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◆198911KHK090A3L0242FN TITLE: 生徒の、適正な手続きを受ける権利 AUTHOR: 羽山 健一 SOURCE: 『月刊生徒指導』1989年11月号90頁(学事出版) WORDS: 全40字×242行
【連載・アメリカにおける生徒の人権と校則(4)】
羽 山 健 一
アメリカ合衆国憲法は、その修正条項において各種の人権を保障しており、「権利の章典」とも呼ばれている。その中でも特に重要なものは、修正第五条および修正第一四条の適正手続き保護の規定である。というのは、かってフランクファーター判事が「自由の歴史は、主として手続き的保障の遵守の歴史であった」と述べたように、適正手続きは個々の人権保障を強化する上で極めて重要な役割を果たすからである。合衆国憲法修正第一四条は、「いかなる州も、正当な法の手続き (due process of law) によらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない」と定めており、バーネット事件(一九四三年)で連邦最高裁は、「修正第一四条は州自体やそこから派生するすべての機関から市民を保護するさ−−教育委員会も例外ではない」と判示した。したがって学校は、たとえば生徒が明らかに問題行動を行った場合にも、事前に弁明の機会を与える等の適正手続きを経なければ、生徒の権利を剥奪するようないかなる不利益処分(罰・教育的措置)をも科してはならないことになる。
学校においても適正手続きを重視すべき根拠は次の点にある。@適正手続きを経なければ、学校は処分内容の是非にかかわらず、それを正当化することができず、学校の一方的・独断的な処分に対する歯止めとなる。A処分内容の公正さは手続きの適正に依存する度合いが大きく、不適正な手続きによって為された処分は正当といえない場合が多い。したがって適正手続きは、学校の処分権発動の公正さを担保し、生徒に対する不公平な、あるいは誤った人権剥奪を回避する。B処分決定過程において、生徒本人に自己の事情について発言させる等の参加の手続きを経ることによって、生徒にその処分がやむを得ないものと納得させ、その処分による教育的効果を増進する。
(1)告知
適正手続きに常に必要とされる要素は、告知・聴聞および公正な審理である。まず告知とは、何らかの処分を受ける見込みのある生徒に対して、その処分の種類、および処分の理由となる行為あるいは事実を合理的に特定し、その事実について開かれる聴聞の期日、主宰者、場所などを通知することである。これは聴聞を行うための前提となる手続きで、生徒が来るべき聴聞の場において自己を弁護したり、そのための証拠や証人を集めたりするために欠かせないものである。
(2)聴聞
アメリカ法にいう "hearing" をそのまま翻訳すると「聴聞」になるわけであるが、日本で聴聞というと、一方的に高いところから取り調べるような感じがしないでもない。が、本来の形式は、法廷での口頭審理に相当するような、裁判手続き類似のものである。つまり、学校が何らかの処分を決定しようとする場合には、当事者である生徒、親、関係者を呼んで、処分の理由となる事実や根拠規程を説明し、これに対して生徒側に事情を述べさせ、弁明の機会を与えるものである。聴聞の時期は、生徒に前もって防御を許すだけの期間をおいた後に行われなければならない。
この手続きに関して、国連人権委員会が一九八九年三月に採択した「子どもの権利に関する条約」草案一二条には、「自己の見解をまとめる力のある子どもに、その子どもに影響を与えるすべての事柄について、自由に自己の見解を表明する権利を保証する。・・・・とくに自己に影響を与えるあらゆる司法的および行政的手続きにおいて、直接的にまたは代理人・・・・を通して聴聞される機会」を与えられる、と規定しており、生徒の意見表明権、聴聞をうける権利の保障は今や国際的潮流となっている。
(3)公正な審理
聴聞にあたる委員は、その事実について偏見をもった者であってはならず、公平な立場で、充分な証拠調べ、正確な事実認定を行わなければならない。
