◆198905KHK084A2L0353NM
TITLE:  ティンカー事件アメリカ合衆国連邦最高裁判決
AUTHOR: 羽山 健一(訳)
SOURCE: 大阪高法研ニュース 第84〜90号(1989年05〜11月)
WORDS:  全40字 × 353行

 

ティンカー事件アメリカ合衆国連邦最高裁判決

Tinker v. Des Moines Independent
Community School District, 393 U.S. 503 (1969)

 

 

  フォータス判事が法廷意見を述べた。

  上告人ジョンFティンカー15歳と,上告人クリストファー・エクハート16歳は,デモインズ市の高校に通学していた。上告人メリー・ベス・ティンカーはジョンの妹で,13歳の中学生であった。

  1965年12月に,アイオワ州デモインズ市の大人と子どもからなるグループが,エクハート家で会合を開いた。そのグループは,ベトナム戦争反対と停戦支持の意思表示として,クリスマス・シーズン中に黒の腕章をつけること,および12月16日と大晦日の両日に断食することを決議した。上告人とその親はあらかじめ同様の行動をとることを誓い,その運動に参加することを決めていた。

  デモインズ市の学校の校長たちは,生徒の間に腕章をつけて登校する計画があることに気づいた。校長たちは1965年12月14日に会合し,腕章をつけて登校する生徒があったら,腕章をはずすように要求し,それを拒んだ場合には,腕章なしで登校するまで停学にすることを申し合わせた。上告人らは,学校当局の申し合わせた規制に気がついていた。

  12月16日に,メリー・ベスとクリストファーは黒の腕章をつけて登校した。ジョン・ティンカーはその次の日に腕章をつけた。彼等は全員とも家に帰され,腕章なしで登校するまで停学に処せられた。彼等は,腕章着用期間として自分達が定めた期間が終わる1月1日まで学校に戻らなかった。

 この請求は,上告人(原告)らによって合衆国法典第42編第1983条をもとに,彼等の父親を通して,連邦地方裁判所に提起された。それは被上告人学校職員(school officials)および学校区の校長会のメンバーに対して,上告人らに対する以後の懲戒の差止命令を請求し,さらに名目的損害賠償(nominal damages)を求めるものであった。審理の結果,連邦地裁は,学校当局の措置は,学校の規律の混乱を防止するために合理性があるという理由で,憲法に違反しないと判断し,上告人の請求を棄却した。258 F.Supp.971(1966).連邦地裁は,類似の事件についての第5区連邦控訴裁判所の判決に言及したが,それに従うことを明確に拒絶した。その控訴裁判決は,腕章のようなシンボルの着用が,「学校の教育活動における適正な規律保持の要請を,具体的,実質的に妨害(materially and substantiallyinterfere)」しない限り,その禁止を支持することはできない,というものであった。 Burnside v. Byars,363 F.2d 744,749(1966). 1

 控訴審では,第8区連邦控訴裁判所が,全裁判官列席で,この事件を審理した。この裁判所では意見が同数に分かれ,したがって,判決理由なしで地裁の判決が維持された。383 F.2d 988(1967). 最高裁は裁量的上訴(certiorari) を認めた。

 

 

 

 連邦地裁は,ある見解を表明する目的のために腕章を着用することは,修正第1条の言論の自由(free speech)の条項に含まれる象徴的行為(symbolic act)の典型であることを認めた。See West Virginia v. Barnette,319 U.S.624(1943);Stromberg v. California,283 U.S.359(1931). Cf.Thornhill v. Alabama,310 U.S.88(1940); Edwards v. South Carolina,372U.S.229(1963); Brown v. Louisiana,383 U.S.131(1966). われわれが以下で論議するように,本件における腕章の着用は,それに関係する者による,現実のあるいは潜在的な混乱行為とは全く別個の行為である。それは,われわれが繰り返し述べてきたように,修正第1条の包括的な保護を受ける「純然たる言論 (pure speech)」にきわめて近いものである。 Compare Cox v. Louisiana, 379 U.S.536,555 (1965); Adderley v. Florida,385 U.S.39(1966).

