大阪教育法研究会 | | Top page | Back | |
◆198810KHK077A2L0050A TITLE: 父母の教育要求と教育政策 AUTHOR: 羽山 健一 SOURCE: 大阪高法研ニュース 第077号(1988年10月) WORDS: 全40字×50行
羽 山 健 一
新採用教員への一年間の初任者研修を義務づけることを盛りこんだ教育公務員特例法の改正が行なわれ、今後初任者の研修は89年度から正式に制度化されることになった(注1)。初任者研修制度の創設は、臨教審の第二次答申で教員の資質向上策として打ち出され、教育改革のうち文部省がその実現を最優先にしてきたものである。この制度が実現する背景には、現在の教員の資質に対する父母国民の強い不満や批判があった。少なくとも表面的には、このような声を受けて文部省が制度化を図ったのである−−それにしても、肝心の「資質向上」が目指す教師像の中身をすこしも具体的には明らかにしていないのであるが(注2)−−。当然のこととして、父母国民は、ここ数年社会問題化している学校教育の問題(いじめ・体罰・校則・中途退学・原級留め置きなど)の解決を、現場の教師に期待しているのである。ところが教師による、これらの問題の解決は遅々として進まないばかりか、ますます深刻化している。そのため、教師に対する期待は薄れ、その解決を学校外(教育委員会・議員・弁護士)に求めるようにもなっている。文部省はこのような父母国民の不満や要求を巧みに利用したのである。つまり初任者研修制度導入の本当の意図は、教員管理の強化なり組合対策(つぶし)なのであるが、文部省がこの本当の意図をむき出しにして制度導入を打ち出せば国民的理解を得られるはずもなく、この制度は実現されなかったであろう。そこで文部省は、本当の意図を隠し、糖衣で包んだ形で、また父母国民に対しては、何らかの希望を持たせるだけの説得力を備えて、制度導入に臨むのである。そうでなければ一般に教育政策は成功的に成立し得ないのである。
日本の教育政策を分析した宗像誠也氏は、政策貫徹の条件として「権力の打ち出す政策は、国民大衆から相当に共感・賛成を得られるものでなければならない。積極的な支持を得られなくとも、少なくとも消極的な容認を得られるものでなければならない」として、そのために、「権力側の意図をむき出しにしては容認と支持とを得られがたいような場合には、権力側はその意図や予想される結果の一部を隠し、一部分のみを美化し誇張して民衆に示す。あるいは民衆の要求をとらえてそれにそう形をとりながら、みずからの意図を盛り込み、抱き合わせ、ないまぜにしてみずからの欲するところを実現したり、あるいは民衆の要求のエネルギーをある地点で切り換えて別の軌道に乗せ、いわばすりかえてみずからの欲するところに到達させようとしたりする」(注3)のである。このことは、これまでの教科書検定の政策、教師の勤務評定政策についてもそのままあてはまり、臨教審の打ち出している単位制高校の構想についても同様に考えられる。また校則について文部省の初中局長が都道府県教育委員会中等教育課長会議で、その見直しについての見解を示した(注4)が、このことも以上のような関係において捉える必要がある。
現場の教師は、うかうかしていると、教育問題の諸悪の根源とされてしまい、その結果教師の管理が強められることになる。このような方向が教育問題の真の解決にならないことはいうまでもない。しかし教師が国民に対する直接責任を忘れ、依然として父母国民の教育要求に鈍感であるならば、その教育要求が権力によって先取りされ、逆手にとられ、それによって教育はいわば「政治的配慮」・「経済的配慮」によって支配されることになるであろう。
(注1)朝日新開1988・5・25トップページ | 研究会のプロフィール | 全文検索 | 戻る | このページの先頭 |