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TITLE:  学習指導要領に基づく高校「政治・経済」の授業・教育内容の特徴と課題(その1)
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 大阪教法研ニュース 第212号(2004年2月)
WORDS:  全40字×381行

 

学習指導要領に基づく高校「政治・経済」の
授業・教育内容の特徴と課題(その1)

 

羽 山 健 一

 

はじめに

  このたび、ノルウェーの教育制度の調査研究を行っている大手前大学の北川邦一氏より、日本とノルウェーの社会科の教育課程について比較検討をするよう依頼を受け、ノルウェーの高校「社会」の教育課程に触れる機会を得た。これを一読すると、国家的政策意図が強く感じられる特徴あるものであり、これとの比較によって、日本の教育課程の特質が浮かび上がってくるのではないかと興味をもち、依頼をお引き受けすることにした。検討の対象としたのは、ノルウェー教会教育研修省(KUF)が法的拘束力あるカリキュラムとして定めた「後期中等教育 教育課程 社会(1994年版)」[1]である。

  ノルウェーの後期中等教育は16歳から3年間の教育で日本の高等学校にほぼ相当する。また、「社会」というのは日本の「政治・経済」に最も近い科目である。したがって、ここでは、この「後期中等教育 教育課程 社会」と日本の「高等学校学習指導要領 政治・経済」を比較検討する。もちろん、この教育課程にもとづいて現実の授業がどのように展開されているか十分に把握できていないため、今回の検討は教育課程の上での比較にとどまる。また、本稿はノルウェーの教育課程そのものの分析検討を目的とするものではないので、それを簡単に紹介するにとどめる。そのうえで、ノルウェーの教育課程をとおして日本の学習指導要領の課題や問題点を検討することにする。両国の間で、学校制度、国の定める教育課程の性格、教育課程全体のなかでの当該科目の位置づけなど、異なるところが多くあるため、両者を単純に比較することは意味をなさない。しかしそうであるにしても、日本の教育課程の記述を他国のそれと比較することによって、日本の教育課程の特徴や課題をあぶり出すという意義があるように思われる。

 

1.ノルウェーの教育課程における「社会」の特徴

 

  「社会」は後期中等学校(以下高校)の全学科において、2年生で必修の科目である[2]。日本における「現代社会」「倫理」「政治・経済」に類似する科目として、この「社会」以外に、普通科では1年生で必修の「経済・情報処理」、3年生で必修の「宗教・倫理」がある。「社会」の授業時数は年間75時間(1単位時間は45分)で、日本の基準でいうとおおよそ2単位に相当する。

(1)民主主義と「社会」の授業の意義

  科目「社会」の教育課程は大きく、「第1章 総則」、「第2章 目標と内容」、「第3章 評価」から構成される。

  まず、総則において、この科目と民主主義の関係について述べている。すなわち、「民主主義は、市民の批判的思考、参加および関わり合いの能力に依存している」として、学校が果たすべき課題はその能力を発展させることであると捉え、「社会」の授業の意義は、生徒が「未来を形成することに寄与する」ための知識を獲得することにあるとする。

(2)目標とする人間像

  総則からは、「社会」の教育がめざす人間像が明確に読み取れる。それは、「知識を持ちそれらを使うことのできる人」、「ノルウェー国内において、また国際社会において、未来を信じ起こりうる多くの挑戦に直面する勇気を持つ人」というものである。そこには、国家や社会の形成に積極的に貢献する能力と責任を備えた、活動的で能動的な市民を育成しようとする強い意志が伝わってくる。

  文化的意識については、「自分自身の文化的宗教的ルーツ」について知るとともに(学習要目)、「自分とは異なる文化の人々に対する寛容」を学ぶこととしている。そして、「集団と国境を越えた連帯」を求める人間を求めている。このことから、文化的な所属意識を育てるとともに文化的多様性を尊重する精神を養うことによって、社会の求心力を保ちながら全体主義を避けるというバランスをとろうと努力していることが理解できる。

(3)「社会」の目標

  科目「社会」の主要な目標は、生徒が「成人社会で生活し働くときに要求されるであろうものに対する認識を与える」というものである(総則)。この科目の教育内容は大きく5つの項目から構成されるが、すべての項目に共通する目標として、「政治的影響力を獲得する手段を知る」、「民主主義を発展させるための洞察力を持つ」、「批判的思考の能力を発展させる」、「倫理的展望をもって社会問題を評価できる」などの知識、能力を得させることがあげられている(社会の共通目標)。

