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TITLE:  教員評価と教員の適格性
AUTHOR: 羽山 健一
SOURCE: 『全国高法研会報』第50号(1999年10月)
WORDS:  全40字×150行

 

教員評価と教員の適格性

 

羽 山 健 一 

 

 はじめに

  これまで教員の資質向上について、養成、免許、採用、研修などの各段階において具体的な方策が打ち出されてきた。これらのうち、教員免許法の改正、新任研修の制度化など、いくつかが現実のものとなっている。そして現在では、資質向上策の総仕上げとして、教員評価の段階での具体策の制度化が注目されつつあるといえよう。

  教員評価は、当然、評価の結果に応じた措置を伴うものと考えるべきである [1] 。そして、その評価結果の両極に位置づけられる措置として「優良な教員に対する褒賞」と「不良な教員の排除」とが考えられる。本稿ではこの両者を扱うこととし、まず、臨教審や中教審における教員の評価に関わる提言を概観し、次に、東京都の人事管理改革の実施例を紹介することにする。

 

1.教育改革と教員の資質向上

 (1) 中教審四六答申

  一九七一年の中央教育審議会答申「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」では、教員の資質の向上のために「教員の職制・給与・処遇をそれにふさわしく改善しなければならない」として、@教頭、主任などの管理上、指導上の職制を確立する、Aそれらに対応する給与体系を確立することが提唱された。つまり、答申は学校に「職階制」を導入するだけでなく、それに見合った給与体系を実施するよう明確に勧告していた。この制度は「優れた教員に十分な地位と給与を与える」ものであり、その前提として、教員評価の実施を予定している。その後、教頭職の法制化(一九七四年)、主任手当の新設(一九七七年)が実施され、この「職階制」は確実に進められていった。

 (2) 臨教審の「教職適性審議会」構想

  一九八四年に内閣総理大臣から教育改革の諮問を受けた臨時教育審議会は、初等中等教育の改革を審議する第三部会において、教員の資質向上の問題を扱った。その『審議経過の概要(その2)』(一九八五年四月)では、「最近、教員として明らかに不適格と思われる者が不祥事を起こした事例が見られるが、教職の子共に及ぼす影響の重大性にかんがみ、医療処置を含め、適切な対応が取られるべきであるとの意見があった」として、適格性を欠く教員への対応についての問題提起がなされていた。その後、この問題に検討を重ねたうえで、『審議経過の概要(その3)』(一九八六年一月)において、具体的な方策を公表した。それが、「教職適性審議会(仮称)の設置」である。その制度の概要は次のように説明されている。

  この審議会は都道府県教育委員会に設置される。教育委員会は、教員としての適格性を欠くと認められる者に対する措置について審議会に諮問する。これを受けて審議会は、当該教員の適格性の有無および適格性を欠く場合においてとるべき措置について調査・審議し、教育委員会に意見を述べる。審議会の構成員は、教育委員会が委嘱する二〇ないし二五人程度で、その任期は二年。所掌事項は、教員としての適格性を欠く者(懲戒処分対象者を除く)の審査、およびとるべき措置の審査である。審議会は、人事にかかわる決定権限を持つものではなく、諮問事項について意見を述べるものであり、教育委員会は、その意見を得て、分限免職その他の処分を課するなど必要な措置を講ずることとされている。

 (3) 中教審答申(一九九八年)

  さきの「教職適性審議会」構想は臨教審の最終答申には盛り込まれなかったものの、その考え方は中教審に継承された。一九九八年の中教審答申「今後の地方教育行政の在り方について」は、教員の資質向上の具体的方策の一つとして、中教審としては初めて、適格性を欠く教員の問題をとりあげた。

  同答申は、学校において個性や特色ある教育活動を展開していくためには、校長や教頭のリーダーシップと、教員の資質向上が必要であるとして、職員会議の在り方など学校運営組織の見直し、教職員の人事・研修の見直しなどを提起している。その中で、教員の資質向上にかかわって、教員の資質向上の意欲を喚起するために「その職務と責任に見合った処遇の改善を図る」とともに、教員としての適格性を欠く者に対しては、「教育委員会において、継続的に観察、指導、研修を行う体制を整えるとともに、必要に応じて『地方公務員法』第二八条に定める分限制度の的確な運用に努めること」を説いている。これまで充分に機能してこなかったといえる分限免職や分限休職の制度を積極的に活用すべきであるとする論旨は、臨教審の「教職適性審議会」構想と軌を一にするものである。

2.東京都の人事管理政策 [2]

 (1) 成績主義「特別昇給制度」

  一九九四年六月、東京都教育委員会は、本来の特別昇給が「勤務成績が特に良好な場合に措置するものである」にもかかわらず、「現状は必ずしも制度の趣旨に沿った適正な運用が行われているとは言いがたい」として、その運用の適性化を図るための新しい運用方法を決定し発表した [3] 。それは、校長に「過去一年間の勤務成績が極めて良好な者」「特に良好な者」を特別昇給予定者数よりも多めに推薦させ、都教委が推薦された者のなかで不適格者をはずす「調整」を行うというものである。これに対して教員からの反発も大きく、「東京都の勤評特昇の本質は、教育行政が勤評闘争後、実質的に凍結させてきた教員の勤務評定による統制に、本格的にのり出してきたことにある」「当面は統廃合がらみの総合学科新設等に批判的な者の口を封じていく」「選考基準、査定文書、校長から出された具申書は情報公開請求できない」などの批判が出されている [4]

