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TITLE:  水泳部顧問のための法律教室
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 大阪教法研ニュース 第235号(2008年10月)
WORDS:  全40字×1140行


水泳部顧問のための法律教室


羽 山 健 一


はじめに

  この夏、福島県立高校のプールで、スタート台から飛び込んだ生徒が死亡した事故をきっかけに、県教育委員会は、県立高校のプールでスタート台からの飛び込みを禁止した [1] 。水泳部員たちは大会に向けたタイム測定さえ行えず困惑している。死亡したのはレスリング部の1年男子で、そのプールの水深は1.2m、スタート台の高さは60cmであった。水泳部員以外の生徒の事故ということで、新聞記事には「水泳部員は経験を積んでおり、事故の心配はないのに…」という、ある高校教員の談話が載っていたが、はたして水泳部員であれば、心配はないのであろうか。この事故と同じ時期に、山形市の小学校でも飛び込み事故が起こり、教育委員会は、当面、飛び込みとスタート台の使用を自粛するよう市内の小中学校に通知している [2] 。実のところ、水泳プールにおける飛び込み事故は毎年のように起こっており、多くの裁判例が出されている。
  水泳は他のスポーツに比べて比較的事故が少ない種目であるが、事故が起こった場合、重大事故になることが多い。そのことも影響して、水泳関係の事故は民事、刑事等の訴訟に発展するケースが多いのである [3] 。それでは、このような事故は、生徒の技能が不足しているために起こるのか、教員の指導に問題があったのか、あるいは、プールの構造自体に欠陥があったのか、こうした問題は具体的な訴訟の中で、正面から議論されている。
  そこで本稿では、学校事故事例を中心に、過去に訴訟となった事例を題材として紹介しながら、水泳部の顧問として理解しておくべき法律問題について整理していきたいと思う。
 その前に、学校が負うべき法律上の責任とはどのようなものか、簡単に要点をおさえておく。学校事故において、学校側が損害賠償というかたちで法律上の責任を負うのは、@教員等の故意・過失によって事故が起こった場合、A学校の施設・設備に設置・管理上の瑕疵(欠陥)があり、それによって事故が起こった場合である。根拠となる法条は、国公立学校の場合は、国家賠償法第1条、第2条、私立学校の場合は、民法第709条(不法行為責任)、第715条(使用者責任)、第415条(債務不履行責任)民法第717条(工作物責任)である。
  以下の1〜3は、教員等の故意・過失に関するもので、4は学校の施設・設備に関するものである。5には学校事故以外の事例を扱う。



1.校長の監督義務

(1)顧問の転勤により水泳部の存続が問題になった事例
○明石市立大蔵中学校水泳部事件(神戸地裁1998年2月27日判決)

  大蔵中学では、平成三年度末に当時の水泳部指導者が転勤となり、水泳部を存続させるか、どのような形で存続させるか等の問題が生じ、これに対し水泳部員の保護者からは存続の要望が出されていた。平成四年四月一日、二日の職員会議でこの問題につき討議し、専門的な指導をできる教諭がいない点、事故が起こった場合の責任問題の点等から、廃部すべきとの意見も出されたが、結局、要旨次のとおりの結論を出した。
  @水泳部は、生徒の自主性を尊重し、生涯スポーツへの展望を図る上から、専門的指導はできないまでも、学校教育の一環として一般的な安全指導や生活指導をしながら、存続させる。A平成四年度の水泳部指導者を、平成四年四月から同年七月末まではK教諭、同年八月から平成五年三月末まではH教諭に依頼し、通年の試合等の引率要員をM教諭に依頼する。B水泳部の専門的指導は困難であることから、学校外のスイミングスクールに所属していない新二年生、三年生部員には転部を働きかけ、希望を受け入れる。新一年生については、学校外のスイミングスクールに所属している者のみに入部を認める。
  右水泳部の存続問題について、平成四年五月一日、学校側から校長、K教諭、H教諭の三名が、保護者側から原告を含む二一名が出席して保護者会が開催され、当時の水泳部キャプテンの保護者から、@存続されることになって安堵している。A学校には、専門的な技術指導は要求しない。指導教諭は、練習に付き添って一般的な生活指導をしたり励ましてくれればよい。B事故のことに必要以上に神経質になることはない。等の意見、要望が出され、討議を経た結果、職員会議の結論のとおりに存続することで了承された。
  日頃の練習では、K教諭が校内にいないときは、水泳部の練習を中止していた。K教諭が校内にいるときでも、水泳部の練習に常時立ち会っていたわけではなく、また立ち会っていたときも水泳の技術的な指導をすることはなかった。

  本件水泳部において、部員が逆飛込みをしてプールの底に頭を打ち、頸椎骨折等の傷害を負う事故が起こる。本件事故につき、原告らは、右プールの設置管理上の瑕疵又は水泳部の顧問教諭の指導上の安全注意義務違反があったとして、被告に対し、損害賠償を求めたのに対し、裁判所はプールの設置管理に瑕疵があったとして損害賠償請求を認めたが、顧問教師の義務違反については判断していない。
  学校側は、「平成四年度は、水泳部の専門的技術的指導は行わないことになっており、この点を生徒及び保護者も理解し協力していたのであるから、被告側に要求される注意義務は、通常よりも相当程度緩和されるべきである」という主張をしたが、これに対する裁判所の判断は示されていない。ここでは、判決では言及されなかった学校側の注意義務違反、とりわけ、校長の注意義務違反について考察する。

  校長は「校務をつかさどり、所属職員を監督する」立場にあり(学校教育法第37条第4号)、学校管理下において学校教育活動の一環として実施される部活動の指導について、顧問等に適切な監督指導を行い、生徒の生命身体の安全をはかるべき注意義務を負うことは当然である。判例上、校長の監督指導義務は一般的に承認されている [4] 。本件において校長は、無経験で無資格の教員を水泳部の顧問に選任しておきながら、あとの安全保持については、その顧問の教員に任せきりにしたのであるから、その監督指導義務を怠ったといわざるを得ない。
  しかし、本件事例において校長の義務をより具体的に考察するならば、校長が学校教育の一環として部活動の存続を認めたこと自体の違法性が問われなければならない。つまり、学校の運営全般を掌理する校長としては、部活動の存続を認めるに当たっては、生徒の生命身体の安全を保持することが可能であるか否かを慎重に検討するべきであって、生徒の安全保持が困難な状態に陥っている部活動については、安全保持のための措置を模索してその部活動の存続の途を追求するとともに、それが現実的に実効性がない場合には、その部活動の停止ないし廃止を決断するべきであった。

  たしかに、本件事例の場合には、保護者が部活動の存続を希望し、顧問が専門的指導を行うことができないことを了承しており、さらに、現に20名ほどの生徒が在籍しているという事情があった。その中で部活動を廃止すると、生徒や保護者からの反発を受けることが予想され、事実上、その廃止は困難な状況にあったといえる。しかし、本件水泳部についての安全指導体制には問題があったといわざるをえない。水泳についての専門的技術的指導は行わないが一般的な安全指導を行うという条件で、顧問を選任し、水泳部の存続を認めたという経緯があるが、専門的技術的知識や経験を持たない顧問が行う安全指導というのは、自ずと限界があり、たとえば「プールサイドを走っては危ない」などという程度の安全指導しかできない。具体的な練習内容や練習方法の性格を理解し、それぞれの練習にひそむ事故の危険性を予見できる指導者でなければ、適切な安全指導は行えないはずである。

  また、本件では学校側が部活動の安全保持のために、部員をスイミングクラブに所属する者に限定するという措置をとった。これは水泳の技能を身につけた者であれば、事故を回避できるという認識からとられた措置であるが、この認識は必ずしも正しいとはいえない。事実、本件において事故にあった生徒もスイミングスクールの経験者であった。この点について文部科学省は、「一定の技能を身につけている児童・生徒がスタート時の重大事故に遭った事例が報告されている」として注意を喚起している [5]
  したがって、適切な安全指導を行うことのできる顧問を確保することができない部活動について、校長が最終的に、その存続を決め活動を認めたのであるから、校長の学校運営上の義務違反が問われなければならない。

  さらに、法律上の責任問題とは別に、本件水泳部の教育的意義についても問題が残る。一般的に部活動は生徒の自主性を重んじる活動として、主体性、協調性、責任感、連帯感などを育成することを目的として行われる。ところが、本件水泳部の活動をみると次のような実態が見られる。@多くの部員が自分の練習メニューを持ち、各自が別々の練習を行う。A上級生が指導を行うということはほとんどない。B顧問が立ち会っていないときには、ふざけたり遊んだりする者もおり、これを上級生が注意することはない。C顧問が部のチームとしてのまとまりのなさを感じている。Dミーティングに部員全員が揃わない。これらは顧問の指導が不十分であることに起因しているが、もともと、本件水泳部がスイミングスクールに所属している者のみによって構成され、その放縦な活動が黙認されていたことが根本的な原因であると考えられる。こうした形態で存続させた本件水泳部の活動が、学校の教育活動として妥当なものとなるかどうかについても、より慎重な検討が必要であったように考えられる。



2.顧問の安全注意義務

(1)顧問の注意義務と授業担当教員の注意義務との相違
○埼玉県立熊谷高校水泳部事件(浦和地裁1993年4月23日判決)