  この科目を構成している項目は、@政治制度、A産業・労働生活、B家庭・地域生活、C文化意識、D国際社会、の5つである。それぞれの項目ごとの目標は次のとおりである。

目標@ ノルウェー政治の構造と機能についての知識を持ち、どのようにその発展に影響力を及ぼすことができるかを知る
目標Aノルウェーの産業と労働生活についての知識を持ち、どのように職がつくられるかを知る
目標B他人と家族を築くこと、社会に参加することに関する課題と責任について論ずることができる
目標C共同体における宗教や倫理の重要性を理解し、異なる文化や宗教についての知識を得る
目標D国際貿易、資源配分、地球環境問題、平和の脅威について知る

  これらの項目は、一定の学問的分野を大枠として定めたものではなく、かなり限定された学習内容を具体的に列挙したものである。したがって、実際に教える教師にとっては、この科目で何を教えるべきかが具体的に明確にされているため、教授のうえでの自由度は狭いといえる。また、国家が教育内容を強く拘束し、教育活動が中央集権的に行われていることがうかがわれる。

(4)学習内容の特徴−−課題達成型、実践的・実用的教育

  それぞれの項目ごとの目標のあとには、そこで扱うべき内容が「学習要目」として記述されている。それによると、この科目が極めて実践的、実用的な知識能力を重視していることが分かる。たとえば、「どのようにして政治的影響力を獲得するか」、「どのように企業を起こすか」、「どのように家庭を築くか」という課題に対して、制度的、法律的、倫理的な側面から知識や能力を持たせ、その課題を達成することができるようにする教育を行うこととしている。知識を単に暗記するものとしてではなく、現実に活用し、生活の向上に役立てる実践的・実用的なものとして位置づけている点が特徴的である。

  日本においても、1955年までの学習指導要領ではこれと同様の特徴がみられた。すなわち、「われわれは民主主義を、どのように発展させてきたか」「われわれは、どのようにして世界の平和を守るか」等の単元が例示され(「一般社会科」)、実生活のなかで直面する問題をとりあげて、問題解決学習を中心とする経験主義的な教育課程が「試案」として編成されていた。

(5)学習内容の注目点

  この学習要目には、日本のものに比べて、さまざまな注目すべき学習内容が含まれている。まず、政治制度の項目において「政党の政策に通暁する」ことがあげられている。政党政治のもとで、各政党の政策を理解していることは必要不可欠のことであるが、日本では、授業で各政党の政策を具体的に学ぶことはほとんどない。

  次に、産業及び労働生活の項目において「労働組合及び労働協約の機能について記述できる」ことがあげられている。このことは、労働組合が重要な機能をはたしており、将来の労働生活に入っていくにおいてその知識が欠かせないという認識を示している。日本では教科書に労働組合の記述はあるが、学習指導要領にはこの言葉は現れない。

  その他にも、「同棲、同性伴侶、離婚」に関する法規、「故国を逃れる人」「難民」に関する国家及び国際社会の関与についての知識を持つこと等の学習内容があげられている。これは現実にこれらの社会問題が生起していることを意味しており、それに対応するための準備をさせようとするものであろう。これらの社会問題のなかには、日本においても教育内容として取りあげるべきものが含まれている。

  また、民主主義を脅かすような「拝外主義」や「人種差別主義」については、これと「戦うことができること」と記されている。ここには、民主主義を維持発展させるための実践的能力を育成しようとする強い政策的意図が感じられる。

(6)評価

  評価の目的は「教育を国の基準に従わせ、すべての者に満足で平等な教育の供与を確保する」ことである。評価は、生徒が教育課程に定められた目標をどの程度、達成したかを示すものである。総合評点は、プロジェクト学習、集団学習、学級発表および筆記試験の点をもとに付けられる。

(7)プロジェクト学習

  プロジェクト学習とは、生徒が一つの問題領域や現実的課題を設定し、その具体的結論や実践的解決をめざして行われる学習形態である。プロジェクト学習の計画、実施および評価は、生徒と教員との綿密な協同のなかですすめられ、生徒の自発的学習や探求活動が促される。