 修正第1条の諸権利は,学校という環境の特質に照らして適用されるにしても,教師および生徒に対して認められている。生徒あるいは教師が,言論ないし表現の自由に対する各自の憲法上の諸権利を校門の所で捨て去るのだとは,とうてい主張できない。これは約50年間,当裁判所の疑う余地のない判断となっている。当裁判所は,Mayer v. Nebraska,262 U.S.390(1923) と,Bartels v. Iowa,262 U.S.404(1923) のマックレイノルズ判事の法廷意見において,州が年少の生徒に対して外国語教育を禁止することは,修正第14条のデュープロセス条項によって許されないと判示した。裁判所は,こういう趣旨をもつ同州法が,憲法に違反して,教師や生徒や親の自由を侵害していると結論づけた。 2 See also Pierce v. Society of Sisters,268 U.S.510(1925); West Virginia v. Barnette,319 U.S.624(1943); McCollum v. Board of Education,333 U.S.203(1948); Wieman v. Updegraff,344 U.S.183,195(1952)(同意意見); Sweezy v. New Hampshire,354 U.S.234(1957); Shelton v. Tucker,364 U.S.479,487 (1960); Engel v. Vitale,370 U.S.421(1962); Keyishian v. Board of Regents,385 U.S.589,603(1967); Epperson v. Arkansas,393 U.S.97(1968).

 前掲 West Virginia v. Barnette において,当裁判所は,修正第1条によって,公立学校の生徒は国旗礼拝を強制されないことを判示した。裁判所は,ジャクソン判事の言葉の中で次のように述べた。

  修正第14条は,現在各州にも適用されるので,州自体や,州が設けたすべての機関から市民を保護する。・・教育委員会も例外ではない。これらの機関が重要で微妙な,また広範な裁量的権限を有することは当然であるが,しかし,それれらは権利章典の範囲を超えて行使できるような権限ではない。われわれが,自由な精神をその源で窒息させ,また子どもにわが国の重要な原則を単なる決まり文句として,価値を低めて教えるべきでないのなら,教育の場においても,子どもが市民となるのに必要な教育を受けられるよう,憲法上の個人的自由を慎重に保護しなければならない。 319 U.S., at 637.

 他方,当裁判所は,州と学校当局が学校内での行為を規制し統制する包括的な権限を,基本的人権の保障と両立させて確認する必要を,繰り返し強調してきた。See Epperson v.Arkansas,supra,at194; Meyer v. Nebraska,supra,at402. われわれの審理は,修正第1条の権利を行使する生徒が,学校当局の規制と衝突する領域にある。

 

II

 

 本件で争われている問題は,スカートの長さや服装の型や髪型や態度の規制に関わるものではない。Compare Ferrell v. Dallas Independent School District,392 F.2d 697(1968); Pugsley v. Sellmeyer,158 Ark.247,250 S.W.538(1923). また本件は,攻撃的,混乱的行動,あるいは集団示威行動の規制に関わるものではない。われわれの問題は,「純然たる言論」に酷似する,修正第1条の直接の,主たる権利に関わるものである。

 学校職員が,無秩序あるいは混乱を招かない,無言で無抵抗の意思表明を上告人に対し禁止し,それを処罰しようとしたのである。上告人らが学校の教育活動を現実に妨害し,あるいは妨害する恐れがあったという証拠,あるいは他の生徒の安全および静穏の権利(right to be let alone)に対する侵害が存在したという証拠はまったくない。したがっ て,本件は学校の教育活動を妨害し,あるいは他の生徒の権利を侵害するような言論や行動に関わるものではない。

  学校組織の18,000名の生徒のうち,若干名が黒の腕章を着用したにすぎない。わずか5名の生徒が,腕章着用を理由に停学処分を受けたのである。学校の教育活動あるいは,授業を混乱させたという証拠はない。教室の外で数名の生徒が,腕章を着用している生徒を敵意をもって注目していたが,学校施設に対する破壊行動やその恐れは存在しなかった。

 連邦地裁は,学校当局の行為が腕章着用によって生じる混乱の恐れに基づくものであるから,合理的であると結論づけた。しかし,われわれの制度においては,特定されない混乱の心配や危惧は,表現の自由(freedom of expression) の権利を圧倒するのに十分なものではない。絶対的な統制からのいかなる逸脱も,混乱を引き起こすかもしれない。多数派の意見からの逸脱はどんなものでも心配を起こさせるかもしれない。教室,食堂,その他の学校内で話される,他人の見解と異なるあらゆる発言は,論争の原因となり,あるいは混乱を引き起こすかもしれない。しかし,われわれの憲法は,われわれがこの危険を冒す必要があるといっている。Terminiello v. Chicago 337 U.S.1(1959)や,われわれの歴史は,まさにこの種の危険の多い自由−こういった寛大さ−こそが,わが国の活力の源であり,またこの比較的許容的な,しばしば議論好きな社会で成長し,生活するアメリカ国民の活気の源であり,独立の基礎であることを示している。

 学校職員という州政府機関が,特定の意見表明の禁止を正当化しようとするためには,不評判な見解に常にともなう苦痛や不愉快さを避けたいとする単なる欲求以上のものが禁止の理由であることを,示すことができなければならない。当然のこととして 禁止された権利の行使が,「学校の教育活動における適正な規律保持の要請を,具体的,実質的に妨害する」という調査結果や証拠がなければ,その禁止は支持されえない。Burnside v. Byars,supra,at749.