  水泳の指導に当たる教師は一般的に生徒の身体の安全に対し十分な配慮を行い、事故の発生を未然に防止する高度の注意義務を負っているというべきであり、課外のクラブ活動であっても、それが学校教育の一環として行われるものである以上、その実施について、顧問の教諭には生徒を指導し、事故の発生を未然に防止すべ一般的な注意義務がある。

  部活動は学校教育の一環として位置づけられているため、部活動の顧問は授業担当教員と同様に、生徒の生命身体の安全を保持すべき注意義務を負っている [6] 。しかし、部活動は学習指導要領に位置づけられていない教育課程外の教育活動(課外活動)として、各学校の自主的判断に基づいて実施される教育活動であり、そこへの生徒の参加は任意である。このように、部活動が生徒の自主的・自発的活動を前提とした教育活動であることから、その指導を担当する顧問の注意義務は、授業を担当する教員の注意義務とまったく同じものとして論じることはできない。しかし、このことは、顧問の注意義務が授業担当教員のそれに比べて、常に軽減されたものになることを意味しない。たとえば、部活動において授業よりも難易度の高く事故の危険性の高いような実技を行う場合には、顧問の注意義務はより高度なものとなる。
  学校事故判例のなかには、水泳が様々なスポーツ種目の中でも特に危険であることを指摘するものがある。たとえば、授業中の事故事例であるが「水泳は、他の体育科目に比較して事故が発生し易く、直接生命に対する危険をも包含しており」と述べている [7] 。ただし、これは、水泳事故の発生が多いというよりも、事故が発生した場合、重大事故につながる可能性が高いという意味で理解されるべきであろう。


(2)立ち会い義務
○東京都立高校水泳部事件(東京地裁2004年1月13日判決)

  練習の終了後、N教諭は、水泳部員全員をプールサイドに集合させ、「明日は飛び込みスタートとターンの練習を行う。」と告げた。原告と甲山は二人で居残って逆飛び込みの練習をしようと思い、N教諭に対し、原告と甲山の二人が居残り練習をすることを申し出た。これに対し、N教諭は、居残り練習の内容や逆飛び込みについて特に注意や指示を与えることなく、居残り練習を許可した。自主練習の際、逆飛び込みを行ったところ、プールの底に頭部を衝突させ、頸髄損傷等の傷害を負い後遺障害が生じた。
  課外のクラブ活動は、本来は生徒の自主性に委ねられるべき部分が大きく、まして本件のような居残り練習においては顧問教諭における時間的制約なども勘案すると、一般的には顧問教諭の立会による指導までは予定されていないし、そこまですべき義務はないというべきである。しかしながら、具体的状況の下で事故発生の危険性を予見することが可能な場合には、顧問教諭は、前記安全注意義務に照らし、上記のような居残り練習の場合といえども練習に立ち会うか、それに代わる適切な措置をとるべきである。
  N教諭は、甲山と原告が居残り練習を申し出た時点で、原告が引き続き逆飛び込みの練習をすることは予見できたというべきであり、前記のような原告の技量、経験及び本件事故当日に同教諭が原告に対し特に安全指導や注意喚起をしていないことからみて、原告が顧問教諭の立会指導なしに逆飛び込みの練習をすれば未熟な飛び込み方法により事故が発生する危険性があることも認識可能であったと認められる。

  部活動が生徒の自主性を尊重すべきものであることを考えれば、通常は、顧問としては、個々の活動に常時立ち会い、監視指導すべき義務までを負うものではないが、何らかの事故の発生する危険性を具体的に予見することが可能であるような特別の事情のある場合には顧問は立会監視義務を負うと解するのが判例理論といえる [6] 。本件の場合は、原告らが飛び込み練習をすることが予見され、さらに、それにより事故が発生する危険性が予見できたのであるから、特別な事情のある場合に当たり、その危険を回避するために顧問が練習に立ち会うべき義務があるとしたのである。

  そこで、水泳部の活動において何が「特別な事情のある場合」に当たるかが問題となるが、少なくとも飛び込み練習は、ほとんどの場合、これに当たると判断されている(中野区立第九中学校水泳部事件、相模原市立大沢中学校水泳部事件など)。たとえば、大沢中学校水泳部事件は、顧問が飛び込み練習を含む練習メニューを書いたメモ用紙を生徒に渡し、練習に立ち会わなかったという事例で、裁判所は、本件スタート台が約1年前に従来よりも高いものに取り替えられていたこと、普段から飛び込みについて十分な注意をしていなかったこと、原告が入部して日が浅く経験も十分でなかったことなどを併せて考えると事故発生の予見可能性があったとして、練習に立ち会うべき義務があったとした。
  したがって、顧問が生徒に飛び込み練習を行わせるとき、または、生徒が飛び込み練習を行うことが予想されるときには、立会義務が発生すると考えられるから、顧問は必ず練習に立ち会うようにしなければならない。したがって、練習に立ち会うことができない場合には、飛び込み練習を禁止しなければならない [8]

  しかし、現実的には、飛び込み練習を行う際に顧問が必ず立ち会うという対応は容易ではない。それでは、飛び込み事故を防止するために事前に適切な指導を十分に実施していれば、練習に立ち会う義務を免れることができるのであろうか。これは、事前指導の内容、生徒の年齢・技能の程度、プール等の施設の状況などにより判断が分かれるところであろうが、理論的には、顧問の立会義務が発生しない場合もあり得ると考えられる。ただし、現実に重大事故が起こった場合には、事前指導の内容の是非が厳しく問われるため、その結果、事前の指導が十分なものではなかったと判断される場合が多くなると推測される。


(3)潜水練習による事故
○大阪教育大学付属池田高校事件(大阪地裁2001年3月26日判決)

  A教諭は、水泳授業中にクロール、平泳ぎ、背泳の中から種目を選択して二回のタイム測定を行うこと、残りの時間で各自横泳ぎ、潜水を練習すること、潜水は各自潜水できた距離を自已申告すること等、当日の授業実施内容を説明した。春子の動向は、第八コースから潜水で泳ぎ始める姿をC、Bに目撃されたのを最後に、明確には確認されることがなかった。A教諭は、九時三三分ないし三四分ころ、授業の終了を指示するため、生徒らに、「上がりなさい。」と声をかけた。生徒らがプールから上がり、プール全体の見通しがよくなったその時、A教諭は、第八コースのスター卜地点から八メートルほど離れた地点で、春子がうつ伏せで両手を下に曲げた状態で水中に浮かんでいるのを認めた。A教諭は、他の生徒たちに手伝わせながら春子を水から引き上げた。その後春子は救急先の病院で死亡した。
(安全配慮義務違反の有無について)
  無理な息こらえや過換気を伴いがちな潜水にあっては、血液中の酸素濃度が低下することによって、意識が喪失し、意識喪失において生じる呼吸の反射によって自ずと気管内に水を吸引し、溺水に至る危険性、殊に、息こらえの前に過換気をすることによって血液中の二酸化炭素濃度が低下し、呼吸飢餓感のないまま血液中の酸素濃度が低下して意識が喪失し、もがくこともないまま溺水に至る危険性(ノーパニック症候群)も、報告されているところである。
  以上のような潜水の危険性にかんがみれば、学校側は、潜水を授業として実施するにあたっては、生徒に対し、事前にこの危険性及び安全な潜水法を周知させた上で潜水の授業に臨ませ、かつ、授業中においても、潜水の上記危険を念頭に置いて、異常が生じた場合には直ちにこれを救助し得るよう監視すべき安全配慮義務が課されているというべきである。
  A教諭にあっては、潜水した距離を評価の要素とし、正式な検定に加え、自由練習中に潜水距離が更新できたら、それも自己申告させて評価対象にするとの方針で授業に臨んでいたこと、さらに、事実上、潜水距離に制限を設けず、むしろ潜水可能距離をできるだけ伸ばすような指導をしてきた。してみると、生徒らの水泳の習熟度や、その理解度、生徒らの年齢を考慮に入れても、本件におけるA教諭らの指導内容は、水泳授業を実施する教諭としての生徒に対する安全配慮義務に違反していたというべきである。

  これまで潜水は水泳練習の一部として取り入れられたり、また、たとえば「○○m潜水すれば××級」といった検定表を作って、その距離を競わせるような指導が行われることがあった。しかし、潜水が一般の水泳種目よりも危険性を伴うものであることは、周知されているとはいえない。そのため、水泳練習中に特に警戒することなく潜水を行わせる事例が散見される。たとえば、2002年9月、高校の水泳授業中、生徒が潜水テストの直後に死亡した福島県立石川高校事件(福島地裁白川支部2008年3月21日和解)、また、2006年3月、日本体育大学水泳部が中国昆明市で実施した合宿で、潜水練習の直後にけいれんを起こしその後死亡した事例(提訴)などがある [9] 。事故事例ではないが、後述の大商学園高校事件では、水泳授業中にリレー競争で負けたグループに対する罰ゲームとして潜水を課していた。