  この科目「社会」では、生徒は一つ以上のプロジェクト学習を遂行しなければならない。プロジェクト学習のテーマや問題設定は、科目の枠内で選ばれる。プロジェクト学習の評価は、生徒の自立的思考、批判的思考の習熟および能力を優先して行われる。このようにプロジェクト学習は各科目の中に組み込まれて実施されるが、プロジェクト学習のうち少なくとも一つは科目横断的でなければならない。

  日本において新しく導入された「総合学習の時間」は、このプロジェクト学習にその性格が似ているが、各科目の中で実施されるものではなく、各教科から独立した特別な時間として設定されたものである。したがって、学習の大部分を占める教科学習にはプロジェクト学習的な要素が多いとはいえない。

 

2.日本の学習指導要領における「政治・経済」

 

(1)学習指導要領の改訂

  高等学校の学習指導要領は1999年に改訂され、2003年4月から年次進行により段階的に適用されている。ここでは、新学習指導要領の「政治・経済」の記述を検討の対象とする。学習指導要領の改訂は教育課程審議会の答申に基づいて行われるのが慣例となっているので、まず、同審議会答申[3]から「政治・経済」に関わる改訂の特徴をみておく。

  同答申は、2002年度から実施する完全学校週5日制を円滑に実施するために、教育内容を大幅削減するとともに、「学校裁量の時間」(ゆとりの時間)を正式に廃止し「総合的な学習の時間」を創設することを提起した。そして同答申は「改善のねらい」の一つとして「自ら学び、自ら考える力を育成すること」をあげ、次のように述べる。

  多くの知識を教え込むことになりがちであった教育の基調を転換し、・・・知的好奇心・探究心をもって、自ら学ぶ意欲や主体的に学ぶ力を身に付けるとともに、試行錯誤をしながら、自らの力で論理的に考え判断する力、自分の考えや思いを的確に表現する力、問題を発見し解決する能力を育成し、創造性の基礎を培い、社会の変化に主体的に対応し行動できるようにすることを重視した教育活動を積極的に展開していく必要がある。また、知識と生活との結び付き、知の総合化の視点を重視し、各教科等で得た知識・技能等が生活において生かされ、総合的に働くようにすることに留意した指導も重要であると考える。

  つまり、主体的に学ぶ力、論理的思考力、判断力、表現力、問題解決能力、社会の変化に対応する能力の育成を重視するべきであると述べている。これをうけて、「社会、地理歴史、公民」の「改善の基本方針」の箇所では次のように述べる。

(ア)小学校、中学校及び高等学校を通じて、日本や世界の諸事象に関心をもって多面的に考察し、公正に判断する能力や態度、我が国の国土や歴史に対する理解と愛情、国際協力・国際協調の精神など、日本人としての自覚をもち、国際社会の中で主体的に生きる資質や能力を育成することを重視して内容の改善を図る。
(イ)児童生徒の発達段階を踏まえ、各学校段階の特色を一層明確にして内容の重点化を図る。また、網羅的で知識偏重の学習にならないようにするとともに、社会の変化に自ら対応する能力や態度を育成する観点から、基礎的・基本的な内容に厳選し、学び方や調べ方の学習、作業的、体験的な学習や問題解決的な学習など児童生徒の主体的な学習を一層重視する。

  「知識を教え込む教育」から「自ら考える学習」へと大きく転換していくという答申の方針が、新学習指導要領によって容易に実現されるとは考えられない。網羅的知識偏重の教育から、思考力、判断力、表現力等を育成する教育へと転換するという改訂の視点は重要である。しかし、思考力、判断力、表現力の育成には多くの知識の理解が不可欠であることを忘れてはならない。生徒が十分な知識を持たずに思考、判断、表現しようとすれば、独断に陥る危険性があり、また、教師が生徒を一定の方向に誘導してしまう結果を招く危険性もある。

  また、学び方や調べ方の学習や、作業的、体験的な学習を取り入れることが必要であるにしても、それにかける所要時間を考えると、その導入は部分的にならざるをえない。

(2)目標の特徴

  「政治・経済」の学習指導要領は、「1 目標」、「2 内容」、「3 内容の取扱い」から構成される。その目標は次のとおりきわめて簡単なものである。

 「広い視野に立って、民主主義の本質に関する理解を深めさせ、現代における政治、経済、国際関係などについて客観的に理解させるとともに、それらに関する諸課題について主体的に考察させ、公正な判断力を養い、良識ある公民として必要な能力と態度を育てる。」