したがって、聴聞において教師が生徒を告発する側の証人としての役割と、審査員としての役割の両方を担う場合には、審理の公正さは失われることになる。最終的に、この公正な審理に基づいて、聴聞委員が処分を決定することになる。
(4)日本における処分手続き
日本では右のような適正手続きが制度的にも実際にも行われているとはいえない。たとえば、生徒の問題行動が発覚すれば、即刻生徒を呼んで一方的に事情を聴取し、そこで事実認定をしてしまうことが多い。しかし、このとき生徒は動揺し、感情的あるいは反抗的になることも多く、公正な結果が得られにくい。また処分決定前に、生徒の親の意見を聴くこともほとんど行われていない。しかし少なくとも、重大な処分や複雑な事件に関わる事例においては、生徒から事情聴取した後、最終的に処分を決定するまでの間に、校長が生徒、親、関係者を呼んで、冷静で対等な雰囲気のもとで「事実確認会」のような、聴聞に似た手続きを設け、それを記録しておくべきであろう。というのは、事実認定が処分を決定する上で決定的な意味をもつからである。
次に、重大な処分の審理および決定は職員会議において行われている。このことは、新潟高校退学処分事件(一九七七年)で東京高裁が「職員会議に諮問することが条理上当然である」と明示したことにより確認されている。
しかしながら、そこでの審理は、生徒には非公開であり、その決定は「職員会議で決まったことだから変更できない」と一蹴されてしまう。かといって、生徒を職員会議に出席させることは、日本の教育状況からすれば、まず考えられない。ここで特に問題となるのは、職員会議に生徒を代理する担当者が選任されていないことである。
時には担任でさえも、生徒の重罰を主張することがある。
そのため、生徒の主張や弁明が職員会議に充分反映されない危険性がある。このような状態は、アメリカ法の観点からすれば、被告人・弁護人抜きの裁判にもたとえられよう。そこで、日本の職員会議においては、生徒の代理人の選任とその出席が特に要請される。
先に紹介した「子どもの権利に関する条約」草案二八条二項では、「締約国は、学校懲戒が子どもの人間の尊厳と一致する方法で・・・・行われることを確保するためにあらゆる適当な措置をとる」と規定されており、日本がこの条約を批准した際には、生徒懲戒手続きについて、国内法の整備が要求されることになろう。
(1)10日以内の停学にどのような手続きが必要か
連邦最高裁は「すべての状況に一般的に適用しなければならないような普遍的な手続きは存在しない」と述べており、一般的に処分が厳しく、事例が複雑であるほど、より厳密な多くの手続きが要求されている。ゴス事件(一九七五年)において連邦最高裁は、一〇日以内の短期停学であっても、憲法上の適正手続きは必要であるとして、事前手続きを経ないで為された生徒の停学を違憲とした上で、一〇日以内の停学についても、事前に次のような手続きが与えられなければならないとした。@被疑事実について、口頭もしくは文書によって告知をする。A生徒がその被疑事実を否認する場合には、それを立証するために、学校が所有する証拠を示して説明する。B事件について、生徒側に事情を釈明する機会を与える。ただし、この場合の聴聞は、懲戒権者と生徒との非公式な話し合いで充分であるとし、生徒が証人を出す権利、反対尋問を行う権利、弁護人依頼権は必要がないとしている。
(2)退学処分にはどのような手続きが必要か
学期や学年が終わるまで続く長期停学や永久退学には、短期停学に比べ、より厳密な手続きが要求される。
生徒・学生の適正手続き保護に先駆的な役割を果たしたのは、ディクソン事件(一九六一年)である。そこで連邦控訴裁は、教育を受ける権利を奪う退学処分には、詳細な告知と正式な聴聞(聴聞会)が保障されなければならないとした。この判決や前掲ゴス事件判決によって、公立学杖運営において適正手続きの必要性が明確となり、多くの州の教育委員会規則で、手続き規程が整備されるようになった。それらの規則は州、教育委員会によって多少の違いがあるが、退学処分にあたり、おおむね次のような手続きが必要であるとしている。
