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◆199312KHK137A2L0213F TITLE: 懲戒規定の公開とその見直し AUTHOR: 羽山 健一 SOURCE: 『月刊生徒指導』1993年12月号(学事出版) WORDS: 全40字×213行
羽 山 健 一
はじめに
「校則」という言葉がマスコミなどで頻繁に用いられるようになり、学校内の教育紛争であっても、それが裁判の場で審査を受けることは周知のこととなった。その中で、修徳高校バイク退学事件[1]のように、生徒側の請求を認める判決が出るようになると、生徒の権利という概念が注目を浴び、生徒やその親の権利意識がますます高まってきたと言えよう。この傾向は「子どもの権利条約」の署名によって、さらに顕著になってきた。高校において、生徒の権利、とりわけ学習権を侵害する恐れのあるのは懲戒処分である。当然のこととして、生徒や親の権利意識の高揚は学校の懲戒権行使に影響を及ぼすこととなる。学校が生徒の権利に鈍感である場合には、生徒や親の信頼を失うだけでなく、懲戒処分をめぐるトラブルが訴訟にまで発展する可能性もある。したがって、学校には生徒の権利に十分配慮した懲戒権行使が求められる。そして、学校の行った処分が恣意的(勝手気まま)なものではなく、公正なものとして、生徒や親に納得されなければならない。そのためには、懲戒規定(規則)を整備し、生徒の懲戒が厳格にそれに基づいて慎重に行われる必要がある。以上の観点に立って、ここでは、懲戒規定にどのような検討を加えるべきかについて述べたい。
「校則裁判」などと言うときの校則とは、学校や生徒に関係する規則・心得・内規を総称するものである。校則の中で、最も生徒の権利と抵触する恐れがあり、生徒の行為規範とされているものが生徒心得である。生徒心得には、授業時間、下校時刻、礼儀作法、校外生活、男女交際、髪型・服装などについて、実に細かい記載がある。これらの記載は、生徒に対して、あるべき行動の基準を示し、高校生として望ましい姿を訓示するとともに、各教師にとっては、「教育的観点からする教育上ないしは指導上の指針」として[2]、生徒を指導する際の基準となるものである。
これに対し、懲戒規定とは、生徒がどのような行動をすれば、それが問題行動として判断され、どのような懲戒処分を受けるかを定めた懲戒処分基準である。これに基づいて、学校は生徒や親が同意しないときでも、生徒に対し停学などの処分を強制できるのである。
生徒心得と懲戒規定は、いずれも”学校教育に関わるルール”という意味では、校則に含まれる。しかし、前者は文字どおり「心得」であり訓示規定であるが、後者は学校の懲戒権を定めた学校教育法一一条及び同法施行規則一三条の細則ともいうべきもので、強行規定として作用する。この両者は、体裁や文言においても、顕著な差異が見うけられる。生徒心得には、「心がけること」「留意すること」「望ましい」「慎むこと」「努力すべきである」「礼儀正しくふるまうことが大切である」などの言葉が用いられている。これに対し、懲戒規定には「次の場合は謹慎処分とする」などの断定的な用語が用いられ、懲戒の対象、種類などが掲げられている。
したがって生徒心得と懲戒規定は、内容的に重なることがあるとしても、法的な性格はまったく別のものとして理解されなければならない。この観点から、生徒心得の定める理想的生徒像に反したことのみを理由として、生徒の懲戒処分を行うことには、いささか無理がある。
停学や退学処分を受けた生徒やその親が、その処分に納得せず、学校に対し説明を求めたり、あるいは再考を求めることがある。このような要求に対し、学校側はその処分が、公正で平等に行われたことを説明するために、懲戒規定を見せる必要があろう。懲戒処分の適法性を争う裁判では、まちがいなく処分の根拠規定を証拠として提出しなければならなくなる。近年、様々な教育情報の公開請求が各地で認められていることを思えば、情報公開条例の制定をまつまでもなく、懲戒規定の公開は時代の趨勢とも言えよう。また、「教育は……国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」と定める教育基本法一〇条一項の、「教育の直接責任性」からも、懲戒規定の公開は当然認められよう。