  この記述の大半は「民主主義」「政治、経済、国際関係」などと、科目の内容を並べて、それに「客観的」「公正な」などの当たり前の修飾語がかぶせているだけの(無意味な)もので、目標としてはようするに「良識ある公民として必要な能力と態度を育てる」ということに尽きる。この表現は公民科に属する「現代社会」「倫理」のそれと同じものである。また、この表現は教育基本法第8条第1項の「良識ある公民たるに必要な政治的教養は、教育上これを尊重しなければならない。」という規定を受けたものであると考えられる。教育基本法の前文には「民主的で文化的な国家」の実現は「教育の力にまつべきものである」という理念が掲げられているが、「政治・経済」の目標には特にこのことは触れられていない。

(3)内容の構成

  「政治・経済」の内容は、@現代の政治(民主主義の基本原理と日本国憲法、現代の国際政治)、A現代の経済(経済社会の変容と現代経済の仕組み、国民経済と国際経済)、B現代社会の諸課題(現代日本の政治や経済の諸課題、国際社会の政治や経済の諸課題)に分類されている。

  @Aについての記述は、教えるべき事項を列挙したというより、教えるべき分野を示したもので、体系的、網羅的な指定である。Bは、今回の改訂で新しく盛り込まれたもので、日本の課題(9項目)と国際社会の課題(6項目)のそれぞれにおいて「課題を選択して追究させること」と規定されている。

  各項目の名称は体系的分類に基づいたものであり、1955年までにあった「われわれはどのようにして世界の平和を守るか」というような課題提起的な単元の名称を用いていない。そして科目の内容についての学習指導要領の記述は全体としてかなり大綱的、網羅的であり、その説明部分についても、「必要な能力を育てる」「望ましい政治の在り方について考察させる」「望ましい解決の在り方を考察させる」「適切に表現する能力を育てる」という記述にみるように、特定の理論や観念を教育するよう指示するものではない。したがって、教師が学習指導要領に沿って授業をすすめるにおいて、広範な裁量の余地が残されていると考えられる。

  とはいえ、学習指導要領に独自の解釈や価値判断がまったくないわけではない。歴史的にみて、学習指導要領は政府の教育内容政策を色濃く反映しているからである。政府の教育内容政策について、これまでの学習指導要領の変遷過程や教科書検定における検定意見などから、次のような傾向が読みとることができる。@国民主権よりも象徴天皇を重視、A基本的人権よりも公共の福祉を重視、B平和主義よりも国防・安全保障を重視、C権利の主張よりも責任の自覚を重視、D政治は代表者による議会政治。現在の学習指導要領もこれらの視点から検討する必要がある[4]。

(4)議会制民主主義の強調

  民主政治の学習に関して、「議会制民主主義を尊重し擁護することの意義を理解させる」「議会制民主主義について理解させ、民主政治の本質・・・について探求させる」と記述されており、議会制民主主義に重点が置かれていることが分かる。現在の政治制度において議会制民主主義が基本とされていることは論をまたないが、これが強調されるところに一定の価値判断が埋め込まれているように思えてならない。それは議会制民主主義が民主主義の本質であると捉え、主権者である国民の意志は国民の代表者である議会によって決定されるものであるから、国民が直接に意思表示することを抑制し、議会で決定したことに異議を唱えることを認めないとする立場である。また、それは、選挙を行い代表者を選出した後は、国民は政治を代表者に「おまかせ」し、政治に口を挟まないで見ているだけという「おまかせ民主主義」、「観客民主主義」の立場ともいえよう。

  政府を初めとする政官財の人たちがこの立場をとることは、2000年1月23日に行われた徳島市の住民投票をめぐる発言からも明かになった。これは建設省の可動堰建設計画の是非を問うものであったが、その結果は反対派が90%と圧倒的であった。投票結果が出てからも、当時の小渕恵三首相は「建設相が判断することであり、投票結果によって中止するとは聞いていない」と述べ、森喜朗自民党幹事長は「なんでも住民投票で決めるのなら議会はいらなくなってしまう」と発言している。当の中山正暉建設相は「住民投票は民主主義の誤作動だ」と発言し、氏が民主主義の本質を理解していないことを露呈しひんしゅくを買った。圧倒的多数の住民の声を無視することが民主主義であるなどとは到底いえない。