  本件において裁判所は、溺水の原因を特定したわけではないが、ノーパニック症候群による意識喪失の可能性を指摘した。このノーパニック症候群とは、生徒が潜水に先立ち、深呼吸を繰り返し行うことで、息を長くこらえていても息苦しさを感じることなく、呼吸促迫感のないまま、低酸素によって意識喪失をもたらすものであり、とくにシンクロナイズドスイミングのフィギュア競技でしばしば起こっている [10] 。学校側は「ノーパニック症候群等は、本件事故当時、極めて専門的な知識」であったと主張したが、裁判所は「およそ潜水が一般の水泳種目よりも危険性を伴うものであること自体は、高度な医学的知識を持ち合わせていなくても、一般の体育教諭において十分認識し得たというべき」であるとして、学校側の主張を退けた。

  潜水の危険性が広く知られているとはいえないことから、文部科学省も通知を発出し、「入水の際、無理な息こらえや必要以上に深呼吸を繰り返し行わせることなどによる重大事故事例も報告されているので、十分注意すること」と指摘した [5] 。また、潜水の指導は、1978年の学習指導要領解説から削除されている。
  こうしたことを理由に、先述の福島県立石川高校事件において原告側は、「潜水テストを高校体育の授業内容に取り上げることは不必要かつ不適切」と主張していた。たしかに、安易に潜水練習を行うべきではないが、学習指導要領解説や通達の趣旨は、潜水練習を禁止するものではなく、実施する場合には、潜水の危険性を認識した上で、十分な安全面の配慮をしなければならないということであろう。


(4)飛び込みの危険な指導方法
○横浜市立中山中学校事件(最高裁第二小法廷1987年2月6日判決)

  M教諭は、中学校三年生の体育の授業として、プールにおいて飛び込みの指導をしていた際、スタート台上に静止した状態で頭から飛び込む方法の練習では、水中深く入ってしまう者、空中での姿勢が整わない者など未熟な生徒が多く、その原因は足のけりが弱いことにあると判断し、次の段階として、生徒に対し、二、三歩助走をしてスタート台脇のプールの縁から飛び込む方法を一、二回させたのち、更に二、三歩助走をしてスタート台に上がってから飛び込む方法を指導したものであり、被上告人Yは、右指導に従い最後の方法を練習中にプールの底に頭部を激突させる事故に遭遇したものであるところ、助走して飛び込む方法、ことに助走してスタート台にあがってから行う方法は、踏み切りに際してのタイミングの取り方及び踏み切る位置の設定が難しく、踏み切る角度を誤った場合には、極端に高く上がって身体の平衡を失い、空中での身体の制御が不可能となり、水中深く進入しやすくなるのであって、このことは、飛び込みの指導にあたるM教諭にとって十分予見しうるところであったというのであるから、スタート台上に静止した状態で飛び込む方法についてさえ未熟な者の多い生徒に対して右の飛び込み方法をさせることは、極めて危険であるから、原判示のような措置、配慮をすべきであったのに、それをしなかった点において、M教諭には注意義務違反があったといわなければならない。

  飛び込み練習において、初心者の中には、入水地点が近く、「腹這い」や「四つん這い」のような体勢で、水面に落ちるように入水する例が多く見られる。いわゆる「腹打ち」や「足打ち」と呼ばれているものである。これを矯正するために、指導者は「遠くへ飛べ」、「顎を引け、思い切っていけ」などと指導するが、これがかえって事故を招くことがある。本件の「助走つき飛び込み」は、M教諭がその原因は足のけりが弱いことにあると判断し、けりの力をつけさせる指導方法として導入したものである。しかし、この方法は事故を招く危険性の高いものであった。そこで裁判所は、M教諭がこの危険を回避するために適切、丁寧な指導を行うべきであったのに、それを行わない注意義務違反があったとした。

  この「助走つき飛び込み」は水泳の指導書等の資料によったものではなく、M教諭が考えついたものであるが、この事例の控訴審判決(東京高裁1984年5月30日判決)は、このような指導方法を「中学生の飛び込み指導に導入したこと自体、その妥当性が問われてしかるべきである」と疑問をあらわにしているが、この練習方法を導入したことが違法とまでは判断していない。裁判所がこのような立場をとるのは、おそらく、教育活動における指導方法は、教員による様々な創意工夫の中から生まれるものであるという特質を認識し、その指導方法が違法であるかどうかは裁判所の判断に馴染まないと考えるからであろう。ただし、教員が学習指導要領や教科書、指導書等によらない指導方法を採用した場合、教員の注意義務を重く見る傾向があり、その結果、教員の過失が認定されることが多くなっていると考えられる。

  本件と同様に、危険な練習方法の事例として、広島市立早稲田小学校事件(広島地裁1997年3月31日判決)がある。これは、大会のための選抜練習で教員が、踏み切りから入水までの距離を延ばすための練習方法として、飛び込み台から前方に一定の距離をおいた水面上の中空にゴムホースを張り、そのゴムホースを越えて飛び込ませるという指導を行い、事故が発生したというものである。さらに、中野区立第九中学校水泳部事件(東京地裁2001年5月30日判決)では、上級生がプールの端から約2mの位置のプールサイドに立ち、フラフープを差し出し、1年生がスタート台からそのフラフープをくぐって飛び込むという練習中に事故が起こった。この事例では、生徒がフラフープを倉庫から持ち出していたことを教員が認識していたにもかかわらず、適切な指導を行わなかったとして、教員の過失が認められた。

  この二つの事例ではともに、プールの底に頭部を激突させる事故が起こった。スタート台前方にゴムホースのような障害物をおくと、それを越えようとして、飛び出しが上向きになり高い位置に飛び上がる傾向が生じ、その結果、到達する水深が深くなる。また、フラフープのような目標物では、それが水面から高い位置にあるほど、また水面と平行に近いほど、やはり高い位置に飛び上がる傾向がある。
  こうした練習方法を採用すれば、事故を招く危険性が高まるため、教員はその事故を防止するために適切な指導を行わなければならない、というのが裁判所の判断である。


(5)市民プールでの事故
○埼玉県立熊谷高校水泳部事件(浦和地裁1993年4月23日判決)

  原告が昭和六〇年一二月二〇日、熊谷高校水泳部のクラブ活動として、行田市民体育館内室内プールにおいてH教諭立会の下、スタートダッシュの練習をした際、プールの底に頭部を打ち、頚髄損傷の傷害を負い、重大な後遺症が残った。
  水泳が飛び込みによる重大事故発生の危険な一面を有し、このような重大事故が水泳の熟練者に発生することも少なくなく、H教諭自身このようなことについての一般的知識を有していたこと、本件プールが、高校生以上の者がスタート台から逆飛び込みをした場合、事故を起こす危険性が高いという点で瑕疵があったこと、本件プールはスタ−ト台直下の水深が熊谷高校のプールよりも満水時で二五センチメートル浅いこと、本件プールでのスタートダッシュの練習は昭和六〇年のシーズンオフに入ってからは初めてであったこと等を考慮すれば、H教諭には、本件事故発生について予見可能性があったものといわざるを得ない。
  H教諭としては、スタートダッシュの練習を始めるに当たって、水泳部員に対し、各部員の度量、経験の度合に応じ、入水角度が大きくならないよう適切な飛び込み方法を具体的に指導すべき注意義務があったというべきである。

  水泳部の活動の中で、事例のように自校を離れて活動を行うことも珍しくない。大きな大会であれば、公認プールを使用し主催者側も選手の安全に配慮しているため、顧問としてはそれほど心配する必要はない。しかし、他校で合同練習や練習試合を行うような場合には、引率する顧問が生徒の安全面について配慮する義務を全面的に負うことになる。

  本件プールの水深ならびにスタート台の高さは、高校生が利用するプールとしては、日本水泳連盟プール公認規則の基準には合致していないものであった。そのため、裁判所はプールの設置管理に瑕疵があったとして、プールの設置者である市の責任を認めている。さらに、裁判所はH教諭の過失を認定しているが、その判断にあたって、本件プールの水深が熊谷高校のプールよりも25cm浅いことが大きく影響したものと考えられる。

  顧問は、生徒に自校以外のプールを利用させる際に、自分がプールに入ることは少ないので、その水深やスタート台等の問題点について気がつきにくいものであるが、水深の表示を確認するとか生徒に印象を尋ねるなどして、事前に練習場所の安全面での点検を行い、それに基づいて生徒に必要な指示や注意を与えなければならない。


(6)もがく様子がなく溺水する事故 ― 監視義務
○福岡県公立小学校水泳クラブ事件(福岡高裁2006年7月27日判決)