 本件において連邦地裁は,そのような証拠を見い出さなかったし,われわれが独自に記録を審理しても,腕章の着用が学校の教育活動を実質的に妨害し,あるいは,他の生徒の権利を侵害するということを予見する根拠を,学校当局が有していたという証拠は見い出されなかった。停学後に作成され,腕章の着用を禁止する理由を載せた公式記録でさえ,そのような混乱の予見性について言及していなかった。 3

 反対に,学校当局の行為は,ベトナム戦争について,国家の一部局に抗議する表現,(たとえそれが腕章という無言のシンボルによるものであっても),その結果として生じるかもしれない論争を避けたいという,緊急の願望に基づいていたように思われる。 4 この点に関しては,当該規制を決定した学校長らの会合が,当該学区内のある学校のジャーナリズム担当の教師に提出された,ある生徒の手紙に呼応して招集されたことは,それを暴露するものである。この手紙の内容は,その生徒がベトナムについての記事を書き,それを学校新聞に公表することを希望するというものであった。(その生徒はそうすることを諦めさせられた。) 5

  また,学校当局が,党派的あるいは論争の余地のある見解を表現する,すべてのシンボルの着用の禁止を主張しなかったことも当面の問題に関係している。記録によれば,いくつかの学校の生徒が,国民的な政治運動に関係するバッチを着用し,数名の生徒が伝統的にナチズムのシンボルとされている鉄十字さえも着用していた。腕章着用の禁止命令は,これらには及ばなかった。そのかわり,特定のシンボル−ベトナム戦争へのわが国の関与に抗議することを示す黒い腕章の着用−が,禁止対象として選び出された。明らかに,ある特定の意見の表明を禁止することは,少なくとも学校の教育活動や規律に対する,具体的,実質的な妨害を回避するために必要であるとの証拠がないかぎり,憲法上は許されない。

 われわれの制度では,州の管理する学校は全体主義の飛び地であってはならない。学校職員は生徒に対して絶対的な権限を有するものではない。生徒は学校内においても,学校外におけると同様に,わが連邦憲法の下での「人(persons) 」である。生徒が国家に対する義務を守らなければならないのと全く同様に,国家も生徒の持つ基本的権利を尊重しなければならない。われわれの制度では,生徒は,国家が伝えると決めたものだけを受け取る,閉回路の受領者とみなされてはならない。生徒は,公的に承認された意見を表明することのみに制限されてはならない。生徒の言論を規制する正当な憲法上の理由が,明確に示されない限り,生徒は自分の意見を自由に表明する権利を有している。ゲーウィン判事が第5区連邦控訴裁判所で述べているように,学校職員は,「自らが論争することを望まない意見の表明」を抑圧することはできない。Burnside v. Byars,supra,at 749.

  前掲Meyer v. Nebraska,at 402において,マックレイノルズ判事は,州が「同質の人々を育成する」ために,学校を管理することができるという原則を,わが国が拒否していることを表明した。彼は次のように述べた。

  個性を押しころし,理想的な市民を育成するために,スパルタは7歳の男子を兵舎に集めて,彼らのその後の教育と訓練を公的な後見人に委任した。こういった手段は,偉大な天才たちによって思慮深く承認されていたものであるが,個人と国家の関係についての彼らの思想は,われわれの制度の基になっている思想とは完全に異なっている。そして,立法府が憲法の文言と精神の両方を破壊することなく,国民に対しそのような制限を強制することができるなどということは,決して支持されない。

 この原則は,これまで極めて多くの機会に当裁判所によってくり返し述べられてきた。Keyishian v. Board of Regents,385 U.S.589,603,において,ブレナン判事は次のように述べた。

  憲法上の自由を注意深く守るには,学校がもっとも重要な場所である。Shelton v.Tucker,234 U.S.479,487. 教室はとくに,「思想の交換市場(market-place of ideas)」である。国家の将来は,活発な思想の交換に広くさらすことを通じて鍛えられ,教育されてゆく指導者に委ねられている。真理は,いかなるものであれ権力的な選別によって見出されるのでなく,さまざまな言論による思想の交換によって発見される。