(5)体制順応型人間の育成

  学習指導要領は、社会の形成者あるいは主権者としてどのような人間像を描いているのであろうか。「政治・経済」の目標には、「良識ある公民として必要な能力と態度を育てる」とある。「公民として必要な能力と態度」という表現は抽象的で、その具体的な意味を理解しかねるが、『高等学校学習指導要領解説・公民編』(以下『指導要領の解説』)によると、「自らの個性を発揮、伸長しつつ、文化と福祉の向上、発展に貢献する能力と、国家・社会の一員として平和で民主的な社会生活の実現、推進に向けて主体的に参加、協力する態度」を意味しているようである[5]。主権者に関しては、「望ましい政治の在り方及び主権者として参政の在り方について考察させる」(内容)、「主権者としての政治に対する関心を高める」(内容の取扱い)という記述がある。これだけでは学習指導要領のめざす人間像は明らかにならないが、以上の記述を総合すると「政治について、客観的な理解と高い関心、公正な判断力を持ち、国家・社会の形成に主体的に参加、協力する態度を備えた人間」ということになる。

  これらは至極当然のことであるが、いま一つ充分とは考えられない。ノルウェーの教育課程にみる「政治の発展に影響力を及ぼす」「民主主義を維持、発展させる」「未来の形成に寄与する」という表現と比べれば、その違いが浮かび上がってくるであろう。つまり、学習指導要領は「体制に適応できる人間」に重点をおいているのであり、「より望ましい新しい社会をつくる能動的な人間」という視点が希薄なのである。

  「良識ある公民」という言葉は、教育基本法第8条第1項の規定を踏まえて用いられたものであるが、この言葉の意義について、同法制定当時の有権解釈ともいえる教育法令研究会『教育基本法の解説』は次のように説明する。「公民というには社会団体の単なる消極的な一員でなく、積極的にみずから社会団体を形成してゆく、社会団体の運命はみずからが荷っているのだという自覚をもった者でなくてはならない」[6]。残念ながら、こうした公民観は学習指導要領には受けつがれていない。

(6)批判力の育成

  学習指導要領には「公正な判断力を養い」という表現はあるが、「批判的思考の能力」ないし「批判力」という言葉は現れない。見事に、「批判」という言葉はいっさい使用されていないのである。

  現実の政治に対する健全な批判力は、主権者として民主政治の発展のために必要な能力であることは多言を要しないところであるが、さしあたり、前掲の『教育基本法の解説』では、同法第8条の「良識ある公民たるに必要な政治的教養」の一つとして、「現実の政治の理解力、及びこれに対する公正な批判力」をあげている[7]。また、学校教育法42条にも高校教育の目標の一つとして「社会について、広く深い理解と健全な批判力を養い、個性の確立に努めること」が挙げられている。

  学習指導要領において「批判力」という言葉が意図的に忌避されたのか、あるいは偶然に用いられていないのかは問題ではない。いずれにしても、このことは、文部科学省の体質を如実に物語るものであるといえよう。それは、現政権に対する批判を嫌悪する体質である。

  前述の、目標とする人間像について表現や、「批判力」という用語についての問題は、単に表現の問題にとどまらない。これは、学習指導要領には「現体制を発展・変革する」という視点が希薄で、「現体制に適応させる」という視点が中心となっていることを示すものなのである。

(7)実践的な能力

  政治的教養は単なる知識として覚えるものではなく、実践する能力に方向づけられて総合的に身に付けるものでなければならない[8]。また、良識ある公民とは、選挙権を行使するだけでなく、自分の政治的見解を主張する手段や方法を知り、表現する能力を持っていなければならない。さらに、自分の権利が侵害された場合にそれを排除する手段と方法を知らなければならない。

  ところが、学習指導要領にはこうした実践的、実用的な知識・能力を育成することを重視する姿勢はみられない[9]。

  この点につき、ノルウェーの「社会」の教育課程には「政治的影響力を獲得する手段を知る」「人種差別主義と戦うことができる」などの定めがあり、実践的知識・能力を重視していることが分かる。

(8)経済分野の問題点

  経済の学習について、学習指導要領は「マクロ経済の観点を中心に扱うこと」(内容の取扱い)とし、また、「経済活動の在り方と福祉の向上との関連を考察させる。」(内容)と定めている。