  本件小学校では、6年生の全員と5年生の希望者を対象に、放課後、水泳の練習を行う水泳クラブを設けていた。水泳クラブには選手コースと皆泳コースとがあり、7月19日の本件練習に参加した被控訴人Bは、皆泳コースを希望した。午後3時35分ころ、A教諭が児童に「残り5分間だけ自由に泳いで練習してよい」旨述べて最後の流し練習をすることとなった。スタート台から泳ぎ始めたBは、ゴール手前付近まで泳いで来ていた。Bの後を泳いでいた5年生男子児童はゴールに達した時、ゴール付近の水面にうつ伏せのまま失神状態で浮かんでいるBに気付いた。児童らは協力してBをプールサイドに引き上げる一方で、本件プール内から「先生」などと声を出して本件両教諭に、Bの異変を知らせた。Bは、プールサイドに引き上げられて救命措置を採られたものの、心肺停止の状態のまま救急車によって病院に搬送され、その後重篤な後遺障害が残った。
(監視上の注意義務違反の有無ついて)
  その児童数(65名)及び練習内容を前提とする限り、これらの指導及び監視のすべてを2名の本件両教諭で行うことには、態勢として無理があったというべきである。・・・児童によって呼びかけられるまで、この異変に全く気付かなかったというのである。その意味で、本件両教諭には、本件練習を行うに当たり、水泳中の児童らの動静に目を配り、その安全を図るべき注意義務を尽くさなかった過失があったものといわざるを得ない。この点、控訴人は、Bはもがくことなく水面にうつ伏せの状態にあったから、その異常を発見することは不可能であり、本件両教諭が児童らの監視を怠った事実はない旨主張する。しかし、溺水者が常に激しくもがく動作を行うとは限らないのであり、もがく動作が見られないことは溺水として特異なケースであるとまではいえないから、プール内で特に動くこともなく浮いている者についても、注意を払うべきであったことに変わりはないといわなければならない。

  本件事故の原因について、学校側は、心疾患等、何らかの病気が原因となった可能性が高いと主張するのに対して、生徒側は溺水が原因であると主張し、その原因をめぐって対立した。それは、事故の原因が何であるかによって、学校側が負うべき義務の範囲が異なってくるからである。

  その溺水に関する知見として、裁判所は次のように述べている。「溺水とは,水により,自分自身で呼吸できなくなる状態のことをいう。溺者は,いつでも大きな声を出して助けを求めたり,もがいたりしているとは限らず,いつの間にかいなくなったという場合も多く見られる」。また、別の事例においては、溺水を、水を多量に吸い込む「湿性溺死」と、その量が比較的少ない「乾性溺死」に分類するものも見られる(たとえば、大阪教育大学付属池田高校事件など)。したがって、もがいて大きな声を出し、水を吸引するのが溺水であり、もがくことなく水も吸引していないのは溺水ではないとする常識的な判断は通用しなくなっている。
  また一般には、溺水とは泳げない人が水の中で溺れるものと考えられているが、実際には、水泳部員のような溺れるはずのない者が溺水している。そうした溺水に特有の所見として錐体内出血が指摘されている。錐体とは耳の奥の部分で中耳や内耳を取り囲む骨のことであるが、錐体内出血とは、水泳中、呼吸のタイミングを誤まるなどして鼻から水が入って耳管にまで侵入すると、鼓室内圧が上昇し、錐体内の血液の流れの停滞(うっ血)が起こり、その結果、三半規管の失調をきたし、このように発生した平衡機能障害のために、水中で上下左右の位置感覚を失って溺れるというものである [11]

  さて、本件で学校側は、@もがく動作がなく、失神状態のまま浮かんでいた、A意識喪失発作の既往があった、Bほとんど水を飲んでいない、C意識消失後3分以内に救命措置を行っているにもかかわらず蘇生しなかったことなどから、本件事故の原因は、心疾患など何らかの病気(つまり突然死)であるとした。そして、Bはもがくことなく失神したのであるから、直ちに異常に気づくことも困難で、監視義務を怠った事実はなく、また仮に直ちに異常に気づいて救命措置を施していたとしても本件事故の結果を防ぐことができなかったと主張した。これに対して生徒側は、@心疾患による意識消失が先行したものと断定する根拠はない、A本件事故の原因は、Bの疲労による溺水や錐体内出血、気管内吸水等による窒息(つまり溺水)などが原因であると主張した。

  裁判所は、本件事故の原因について、もがく動作がなかったことをもって、溺水のきっかけが突然の意識消失発作であったと断定することはできないとし、また、「本件事故がBの基礎疾患を原因とするものであったとする確たる根拠は未だ認め難い」として、溺水の可能性が高いという判断を示した。ただし、「溺水の原因及び機序は多種多様である」という認識から、本件事故の原因を断定してはいない。そのうえで、@もがく動作のない場合でもその異変に気づかなければならないから、本件教員には監視義務違反があった、Aその異変が生じた時点で直ちに発見していれば、重篤な後遺障害を発生させることなく救助できた高度の蓋然性があったとして、学校側に損害賠償を命じた。

  この判例で注目されるのは、「仮に溺水のきっかけが意識喪失発作であったとしても、やはり救護不能な事態であったとする根拠とはならない」という判示である。つまり、溺水した後に意識喪失した場合(通常の溺死)であろうが、突然の意識喪失発作の後に溺水した場合であろうが、それらはともに救護不能ではないという判断である。したがって、どちらの場合でも学校側は、直ちに発見、救出し、救護措置をとらなければ安全注意義務違反の責任を問われることになる。

  この点に関連して、てんかんの既往をもつ生徒の水泳部への受け入れについてはどのように考えればよいであろうか。入部を認めた場合、水泳の練習中にてんかん発作を起こし、溺水するという重大事故の起こる可能性がある。しかし、事故を恐れて入部を認めないとすることは、その生徒の心身の成長発達の機会を奪ってしまうことにもなる。やはりなんといっても、専門医による判断に委ねるしかないが、その際、十分な服薬管理を行い、発作のコントロールが良好であることが、受け入れの前提条件となる。また、良好にコントロールされていると判断される場合でも、十分な監視体制は必要であり、発作が起こったときの対策も考えておくべきである。本件事例にみたように、溺水の原因がてんかん発作であったとしても、学校側の責任が免責されることはない点に留意するべきである。

  事例では、65名の児童に対して教員が2名という監視態勢についても不備が指摘された。これについて、次のような基準も紹介されている。すなわち、「プールに入る人数は、指導者1人に対して最大で20人。授業には少なくとも2人の指導者がいるべき」というもの [12] 。しかし、水泳部の活動について、こうした監視態勢を整えることは容易ではなく、顧問は、常時練習に立ち会うことさえ困難である。そこで、部員が互いに他者の動静に注意を向ける「バディ・システム」等を採り入れたり、マネージャーに対して練習中の選手から目を離さないように指導する等の方策を考える必要がある。その際、生徒たちに、@水泳部員のような泳げる者でも溺れることがある、Aもがく動作もなく、声も出せずに溺れることもある、B練習中に溺水者と間違えるような紛らわしい姿勢をとってはならない、という点についても理解させておくべきである。


(7)突然死による事故 ― 相当因果関係
○千葉市立緑町中学校事件(千葉地裁1974年11月28日判決)

  緑町中学校三年生の三時限目は水泳のテストであつた。テストは逆飛び込み、クロールであつたが、・・・T教諭は約一五メートルの間Aを観察して採点し、その後次次に後順位の生徒の採点を行なつていつたが、右採点中Aはスタート台から約二〇メートル行つた先き辺りで突然手足をバタバタさせて水中を浮き沈みした。これに気づいたのは、Aの前を泳いでプール端に着いていたOという生徒であつたが、同人は直ちにプールの中からT教諭に急を告げたので、同教諭はプールに飛びこみOその他の生徒らとAをプールサイドに引き上げた。Aはプールサイドにあおむけに寝かされたが、白眼をむき全身が激しくけいれんしていた。T教諭は、頬を叩いたり、大声で呼びかけたりなどしたが、Aの意識は戻らなかつた。急報を受けたS教諭はAに呼気蘇生法(マウス・ツウ・マウス法)を数回行うなどしたが、なにらの反応がなかつた。間もなく、救急車によって病院に搬送されたが、結局蘇生させることができなかつた。同病院における診断によれば、Aの死因は心不全であつた。
  T教諭や学校側が蘇生法たる心臓マッサージを施用しなかつたことは、結果的に非難せられなければならない。しかしながら、心臓マッサージを施用した場合の蘇生率が相当程度の高確率であるとするならば、そこに当然因果関係の成立を認めなければならないが、このような確率を認むべき証拠はない。この点の認定ができないかぎり、心臓マッサージの不施用と死亡との間に因果関係を認めることはできないといわねばならない。即ち被告らが右措置をとらなかつたがためにAが死亡したということはできないのである。

○愛知県岡崎市スイミングスクール事件(名古屋地裁2005年6月24日判決)

  スイミングスクールの生徒であるBは200m個人メドレーのタイムを測定する進級テストの途中のクロールの段階で、水泳を中断し立ち止まった。Yコーチは「大丈夫か」「上がるなら上がりなさい」などと声をかけていたが、Bが約25m歩いて移動したあと水没したため、ここでBを助け上げ救命措置を施した。
  Bの死因が溺死であったと認めるには足りず、さりとて本件全証拠によってもBの死因を明確に特定することはできないものといわざるを得ないから、Bの死因については原因不明の突然死というほかない。
  Bが水泳を中断した当初の時点においては、コーチとしての注意義務違反があったということは困難である。しかし、Bが水泳を中断した後、腕や足に異常が発生したことを示す兆候が生じた時点で、即座にプールから出す措置を採るべきであったといわなければならない。
  Bの死因については原因不明の突然死であるといわざるを得ないことからすると、仮にYが上記の時点でBをプールから出す措置を採ったとしても、そのことから直ちにBを救出し得たものと認めることは困難であり、他に相当因果関係を認めるに足りる的確な証拠はない。