 これらの事例における原則は,教室で指導され,命令されて行なわれる議論に限定されるものではない。学校に与えられた主たる使用目的は,一定時間,一定の型の活動場所を生徒に提供することである。その活動には,生徒間の私的な交際も含まれている。 6 これは学校に通うことの不可欠の部分であるにとどまらず,教育の過程の重要な部分でもある。したがって生徒の権利は教室にいる間だけのものではない。生徒は,カフェテリア,運動場,その他学校内のどこにおいても,学校管理下の時間中に,「学校の教育活動における適正な規律を,具体的,実質的に妨害せずに」,また他の生徒の権利を侵害しないかぎり,ベトナム戦争のような議論のある問題に関しても,自分の意見を表明できる。Burnside v. Byars,supra,at749. しかし,授業を具体的に混乱させたり,あるいは,実質的な無秩序や他の生徒の権利の侵害をもたらすような生徒の表現行為は,教室の内外を問わず,いかなる理由によるものであっても,−それがいかなる時,場所,行動の型に由来するものであろうと−当然のこととして,言論の自由についての憲法上の保障によっても免責の特権を与えられない(not immunized)。 Cf. Blackwell v.Issaquena City Bd. of Educ.,303 F.2d 749 (C.A.5th Cir. 1966).

  われわれの憲法の下では,言論の自由はただ枠にはめられてのみ与えられる権利ではないので,原則上は存在するが事実上は存在しない権利である,などということはできない。表現の自由の権利が,情け深い政府によって風変わりな人のために安全な避難場所として提供された場所においてだけ,行使されることができるのであれば,この権利は真に存在していることにはならない。憲法は,連邦議会(および州)が言論の自由の権利を制限してはならないと定めている。この条項はそれが定める通りのものを意味している。われわれは注意深く限定された状況においてのみ,言論に関する活動の合理的な規制を認めるものと,この条項を厳格に解釈する。しかし,われわれは修正第1条の行使が許される範囲を,電話ボックス,小冊子の四すみ,あるいは学校の教室での指導され,命じられる議論に制限することはしない。

 学校職員が,ベトナム戦争の議論を禁止し,あるいは教室での定められた授業を除く,学校内で,生徒にベトナム戦争に反対する表現を禁止する,というような規制を採用する場合には,少なくとも,生徒の活動が学校の教育活動や規律を具体的,実質的に妨害することを示すことによって,その規制が正当化され得ない限り,その規制が生徒の憲法上の権利を侵害することは明白である。 Cf.Hammond v. South Carolina State College,272 F.Supp.947(D.C.D.S.C.1967)(州立大学の構内での整然とした抗議集会); Dickey v.Alabama State Board,273 F.Supp.613(D.C.M.D.Ala.1967)(大学新聞の学生編集者の退学). 本件の状況下では,無言で無抵抗の「腕章の証人」(子どもの一人がこのように呼んだのであるが)を禁止することは,これら同様に憲法の保障に対する攻撃に他ならない。

  われわれが議論してきたように,学校の教育活動の実質的な混乱,あるいはその具体的妨害を学校当局に合理的に予想させるような事実は記録によって示されておらず,また実際にも,学校内において混乱や無秩序は起こらなかった。上告人は学校中を歩きまわったにすぎない。彼らの唯一の逸脱は,袖に2インチを超えない幅の黒い布の帯をつけたことにある。彼らはベトナム戦争への非難と,停戦の支持を表わし,彼らの見解を知らせるために,また彼らの言によると,他の者が同じ行動をとるように影響を与えるために腕章を着用した。彼らは,学校の教育活動を妨害したこともなく,校務や他の生徒の生活に割りこもうとしたわけでもなかった。彼らは,教室外に議論を引き起こしたが,学校活動の妨害や無秩序は引き起こさなかった。これら状況下では,われわれの憲法は州の職員が彼らの表現形態を否定することを許さない。

  われわれは,与えられるべき救済の方法についての意見を述べない。これは,下級審が決定すべき事柄である。われわれは,この意見に一致して,以後の手続きを求めて原審を破棄し差し戻す。

 

 破棄差戻

 

 

 

 

  < 注 >

. Burnside事件において,第5控訴裁判所は,生徒に「自由のバッチ」(freedom buttons) を着けることを禁止する規制の実施を,学校当局に差し止めるよう命じた。Blackwell v. Issaouena County Board of Education,363 F.2d.749(1966) の判決において,同じ陪席裁判官(panel) が,同じ日に,違った事実にもとづいて,正反対の結論に達したことは教訓的である。その判決は,別の高校における同様の規制の実施の差し止めを認めなかった。そこでは,自由のバッチを着けている生徒が,それを着けていない他の生徒を責め,多分に混乱を生みだしたのである。