また、学校教育法施行規則四条一項八号によれば、「賞罰に関する事項」が学則の必要的記載事項とされており、各学校の学則中には必ず賞罰に関する規定を記載しなければならない。この賞罰に関する規定には、ほう賞規定と懲戒規定が含まれる。ところが、学則中の懲戒規定には、先の学校教育法一一条及び同法施行規則を丸写ししたものが多い。すなわち「校長及び教員は、教育上必要があると認められるときは、……懲戒を加えることができる」「懲戒のうち、退学、停学及び訓告の処分は、校長がこれを行う」「退学は……次の各号の一に該当する児童等に対して行うことができる」という文言である。このように学則には概括的な規定しか設けられていないため、各学校では学則の細則、あるいは運用内規を定めている。学則は法定表簿であり、この中の「賞罰に関する事項」も同様であって、その細則にあたる懲戒規定や運用内規を非公開とする理由はない。
懲戒規定が明文化されておらず、懲戒の運用は慣例・不文法によって行われることも稀ではない。しかし、停学や退学といった懲戒が、制裁として生徒の学習権を奪う側面をもつものである以上、懲戒の根拠・基準・手続きを明文化しておかなければならない。そして、それを生徒や親に公開しておく必要がある。というのは、基準なしに行われた懲戒は恣意的な懲戒と疑われて当然であるし、また具体的に、どのような行為が懲戒に値する問題行為とされているのか、そしてその行為に対しどのような制裁が課せられるのかを、事前に知らされていなければ、生徒は、それに応じて自分の行動を抑制することができず、ルールとしての意味を為さないからである。
懲戒規定を公開することは望ましくないという見解もある。その理由は、@内規はもともと公開を前提として設けられたものではない、A生徒に対する懲戒の威嚇力が弱くなる、B懲戒規定に縛られて弾力的な運用ができなくなる、などである。しかしながら、先にみたように、懲戒規定は学則という法定表簿の一部と考えられるものであり、生徒の権利を制限する根拠となるものであるから、これを非公開とすることはできない。逆に公開することによって、懲戒規定の内容を常に適正なものにしようとする努力がなされる。また、生徒に懲戒を受ける予見可能性を与えることは、適正手続き保障のため、まず最初に要求されることであり、懲戒を行った際にも生徒や親の納得を得やすい。確かに、公開することにより教師自身もそれに縛られるが、そのことによって、懲戒処分の弾力的な運用と称して不平等な、または不公正な懲戒が行われることを避けることができる。
懲戒処分は、被処分生徒の教育のため、あるいは学校教育の秩序を守るために有効かつ重要な教育的方策であると考えられている。しかしその反面、停学・退学処分は生徒の教育機会を奪い学習権を制限するものであるから、生徒の権利保障に十分配慮して行われなければならない。そのためには、処分が公正に行われるよう、また、懲戒権が濫用されないように、懲戒規定が慎重に規定されていなければならない。ここでは懲戒規定を明文化する、あるいは見直す際に留意すべき点を列挙してみる。
(1) 広すぎる、曖昧な表記 懲戒規定の懲戒理由には学校教育法施行規則一三条三項を写したものが多い。すなわち「性向不良」「学力劣等」「出席が常でない」「学校の秩序を乱し、生徒としての本分に反した者」である。教師は不測の事態に対応できるよう、また、懲戒権についての広い裁量権を残しておきたいという願望から、懲戒の対象を限定せず、包括的な規定をおいているのである。たとえば、前述の施行規則の文言の他に「その他、生徒心得違反」「高校生としてあるまじき行為をした者」などがある。しかし、懲戒処分は、その目的を達成するために必要最小限度においてのみ認められるものであるから、懲戒処分の対象となる行為を特定しておかなければならない。また、懲戒規定は生徒に、いかなる行為が禁止されているかを告知し、その自制を求めるものであるから、「生徒としての本分」といった曖昧な言葉は、その意味内容を推測しなければならず、人によってその理解の仕方が異なり、学校がどのような行為を禁止しているかを生徒に明確に伝えることができない。