  水泳中の死亡事故の原因としては、溺水が最も多く(75.0%)、次に突然死が多く(17.9%)、この2つで水泳中の死亡事故の原因の92.9%を占めている。突然死とは、突然で予期されなかった病死のことであり、実際には、最初の発症から即死に近いもの、あるいは発症後間もなく、又は数時間以内に死亡する場合が多い。一般的には、@心臓系の急性心機能不全、(急性)心不全、(急性)心停止などが直接の死因とされるものと、A中枢神経系の特別な外因が見当たらない頭蓋内出血などが直接死因とされるものに大別されるが、B動脈瘤破裂などの大血管疾患などによるものもある [13]

  学校事故において、教員の過失を根拠に損害賠償責任を問うためには、教員の過失と損害との間に因果関係がなければならない。つまり、「教員が適切な救命措置をとらなかったために生徒が死亡した」といえるような関係である。したがって、訴訟ではこの因果関係があるかどうかが大きな争点となる。
  水泳中の死亡事故について、その死亡の原因が溺水である場合と、突然死である場合とで、因果関係の有無についての判断は大きく分かれる。つまり、溺水の場合は、救命可能性が高いため、「適切な救命措置をとらなかったために生徒が死亡した」という因果関係は成立しやすい。これに対して、事故の原因が突然死である場合には、「適切な救命措置をとったとしても救命できなかった」と認定されれば、因果関係が成立しないから、学校側の責任が否定される。ここに紹介した2つの事例は因果関係が否定された例である。

  一般論としては以上のように整理できるものの、医学的に溺死に至るメカニズムは十分に解明されているとはいえないため、具体的な事故事例においては、その原因について専門家の判断が分かれることもある。また、医療技術の向上、救命機器の普及等にともなって、場合によっては、突然死といえども救命不能とは判断されず、適切な措置をしなければ学校側の責任が問われることもあろう。
  心臓発作等、突然死に至ると思われる徴候があったときは、直ちに応急措置をとらなければならない。それが心肺停止状態であれば心肺蘇生法を実施しなければならない。このように考えるのが一般的理解であって、緑町中学校事件判決のように、心臓マッサージによる「蘇生率が高くないから」、これを実施しなくても学校側に責任はないという判断には、いささか疑問が残る。

  突然死を予防するためには、心臓系を中心としたメディカルチェックを行い、心疾患の発見と管理が欠かせない。小学校、中学校、高等学校における健康診断において、それぞれ1年生の全員を対象とした心電図検診が義務づけられているが(学校保健法施行規則第5条第6項)、これは突然死の原因となる心臓病の発見に有効であるからである。この検査結果に基づいて「学校生活管理指導表」が作成され、そこには、心臓系の疾病または異常が発見された生徒について、学校生活において規制されるべき運動の強度が記入されている。最も規制の厳しい区分を「A」、最も規制の少ない区分を「E」としている。水泳部の顧問としては、入部してきた部員については、速やかに「学校生活管理指導表」を確認し、心臓系の異常がないかどうかを点検し、また、異常がある場合には、その程度に応じた運動規制を行わなければならず、部活動の継続を含めて、本人および保護者と話し合う必要がある。もしこれを怠り、事故が発生した場合には、顧問の注意義務違反を問われることになろう。



3.事後措置義務

(1)救命措置までの時間 ― 「ジャスト・フォー・ミニッツ」

  人身事故が発生した場合、教員には、事故発生後の被害を防止し、被害を最小限にくい止めるため、適切な事後措置をとる義務がある。この事後措置には、その場での救命措置や、救急車の手配などが含まれる。
  心肺停止を伴う重大事故においては、いかに早く異変に気づき、救命措置を施すかが救命の成否の鍵を握るのであり、その救命措置が一分一秒を争うものであることは周知のことである。したがって、救命措置がいかに「熱心に」行われたとしても、それが「迅速に」行われていなければまったく意味がない。溺水者の救命にあたって、「呼吸停止後40〜60秒で意識が不明になり、さらに4〜5分経つと脳細胞に不可逆的(元に戻らない)損傷が進行するため、溺水後4分以内に心肺蘇生法が実施されることが必要」であり、この4分間がきわめて重要であることから「ジャスト・フォー・ミニッツ」と呼ばれている [14]
  そのため、水泳中の重大事故の訴訟事例においては、常に、事故発生から救命措置までの時間が大きな争点となる。迅速に事後措置を行った場合には、たとえ死亡事故に至った場合であっても、学校側の過失が問われにくいからである。たとえば、千葉市立緑町中学校事件、神戸市立東落合中学校事件、北海道手稲高校事件、愛知県岡崎市スイミングスクール事件においては、学校側の監視義務違反、事後措置義務違反は問われていない。ただし、このうち、緑町中、スイミング事件は突然死の事例であり、また、緑町中、東落合中、スイミング事件は、タイム測定あるいは泳力テスト中の事例で、指導者の面前で事故が発生したため、直ちに救出し救命措置を施すことが比較的容易であったものである。手稲高校事件は通常の授業中の事故であるが、裁判所は生徒に異変が生じてから救命措置が行われる間の時間を推計して、これを1分15秒と認定した。これらの4つの事例はすべて授業中の事故であり、部活動における事故ではない。部活動中の事故で顧問が立ち会っていない場合には、このように迅速な対応を行うことはきわめて困難である。


(2)救命措置の内容が問われた事例 ― 救命措置義務
○千葉市立緑町中学校事件(千葉地裁1974年11月28日判決)

  校医がかけつけるまでの間に、学校側は人工呼吸のみを行い心臓マッサージを施していない。被告Tの体育教師としての地位、責任から考えれば、同被告としては体育の授業中生徒が心臓発作に襲われる場合が起ることは皆無ではないのであるから、かかる場合にとるべき応急措置としての心臓マッサージについての知識、方法を当然に心得ていなければならないもので、本件事故当時(昭和四五年)においても、右知識方法は独り医師にのみ要求されるものではなく、体育教師にも要求されるものである。このことは校医がかけつけるまでにAの救護に当つた体育主任S、養護教諭Hらについてもいえることである。

○神戸市立東落合中学校事件(神戸地裁1990年7月18日判決)

  原告は、一般蘇生法と異なり、気道確保や人工呼吸をすることなく直ちに心臓マッサージを施した担当教諭の措置に救助義務違反の過失があったと主張するが、被害生徒のプールサイドから引き上げられた直後の容体は、呼吸が弱いながらも継続していることが確認されたものの、鼓動は確認できないほど衰微していたと認められ、これらの事情から判断して、担当教諭が蘇生法の第一段階として心臓マッサージを選択したことは、必ずしも不相当であったということはできない。

○北海道手稲高校事件(札幌高裁2001年1月16日判決)

  控訴人らは、T教諭は亡一郎をプールサイドに引き揚げた後に行った意識喚起行為に時間をかけ過ぎ、そのため、心肺蘇生術に入るのが遅れたと主張する。しかし、T教諭が亡一郎をプールサイドに引き揚げた後に行った行為は前記認定のとおりであって、心臓マッサージや人工呼吸に入る前にこれら意識喚起を行ったことが無駄であり、これらを措いて心臓マッサージや人工呼吸に入らなかったことが直ちに過失になるとは認めがたい。
  控訴人らは、後から駆けつけたN教諭の過失を主張するところ、救助者が二人いる場合には、一人が心臓マッサージを、一人が人工呼吸を行うのが望ましいとされていることは控訴人ら主張のとおりである。・・・二人同時の施術に踏み切らなかったことが違法になるとまでは認めがたいところである。
  人工呼吸法として、現在ではマウストゥマウス法の方がジルベスター法よりも一般に薦められている方法であることが認められる。しかしながら、ジルベスター法が無効な方法であるというわけではなく、・・・本件でこれを採用しなかったことが直ちに過失になるとまでは認められない。

  救命措置の内容は、救助と心肺蘇生法(CPR)であり。意識消失、呼吸停止、心停止の場合には心肺蘇生法を行うが、その手順は概ね次のとおり。@意識確認、A気道確保と呼吸確認、B人工呼吸、C心臓マッサージ(胸骨圧迫)、DAEDの使用である [15] 。緑町中学校事件の判決に見られるように、心肺蘇生法については、体育科教員、部活動顧問をはじめ、すべての教員が専門家による講習を受けるなどして、その実施方法を習得しておかなければならない。

  AED(自動対外式除細動器)は操作が簡単で救命率が高いことから、2004年7月、行政の認可により、医療の専門家ではない一般市民がこれを使用できるようになり、公共機関など人の多く集まる場所に設置されるようになっている。これまで、AEDは医療の専門家以外の者が取り扱うことができなかったので、教員がこれを使用しないことは過失とはならなかった。しかし現在では、AEDを使用することは教員の救命措置義務の内容の一つとなっていると考えられる。したがって、学校にAEDを設置していなかった場合や、教員がAEDを使用することができなかった場合には、学校側の過失が問われることになる。


(3)救急車の出動要請をためらった事例
○福島県立石川高校事件(福島地裁白川支部2008年3月21日和解)

