれは自覚して、前向きに歴史を前進さ
   せていくということに、自信をもつ必要があります。われわれの祖先には多くの日
   本の社会を前進させる人々の努力が蓄積されております。それを戦前の歴史教育は
   すべて隠してきたのであります。私のような人間が長いことそういう事実を知らな
   かったことはたいへん恥ずかしいと思っておりますので、私のような侮いを再び次
   の世代に残さないように私としてはそういうすぐれた先人の文化遺産、精神遺産を
   できるだけ伝えようと思って、豊富に私の教科書の中に盛り込んだつもりでありま
   す。」と述べ、右のような趣旨で前記各記述をなしたことが認められ、これに反す
   る証拠はないから、右各箇所に対する被告の主張は、いずれも原告の右のような著
   者としての歴史の見方、歴史教育のあり方を否定するものというべきである。
    したがって、右四か所に対する本件検定不合格処分は、いずれも教科書に盛られ
   た執筆者の思想(学問研究の成果)内容を事前審査するものというべきであるから、
   憲法二一条二項の禁止する検閲に該当し、同時に、教科書の誤記、誤植その他の著
   者の学問的見解にかかわらない客観的に明白な誤りとはいえない記述内容の当否に
   介入するものであるから、教育基本法一〇条に違反するものといわざるを得ない。
   (2) 改訂箇所番号一二(古事記、日本書紀に関する記述)
    前記のとおり、右箇所は、脚注で、「(1)『古事記』も『日本書紀』も『神 
   代』の物語から始まっている。『神代』の物語はもちろんのこと、神武天皇以後の
   最初の天皇数代の間の記事に至るまで、すべて皇室が日本を統一してのちに、皇室
   が日本を統治するいわれを正当化するために構想された物語であるが、その中には
   諸豪族や民衆の間で語り伝えられた神話・伝説なども織り込まれており、古代の思
   想・芸術などを今日に伝える史料として貴重なものである。」との記述であるが、
   これについて、被告の主張するところは、右部分の記述は「すべて……である」と
   して断定にすぎ、不正確な記述であるから、教科用図書検定基準の「正確性」( 
   2)の「本文・注・さし絵・写真・地図・図表・問題・資料その他に不正確なとこ
   ろはない。」との基準に照らして不適当な記述であるというのである。
    しかしながら、検定結果の告知に当たっては、すでに認定したように、昭和三七
   年度の五訂版第一次検定の際には、「古事記、日本書紀をそのまま歴史とみること
   のできない点のみが説かれていて、これらが古代の文献として有する重要な価値が
   記されていない。」との趣旨の意見が伝達され、また、同三八年度の検定に際して
   は、「これでは為政者の気持を正しく伝えていない」との趣旨の意見が伝達されて
   いることにかんがみると、被告の右主張はその真意が必ずしも明確ではないが、そ
   の点はともかく、成立に争いのない乙第四八号証、同第五二号証、同第六六号証と
   証人直木孝次郎、同村尾次郎の各証言によれば、記紀の評価とその歴史教育上の取
   扱いについてはさまざまな見方、考え方があるのであって、これらによってみると
   き、記紀に関する右改訂箇所の記述が断定にすぎ、明らかに誤りであるとは認めら
   れないのみならず、原告が、このような記述をなした点につき、原告本人尋問の中
   で「何度もくり返して恐縮でありますけれども、私にとってはこの教科書(尋常小
   学国史)によって教えられたということが終生忘れられません。しかもこれは私だ
   けじやありません。私の前後かなり、長期にわたって、こういう教科書でわれわれ
   は日本歴史を学んできたのであります。で、私は幸いにして親が上級学校へやって
   くれましたので、その間に自分が教科書以外の読書によって、こういう教科書がま
   ったく科学的真実に反しているということを知る機会を得ましたけれども、戦前は
   今日と違いまして、上級学校への進学率は低く多くの私たち同世代の人々はこうい
   う教科書だけを唯一の知識として社会人となったと思います。それが今日まで尾を
   引いて、二月一一日をありがたがるたくさんの人々を生み出していると思うんです。
   で、そういうような禍根を絶つために、やはりわれわれは、古事記、日本書紀、こ
   れは貴重な古典であることは申すまでもありません。しかし貴重な古典は古事記、
   日本書紀だけに限らないのでありまして、おそらく文部省はあまりお好きでないと
   思いますけれども、為永春水の人情本だって貴重な古典であります。古事記、日本
   書紀とちっとも変りません。そういうものと同じような意味で、古事記、日本書紀
   は貴重な古典でありますけれども、それが客観的史実でないということははっきり
   認識させておかなければまた大変なことになると思います。そこで私は、この本件
   で争点となっているような記述を初版以来ずっと続けて書いてきたわけでありま 
   す。」「ここに『すべて』ということばを使っておりますが、それはストーリーの骨
   組のすべてがということでありまして、個々の構成要素がということではないので
   あります。そのこと、あとでちゃんとわかるような文章があります。」と述べてお
   り、右改訂箇所の記述が原告の学者としての右のような記紀についての認識、評価
   と教育者としての配慮に基づくものであることを認めることができ、これを左右す
   るに足る証拠はないから、右改訂箇所に対する被告の主張は、原告の史実の認識、
   教育的配慮を否定するに帰するというべきである。
    したがって、右箇所に対する本件不合格処分も教科書執筆者としての思想(学問
   研究の成果)内容を事前審査をするものというべきであるから、憲法二一条二項の
   禁止する検閲に該当し、同時に、教科書の誤記、誤植その他の著者の学問的見解に
   かかわらない客観的に明白な誤りとはいえない記述内容の当否に介入するものであ
   るから、教育基本法一〇条に違反するものといわざるを得ない。
   (3) 改訂箇所番号一九(日ソ中立条約に関する記述)