. Hamilton v. Regents of Univ. of Cal.,293 U.S.245(1934)の判決は,時々,教育委員会の主張のために引用される。それは,州が,州立大学への出席に,個々人の宗教的信念に反することを要求するような条件を設けてもよい,というものである。その事例は,軍事訓練への参加拒否を理由に,ある宗教の宗派の信徒を,国の認めた大学(a land grant college)から放校するという内容を含むものであった。この判決は,厳密に考慮すれば,学生に学校での軍事「科学」教育への参加を,単に要求することが,憲法で保護された良心の自由と矛盾しない,という(これまでの)連邦最高裁の結論に反するものである。この判決における条件(they) が,いかに基本的な憲法上の保証に反しているかもしれないとしても,この判決は,公共学習機関への出席に対して,州が望むようなどのような条件をも強制及び実施してよいと是認したものとして,理解されてはならない。 See, e.g.,West Virginia v. barnette,319 U.S.624(1943); Dixon v. Alabama State Bd. of Educ.,294 F.2d 150(C.A. 5th Cir. 1961);Knight v. State Bd. of Educ.,200 F.Supp.174(D.C.M.D.Tenn. 1961); Dickey v. Alabama St. Bd. of Educ.,273 F.Supp.613(C.A.M.D. Ala. 1967). See also Note,73 Harv. L. Rev. 1595(1960); Note,81 Harv. L. Rev. 1045(1968).

. 記録の中に述べられた,混乱が起こる心配についての唯一の示唆は,次のようなものである。「本高校の過去の生徒の一人がベトナムで死んだ。彼の友人の何人かが,まだ在学しており,もし,ある種の示威行動が起これば,それは統制しがたいものに進展するであろう,と思われた。」

「問題となった学校の一つで,生徒達が,もし黒い腕章が首尾よくいけば,他の色の腕章をつけるぞ,と言っているのが聞かれた。」

    さらに,公判での学校当局の証言によれば,腕章を禁止する規制の動機となったのは,混乱の心配ではなかった,ということが示されている。その規制は「示威行動の本体」そのものの禁止に向けられたものであった。学校当局は,「学校が示威行動をするための場所ではなく」,そして,もし生徒が「選挙されたわが職員のやり方を好まないのなら,それは,公立学校のホールにおいてではなく,投票箱によって処理されるべきである。」,と単純に考えている。

. 連邦地裁は黒い腕章を禁止した学校当局が,次のような当時の実態の影響を受けていたと認めた。「ベトナム戦争や,それへの国家の関与が,一時期,重大な議論の題目となっていた。ここで問題となっている腕章の規制が実施された時には,多くの地域で,ベトナム戦争についての議論が熱狂的になっていた。最近,首都(Washington, D.C.)では,戦争に抗議する行進が行われていた。戦争に抗議するための,徴兵カード焼却(draft-card-burning)闘争の波が高まり,国内に吹きまくっていた。その時期に,大きく報道された二つの徴兵カード焼却事件が当裁判所に係争中であった。戦争を支持する側,及びそれに反対する側の両者は,自らの見解をきわめて自由に表現した。」 258 F.Supp. at972-973.

. 学校長たちの会合の後で,中等教育局長(director of secondary education) と,その高校の校長は,その生徒に,校長たちがその記事の公表に反対であることを知らせた。彼らは「われわれは,その生徒に,自分たちの決定が正しいものであると納得させたとは思わないけれども,その時の話し合いは,たいへん友好的なものであったと感じた」と述べた。

. Hammond v. South Carolina State College,272 F.Supp.947(D.C.D.S.C.1967)の判決で,連邦地裁判事ヘンフィルは,学校の慣行について生徒の見解を表明するために開かれた,300人の生徒が参加する,学校での集会についての事例を審理した。彼は,学校が病院あるいは刑務所のような囲い地(enclosure)ではないことを指摘した。Cf. Cox v. Louisiana,379 U.S.536(1965); Adderley v. Florida,385 U.S.39(1966). それは公共の場所であり,特定の使用のために,それを開館(dedication)することは,まるで,その建物が純粋に個人の財産であるかのように,そこにいる資格のある者の憲法上の権利が制限される,ということを意味しない。Cf.Edwards v. South Carolina,372 U.S.229(1963); Brown v. Louisiana,383 U.S.131(1966).

 

 

仮訳 羽山健一 1989/09/17)


Copyright© 執筆者,大阪教育法研究会