この点に関わって「教師に対する暴言」を懲戒の対象とすることには問題がある。暴言という言葉が具体的に生徒のどのような言葉を指すのか不明確であるばかりか、同じ言葉であっても、教師によって、またその言葉が発せられた状況によって、暴言であると判断される場合とそうでない場合が生じるからである。
(2) 訓告の活用 学校教育法施行規則一三条二項には、懲戒処分として、停学・退学の他に訓告を定めており、訓告も法律上の懲戒の一つである。訓告とは直接校長が問題行動のあった生徒に注意を与え、反省を求め、将来を戒めることであり、譴責、戒告と呼ぶこともある。これは教師が行う注意、叱責などの事実上の懲戒と異なり、学校全体の意思として生徒の問題行動を戒め、反省を促すものであり、より大きな制裁的意味をもつ。また、訓告は、停学・退学処分と異なり、生徒の教育を受ける機会を奪うものではないという点で、最も軽い懲戒処分であると言えよう。飲酒、喫煙については、それが初めての行為である場合には、停学を課すよりも訓告の方が有効かつ適切であると思われる。
生徒は停学処分を受けるまでは、それが不名誉なことであり、多大な苦痛を伴うものであると想像しているが、一度、停学処分を受けてしまうと、それによる羞恥心を忘れ、「たいしたものではない」と感じるようになる傾向がある。また、停学処分によって授業が受けられず、学習意欲を失う契機ともなる。さらには、教師や他の生徒から「問題生徒」と見られ、問題行動をいっそう繰り返すことにもなりかねない。そうなれば、その停学処分は教育的に失敗である。また、問題行動を繰り返す生徒については、処分を段々と重くするのが一般的であるから、たちまち無期停学、退学処分という処分原案が提出されることになったり、あるいは、無期停学を繰り返すことになる。したがって、最初の問題行動に対しては、できる限り軽い処分を行うことが望ましい。
(3) 問題行動の程度に対応した懲戒 懲戒処分の重さは、問題行動の程度に比例したものでなければならない。たとえば、頭髪・服装規則に違反した生徒に停学処分を課すことは、私立学校といえども過重な処分である。ともすれば教師は厳罰主義に傾きがちであるが、生徒がそれに慣れてしまえば、厳しい処分を行っても、その効果は薄れてしまう。そこで、懲戒規定に、個々の問題行動について停学日数など処分の上限を設けることが望まれる。また、複数の問題行動を同時に行った生徒や(飲酒しながら喫煙するなど)、問題行動を繰り返す生徒に対する懲戒処分は特に過重になりがちであるので、その際の懲戒処分の上限、停学日数などの算出の基準も規定しておく必要がある。ただし、「停学の三回目で退学処分を行う」という規定は、機会的に過ぎ、退学させる必要のない生徒まで学校から追い出すことにもなり、生徒の学習権の侵害に当たる違法な規定であると言えよう。
懲戒処分の原因として、最も多いと考えられるのは、喫煙、飲酒とならんで、オートバイの「三ない規則」違反があげられる。オートバイに乗ることが法的に認められている者に対し、その乗車が問題行動であるとして、懲戒を加え学習権を剥奪することが、学校に許されるかどうかは、甚だ疑問である[3]。特に、親が認め、校外で乗車している場合、それを理由に懲戒処分を行うことは、親の教育権を侵害するものであり、学校の懲戒権の範囲を越えた違法な処分と言える。確かに若者のバイク事故は重大な社会問題であるが、その対策の責任を負うのは、第一次的に警察であって学校ではない。したがって、運動として、これを推進することは別として、「三ない規則」を設け、その違反者に対して処分を行うことは許されるものではなく、早急に懲戒規定を見直すべきである。