    前記のとおり、右箇所は「1941年(昭和16年)4月、南進態勢を強化する
   ため、日本は日ソ中立条約を結んだ。」との記述であるが、この記述について、被
   告の主張するところは、この記述では、日ソ中立条約がソ連側の提案に基づいて締
   結されたものであることが明らかにされず、脚注の関東軍特別大演習(関特演)に
   関する「日本は、6月にドイツ軍がソビエト連邦に侵入を開始すると、『関東軍特
   別大演習』の名目で大軍をソ連国境の近くに集中した。」との記述とあいまって、
   同条約がわが国のみの利益や都合によって締結されたものであるかのように生徒に
   受け取られ、当時の日ソ関係について一方的な誤った理解に導く恐れがあり、学習
   指導要領の日本史の目標(5)の「日本史の発展を常に世界史的視野に立って考察
   させ、世界におけるわが国の地位や、文化の伝統とその特質を理解させることによ
   って、国際社会において日本人の果たすべき役割について自覚させる」および同目
   標(6)の「史料なども利用し、史実を実証的・科学的に理解する能力を育て、史
   実をもとにして歴史の動向を考察する態度を養う」という目標を達成するうえに適
   切でなく、したがって検定基準の内容の選択(2)の「とりあげた内容には教科の
   目標および科目または学年の目標を達成するうえに適切でないものはない。」との
   基準に照らして適切でないというのであって、すでに認定したように、五訂版第二
   次検定の際にも、右に近い趣旨で、「何故ソ連は中立条約を結んだか。スターリン
   が急に提案したということもあるから、補ってほしい。」とのB意見が伝達され、
   また、「ソビエト連邦の提案に応じて」を挿入すべき旨の意見が述べられている。
    しかしながら、右の経緯に徴し、被告の主張は右の一句を挿入しないことが歴史
   的事実として客観的に明白な誤りとなるというのではなく、この改訂箇所が全体と
   して日ソ中立条約締結の際の日本の立場に対する評価ないし見方が妥当でない、と
   いうにあって、歴史的事象の評価とそれに基づいた叙述に関するものであるのみな
   らず、原告が、この点につき、原告本人尋問中で、「それから、太平洋戦争にいた
   りましては、これはいうまでもなくこれなくしては日本国憲法があり得なかったと
   いう意味です。日本国憲法が何故に制定されなければならなかったか。それは再び
   政府の行為によって戦争の惨禍が起らないようにする。再びということはすなわち
   太平洋戦争のような無謀な戦争をくり返さないという意味であります。その意味で
   憲法的理念を体得した新しい世代を育成するためには、太平洋戦争がいかに恥ずべ
   き、そして残虐な戦争であったかということを徹底的に教える必要があると思いま
   す。いたずらに他国がこうしたから日本もこうしなければならなかったというよう
   なことは、人がワイロを取るからおれも取る、というのと同じ論理でありまして、
   言語道断であります。そういう意味で、私は、たとえば日ソ中立条約その後の関特
   演というような、今までことさら一部の人々が目をそらそうとしていたような事実
   をも、どうしても高等学校程度の国民に教えておかなければこれはたいへんなこと
   になると思うのであります。私はもちろんソビエト連邦がしたことを無条件で全面
   的に支持するというようなばかげたことをどこにも書いておりません。ソ連の敗戦
   直後における、東北地方における暴行事件などは、これは教科書には書いてありま
   せんが、私の個人の著書の中ではちやんとはっきり指摘して弾劾しております。し
   かし同時に反ソ感情をあおるような教育が権力の手によって強制される、というよ
   うなことは、これはまさに世界平和を破壊するものでありまして、日本国憲法の精
   神に全く反すると思います。そういう意味で本件の係争となっております日ソ中立
   条約は非常に客観的に、私の主観を交えることなく記述してあるのでありまして、
   それは記述に関する限り、まったく事実どおりでありますけれども、なぜこれを選
   択したかと言いますと、今申しましたような憲法的理念からの必然的要請であると
   考えるからであります。」と述べ、この箇所の記述が右の趣旨で記述されたものと
   認めることができ、これに反する証拠はないから、右改訂箇所に対する被告の主張
   は原告の右のような歴史事象の認識、評価および教育的配慮を国の立場において
   否定するものであるというべきである。
    したがって、右改訂箇所に対する本件検定不合格処分もまた、教科書執筆者とし
   ての思想(学問的見解)内容を事前に審査するものというべきであるから、憲法二
   一条二項の禁止する検閲に該当し、同時に、教科書の誤記、誤植その他の著者の学
   問的見解にかかわらない客観的に明白な誤りとはいえない、記述内容の当否に介入す
   るものであるから、教育基本法一〇条に違反するものといわざるを得ない。
  (三) 結語
    以上の次第で、本件各検定不合格処分は、いずれも憲法二一条二項および教育基
   本法一〇条の各規定に違反し、違憲、違法であるから、原告のその余の主張につい
   て判断をすすめるまでもなく、取消しを免れない。

第五 結論
  よって、原告の本訴請求は結局理由があるから、これを認容することとし、訴訟費用
 の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

      東京地方裁判所民事第二部
         裁判長裁判官  杉 本 良 吉
            裁判官  中 平 健 吉
  裁判官岩井俊は転勤のため署名捺印することができない。
         裁判長裁判官  珍  本 良 吉

『勝利した教科書裁判』
編者 教科書検定訴訟を支援する全国連絡会
発行日 昭和45年8月10日発行
発行所 労働旬報社

Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会