 (2) 管理職勤勉手当への成績率導入

  一九九四年三月、都議会は職員給与条例の改正を行い、同年一二月から、東京都の公立学校の校長と教頭に対して、勤勉手当への成績率の導入を実施した。これは管理職の勤務成績を五段階に評定して、その評価の低い者から一定の金額を差し引き、評価の高い者へ増額するという方法で、勤務成績を勤勉手当に反映させるというものである。こうした制度は国や他の地方自治体においても採用されているが、財源はそのままで、一方の職員の手当を削って他方に増額するという東京都のような方式は全国的に例を見ない [5]

 (3) 業績評価と自己申告制度

  都における人事管理の基礎をなす業績評価制度および自己申告制度は、一般行政職員に対して一九八六年から導入されていたが、これらの制度は一九九五年には、教育管理職にも、従来の勤務評定制度に代えて適用された。したがって、業績評定が勤勉手当だけでなく人事移動、昇任昇給等の基本的資料となったのである。これらの制度の概要は次のようなものである。年度始めに校長・教頭は、学校経営・職員の指導監督等について目標設定を行いそれを自己申告し、年度末の二月にその成果を自己評価して評定者に提出する。評定者はこの自己申告と自己評価をふまえ絶対評価による評定を行い、最終評定者である教育長は相対評価による評定を行う。評定者は目標設定にあたっての指導助言と、評定結果にもとづき改善すべき点などを指導助言することになっている。都教委はこれらの制度を管理職だけでなく教員にも導入する意向を示している [6]

 (4) 「指導力不足教員」判定制度

  東京都は、子どもを適切に指導できない教員を、「指導力不足教員」と判定する制度を一九九七年度末から実施した。対象となるのは、病気や障害以外の理由で、子どもを適切に指導できない状態の教員で、都立学校の場合は校長が都教育庁人事部に申請し、年度末に判定会議を開く。「指導力不足教員」と認定されると、定員外の教員として校長や都の指導の下に入り、三年後には免職の対象となることもあるという。同年度末に東京都教育庁は、小学校から高校までの一六人の教員を該当者とした 7

3.「教員評価」と「教員評定」

  これまで、教員評価を制度化する目的は教員の資質向上にあるとされてきた。そして、具体的な施策としては、評価結果を教員の処遇に反映させる人事考課制度が導入されている。

  しかし、本来の教員評価と、処遇に反映させるための教員評価とは理念的に峻別されるべきものであろう。そこで、もっぱら教員の資質の向上だけを目的として、その資質向上に必要な情報を本人に提供しこれを以後の業務にフィードバックさせる手続きを「教員評価」と呼ぶことにする。これに対して、人事考課の資料とするため、教員の能力・実績を客観的に測定しレイティング(ランクづけ)する手続きを「教員評定」と呼んでおく。

  「教員評価」は相対評価である必要はないが、「教員評定」は現実的に、相対評価の形式をとる必要がある。なぜならば、絶対評価では処遇への反映が行い難いからである。

  近年、導入が進められている人事考課制度は、この「教員評価」と「教員評定」の両者の性格を合わせ持つものである。したがって、人事考課の制度には、「教員評価」の観点からは評価内容の本人開示が要請される。また、「教員評定」の観点からは評定の客観性と公正性が求められ、評定に評定者の主観が入る余地を少なくする評定基準や手続きが必要となる。また、評定結果に対する意義申し立て手続きも要請される 8

  ところが、「教員評定」は「教員評価」の目的と矛盾する結果を生み出すことも否定できない。つまり、「教員評定」は、教員集団に競争・差別・分断を持ち込むことになり、全体として、教員の資質の向上を疎外する危険性があるためである。また、「教員評定」による人事管理をとおして支配関係が確立し、教育行政が教育内容を統制することを日常化させる危険性があることも指摘しておきたい。

 

【注】

[1] 地方公務員法第四〇条一項(勤務成績の評定)

[2] 小川正人「教員給与と教員評価(1)」『季刊教育法』一九九五年一〇〇号九六頁、井原敏「東京都の成績主義の攻撃」『教育』六二四号(一九九八年三月)

[3] 東京都教育委員会「学校職員の成績特別昇級の改正について(最終)」一九九四年六月一三日

[4] 「いまなぜ『勤評特昇』か?!」je pense 一九九五年一二月

[5] 佐藤全・坂本孝徳編『教員に求められる力量と評価《日本と諸外国》−公立学校の教員はどこまで評価できるか−』七七頁、一九九六年

[6] 毎日新聞一九九九年三月三一日

[7] 朝日新聞一九九七年一一月一六日「都『できない先生はクビ覚悟を』」、朝日新聞一九九八年三月三日「指導力不足教員一六人判定」

[8] ユネスコ・ILO「教員の地位に関する勧告」六四項(一九六六年)参照

 


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