@退学を命じることができるのは教育長もしくは教育委員会である。A告知には退学を正当化するだけの証拠や根拠規程、告発する側の証人の氏名、およびその証言が記載されること。B聴聞会においては、生徒に弁護人・代理人依頼権が認められ、生徒が自己に有利になる証拠を提出し、自己を弁明する権利、さらに生徒側に立つ証人を呼ぶ権利、反対証人に会い反対尋問を行う権利が認められる。C学校側、生徒を告発する側は、生徒の質問に答え、学校のもつ情報、調査資料等を公開しなければならない。D聴聞会に出席しない第三者の証言(伝聞証拠)は原則として排除される。E聴聞会の経過は、速記録もしくは録音機によって記録され、保存されておかなければならない。F聴聞会の決定事項は書面にされ、生徒・親に伝えられる。最後に、生徒が聴聞会の決定に対し不服がある場合には、上級機関に異議申し立てをする権利が認められる。その際、聴聞記録の写しが、多くの場合無料で与えられる。
(3)生徒は聴聞において黙秘権をもつか
黙秘権(自己の意に反して証言することを要求されない権利)は、憲法修正第五条によって保障されており、単に生徒というだけの理由で、この権利を否定されることはない。したがって聴聞で、自己に不利な証言を求められた際に黙秘したとしても、それによって自分が有罪であると認めたことにはならない。聴聞後に、異議申し立てを行ったり、正式の裁判を提起する場合には、聴聞での生徒の証言は有効な証拠となるので、聴聞の段階で黙秘権が認められることは重要である。
(4)学校は校則(懲戒規程)を公開しなければならないか
多くの州では、どのような問題行動にどのような罰が科されるかを定めた校則を文書化し、生徒に説明することを規則に定めている。しかし、憲法は学校に対して、考えられるすべての問題行動あるいは罰についての校則を文書化し公開することを求めているとはいえない。行為が明白に悪質で、妨害的であることがわかりきっている場合には、生徒は自分たちが公式に通告を受けていないという不満を申し立てることはできない。しかしながら、右以外の場合で、生徒はまったく知られていない校則(たとえば外出禁止など)に違反したために罰を受けることはない。また、生徒の処分が重大であるか、あるいは校則が表現の由由を制限する場合には、校則の事前公開が不可欠である。
日本では、単なる生徒心得的な校則と、違反すれば懲戒処分となるような校則(懲戒規程)が混同されており、生徒心得違反に懲戒処分が科される例も少なくない。また、生徒心得は公開されても、懲戒規程は公開されない傾向が強い。したがって、まず両者は明確に区別されるべきであり、そして、それぞれ別個のものとして公開されるべきである。とりわけ懲戒規定こそが詳細に公開され、生徒に周知されなければならない。
(5)あいまいで漠然とした校則は認められるか
文書化された校則でも、その用語が不明確であいまいなために、普通程度の知能をもった生徒が、校則の適用される行為や処罰を特定できない場合には、その校則は適正手続きに反し無効である。どのような行為が禁止されるかを明確に警告できないような校則の欠陥は致命的である。そして不明瞭という欠陥をもった校則は、その適用範囲が広くなりすぎるという欠陥を伴う。広すぎる適用範囲をもつ校則は、合法的に禁止される行為に加えて、憲法上保護される行為をも抑制してしまう結果となる。つまり本来、生徒の自由で合法的な活動に萎縮効果 (chilling effect) をもたらすのである。シェルトン事件(一九六〇年)において連邦最高裁は「たとえ政策目的が適法で実質的なものであったとしても、その目的がより限定的に達成できるならば、個人の基本的自由を広く窒息させるような方法をとることはできない」と述べている。
特定の用語が不明確で過度に広範であるかどうかを判断する基準はない。いくつかの裁判所は、「頑固な不服従」「故意の妨害」「矯正不能なふるまい」という用語が不当に不明確ではないとしたが、「学校の最善の利益に有害な行為」「教職員を非難し、侮辱し、無礼を加える」という用語は不明確であるとした。