その他にも次の点に留意すべきである。@喫煙や飲酒の「同席」及び、煙草所持などの予備的行為を処分の対象とすることは望ましくない。A「停学中は定期試験を受けさせない」という規定あるいは慣行は、生徒に停学を越えた不利益を与えるもので生徒の権利の侵害に当たる。B停学期間が、修学旅行、文化祭、体育祭などの特別活動と重なるときには、その活動への参加を禁止することが多いが、このような禁止のできる場合を限定すべきである。C「停学中は欠席扱いとする」というのは誤った扱いである。D懲戒処分事実の指導要録、調査書への記入については慎重に検討したうえで、校内でその扱いの統一を図るため、懲戒規定に定めておくべきである。
(4) 懲戒を決定する手続き 懲戒規定には、どのような行為にどのような懲戒を課すかを定めるだけでなく、懲戒処分を行うためにはどのような手順を踏まなければならないかを定めておく必要がある。適正な手続きを定めて、それに従うことは、公正な懲戒処分を行うために不可欠である[4]。
まず第一に、事実を調査するために、関係する生徒や教師などから事情聴取することは当然であるが、特に問題行動を行ったとされる生徒の言い分を充分聞くことが重要である。ただしこの際、憲法三八条で禁止されている「自白の強要」と受け取られるような、長時間の聴取[5]、問題行動を行ったと決めつけるような威圧的な詰問をしてはならない。また、授業を受けさせずに事情聴取することは、緊急の場合を除いて許されない。生徒にこのような聴聞の機会を与えることは、学校側の法的義務であると考えられ、また、生徒の親からも事情を聞くことが望ましく、これを懲戒規定に明記するべきである。
次に、懲戒処分を職員会議の審議を経て決定すべきこと、ならびにその審議、採決の方法を規定しておく必要がある。そこには処分原案を提出する者、及び生徒の立場を弁護し、生徒の言い分を代弁する担当者を定めておく必要がある。というのは、生徒の代弁者のいない会議は、あたかも、被告人・弁護人抜きの裁判と同様に不公正なものとなりがちであるからである。また、無期停学の解除についても職員会議で決定しなければならない。
生徒の定型的な問題行動については、職員会議を開かない学校も稀ではない。しかし、職員会議で懲戒処分を決定することが原則である以上、例外的に、職員会議を開くことなく処分を決定できるのは、どのような事例であるかを懲戒規定に明記しておかなければならない。また、そのような場合には職員会議の事後承認を求めるようにするべきである。
(5) 異議申し立て制度の創設 ひとたび、職員会議で決定した懲戒処分については、生徒や親が納得しなくても、これを強行することが当然視され、懲戒処分についての異議申し立て制度を設けている学校はほとんどない。これは教師が、生徒の不満があるからといって、職員会議の結論を覆すようなことがあれば、懲戒処分実施の秩序が乱れると懸念するからである。しかし、重大な事実誤認があったり、新事実が発見された場合には、審議をやり直すのが当然である。また生徒や親が、証拠の不十分、懲戒の過重、懲戒規則の不公正、職員会議における審理不尽、処分決定手続きの違反などを主張するときには、職員会議とは別の第三者機関による不服審査機関を設け、迅速な解決を図ることも考えられよう[6]。こうした制度が整備されていなければ、懲戒処分に関するトラブルが教育裁判として司法的に争われる事例が増加するであろう。しかし、生徒の権利保障は、まずもって「教師、学校などのシステムの中においてこそなされなければならない」ものであって[7]、訴訟による解決は、生徒や学校に多大な時間的、経済的負担を強いることになる。それだけでなく、訴訟になれば、生徒と学校との間の信頼関係は根底から崩壊し、訴訟の当事者として敵対関係に変わってしまう。これは生徒にとっても教師にとっても不幸なことであり、また、学校としては教育責任の放棄にもつながる。
< 注 >
(1)東京高判平四・三・一九 判時一四一七号四〇頁トップページ | 研究会のプロフィール | 全文検索 | 戻る | このページの先頭 |