(本件は高校3年の男子生徒が、水泳授業の潜水テスト中にプールで溺水死亡した事故で、原告側は、学校側が被害生徒の溺水に気づいてから救急車を呼ぶのに手間取り、時間がかかりすぎたことに救護義務違反があると主張した。以下は原告側の主張する事実である。)
@ 保健室から毛布を持ってくるように指示された生徒らは、保健室にかけつけ、養護教諭に救急車を呼んでほしいと頼んだ。しかし、養護教諭は「様子がわからなければむやみに救急車は呼べない」として、救急車を手配する事を躊躇した。
A 養護教諭は、生徒らに案内されてプールサイドまで行き、プールサイドにいた別の教師から、重体である、との説明を受け、ようやく事態の重大性に気づいたが、それでも、自らは救急車の手配をすることなく、救急車の手配を学年主事に求めた。救急車の手配は学年主事の判断で行われた。
B 連絡を受けた救急車が石川高校に到着したのは、午後1時5分であった。生徒らが被害生徒の異常を認め、プールから引き上げてから既に15分が経過し、異変が生じてからは20分近くが経っていた。

  学校側が救急車の出動を要請するのに慎重な姿勢をとる例は、たびたび見られる。先述の福岡県公立小学校水泳クラブ事件においても同様のことが起こっている。すなわち、事故発見後、プールにいた教諭が事故の発生を職員室に知らせに行って、養護教諭らを連れてプールに戻り、再び職員室に行って119番通報を行っているのである。プールと職員室等を行ったり来たりして、教員らが右往左往している姿が想像される。しかしこれは、多くの学校で定める「事故対応のマニュアル」等に沿った行動であるともいえる。つまり、こうしたマニュアルは、事故が発生した場合の学校としての組織的救助体制を定めたものであるが、多くのマニュアルでは、事故が発生すると発見者が養護教諭にその対応について相談し、養護教諭が事故の状況を把握したうえで、採るべき措置を判断するということになっている。しかしこうしたマニュアルは一般的な対応の手順を定めるにすぎないものである。たとえば、打撲や骨折のように、その負傷の程度によって、保健室で手当するか、病院に連れて行くか、あるいは、救急車を呼ぶかといった選択の余地がある場合に妥当するものであるが、水泳における重大事故のように緊急性の高い場合には当てはまらないと考えられる。

  したがって、水泳中の異常を発見した教員は、生徒をプールから引き上げるなどして安全な場所に移動し、意識の確認を行い、意識がない場合には直ちに救命措置に取りかかる一方で、救急車の要請をしなければならない。救急車の要請は、その場にいた教員の判断で直ちに行うべきであり、電話が設置されていないときには携帯電話を使ってでも行うべきである。なぜなら、学校側の行う救命措置は、あくまで救急車が来るまでの応急措置であって、迅速な救急車の手配が何よりも優先されなければならないからである。保護者や担任、管理職などへの連絡は、この後でも十分に間に合う。



4.プールの設置・管理の瑕疵

  国家賠償法第2条第1項は、「公の営造物の設置又は管理に瑕疵があったために他人に損害を生じたときは、国又は公共団体は、これを賠償する責に任ずる」と規定している。したがって、学校のプール等に、設計上、構造上または維持運用上の欠陥があり、それに起因して事故が起こった場合には、学校側は損害賠償責任を負うことになる。設置・管理の瑕疵とは、「その物が通常有すべき安全性を欠いていること」をいい、児童生徒の判断能力や行動能力、設置された場所の環境等を具体的に考慮して、その瑕疵の有無が判断される。


(1)水が混濁し、水深に深浅二つの部分をもつプールでの溺死
○愛媛県丹原町立徳田小学校事件(松山地裁西条支部1965年4月21日判決)

  昭和三五年七月一五日の第二時限目、徳田小学校は正規の体育授業として、六年生六〇余名を対象に水泳練習を本件プールで実施した。ところがその後一五分間の休憩時間を経て第三時限の授業が始まつた際、Wの机が空席で衣類だけが置いてあつたので大騒ぎとなり、直ちに教師児童らがプールに駆けつけ捜索が行われたが、水底が見透せなかつたため、しばらくは果してプールの底に沈んでいるものか否かも分らず、やがて来合わせた教師数人がプールに入り横一列に手をつないで端から足で探つていつた結果、捜索開始から約五分後、境界斜面近くの深部水底に頭を斜面の方向にして仰臥しているWを発見したのであるが、すでに呼吸も脈博も止つており、その後プール脇において約三時間に亘り施された人工呼吸法、カンフル剤注射等の手当も甲斐なく、Wは遂に蘇生しなかつた。
  本件プールを管理するに当つては、彼等に深部と浅部の境界を認識させ、深部は危険であるからこれに近寄らないよう周知徹底させる手段を講ずべきことはいうまでもないところであるが、更に小学生程度ではまだ十分な注意力をこれに期待できないから、常時とは云わないまでも、少くとも浅部を使用すべき小学生を泳がせる際には、遊泳中彼等が誤つて深部に赴くことを防止するに足る方法(例えば境界水面にロープを張り渡すなど)を講じておくべきこともまた当然の要請といわなければならない。
  水泳プールには衛生上はもちろん、危険防止の見地からも少くとも水底を透視できる程度に澄んだ水を使用すべきものであり、且つ一般にそうしているものであることは明らかである。しかるに本件プールの水が混濁していたこと及びその混濁の程度が著るしかつたことは証拠のとおりであり、しかも前日新しく入れ換えたばかりの水にしてすでにそうなのであるから、この点においても本件プールは練習用プールとして通常備うべき安全性を欠いた瑕疵があるといわなければならない。

  本件プールは、被告丹原町が、隣接する同町立の徳田小学校及び徳田中学校の共用施設として設置したものであり、利用対象が小、中学生にわたったため、本件プールは深浅二つの部分に分けられ、主として小学生は浅い部分を、中学生は深い部分を使用することにしていた。また、本件プールは、その近傍に利用できる浄水源が無かったため、設置の当初から最寄りの農業灌漑用溜池から水を引いていたが、その池水そのものが清澄でなかったのである。つまり、本件プールは設置の当初から、町の財政的事情の影響により、安全面での配慮が軽視され、潜在的に事故の危険性を有するものであったのである。

  プールの水の管理には費用や手間がかかる。適切に管理をしないと藻が繁殖して水が混濁してしまう。適切な管理のためには、塩素剤や浄化装置の電気代等の費用が必要で、また、水の白濁や水質悪化等の理由からプールの水を入れ替える必要がある場合もある。このような予算が十分に確保できなければ、適切な管理も困難である。判示のように、危険防止の見地から「水底を透視できる程度に澄んだ水を使用すべき」ことは最低限必要なことであり、そのための費用や手間を惜しむべきではない。


(2)プール取水口に足を吸い込まれ溺死
○大阪市立泉尾工業高校水泳部事件(大阪地裁1981年2月25日判決)

  本件取水口のそばに立つたとしても、足を吸い込まれる事態はおこらない。本件取水口に足を挿入すると、閉塞比が七〇%程度までは足を吸い込まれる事態はないが、七五%をこえると吸引力が急速に高まり、足が吸い込まれて全閉塞状態に至る危険がある。全閉塞状態になれば、自力で足を引抜くことは不可能である。Kは事故当日午後三時五分ころまで本件プールで水泳部の水泳練習をし、それに引続いて同プール内に遊んでいるうちに同日午後三時二〇分ころ本件取水口の深さに興味をもち、左足を太ももまで本件取水口に挿入したところ、吸引力が増したため左足を吸い込まれ右取水口を太ももで全部密閉したため、足を引抜くことができなくなり溺死した。
  本件プールの使用者が高校生であるとしても、本件被害者のように義務教育修了直後で中学生と大差のない者もおり、かつ精神的発達には個人差が大きい点からすると、右の危険のある本件取水口に足が挿入できないように防護柵を設けなかつた点は、本件プールの設置に瑕疵があつたと認められる。さらに、本件取水口の危険について格別警告することなく本件プールを使用させた点に管理の瑕疵があつたと認められる。

  本件は、プールの排水口や循環浄化装置の取水口に、手や足が引き込まれて溺水する事故の一例である。本件は防護柵が設けられていなかったために起こったものであるが、かりに、排水口等に柵や蓋があったとしても、その口径が小さいと、体でその全面を塞いでしまうために、やはり離れなくなる。これは、構造上の瑕疵、あるいは、蓋が外れているのを放置していた等の管理上の瑕疵である。学校以外のレジャープールにおいても同様の事故が起こっており、2006年、埼玉県ふじみ野市の流水プールで起きた事故は記憶に新しい [16]


(3)飛び込み練習中の死亡事故
○大阪府立成城工業高校事件(大阪地裁1995年2月20日判決)

  本件は、原告の長男Nが成城工業の第三学年に在籍し、平成元年九月一三日の五時間目、同校に設置されているプールにおいて、体育担当教諭の指導の下、水泳の授業を受けて飛び込みの練習をしていた際、本件プールの底に頭を打ちつけて死亡したため、Nの母親である原告が、体育教諭の指導上の過失又は本件プールの設置管理上の瑕疵を理由に、損害賠償を求めたものである。
  本件プールは本件事故当時に適用されていた一九八七年改定の水泳連盟の公認規則には適合しているけれども、同規則は一九九二年に改定され、水深一・二〇メートル未満の場合にはスタート台(飛び込み台)の設置が禁止されることになった。一九九二年に改定された公認規則の評価は本件事故当時についてもあてはまるというべきである。本件プールは、満水時においても飛び込み台から前方二メートルの地点で水深が一・一四メートルであるから、一九九二年改定の公認規則に定める基準を充たしていない。
  以上によれば、本件プールは、成城工業の生徒が普通に平泳ぎやクロールなどの泳法の授業を受けている限りにおいては、人身事故が発生するといった危険性は低いといえるけれども、立ち飛び込みで飛び込みをする場合には、人身事故発生の危険が存在するのであるから、本件授業で(授業内容として)立ち飛び込みが行われていたという点において、本件プールは、そのような方法により使用されるプールとして通常有すべき安全性を欠いていたものであり、本件プールには設置管理上の瑕疵があったというべきである。