日本では、生徒心得はたいへん詳しく記されている反面、懲戒規程は極めて簡単である場合が多い。それも、学校教育法一一条や、同法規則一三条三項の規定を、各学校の懲戒規程にそのまま引き写している例も少なくない。ここで問題となるのは、同法の「教育上の必要があると認めるときは・・・・懲戒を加えることができる」とは、具体的にどのような場合を指すのか、また同規則で退学事由とされている「性行不良」「学校の秩序を乱し」「生徒としての本分に反した」とは、いったいどのような行為を指すのかということである。これらの用語はあまりにも抽象的で、学校の意のままに解釈できるほどあいまいであるため、各学校の懲戒規程の用語としては許されるものではない。当然のこととして、各学校で懲戒処分にあたる違反行為を明確な用語で表現し、具体的・限定的に列挙した懲戒規程を整備して、それを生徒に公開すべきである。
(6)成績不振による処分に手続き的保護が及ぶか
裁判所は学業成績評価に関わる審理に消極的である。ハロウィツ事件(一九七八年)は、医学部の学生が臨床成績不良のため除籍処分にされた事件であるが、連邦最高裁は、学業の失敗による除籍処分について、学生には聴聞を要求する憲法上の権利はないとした。その理由は、適正手続きは誤った決定を避ける上で意味のあるもので、本件の除籍処分は教育者の学問的判断によるものであり、このような判断には外部の監視や干渉は適当でないという見解にもとづいている。確かに成績評価過程に、生徒を参加させる手続きは必要でないかも知れないが、公正な評価を担保するため、成績評価制度それ自体にも内在的な適正手続きが要請されることに注意すべきである。
この点に関して、日本の新潟明訓高校事件(一九七二年)で、新潟地裁は「原級留置きの決定をなすにあたっては大多数の教員が出席した職員会議で審議を行なうのが教育条理」であると述べ、成績評価についての内在的な適正手続きの一部を認める考え方を示した。成績評価およびそれにもとづく処分は、学校・教師の専門的判断に委ねられているが、そうであっても、学校・教師の恣意的な評価・処分を疑われるような手続きをとることはできないのである。
(7)懲罰の手段として生徒の成績を下げてもよいか
ケンタッキー州控訴裁は、停学処分を受けた生徒の学業成績を減点するという学校の方針を否定した(一九七五年)。それは州法がそのような学習上の制裁について、何らの規定も定めていなかったためであるが、本来、問題行動は学業成績とまったく関係のないものであり、判決でも、成績評価を懲戒目的のために用いてはならないと判断されている。同様の事例で、ペンシルバニア州控訴裁も、減点措置が教育委員会規則に定められていたにもかかわらず、「本件のような問題行動に対して、他の学習プログラムをまったく組むことなしに減点措置をとったことは容認できない」として、当該学期中の減点措置を無効とした(一九八四年)。
日本でも生徒の学習活動以外の行動を理由に、平常点という形で、学業成績を増減させるという例を聞くが、これも成績評価についての適正手続きに反するものである。したがって、停学期間中であっても、その生徒に定期考査を受けさせ、その結果に基づいて適正に評価を行うべきであろう。
(8)親の行動を理由に処罰できるか
罰は生徒個人の問題行動に対し科されるべきものであり、他人の行動や非協力を理由に処罰されることはない。ある校長は生徒の行動や態度について話し合うために、その生徒の親を学校に呼び出そうとしたが、親がそれに応じなかった。そこで、その校長は容赦なく生徒を停学に処し、親が来校するまで生徒の登校を認めなかった。これは明らかに違法である。またパリシ事件(一九七四年)では、生徒の母親が担任をひっぱたいたことを理由に、学校はその生徒を停学にし、他のクラスへ替えた。この事例を審理した連邦控訴裁は、学校の措置が実体的適正手続き(いわば実質的公正さ、およびそれに含まれる自己費任の原則)に反し無効であると判示した。
日本では、東京学館高校バイク退学事件(一九八七年)において、千葉地裁は、「親が学校の教育方針に賛同せず、非協力的であって説得にも応じない場合には」、高校が「原告の処分にあたって家族の非協力を考慮にいれたのは当然である」と臆面もなく明言し、退学処分を支持したが、アメリカでは、先にみたように、親の非協力を処分の理由に含めることは、実体的適正手続きに反し、まったく許容できないことである。
<参考文献>
○ W. Valente, Law in the Schools (2d ed. 1987)トップページ | 研究会のプロフィール | 全文検索 | 戻る | このページの先頭 |