  マクロ経済の観点を中心に扱うのは、『指導要領の解説』によれば、中学校社会科における経済学習がミクロの視点から構成されているのを踏まえたものと説明されている。しかし、経済の学習においては、国民経済全体の視点よりも生活者の視点から経済をとらえるアプローチを重視するべきであると考える。そうしてこそ、より実践的で実用的な授業が可能になる。実生活の中で直面する経済問題は数多く存在し、そこで要求される知識や能力の学習が必要であるとすれば、それは生活者の視点から行われなければならい。

  国民経済と福祉の関係について、「その関連を考察させる」とあるので、様々な観点からこれを取り扱うことも可能であるが、そもそも、こうした組み合わせ方自体が、「国民経済の発展が、個人の幸せや経済生活の向上をもたらすのだから、日本経済を発展させようとする意欲や態度を養うことが重要である」という立場を導きやすく、結局、個人の経済生活の向上よりも国民経済の発展を優先させ、資本へ個人を服従させようとするものとなる。

(9)現代社会の諸課題

  さきに見たように、「現代社会の諸課題」の学習は、日本の課題(9項目)と国際社会の課題(6項目)として列挙されたものの中から、それぞれ選択して、その望ましい解決の在り方を考察させるというものである。列挙された諸課題は次のようなものである。

ア 現代日本の政治や経済の諸課題
大きな政府と小さな政府、少子高齢社会と社会保障、住民生活と地方自治、情報化の進展と市民生活、労使関係と労働市場、産業構造の変化と中小企業、消費者問題と消費者保護、公害防止と環境保全、農業と食料問題などについて、
イ 国際社会の政治や経済の諸課題
地球環境問題、核兵器と軍縮、国際経済格差の是正と国際協力、経済摩擦と外交、人種・民族問題、国際社会における日本の立場と役割などについて、

  この学習指導要領の規定は諸課題の例示というよりは、限定列挙に近いものとなっている。なぜなら、教科書は列挙された課題のすべてを掲載せざるをえず、それ以外の課題を掲載する余裕がなくなっているからである。また、これまで各社ごとに工夫された学習テーマ設定を競ってきた資料集(補助教材)も学習指導要領にしたがい画一化してしまっている。当然、大学入試問題もこれらの課題の中から出題されることになろう。「課題を選択して追求させる」といえば、学習の多様性が広がったように理解されるむきもあるが、実際には、画一化したなかで限定された選択肢が残されているにすぎない。

  その具体的な諸課題のテーマを見ると、注意深く論争的なテーマは避けられており、偏向教育になりにくい題材が選ばれて、さらに『指導要領の解説』においてその取扱い方法が説明されている。そのため、たとえば「自衛隊と憲法9条」、「労働者保護と規制緩和」という類のテーマは見あたらない。このようにして教科書や資料集が画一化されてくると、文部科学省によって、授業で扱うよう指示され公認された課題だけが「現代社会の課題」として学習されるようになるであろう。

 

【 注 】

[1]Ministry of Education, Research and Church Affairs, Curriculum for Upper Secondary Education Civics, oslo September 1994
[2]北川邦一「ノルウェーの高等学校―1999年、2000年視察を踏まえて―」『大手前大学社会文化学部論集』第3号 2003年3月
[3]教育課程審議会答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校、盲学校、聾学校及び養護学校の教育課程の基準の改善について」(平成10年7月29日)
[4]学習指導要領には「戦争放棄」や「平和主義」の言葉は用いられていない。それにかわって「我が国の防衛を含む安全保障」という表現は使われている。
[5]文部省『高等学校学習指導要領解説・公民編』1999年12月
[6]教育法令研究会『教育基本法の解説』113頁(1947年)
[7]教育法令研究会『教育基本法の解説』(1947年)。教育基本法第8条の良識ある公民の「『良識ある』というのは単なる常識をもつ以上に『十分な知識をもち、健全な批判力を備えた』ということである。」(113頁)。「良識ある公民たるに必要な政治的教養にはいかなるものがあるであろうか。第一に民主政治、政党、憲法、地方自治等、現代民主政治上の各種の制度についての知識、第二に現実の政治の理解力、及びこれに対する公正な批判力、第三に民主国家の公民として必要な政治道徳及び政治的信念などがあるであろう。」(114頁)
[8]森英樹「政治教育」永井憲一編『基本法コンメンタール 教育関係法』別冊法学セミナー115号56頁(1992年)
[9]単純に第三者に伝えるという意味での表現力については、内容の取扱いの項目に次のような記述がある。「政治や経済について考察した過程や結果について適切に表現する能力と態度を育てるようにすること。」

 

 


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