  本件で裁判所は、水深が1.14m、飛び込み台の高さが水面から0.395mのプールに、身長が180cm、体重が100kgを超える高校生が飛び込みをすれば事故を起こす危険は否定できないと認定した。その根拠の一つに挙げられたのは、日本水泳連盟のプール公認規則であった。それも本件事故後の1992年に改訂された規則をあてはめた。これは1987年の公認規則が、事故当時すでにその安全性に疑問が出され危険性が指摘されていたからであろう。本件のように公認規則その他の公的な基準を満たしていないことを理由にプールの瑕疵を認めた判例には、前出の明石市立大蔵中学校水泳部事件、埼玉県立熊谷高校水泳部事件がある。反対に、こうした基準に適合していることを理由に、プールの瑕疵を否定したものとしては、福岡県立稲築高校事件(福岡地裁1988年12月27日判決)、東京都立高校水泳授業事件(東京地裁八王子支部2003年7月30日判決)がある。

  これらのうち、後者の2つの事例では、プールの設置・管理の瑕疵は認められなかったものの、指導に当たった教員の安全注意義務違反の過失が問われ、結局、学校側の損害賠償責任が認定された。プールの瑕疵が認定されなかったのは、学校のプールの安全性については、飛び込み事故防止の観点だけでなく、溺水防止の観点をも考慮しなければならず、「水深が深ければよい」というものではないからである。そして、都立高校水泳授業事件において裁判所は、プールの瑕疵の有無の判断にあたって、飛び込みについての「適切な指導が行われていたとしても、事故が発生する危険性があった」ことが認められる場合にプールの瑕疵があったと判断するのが相当であるとした。したがって、教員は、プールが公認規則等の基準に適合しているから、飛び込み事故の危険性は低いと判断してはならないのであって、飛び込み事故防止のための適切な指導を怠ってはならない。

  日本水泳連盟の公認規則の最新のものは2005年4月に施行されたものであり、そこには、25m一般プールと標準プールのスタート台と水深との関係について、「端壁前方6.0mまでの水深が1.35m未満であるときはスタート台を設置してはならない」と規定されている。また、日本水泳連盟は、飛び込み事故の重大性にかんがみ、「プール水深とスタート台の高さに関するガイドライン」(2005年7月)を発表した [17] 。そこには、重篤な飛び込み事故の防止を図り、それによって安全な水泳の振興を図るための指標として、次のような基準が定められている。

水 深 スタート台の高さ(水面上) 
 1.00〜1.10m未満  0.25m±0.05m
 1.10〜1.20m未満  0.30m±0.05m
 1.20〜1.35m未満  0.35m±0.05m

  策定者による説明では、このガイドラインは、「必ずしも十分な水深がないプール施設での事故発生の危険性を、適切・合理的な飛び込みスタート方法によって回避できることを前提として」定められたものであり、したがって、これは「如何なる飛び込み状況の中でも安全を確保」できる「絶対的な安全基準」という性格のものではない、としている。つまるところ、このガイドラインは、適切な飛び込みをした場合に事故の危険を回避できるプールの最低条件を表す基準、と理解することができる。したがって、この最低基準に適合していないプールで飛び込み事故が発生した場合には、訴訟において、プールの設置管理の瑕疵が問われる可能性が高い。



5.その他の法律問題

(1)プールの清掃作業中の児童が皮膚炎に罹患した事例
○明石市立小学校事件(神戸地裁明石支部2003年3月26日判決)

  本件は、原告が被告明石市が設置管理する小学校在学中にプールの清掃作業を行った際に、被告日本曹達が製造販売するハイクロンの水溶液で右手首から肘にかけてやけど様の傷害を負ったとして、その損害賠償を請求した事件である。
  原告の症状は基本的にはハイクロンによる接触性皮膚炎であるが、原告の体質及び原告が金たわしで患部付近を擦ったことが影響している可能性が大きい。
  被告明石市は、ハイクロンが本件事故のように化学熱傷を起こすことの予見可能性がなかった旨主張するが、化学熱傷についての予見可能性はないとしても、ハイクロンの比較的高濃度(プール水の消毒に使用する場合の濃度との比較)の水溶液に直接素手で触ることが皮膚に影響を与えることは、予見可能性があるというべきである。
  被告日本曹達作成のリーフレットには、「プールの清掃」との表題のもと、同溶液は強い酸化漂白作用があるので、目や身体、衣服にかからないように注意し、かかれば速やかに水洗いすること、清掃中は長靴、ゴム手袋を着用することが明記されているのであるから、これにしたがっていれば、本件事故の際のように、水着でビーチサンダル、素手でたわし等で作業を行うといったことはなかったのであって、更に身体にかからないように作業するように児童に事前に注意してさえいれば、腕や足にかかることも殆どなかったと考えられ、本件事故は発生していないものと考えられる。

  学校におけるプール掃除は、保健体育科教員や水泳部顧問が生徒に作業をさせて実施することが多い。本件事例は、そこでの塩素剤の使用が、皮膚が敏感な生徒にとっては重大な影響を及ぼす可能性があることを警告するものである。
  事故後、製造者が作成するリーフレットは、従前の注意事項に加えて、「保護具として長靴・ゴム手袋に加えて、眼鏡をかけていない人について保護メガネ及び作業用長袖シャツ、ズボンなどを必ず着用するように」と改訂され、また、製品自体にも警告表示が付けたれた。しかし、こうした注意書きを忠実に守って、プール掃除を行うことは現実的には困難である。そこで、被害を防止する対策としては、生徒に注意を徹底し、特に皮膚の敏感な生徒に厳重な防備をさせること、あるいは、より刺激の少ないプール掃除専用の洗剤を利用すること等が考えられる。しかし、もともと、学校のプール掃除は教育的意義のある活動であるのかどうか、また、生徒に行わせることが適切であるかどうか、についても検討する時期にきているのではないだろうか。


(2)水泳授業中に生徒を全裸で泳がせた事例
○大商学園高校事件(大阪地裁1996年12月25日判決)

  原告は、本件学園で保健体育科の教諭として勤務する一方、本件学園の水泳部の顧問として同部に対する水球指導に当たっていた。原告の実施する水泳の授業で、リレー競争で負けたグループに対する罰ゲームとして潜水を課すこととし、同学級の水泳部員に模範を示してもらうことを考えて水泳部員を捜したところ、同学級中唯一の水泳部員である生徒Eが授業を見学していることに気が付いた。生徒Eが水着を所持していない旨申し述べたところ、原告は、これに立腹して同人を叱りつけると共に、所持していたスタート用ピストルで同人の前額部を二、三回叩き、水着なしで泳ぐように強く指示した。このため、生徒Eは、級友の注視する中、全裸の状態で、プールの横幅を潜水泳法のままで往復した。
  本件事件に関して生徒Eには特段責められるべき事情が見当たらない以上、本件事件は、そもそも、生徒Eの非違行為に対する制裁というべき性質を有するものですらなく、またその動機、手段、態様及び結果のいずれに徴しても許容の余地はない。ゆえに、被告が、本件事件をもって原告に対する何らかの懲戒を発動する理由となし得ることは明らかである。
  原告は、自己の感情ないし立腹に任せて、ほしいままに、従属的な立場にある無抵抗の生徒Eに義務なきことを不当にも強制したとみるのが自然であり、・・・本件事件について教育的意図ないし配慮を云為する余地は全くなく、また、本件事件の態様、ことにそれが思春期の少年にとり、はなはだ屈辱的なものであったことに徴すると、生徒Eの被った精神的損害は極めて重大であって、それが軽微であったというべき余地はない。

  本件は、私立男子高校の教員である原告が、自らに対してなされた懲戒解雇及び通常解雇の無効を訴えた事例である。裁判所は、本件懲戒解雇は懲戒手段としては重きに失し無効であるとしたが、原告が本件懲戒解雇以後も学園に登校を続け、水泳部の指導を継続していること等を勘案すると、原告は、教職員としてその職に必要な適格性を欠くものというべきであり、本件通常解雇は有効であるとした。

  事件の背景には、本件学園において、運動部の顧問が部員及びその保護者に対して絶対的な発言力を持っていたことがあった。判決文の中では、その理由が次のように述べられている。
 「本件学園の運動部強化の方針から運動能力に秀でた中学生について、入学後に本件学園の運動部に所属して活動を行うことを前提として筆記試験の成績が一定以上あれば若干名を優先的に入学させる、いわゆる『クラブ推薦入学』の制度を実施していた。そして、クラブ推薦で入学した生徒及びその保護者には、運動部を辞める場合には本件学園も退学しなければならないとする意識が少なからずあった。しかも、本件学園の運動部で活躍した生徒にはその運動能力を生かした大学への推薦入学の道が開かれていたものの、その際、大学進学の成否は実際に同生徒の指導に当たった運動部の顧問教諭による推薦の有無に大きく依存していた。」

  部活動においては、スポーツにおける指導する者と指導を受ける者という関係を越えて、事例のような絶対的な支配服従の関係が成立することも稀ではない。しかし、こうした関係は、学校教育の一環として行われる活動としては、決して望ましいものではない。部活動顧問はこうした支配力を持ってしまいがちであることを自覚し、その優位な立場を乱用して生徒の人間としての尊厳や人権を侵すことのないよう自戒すべきであろう [18]


(3)セクハラによる厳重注意処分
○米子高専事件(鳥取地裁2004年4月20日判決)

  本件は、米子高専において、セクハラ被害を受けたとの投書をきっかけに厳重注意処分を受けた原告体育教官が、同処分や教官会議、新聞取材及び全校集会における校長発言は名誉棄損の不法行為であるとして慰謝料等を請求した事案である。
  校長は厳重注意の理由について、要旨、次のとおり説明した。
(ア) 柔軟体操の補助の指導の際、男女同等に指導したという口実で、女子学生に上半身を密着させて補助を行ったのは、いささか配慮に欠ける。
(イ) 水泳の授業で出席を取っている時、見学の申し出に生理の詳細を聞くことは、現在ならセクハラ行為であるとされる。
(ウ) 廊下で抱きついた件については、目撃証言もあり、なんらかのセクハラを思わせるような行為があったと認めざるをえない。
  校長は、セクハラ委員会での検討の結果、女子学生の投書内容のうち、その一部を認定し、セクハラと疑われる事実と判断し、本件厳重注意処分を行うことが相当であると判断し、これを言い渡したものであるが、同処分は適法、相当であったということができる。

  「男女雇用機会均等法」改正(1999年4月施行)以降、学校におけるセクシュアル・ハラスメント(セクハラ)について、教職員に対する注意喚起や啓発などが進められている [19] 。大阪府においても、全教職員に指導のための資料を配布し、各学校における防止の取組みを一層推進するように指示している [20]
  そうした資料には、「教職員が、自らの行為がセクシュアル・ハラスメントであることにさえ気づいていない事例も見受けられる」として、その具体的事例が示されているが、水泳部の指導に関するものとして次のようなものがある。@「生理」を理由に授業等を休む児童・生徒に対し、月経周期等を必要以上に質問する。 A水泳等の指導で、必要以上にじろじろと見つめ、児童・生徒に不快感を与える。B指導の際(スキンシップやマッサージと称して)、必要がないのに肩や背中に触れ、児童・生徒に不快感を与える。

  これら記述は、その言動を無条件に禁止するという趣旨で書かれているものではないが、相手が不快を感じた場合には、セクハラになる可能性があるということには十分に留意するべきである。部活動におけるセクハラによる被害を防止するためには、日頃から児童・生徒との信頼関係の醸成に努め、相手に不快感を与えるような言動について、互いに指摘し合えるような環境を作ることが必要であろう。


(4)公式戦出場の辞退
○保善高校事件(東京地裁2002年1月28日判決)

  本件は、平成11年当時、高等学校のラグビー部に所属していた原告らが、同校を設置する学校法人N及び当時の教頭兼ラグビー部部長であったPを被告として、被告らが、平成8年に発生した同校ラグビー部員間の暴行事件に関して、同11年9月29日に、東京都高等学校体育連盟に対し同校ラグビー部の公式戦の出場を1年間辞退するとの届出をしたことは、学校長及びラグビー部部長の裁量権を逸脱した不合理、不当な行為であり、これによりラグビー公式戦に出場するという法的利益を侵害されたなどとして、不法行為に基づき、損害賠償を求めている事案である。
  学校長は、学校教育法に基づき教育課程を編成し執行する権限ないしクラブ活動における具体的活動に対して権限を有するのであって、これらは、教育的見地からの学校長の裁量事項ということができる。そうだとすると、クラブ活動の一つである本件ラグビー部の具体的活動に対し、S校長は権限を行使することができ、本件決定等は、まさにS校長の権限行使に当たる。
  本件決定等は本件ラグビー部の暴力的体質を改善する目的でなされたものである。本件決定等は、平成8年の本件暴行等事件後の調査により発覚した本件ラグビー部員間による継続的な暴力行為の存在と、平成11年1月に発生した本件ラグビー部員間の暴力行為といった経緯を踏まえて、検討され、決定されたものであって、合理性のあるものと解するのが相当である。

  本件の、学校長が部活動についての権限を有するという結論は妥当なものであると考えられるが、その根拠法令については疑問が残る [21]
  いずれにしても、校長は部活動の具体的運営について、教育的見地から幅広い裁量権限(判断権限)を有すると考えられる。判示によれば、校長は東京都高体連の要請がなくても公式戦出場辞退を決定でき、また、部員及び保護者等に対する事前説明を行うことなく、これを決定できるとして、校長に自由な裁量権限を認めている。しかし、この校長の裁量権限は、教育的見地から行使されるべきであり、たとえば、経営的観点から学校の知名度をあげることに専念したり、あるいは、エリート養成の観点を優先するあまり故障した生徒を切り捨てるなど、学校教育の一環としての趣旨に反するような権限行使には、制限が加えられなければならない。



< 注 >

[1]河北新報社2008年7月22日、読売新聞2008年7月29日
[2]山形新聞2008年7月25日
[3]スポーツ事故をめぐる訴訟事件を種目別にみると、水泳関係の事件が全体の2割を占める。日本水泳連盟編『水泳プールでの重大事故を防ぐ』78頁、ブックハウス・エイチディ(2007年)
[4]たとえば、福岡地裁小倉支部1984年1月17日判決、熊本地裁1970年7月29日判決など
[5]「水泳等の事故防止について」2003年6月2日 15文科ス109 文部科学省スポーツ・青少年局長通知
[6]沖縄県金武町立中学校事件 最高裁第二小法廷1983年2月18日判決
[7]横浜市立中山中学校事件 横浜地裁1982年7月16日判決
[8]授業中に教員が禁止していた飛び込み方法(パイクスタート)を行ったことによる事故につき、指導教員の過失を否定した事例として大東市立四条北小学校事件(大阪地裁1986年6月20日)がある。
[9]「中国・昆明の高地トレで死亡 両親が日体大を提訴へ」朝日新聞2008年2月3日
[10]日本水泳連盟編「水泳コーチ教本(第2版)」98頁、117頁、大修館書店(2005年)
[11]武藤芳照「水泳の医学」159頁、ブックハウス・エイチディ(1982年)
[12]森浩寿「溺水事故防止策の検討」季刊教育法139号61頁、注(3)
[13]独立行政法人日本スポーツ振興センター「学校における水泳事故防止必携(新訂二版)」121頁(2006年)
[14]日本水泳連盟編「水泳コーチ教本(第2版)」475頁、大修館書店(2005年)
[15]独立行政法人日本スポーツ振興センター「学校における水泳事故防止必携(新訂二版)」103頁(2006年)
[16]業務上過失致死被告事件について、さいたま地裁2008年5月27日
[17]http://www.swim.or.jp/11_committee/13_tools/pdf/guideline050706.pdf
[18]部員を全裸にさせる例は時折散見される。私立高校野球部監督が全裸によるランニングを強要し強要罪に問われたものとして、岡山地裁倉敷支部2007年3月23日判決、市立中学校サッカー部の事例として、「顧問教諭は停職に PK外して全裸ランニング」朝日新聞2007年9月14日
[19]「公立学校等における性的な言動に起因する問題の防止について」1999年4月12日 文教地129
[20]大阪府教育委員会「教職員による児童・生徒に対するセクシュアル・ハラスメント防止のために」1999年3月26日
[21]判決は「学校教育法43条、51条、28条3項、同法施行規則57条、57条の2等」に照らして、「学校長は、学校教育法に基づき教育課程を編成し執行する権限ないしクラブ活動における具体的活動に対して権限を有する」としている(条文は事件当時のもの)。まず、本件のラグビー部は学習指導要領に定める「クラブ活動」ではなく、いわゆる「部活動」であるので、判決文中に本件ラグビー部が「クラブ活動の一つである」として、「クラブ活動」という文言を用いているのは正確ではない。次に、根拠法令としてあげられている法条のうち、学校教育法28条3項以外は部活動とは関係がないものである。すなわち、学校教育法43条は学科教科に関する事項、51条は準用規定、同法規則57条ないし57条の2は教育課程に関する規定である。一般的に部活動は正規の教育課程に位置づけられていない。したがって、これらの法条から、「学校長は、学校教育法に基づき教育課程を編成し執行する権限」を有するということはできるが、学校長が部活動に関する権限を有するという結論を導き出すことはできない。だた一つ、学校教育法28条3項には、「校長は、校務をつかさどり、所属職員を監督する。」とあるので、校務に部活動が含まれるとすれば、同条から、校長が部活動に関する権限を有するという解釈は可能である。



判例の出典

(溺水事故)

(飛び込み事故)

(その他の事故)



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